第11話

 電話がなって、香織は手に持っていたコップを置いた。

「もしもし、香織?」

「華子?」

香織は、東谷で会った時の華子を思い出して、眉を寄せた。

「時間ある?」

「どうして?」

自分で思っていたのよりも随分と冷ややかな声が出てしまったことに驚く。

「私、あなたにひどいこと言ったでしょう?それを謝りたくて」

華子の声からは、ひどく罪悪感を感じている様子も、全く悪びれていない様子も、感じとることができなかった。ただ、淡々と、適度な冷たさで、台詞を読んだように聞こえた。

「でも、あれが本心なんでしょう?」

「違うのよ。ただ、私は、──」

「よくわからない。あなた、私のことはつまらない女だと思ってるんでしょう?」

子供じみてる、そう思いながらも言わずにはいられなかった。

「だから、そういう......つまりね」

華子は、めんどくさそうな響きを含ませたあとに落ち着いた声を作った。コップの回りについた水が滑り落ち、机に染みを作っていたのを見ながら、香織は、口を開いた。

「......私が大人げないことを言ったわ。多分、今日は、1日家にいるから気が向いたら来て」

私が行く、とは言えなかった。

「そうするわ」

華子は、声に小さな微笑みを含ませて電話を切った。はかりで量ったような適切な重みの声。香織はため息をついて、濡れた机を拭いた。

 来るかもわからない来客者のために化粧をしながら、冷蔵庫の中身を思い浮かべ、茶菓子と紅茶が切れていたことを思い出した。

 近くの薬局に向かう横断歩道で、香織の母校の制服を着た学生とすれ違った。化粧っ気のない顔と、安っぽくテラテラと薄く光るピンク色の唇、茶色いローファ。華子の唇は何色だっただろうか。

 買い物から帰ると、アパートの階段に赤いハイヒールを履いた華子が座っていた。

「どこに行ってたの?」 

不満気な表情で華子は言った。

「紅茶が切れてて。華子、コーヒー飲まないでしょ?あ、もう、大丈夫なんだっけ?」 

ふと、創太のブレンドしたコーヒーが頭に浮かんだ。

「えぇ、もう、飲めるわ。だけど、紅茶、買ってくれたんでしょう?それにするわ」 

高慢な台詞のわりに、華子はスッキリとした声音で言うせいか、嫌な感じはしなかった。

 机に、二人分の紅茶とシフォンケーキを用意しながら、香織は口を開いた。

「早かったのね」

「来たかったから」

華子の化粧っ気のない顔を見ると、なんだか虚しい気持ちになり、香織はアイメイクを落とした。

「取っちゃったの?」 

「くだらなく思えちゃって」

香織の目に華子は、薄化粧でも充分美しく写ったが、昔とは、大分変わってしまったようなそんな感じがあった。

「私、あなたに悪いことしたって思ってるの。あなたくらい私のことわかってくれる人はいないのに」

「もういいわよ。そんなことは。わかってくれる人って、星野くんがいるじゃない」 

「彼とは根本的なところが違うのよ」

華子は真面目な顔をして言った。

「──たとえばどうちがうわけ?」

かわいそうな星野くん。

「私、求められるの嫌いなの。理解しようと深入りしてきて、何でも受け入れますって顔で、余裕かましてるのが嫌なのよ。それで、私が彼に何か、たとえばお礼とかそういうことをしたらいいわけ?それに、私は、一人の女である以前に、過去を持った人間よ?」

フォークをプラプラと、揺らして、眉を寄せた。

「ちょっと前に会ったばかりの彼になにがわかるのかしらね?」

一人、外にいる気がする、と言った星野くんを思った。

「星野くんも根底には寂しい気持ちがあるんじゃないの?そんなのって残酷、いつまでも振り回して」

「正気?もう、喧嘩してフったわよ。彼、ダメなのよ。私は人形じゃないのに」

華子は、ふぅ、と一息ついて、目を伏せた。

「つまり、私が言いたいのは、結局、私の中心つまり、創太さんを知ってるあなたにしか、理解してもらえなくて、それで、──もう、創太さんがいなくなった時点で私という性格が確立されて、止まってしまったのよ。──あなたしかわかる人はいないの」

 香織は頭のなかで、創太のことを話す華子のうっとりした声を繰り返していた。創太を思う度に、二十代の顔で十代の女の子のような表情をする華子。

 社会人の顔をした華子と、いつまでも学生のままの創太が並んだ様子は、ひどく歪んでいるような気がした。

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