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 未映子は同い年だ。小学・中学と同じ学校に通っていたが、幼馴染みと言えるほど親しかったわけではなく、また同じクラスに編入されたことも無い。ただ、顔と名前は知っているという程度の間柄で、もちろん会話した記憶は無い。もっと正確に言うと、僕の記憶の中にある未映子の姿は小学校の頃のもので、中学時代に関して言えば、彼女に関する記憶は全く無い。従って、小学生当時の「川口」という名前は憶えているが、その後、家庭の事情により母方の姓である「渋川」を名乗っていたことは後から知ったし、同じ高校に進学したことも、高1の時に彼女が東京に引っ越したことも知らなかった。

 その未映子が何故、僕などに話しかけて来たのか? 僕は彼女の意図が読み取れず、ただただドギマギするだけであった。


*****


 僕は、引き続き今日もこの公園にやってくる気になったことが、自分でも意外だった。昨日、一昨日の状況からして、彼女が今日も公園に来ることは十分に予想できたし、昔の顔馴染みとの再会など、僕にとっては耐え難い苦痛でしかないはずではなかったか。それなのに今日も、ましてや彼女が来るであろうお昼時にノコノコとここへやって来るなど、彼女に逢いたいという気持ちが働いているとしか言えないではないか。自分はどうしてしまったのだろう? 何かを積極的に変えようとしているのか? 僕にそんな勇気が有るのだろうか? 僕は自分の葛藤に決着を付けることも出来ないうちに、またしてもここにやってしてしまった。物事に対してはっきりしない態度をとるのは、子供の頃からちっとも変っていない。僕は全く成長できていない自分にイライラした。そういう僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女がいきなり僕に声をかけて来たのだった。


 いつも通りベンチに座っていると、昨日と同じ様に赤い軽自動車が停まった。そして彼女は、コンビニの袋を持ったまま公園に足を踏み入れ、キョロキョロと辺りを見回した。多分、僕を探しているのだろう。公園の隅のベンチに座る僕を認めた彼女は、微笑みを浮かべながらどんどん僕に近づいて来た。僕はどうしていいか判らなかった。彼女は直ぐそこまで来ていた。怖くて逃げだしたい気分であった。でも、どうしても動くことが出来なかった。蛇に睨まれた蛙というのは、こういうのを言うのだろうか? いや、ちょっと違うような気がする。そんなことを考えているうちに、遂に彼女は僕の目の前に立った。そして、またしてもニッコリと笑う。僕がノソノソと彼女の顔を見上げると、彼女はもっと生気の籠った眼で僕を見詰めていた。直接瞳を覗き込まれた僕は、今日はその視線を逸らすことが出来なかった。これこそが、蛇に睨まれた蛙なのだろう。

 「小宮山くん・・・ だよね?」

 僕は彼女の笑顔に絡め捕られた視線を無理やり引き剥がすと、足元の雑草を見つめながら言った。そこには、せっせと何かを運ぶ蟻の行列が続いていた。

 「うん」

 「やっぱり!」彼女の顔がパッと明るく弾けた。そして続けた。

 「私のこと、覚えてる? ほら中3の時3組だった・・・」

 そこまで言う彼女の言葉に被せる様に僕は言った。

 「知ってるよ・・・ 川口さん・・・ だよね」

 「えぇーっ! 覚えててくれたんだぁ!」

 僕はただ「うん」とだけ答えた。


*****


 それ以来、僕は毎日公園に出かけ、彼女も毎日そこへやって来た。昼のちょっとした時間に、ちょっとした会話を交わすだけであったが、僕にとってはそれが、外界との関りを繋ぐ、唯一のものであった。彼女はいつも屈託なく笑い、そして僕も少しずつ笑いを取り戻していった。永らく忘れていた笑い方を思い出させてくれたと言っていい。

 「でしょ? おかしくない? 普通、そんな風に言わないよね?」

 「確かに、そういう言い方がカッコイイと思ってるのかもね」

 彼女は笑いながら付け加えた。

 「だってあの課長が仕事できないの、みんな知ってるんだよ! 気付いてないの自分だけなんだから!」

 「あはは、そんな奴でも上司は上司。言うことは聞かなきゃね」

 「だよねー。なんであんな奴が出世できるんだろ?」

 僕には一般社会を渡り歩いたことが無い。彼女の軽口に合わせられる経験も無ければ、気の利いた具体例も知らない。彼女がそんな風に思っていないことは判っていたが、彼女との会話により、僕は自分の未熟さを改めて突き付けられた思いだった。

 そもそも僕には話すことなど無いのだ。学校を卒業してからの出来事など、退屈などころか悲惨でしかない。そんな話を聞いたところで、誰も幸せになんかならないし、気が重くなるだけに決まっている。だからという訳ではないのだるが、彼女は僕の過去をほじくり返す様なことは決してしなかった。薄々感付いているであろう、僕の引き籠りの人生に気を使っていてくれているのだと思った。その彼女も、あまり自分の過去は語りたがらない雰囲気をまとっていること感じた僕は、あえてそういった質問はせずに、彼女の普段の出来事を聞くだけで満足していた。あまり深入りせず、当たり障りの無い受け答えに終始する僕であったが、それは何物にも代え難い時間であったし、その大切な時間に終止符を打つようなことはしたくなくて、彼女が言いたくないのならば聞くまいと思っていた。きっとそれは、川口姓から渋川姓に変わったことと関係が有るのだろうと考えるだけに留めておいた。


 そんな会話が何度となく繰り返された。最初、僕はそれを煩わしく感じることも有ったが、それでも公園に行くことをやめなかったのは、やはり心の何処かで彼女に逢いたがっていたからに違いなかった。明確な理由など無かったが、彼女だけが僕を人間らしい領域に引き止めてくれそうな予感がしていたのかもしれない。僕は、少しずつではあるが、彼女と通じ合う心を心地よく感じ始めていた。こうして僕は、変わり始めたのだった。いや、元に戻り始めたと言うべきなのかのしれない。

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