1-3
いつもの様に、僕がベンチに座って彼女が現れるのを待っていた時、突然背後から声をかけられた。振り返るとそこには、見慣れぬ老人が立っていた。
ヨレヨレの背広は、所々擦れてテカテカになっていたが、本人には気にしている様子など全く無い。ネクタイだって申し訳程度に結ばれているだけで、礼節とか身だしなみといった視点ではなく、ただ習慣として首に巻き付けているだけといった風情だ。白髪交じりの頭髪は長い間、櫛を入れてもおらず、整髪料の恩恵を受けてもいない様で、そのボサボサした様子が痩せた身体を際立たせていた。それでいて、その瞳だけは狡猾な肉食獣のそれを思わせ、優しさや同情や友愛といったものからは隔絶された光をたたえている。決して気を許してはいけない。そういった類の目であった。
「渓一君だよね?」
「はい?」
「大きくなったねぇ。あの頃、君はまだ高校一年生だったかな? 私のこと、覚えてる?」
僕は首を振った。全く見覚えは無い。以前通っていた学校の関係者? いや、違う。やはり面識は無いようだ。
「あのぉ・・・ どちら様ですか?」
男は可笑しそうに笑った。
「いやいや、名乗る程の者じゃありません。いえね、歩いていたらたまたま君を見かけたものですから」
「はぁ・・・」
こんな所をたまたま歩く奴など居ない。だって周りには何も無いのだから。その男は、明らかに僕に会うためにやって来たのだ。そう直感した僕は、心の警戒レベルを一段階上げた。
「僕に何か御用でしょうか?」
すると男は、その顔に張り付けたわざとらしい笑顔を引っ込め、一瞬だけ真顔になって僕を見返した。そして再び偽りの笑顔を作ると、僕の質問には答えず違う話を持ち出した。
「実は君が小学生の頃にも、一度会ったことが有るんだよね。小学5年生の夏に」
男はそう言ってニヤリと笑い、探る様に僕の目を覗き込んだ。『夏に』という部分だけ、妙に強調するような口調に、僕は少なからずイラっとさせられた。それは人をあえて不愉快にさせることで、精神的な揺さぶりをかけるヤクザの、借金の取り立てを思わせた。それでも僕が黙っていると、男は構わず続けた。
「ご両親は、君がここに日参していることはご存じなのかな?」
僕はムッとして声を荒げた。
「貴方には関係無いことです!」
「関係有るか無いか、どうして君に判るのかな?」
「そ、それは・・・」
「君の知らない所で、私が君に、あるいは君のご家族に深く関与しているかも知れないよ」
僕は言葉に詰まった。この男、見かけによらず口が立つようだ。ただのヨレヨレの老人が、道でたまたま出会った青年と世間話をしているわけではないことがはっきりした。抜け目の無いずる賢そうな物言いと、人を見下す様な横柄な態度からして、益々警戒すべき人物であるという警報が心の中でけたたましく鳴り響いた。こいつは決して、僕の益にはならない。
「だったら名乗ったらどうですか? 自分の素性を隠して、そんなことを言うのは卑怯じゃないですかっ!」
「卑怯? これは面白いことを言う。君の様に真っ当な職にも就かず、親の脛をかじりながら、昼間っから公園で女と密会している。そういうことをしている人に卑怯者呼ばわりされるとは思いませんでしたな」
男はいきなり敵意を剥き出しにした。それまでの、人のよさそうな風を装っていた時とは異なり、まさに豹変という表現がぴったりだ。これも僕を揺さぶるための演出なのか? 僕が未映子と逢っているのを知っているということは、やはり偶然ここに来たわけではないことを裏付けている。むしろ、入念な下調べの後に僕に会いに来たと考えるべきだ。
「用が無いならお引き取り下さい。というか、僕の方こそ失礼させて頂きます」
僕が腰を上げかけると男は、まるで手品師か何かのように、先ほど見せた敵意をいとも容易く引っ込めて何処かに仕舞い込み、僕を制して言う。
「それには及びません。もちろん、私の方から失礼させて頂きますよ。お邪魔いたしました」
そう言って立ち去り際、男は「またお会いしましょう」と付け加えた。あの顔で見つめられて不快にならない者など居ないであろうと、僕は思った。
*****
男は自分の車に乗り込むと、エンジンを始動させた。その時、公園の脇に停めてある赤い軽自動車の存在を確認した。
「やっぱり来たな。時間通りだ」
男は、その車のナンバープレートを手帳に記録すると、フロントウィンドウ越しに見える女の顔を記憶した。渓一と親しくするあの女を調べてみる必要が有ると、男は思った。
「お前らがイチャ付いていられるのも、今のうちだ」
不敵な笑いを顔に張り付けたままギアをDに入れると、土煙を舞い上げながら走り去った。ルームミラーに映る渓一が、自分の後姿を睨みつけているのを知ると、男はニヤリと笑った。その笑顔は不吉そのものであった。
*****
走り去る男の車を見送りながら、未映子が近付いて来た。
「今の人、誰?」
そんな彼女に対し、僕はイラついた感情をぶつけてしまった。
「放っといてくれないかっ! 君には関係無いだろ!」
ビクッとした彼女を見て、僕は我に返った。彼女には非の無いことで当たり散らすなんて、なんて最低な男なんだ。僕が謝るよりも先に彼女が謝った。
「ごめんなさい。立ち入り過ぎちゃったね。許して」
「僕の方こそごめん・・・ つい・・・」
僕はそう言って、自己嫌悪に陥った。僕には、人との付き合い方が判らないのだった。
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