第6話、禁断の恋は異世界に転移してから⁉

 ──神楽かぐらの御本家を訪れるのは、これで何度目だろう。

 まだまだ両手の指で数えても事足りるはずである。僕としては好きこのんで訪問したい場所でもないし。いやむしろ、本当は二度と来たくなんかなかったのだが。


 そう。ここには『あの子』が、いるのだから。


 しかし、筆頭分家の跡取り息子としては、そうも言ってはおられず、僕は『例の事件』からほぼ二年後の夏休みに、父の名代として久方ぶりに、あの古めかしい屋敷の敷居をまたいだのである。


「──、来てくだされたのですね!」


 心の底から歓喜にあふれた、まさしく親を前にした幼子のごとき声音とともに、座敷牢の木製の格子の隙間から、懸命に生白い細腕を伸ばしてくる、あまりにも場所柄にそぐわぬ満面の笑みをたたえた少女。

 小さな明かり取り用の小窓しかないその蔵は、三方の壁に設置された物置棚はもちろん床一面にまで足の踏み場もないほど、きょう人形、フランス人形、文楽ぶんらく人形、ビスクドール、市松いちまつ人形、はか人形、その他もろもろの古今東西の少女人形で埋め尽くされており、びゃくばかまといういわゆる巫女装束に包み込まれた、華奢なれどすでに女性らしい丸みを帯びた肢体に、月の雫のごとき銀白色の長い髪の毛に縁取られた、端麗なる白磁の小顔をしたその少女自身も、まさしく希代の人形師が丹精込めて作り上げた日本人形であるかのような、人ならざる妖艶さをかもし出していた。


 僕を上目遣いで熱っぽく見つめている、あたかも満月のごとき縦虹彩の、黄金きん色の瞳。


「もちろん信じておりましたわ、お父様は必ず、私の許に戻ってくださるって。──なんかに、盗られてなるものですか! お父様だって、本当は嫌なんですよね? あんな女と一緒にいるのは。だってお父様は、この私のことを、この世で一番愛してくださっているのですから!」

 僕の二の腕をひしと握りしめつつ、笑顔でありながら目だけが笑っていないという、鬼気迫る表情でまくし立てる、一つだけ年上の少女。

 そこには初対面の折の、クール極まる予言の巫女姫の姿なぞ、微塵も無かった。

 そんな己のあるじたる御本家のお嬢様にして、御神楽一族の宗教的指導者である巫女姫様に対して、僕がどう言葉をかけようかと四苦八苦していた、

 まさに、その時。


「──よくもまあ、おめおめと顔を出せたものね」


 唐突に背後からかけられる、いかにも辛辣なる声。

 咄嗟に振り向けば、いつしか蔵の入り口には、一人の少女が立ちはだかっていた。

 年の頃十五、六歳ほどの均整のとれたほっそりとした肢体を包み込む、純白のワンピースの腰元まで流れ落ちている長い髪と、僕のほうを侮蔑の感情を隠すことなく見下している瞳の色が、新月の夜空のごとき漆黒であること以外は、牢の中の少女と瓜二つなことが、二人が同じ血を分けた双子の姉妹であることを雄弁に物語っていた。

「……のん、様」

 それはまさしく、『憧れの御本家のお嬢様との久方ぶりの再会』であったが、僕は顔をうつむけるしかなかった。

 彼女と会う前に、こんなところに寄り道をして、姉のおんと密会していた後ろめたさは、言うに及ばず。

 ──何よりも、自分自身がもはや彼女にとっては、『忌むべき存在』以外の何物でもないことへの、自覚のために。

 だが、彼女に続いて姿を現した人物の一言が、それ以上の逡巡を赦さなかった。


「──お役目ご苦労様です、ひびき殿。また随分と、久方振りですこと」


 薄暗い蔵の中に鳴り響く、凜とした声音。

 僕はすぐさま片膝をつくや、更に姿勢を正して畏まる。

「これは御当主様、お久しぶりでございます」

 その涼しげな薄青色の和服に包み込まれたほっそりとした肢体に、初雪のごとく色白で彫りの深い端整なる小顔は、とても十代半ばの娘がいるようには見えぬほどの、若さと美しさを誇っていたものの、間違いなく彼女こそが当代における、いにしえの超常の一族御神楽家の、御当主様その人であった。

「……最近はとみに、『あの人』に似てきましたね」

 その言葉にはっとなっておもてを上げるや、目の前の妙齢の御婦人が、どこか懐かしむような哀しむような慈しむような悔やむような、いかにも複雑極まる表情をしていた。

 その一方で背後に控える娘さんのほうは、いまだにただひたすら憎々しげな目つきで、僕のほうをにらみつけていた。


 そんな美人母娘の三人三様の有り様に対して、僕はあくまでも頭を下げ続け、無言を貫くしかなかった。


 ──何よりもその身に流れる、けして赦されざる、『裏切り者』の血ゆえに。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!


 真夏の灼熱の太陽のもと、御本家のお屋敷から麓の市街地へと続く山道を汗だくになって駆け降りながら、僕は何度も何度も胸中で叫び続けた。


 ──何でなんだ、何で僕は、あんな『糞野郎』の息子に生まれたんだ!


 ──筆頭分家の跡取り息子だなんて、単なる欺瞞でしかなかったんだ!


 ──現在いまの父さんや母さんは、僕の本当の両親じゃなかったんだ!


 ──本家の御当主様の婿養子の分際で、何と事もあろうに今は亡き先代の巫女姫であり御当主様の双子の妹と不義の関係を持ってしまった、慮外バチアタリ者。


 ──それこそが、僕の本当の父親だったんだ!


 ──だからこそ、幼い頃に実の父と母を相次いで亡くしてしまったものの、残された僕の存在を御当主様に知られるわけにはいかなかったので、一族の重鎮連中の秘密の談合の結果、跡継ぎのいなかった筆頭分家で育てられることになって、僕は何も知らずにのうのうと、『御本家のお嬢様』に対して守り役として忠義面して仕えていたけれど、成長するほどに亡き父の面影を濃くしていき、もはやその出自をごまかすことなぞできなくなってしまったのだ。


 ──その結果、御当主様は今更になって、すでに亡き夫と実の妹との不義を知ることになり、


 ──初恋の相手であった一つ年上のお嬢様とは、母親は違えど、実の姉弟であることが明るみになったんだ!


 ──そして当然のごとく、僕はもう、彼女にとっては、幼なじみでも、忠義の部下でも、いられなくなってしまったのだ。


 ──いやむしろ、彼女にとっては父親の不貞の結晶に過ぎない僕は、今や憎しみと蔑みの対象でしかないのだ。


 ──道徳的にも、そしてお互いの心情的にも、もはやけして、僕の彼女への想いが成就することなぞ、なくなってしまったんだ!


 ──なぜだ、なぜなんだ!


 ──なぜ運命は、これほどまでに残酷な仕打ちを、僕に与えるんだ⁉


 ──僕が、一体何をしたって言うんだ⁉


 ──自分とほとんど歳も違わない女の子たちに、下僕として仕えて。


 ──文句の一つも言わずに、何から何までずっとお世話してきて。


 ──ただ単に、淡い恋心を抱いただけだったのに。


 ──それが実は片親だけとはいえ、血の繋がった姉弟だったなんて、あまりにもひどすぎるじゃないか⁉


 ──もう、いい。


 ──もう、たくさんだ。




 ────けして自分の思い通りにならない世界なんて、滅んでしまえばいいんだ!




 そのように心の中で、とても実現不可能と思われる願望を、やけくそになって叫んだ、


 その刹那であった。




『──だったらその願い、私が叶えてあげましょうか?』




 突然ズボンのポケットの中のスマホから聞こえてきた、幼くもどこか高飛車な少女の声。


 ──そう。これこそが、僕とかの『なろうの女神』との、ファーストコンタクトの瞬間であったのだ。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……だからって、これはないだろう」


 魔法と科学のハイブリッド国家ホワンロン王国の、王都にそびえ立つ王城スノウホワイトにおいて与えられた僕専用の客室にて、今日も今日とて真夜中にかかわらず狂態を演じている高貴なる方々を目の前にしながら、僕こと村人Aにして実は某公爵様の落とし胤であるアルバート=クダンは、深々とため息をついた。


「お父様♡お父様♡お父様♡お父様♡お父様♡お父様♡お父様♡お父様♡」


「お兄様♡お兄様♡お兄様♡お兄様♡お兄様♡お兄様♡お兄様♡お兄様♡」


「……ああ、ますます『あの人』そっくりになられて♡」


 ほとんど裸同然の薄い夜着だけをまとったなまめかしい肢体を隠そうともせずに、キングサイズの天蓋付きのベッドの上で僕へと迫りくる、三人の美女と美少女。

 一人はご存じこの王国のあるじにして若き女王様である、金髪碧眼も麗しい、キリエ=ホワンロン嬢。

 もう一人はどうしてここにいるのか謎が謎を呼ぶ、魔族国家の宗教的指導者にして、この世の災厄のみを予言できるという、なぜだか月の雫のような銀白色の髪と満月のごとき縦虹彩の黄金きん色の瞳以外は、女王様と瓜二つの、『みの巫女姫』。

 そして最後に控えしは、とても三十代後半とは思えない、ほっそりとした肢体と婀娜っぽいかんばせとが、いかにも『いけない未亡人♡』っぽさを強調アピールしている、某公爵様の正妻にして本来僕とは複雑な関係にあるはずの継母殿、アンリエッタ=グールド。

「──それが何で、雁首揃えて、僕なんかに夜這いしてくるんだよ⁉ 女王陛下は言うに及ばず、巫女姫様はこの王国とは敵対関係にある国の重鎮だし、継母殿にとって僕はむしろ憎き不貞の結晶でしょうが⁉」

 堪らずわめき立てるものの、女たちのほうは接近を止めることはなかった。

「──だって私はこのためにこそ、お父様をこの世界に召喚したのですもの。当然『本懐』を遂げさせていただきますわ♡」

「『過去詠みの巫女姫』である私と『かた』であられるお兄様とは、魂で結ばれた兄妹なのです。さあ、今こそ肉体においても結ばれましょう♡」

「……ごめんなさいね、昼間は辛く当たったりして。一応公爵家現当主としては、人の目もありますので。でも、夜だったらこうして、本心を明かせますの。……ああ、まるであの方が甦られたみたい。お願いです、どうか夜だけは、私をあなたの妻にしてください♡」

 いやいやいや、いずれも揃ってやんごとなき方々が、何言ってくれちゃっているの⁉

「「「あっ、アルバート様、いずこへ⁉」」」

 もはや我慢の限界に達して、今の自分にとっては唯一の命綱とも言える魔導書(型タブレットPC)だけを手にして、脱兎のごとく客室を飛び出していく。

「どうしてこうなった⁉ いくら僕が救国の英雄の転生体だったり前公爵の生き写しだったりしても、貞淑なる王侯貴族の方々が、あんなにも痴態をさらして迫ってくるなんて、どう考えてもおかしいだろう!」

 王城の通路をひた走りなら、ついそのように叫んでしまったところ──。


『──当然でしょう? この世界はあなた自身の願望の具現であるとともに、彼女たちの秘められた欲望の顕れでもあるのだから』


 手のうちの魔導書から聞こえてくる、幼くもどこか尊大なる声音。

 もちろんそれはタブレットPCの液晶画面にしか姿を現さない、毎度お馴染みの『なろうの女神』のご登場であった。

 しかしそれはとても聞き逃せない言葉であり、僕は思わず足を止める。

「……何だと、さっきのいかにも三流Web小説におけるハーレム展開そのものの有り様が、女王たち自身の欲望の顕れだと?」

 そもそもこの世界自体が、『ゲンダイニッポンの僕』である、神楽かぐらひびきの願望の具現であり、この世界にとっての『作者カミサマ』のようなものである彼の望みが、たとえどんなに非常識なものであろうと、こうして現実のものとなるのは、一応のところ納得できる。

 そういった意味では、あくまでも女王たちのほうは、彼にとっての本来の世界における歪んだ欲望のはけ口にされているだけの、『被害者』に過ぎないのではなかったのか?

『……あのねえ、たとえ「作者」といえども、何から何まで自分の思い通りになるわけじゃないのよ? 何せある意味彼にとっては創作物のようなものとはいえ、あなたたちのように実際にこの世界に存在している者にとっては、れっきとした現実の世界なのですからね。その未来には無限の可能性があって、とても一個人の意のままにできるものではないわ。──つまり、現代日本においては彼に辛辣な態度をとっていた彼女たち自身も、実は心の中では密かに彼のことを求めていたわけなの。何せ音に聞こえる、御神楽家の女たちですからね。「近親相姦」なんて、お手の物デフォルトに過ぎないでしょうよ』

 ……何……だっ……てえ……。


『だからあなた自身も、別に遠慮なんかせずに、思う存分ハーレム展開を楽しめばいいのよ。何せこの世界のあなたにおいては少なくとも肉体上は、あの三人とは何ら血のつながりはないんだし、むしろそのための異世界転移なのであり、「公爵の落とし胤」というを運命付けられた、「主人公」としてのあなたなのですからね』

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