第37話

「デュオさん、大丈夫かな・・・・」




 王城4階の北の角部屋にて、シルヴィア・アシュト・オーシュは読書の手を止めてつぶやいた。いや、正確には読書の手を止めたままで、だろうか。今日は一口も口を付けた痕跡のないティーセットを少しがっかりしながら片づけた朝から何をやっても身に入らないままで、今朝入荷したばかりだという小説の新刊の内容も、最初の10ページくらいから何も頭に入ってこない。彼女のペースなら普段は朝から読み始めた本は昼食までに読み終えてしまうのに、時刻はもう夜だ。ちなみに手に持っていたのは「魔竜スレイヤー」の12巻である。




「今なら、もう鬼人の森にいるのかな」




 引っ込み思案な娘にしては大変珍しく、というか生まれて初めて、食事を持ってきたメイドに自分から話しかけたのだが、王都南城門付近で行われた筆記試験は正午前には終わったらしい。聞かれたメイドはかなり驚いていたが、彼女のチカラによれば騙そうとする意思はなかったし、本当だろう。そして、青年はまずは鬼人の森に行くつもりと話していたことがあったし、前彼女が見た地図が合っているのならば、飛竜に乗って飛んでいけば4時間前後で到着するはずである、と考えていた。




「デュオさん、大丈夫かな・・」




 シルヴィアは、もう何回口に出したか覚えていないセリフをまたつぶやいた。


 鬼人の森は騎士たちが定期的に巡回しているとはいえ、かなり危険度の高いダンジョンである。中級モンスターは少し奥の方に行けばうようよしているし、下級モンスターもおびただしい数生息している。さらに、滅多に表れないが、上級モンスターだって確認されているし、極め付けには上級モンスターという枠組みを超えるオーガロードという規格外もいる。普通だったらそうそう出くわさないであろう敵も、彼女が心配している青年ならばばったりと出会ってしまいそうである。実際、ほんの少し前に件の青年とその相棒が命からがら森の王から逃げ出したばかりだが、彼女がそれを知るはずもない。




「鬼人の森を越えたら、その次はモーレイ鉱山か・・」




 騎獣を連れている場合、試験期間は削られるが、その中でも飛竜はもっとも試験期間が短くなりわずか2日間で試験を攻略しなければならない。青年の場合、移動時間を考えれば今日中に鬼人の森を攻略しなければ危ういだろう。だが、モーレイ鉱山は彼の話を聞く限りには攻略は難しくなさそうである。調べてみたところ、下級モンスターの数は鬼人の森以上だが、中級以上のモンスターは滅多に出現せず、オーガロードのような超級のモンスターもいない。




「そして、そこを抜けたら・・・」




 シルヴィアは想像する。その場面を。


 試験を乗り越えた、あの青年は・・・・




王城ここに来る・・」




 自分が今いるこの場所に。夢の中ではない、確かな現実の世界で。




「・・・・・・」




 それは、シルヴィアにとっては言葉に言い表せないくらい素晴らしいことだ。


 それだけは間違いない。




「・・・・でも」




 だが、娘の心にはしこりがあった。


 彼と現実で会えるということは、彼が試験を乗り越え、魔装騎士になるということに他ならない。そして、彼が魔装騎士となった後どうしたいのかということは、他でもない青年の口から熱く語ってもらったのだ。ほんの数日前のことだが、今でもこの胸の奥に彼の思いは響いている。




「魔装騎士になったら、帰っちゃうんだよね・・」




 正確には専属の資格がとれるまでになるが、シルヴィアからすればそれはそこまで長くかかるものではないと思える。なぜならば、彼にはあの体質があるからだ。彼自身はそんなことを考えてはいなかったが、あの体質はそれにふさわしい実力があるなら手柄を立てるのにうってつけである。そして、もちろん、シルヴィアは青年がそれにふさわしい実力者であると考えている。すなわち、青年との別れもそう遠くないということになる訳であり、だから・・・・




「・・・私、最低だ」




 シルヴィアは歪みきった自嘲の笑みを浮かべながらひとりごちる。


 今、自分は一体何を考えた? つい昨日、試験頑張ってと言って、同じような境遇にいる相手だから応援したいと思って、魔道具を押し付けたのはどこのどいつだ? お前だろう? 




「もう、寝ようかな」




 自分の矮小さから目を背けるように、娘は本を閉じて机にしまい、代わりにモンスターの名前が書かれた紙の束を取り出して枕元に置いた。ここしばらくはずっとそうしているが、この紙が近くにあると心が安らぐのだ。


 だが、今晩はなかなか寝付けない。




「・・・今日は、やっぱり行けないよね」




 眼を開いて口に出したが、彼が自分で言っていたように、今晩青年はこの王都にいない。


 つい昨日まではいろいろと調べものをした後、あの霧の中に行くのが楽しみで仕方なくてすぐに眠れたのに。




「・・・・・・」




 それでも、何もせずに横になっていれば自然と眠気はやってくる。


 いつしか、娘は霧の中ではない夢の中に旅立とうとしていた。




「デュオさん・・・・」




 意識が途切れる前、白い霧が見えたような気がするが、娘はそのまま眠りに落ちた。




「・・・・・」




 同時刻、王都の結界の上を飛竜とその主が飛んで行ったことを、もちろん娘は知らない。




「デュオさん、えへへへへ・・・」




 だが、早くも緩み始めた娘の笑顔から、今晩彼女が見ている夢はいい夢であるに違いない。










 王都北西に位置するダンジョン、モーレイ鉱山は王都付近にある魔鉱山の中でも最大の採掘量を誇り、掘り出された魔鉱を運搬するための交通網が整備されているため、非常にアクセスしやすいダンジョンである。また、騎士によって鬼人の森以上に念入りな駆除が行われているため、安全性も高い。それを裏付けるように、夜遅くにも関わらず鉱山の廃坑入り口の広間は受験者と受験者を相手にする露店商人たちで賑わっていた。




「うわ~、すごいな。 こんな時間だってのに、お祭りみたいだ・・・」


「キュルルルル・・・」




 僕とリーゼロッテがオーガロードからなんとか逃げ延び、持っていたパンを齧りつつ王都を飛び越えてこのモーレイ鉱山についたのは夜の10時であった。それなのに、ダンジョン入り口の広間は煌々とライトの魔道具で照らされて昼間のようである。さすがに食べ物の屋台はもう店じまいをしたようだが、ポーションのような魔道具にここで使うためだけに貸し出されている寝袋を扱う者たちは今でも受験者相手にやり取りしているようだ。辺りを見渡してみれば受験者どうしでなにやら取引をしている姿も見られる。




「とりあえず、僕らも今日寝るところを探さないと・・・・」




 そう思って探し回ってみるも、来るのが遅かったせいで大抵の場所は取られてしまったようである。あまりダンジョンに近いところでは寝たくないし、ここは外に出て野宿するべきだろうか。


 そんなことを考えながらそのあたりをうろついていると、




「よぉ!! デュオじゃねーか。 もうこっちに来たのか?」


「ロイさん!?」




 僕に声をかけてきたのは前にもここで会ったロイさんだった。ダンジョンの奥の方から来たように見えたが・・・とにかく!!




「ロイさん!! ありがとうございました!! あなたが教えてくれた店の商品がなかったら僕らは今頃、今頃・・・!!」


「お、おう?」




 まさか、こんなに早く恩人に会えるとは。この人に会ってなかったら、僕とリーゼロッテは今頃死んでいたかもしれない。




「ま、まあなんだか知らねーけど、立ち話もアレだろ? 俺もさっき出て来たばっかでちょっとだりーからあっちで話そーぜ」




 勢い込んでお礼を述べる僕に対して、ロイさんは広間の隅の方を指さすのだった。












「ほぉ~、オーガロードがねぇ・・・逃げられそうだったから焦ったのか、それともそのぐらいは大丈夫だろうとか思ったのか知らねぇけど、災難だったな」


「本当にそうだったよ!! なんとか逃げられたけど、あの臭煙幕がなかったらどうなってたか・・・本当に教えてくれてありがとうございました!!」




 僕とリーゼロッテ、そしてロイさんはあれから広間の隅の方に移動していた。この辺りにいる人たちは皆テントを立ててもう寝入ってしまってるみたいで静かなものだ。ロイさんは廃坑に入るまえにお金を払ってここを予約していたらしい。




「別にいいって、俺はただ教えただけだし。 礼なら店のヤツにいってやんな。多分喜ぶ・・・・いや、トニルのヤツはめんどくさがりそうだな」




 言っちゃあ悪いが、僕もそう思う。




「しかし、お前にとっては災難だったろうけど、俺には幸運かもしんねぇな。そんだけ派手に広げてくれたんならアンデッド掃除もしなくていいだろうし、利用できるかもしれねぇ・・・・ロープとか増やしとくかな・・・」


「はははは、そうだね。あんだけ派手に吹っ飛ばしたならモンスターの死骸なんて残ってないだろうし」




 そして、話はお互いの試験の内容について移っていた。


 今さっき、以前アンデッド掃除を終えて拠点として使えるかもしれないと言った場所がオーガロードによってすり鉢になってしまったという話をしたところだ。




「あ、そうだ、思い出した。 符見箱が一杯だった」




 オーガロードの話で思い出したが、あのときはかなりギリギリだったので、倒した獲物の解体をしていなかった。だが、ちょうどいい。




「ロイさん、僕、オーガとかを倒したんですけど、素材を受け取ってくれませんか? 試験の討伐の証にはならないだろうけど、換金すればそれなりの値段になると思うんですが・・・」




 一度識別符を貼られたモンスターの死骸から一部を切り取っても、切り取った部分に他の識別符はくっつかない。だから試験には使えないが、売ればそれなりの値段になるだろう。




「あ~、だからいいって!! そこを切り抜けられたのはお前の機転もあるだろ? 俺はとくになにもしちゃいねーよ。 それに、試験中に物のやり取りするのはあまり褒められたもんでもないだろ?」


「あ、ごめんなさい」




 そうか、試験が終わった後の所持品検査で調べられたら少し面倒かもしれない。余計な気遣いだったか。




「というか、礼をいわなきゃならねぇのは俺の方だよ。 オーガロードが張り切ってるってことに、予定した場所の地形がどういう風に変わって、どんな感じに使えるようになるか、あらかじめ考えられるのは結構デカい」


「いや、そんな・・・・」


「そんなことあるんだって。 そうだな、それじゃ俺も一ついいこと教えてやるよ。俺はもうここでやることはねぇし、教えても俺にデメリットはねぇからな」




 畏まる僕に、ロイさんは地図を広げながら言った。




「お前が前に言ってたゴーレムがよく出る辺りで狩りをしてたんだがな、モンスター寄せのポーション使ってたら壁の隙間にいたウォーゴーレムに出くわしちまったんだわ」


「え? だ、大丈夫だったんですか? それにモンスター寄せって・・・」




 モンスターを引き寄せるポーションというのがあるのは知っていた。用途としては辺りのモンスターを殲滅するときや訓練用にたまに使われるということだが、僕には一生縁がないモノだと思っている。




「おう、まあゴーレム系は俺のカモだったからな。 いい点数稼ぎになったんだが・・・戦っている内に


あのゴーレムのヤツかなり暴れてさ、いろいろと道をぶっ壊して穴を空けたんだが、そん中にこの鉱山の外に出る穴があったんだよ」


「へぇ~、でも・・・」




 このモーレイ鉱山の坑道は縦横無尽に掘られており、その中には当然鉱山の外に出るルートもある。なのでロイさんの話は別段珍しいというほどでもないが・・・




「まあ聞けよ、話はこっからでさ、ちょっとショートカットできるかもしれねぇなと思ってその先に行ってみたんだが、出た場所がでかい岩に囲まれた広場みたいなところだったんだ。 結局そこからは出れなかったけど、ちょうどいい具合に乾燥してたみたいでゴーレムがわんさかいたから、ゴーレムを倒したかったら行くといいぜ」


「ゴーレムが・・・ありがとう、教えてくれて」




 モーレイ鉱山でのお題は「スライム30体、マタンゴ10体、キラーバット5体、ゴーレム3体」だが、その中でもゴーレムはあまり出現しないのだ。水気を嫌う性質があるらしく、乾燥した場所なら出やすいとされるが、それでも奪い合いが起きると思っていた。僕の体質も、無機物系のモンスターにはあまり影響しないのだ。




「いいってことよ。さっきも言ったろ? 俺からも礼をしなきゃって。 これでお互いさまだ」




 ロイさんは笑いながらそう言った。




「さて、んじゃあ俺はここいらで寝るわ。明日からずっと鬼人の森に籠るつもりだしな。 お前もここ使っていいけど、なるべく早く寝ろよ?」


「うん、オーガとかの解体をしたらそうするよ」




 ロイさんがテントに入っていくのを見送ると、僕は符見箱からオーガロードから逃げる前に回収したモンスターの死体を取り出した。




「リーゼ、肉はどうする・・・って、寝ちゃってるか」


「zzzzz」




 さっきから静かだと思ったら、リーゼロッテはロイさんのテントの隣で丸まって寝ていた。夕飯に食べるかと思ったが、これなら肉や骨は自前の鞄に入れておこう・・・・・・そういえば、符見箱の入っていたポーチやポーションが収まっていたレッグホルダーにはまだエンチャントが残っていた。朝にやるのも面倒だし、今ここで掛けなおしておくか。明日一日くらいならもつだろう。




「さて、それじゃあ僕も寝るかな」




 それからしばらくしてモンスターを解体し終わり、首だけを符見箱に仕舞うと、僕は鞄から寝袋を取り出して、テントとリーゼロッテの間の狭い隙間に敷いた。これで、寝込みを襲うには必ずリーゼロッテに近づかなければならない。




「念のため・・・・センシティヴ」




 一応自分に聴覚を強化する魔法をかけておく。これで夜中に誰かが近づいてきても分かるだろう。魔力も多めにして使ったから朝までは持つはずだ。




「それじゃ、おやすみ・・・」




 なんだかんだで今日は疲れた。そのせいか、すぐに眠気が襲ってきて、僕は眠りについた。












(・・・ナンダ・・・コレハ・・・?)




ソレは脳みそのない空っぽの頭で疑問を呈していた。




(コエガ、キコエル・・・・)




 耳のない体に響くのは、いつ聞いたか覚えていないあの生者の声だった。だが、ソレは死んでから初めて「違和感」というのを感じていた。




(コエ・・・コエ・・・?)




 いつか聞いたあの声は、生者の輝きに満ちていた。その輝きが自らの闇をより濃くしたことだけは克明に覚えていた。




(チガウ・・・・)




 だが、今聞こえている声は何かが違った。まずあのときよりも小さい。それは、本来ならば聞こえる位置にいないからなのだろう。声を発しているのはあの生者だろうが、ソレと生者の間に、声を伝え、違和感を感じさせるナニカがある。そのことが、死霊となりつつあるソレには本能で分かった。だが、もっと大きな違和感がある。




(ソウダ・・・)




 ソレはやっと気が付いた。もっとも、心などとうになくなり、考える能力もほぼ失われたソレにとってはここまででもありえないレベルの奇跡なのだが。




(クライ・・・コレハ、クライ・・・)




あの時と違い、この声からは輝きを感じない。だが、自分の中にある熱くたぎる憎しみの闇ではない。これはもっと冷たく、何もない闇だ。




ドロリ




 ソレの周りにあるナニカがドロリと蠢いた。




(グオオオオオオオオオ!!?)




 ナニカが持つ闇がソレの闇の中に注がれる。神経もないのにビリビリと何かが走る感触がして、ソレは声にならない声を上げる。




(・・・カケ・・ラ・・・・)




 ソレの中に入ったナニカは何かを伝えようとするが、ソレには理解できない。




(・・・アト、ワズカ・・・・アト・・ワズカァァァァァ!!)




 だが、ナニカが入ったことにより、自らの闇は濃くなった。しかし、この身が再び動くまでには、ほんの少し、ほんの少しだけ闇が足りない。




(オオオオオオオオ!!!)




 誰にも聞こえない土の下で、ソレは怨嗟の咆哮を上げるのだった。

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