第5話
海月の白い肌に、カーテンから漏れた青い光が射す。くねる彼女の身体は、水中を漂っているように見えた。口の中に溢れる潮の香り、寄せては返す波のような彼女の冷たい指先。荒い息の漏れる紅色の唇――。誰かと身体を重ねるのは、これが初めてではない。けれど今までと何もかもが違う。そんな気がしていた。
しっかりと熱を宿して硬化した身体の芯に、僕は避妊具をつけようとする。それを、海月の手が制した。
「そのままでいい」
彼女は潤んだ瞳でそう言った。僕は驚き、それは駄目だと応える。彼女は青く染まるベッドの上で、まるで水流にたゆたうような穏やかな表情を浮かべ、首を振った。
「子どもはできないの」
「……え?」
「子どもは、できない身体なの」
だから、そのままでいい。海月は滲んだ声で言う。僕は何も言えず、封を切った避妊具をそのまま置いて彼女の汗ばんだ頬を撫でた。彼女は微笑み、
「そんな顔をしないで、千歳」
さざ波のような優しさで、僕の瞼に触れた。僕はその手を握り、甲に口づけする。くすぐったそうに海月が笑った。彼女の細い手が、僕の中心を愛撫する。それをそのまま、彼女の湿った深みへと誘った。
彼女の奥へ奥へと入っていきながら、僕は胸が締め付けられるような感覚に戸惑っていた。理由は解らない。彼女の言葉に、心が乱されているだけでは決してない。もっと、僕の深い場所をえぐるような感覚だった。
――懐かしさによく似ていた。
母の胎内にいた頃は、おそらくこんな気持ちだったのだろう。全て包まれ、守られ、誰かと繋がっていた安心感。しかしそれは遠く失われた過去であり、そんな場所には二度と戻れない。これが一時の錯覚だということも、僕は理解していた。
僕は必死になって海月の一番深い部分に触れようとした。このまま何処までも彼女の中へ沈んでいきたかった。彼女と一つになって彼女の身体の流れに身を任せて、ずっと浮遊していたかった。けれど、そんなことが叶うはずもない。何度その奥を突いても、それはふたりの距離の限界を示すばかりだ。この行為はふたりの距離を零にするものかもしれないけれど、ふたりが一と一であることを突きつける行為でもある。
その、海の匂いがする深い場所は世界で一番近い最果てだった。
泣き出しそうなほどの欠落感と快感がせめぎ合う頭の中で、あるイメージが像を結ぶ。海辺に並んで座る、ふたりの女性。全く同じ顔を持ったふたりのうち、ひとりが立ち上がって去っていく。鮮明な映像だった。振り返ることなく歩いていく毅然とした女性も、去っていく背中を見つめ泣き崩れる女性も、海月と同じ顔をしている。置いて行かないでと残される彼女は泣く。その声はいつしか、僕の声と重なっていた。振り返らない母。倒れた祖父。見たことのない祖母。横たわる父、そして僕を置き去りにした恋人。
彼らは振り返ることなく、遠ざかっていく。
置いて行かないで。
僕と海月の、ふたりの声が重なり、僕は彼女の中に注ぎ込む。白濁に、赤が混じっている。彼女の血だと、すぐに気づいた。
顔を上げると、彼女の泣き顔があった。千歳、と彼女は揺らいだ声で僕を呼ぶ。彼女の頬にぽたりと滴が落ちた。僕の涙だった。
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