第5話

僕は夢を見ているのだろうか。僕は確かに宿のベッドに入って寝たはずなのだが・・・・




「なんだ、ここは・・・」




 気が付くと辺りは白い濃霧に覆われていた。かろうじて見えるのは自分が立っている床くらいだ。その自分が立っている場所も最後に見た覚えのある以外にも清潔な宿の一室ではなく、埃が積もった石造りの床だった。自分が生まれてから18年の間、一度も空間魔法など使ったこともないし、こんな生命の危機でもなんでもない場面で空間転移なんて高等魔法を使える才能に目覚めたと思うほどおめでたくはない。一応やっかいな「体質」を抱えてはいるが、こんなことは一度もなかったのだが。




「ずいぶん汚い部屋だな。まさかこの霧は埃だったりするのか?」




 いきなりだったからしょうがないが、マスクを着けてればよかったなと思う。・・・・・・っていうか、足から伝わってくる床の感触とか、やけにリアルだな。もしかして夢じゃないのか?


 ともかく、状況を把握しようと一歩踏み出そうとしたときだった。




「誰・・・・?」




霧の向こうから、綺麗な女の声が聞こえた。声音から僕と同い年くらいだろうか?




「えっ!?いや、あの・・・・」




 とっさのことでどう答えればいいのか分からなかった。


マズい、ここは女性の寝室だったのか? どんな理由があるにせよこんな夜更けに男が若い女性の部屋に不法侵入してしまったら、訴えられても文句は言えない。泊まる場所が宿のベッドから冷たい留置場の床に早変わり、家出中の貴族の息子から犯罪者にクラスチェンジだ。




「誰かいるの?・・・・でも、「声」は聞こえないし・・・気のせい?」




僕が答えに窮している間、霧の向こうの女性が何か言っているようだが、声が小さくて聞き取れない。いや、聞いても頭が処理できない。落ち着け、落ち着くんだ、僕!




「申し訳ありませんでしたっ!!」




 僕は埃まみれの床に土下座した。




 {悪いことをしたら謝れ、相手がだれであろうと関係ない!}




 これは我が母から幼少のころより耳にタコができるほど言われたことだ。


 レディの部屋に無断で入ることがどれだけ無礼であるかはわかっているつもりだ。だから、古来よりこの国に伝わる「土下座」というプライドを投げ捨てるような謝り方をすることに欠片も迷いはなかった。まあ、通報されたら困るという打算もないではなかったが・・・


 そんな僕の誠意を見せるための土下座をした僕に、声の主は・・・




「えっ!? 本当に誰かいるの!? でも「声」が・・・これは夢なの!?」


「へ?」




 土下座していた僕は頭を上げた。


 どうしよう、どうやら霧の向こうの人は混乱しているようだ。いや、気持ちは分かる、この訳の分からない状況で僕も正直冷静とは言いがたいが、霧の向こうの慌てふためく声を聞いたら少し落ち着いた。落ち着いて僕はもう一度・・・・・よく考えたら霧のせいで僕が土下座してるの分からないんじゃないか? いや、まずは恰好から入るのが大事だ。よし、声が聞こえていないとか言っていたし、もう一度謝ろう。今度はもっと大きな声で。




「あの~勝手に部屋に入ってしまって、申し訳ありませんでした!!」


「!? また、「声」が聞こえない!? やっぱりこれは夢!?」


「え、まだ聞こえていないんですか~!! 仕方ない・・・もっと大きな声で言いますよ!! 申し訳ありませんでした!!」


「また・・・!! でも、こんなリアルな夢見たことないし・・・・・イタッ!? うぅ~・・・やっぱり抓ったら痛いし・・・・」


「まだ聞こえてないのか? あの、もしも~し!!」


「これが現実だっていうのなら、ここは・・・・ベッドは私のだし、部屋の匂いも私の部屋・・・でもこんな霧が出ているのなんて見たことない」


「あの~!!」


「夢でもないし現実だとしてもおかしいし・・・・何かの空間魔法? でもこんなことする意味なんて・・」


「・・・・・・」


「私のチカラがなくなったみたいなのも、この空間のおかげなのかしら・・・さっきから頭の中の「声」は全然しない・・・」


「・・・・・・」


「この部屋の霧・・・なにか変な感じがするけど、これも何なのかしら・・・・毒とかではないのかな?」


「・・・・・・・」


「えーとっ、スキャン!!・・・あれ? うまく解析できない? ・・・魔法を阻害する効果でもあるのかしら?」


「・・・・い・か・・・に・」


「もしそうなら、ここの部屋や霧にかかっている魔法が分ればもしかしたら・・・・・・あら、これは・・「怒り」の感情・・・もしかして「声」は聞こえなくても感情くらいなら・・・」


「いい加減にしろぉぉぉぉぉぉぉ~!!!」


「ひゃい!?」




 僕は怒鳴った。大声で怒鳴った。


 ああそうだ、このとんでもなく埃が積もっている人が住む部屋とは思えない部屋、恐らくは彼女の部屋に不法侵入したのは僕で、法に照らし合わせてみれば悪いのは僕だ。




「けど・・・・」




 人の渾身の謝罪を聞き流してぶつぶつと独り言をつぶやかれれば、流石に腹が立つのは仕方ないだろう。多分・・・




「返事をしたってことは聞こえてるってことでいいんですね? ここがあなたの部屋だというのなら、確かに悪いのは不法侵入した僕です。突然、闖入者から謝罪されても受け入れられないっていうのも分かります。 でも、謝罪していることそのものを無視することないじゃないですか!!」


「は、はいぃぃ!! ご、ごめんなさいぃぃぃ!!」




 いつの間にか、闖入者の僕と被害者の彼女の立場がひっくり返っていた。




「あ・・」




・・・・・・・いや、よく考えたら最低だぞ僕。女性の部屋に侵入して部屋の主を怒鳴りつけて謝らせるとか盗人猛々しいなんてもんじゃない。




「あの、すみません、つい熱くなってしまって・・・・えっと、今更どの口がと思われるかもしれませんが、勝手に部屋に入って申し訳ありませんでした・・・」




 僕は謝りながらもう一度土下座した。


 さすがに後ろめたくなってしまい、後半は小声になってしまった。彼女はちょっと耳がよくないのかもしれないし、ちゃんと届いただろうか。




「・・・・・・・」




 霧の向こうから返事は来ない。




「あの・・・」


「・・申し訳なく思う気持ち・・・・久しぶりかもしれませんね・・」


「え?」


「あ、なんでもないです・・・えっと、あなたが心から謝ってくれているのは分かりました。・・・私もとても驚くことがあって・・・あなたのことを無視してしまって、申し訳ありませんでした」




 帰ってきたのは、さっきまでの慌てようが嘘のような落ち着いた声だった。


というか、謝らせてしまったけど、この人夜中に知らない男が入ってきたのは別にいいのだろうか。今の完全に不審者な僕にここまで真摯な態度をとってくれるなんて、なんていい人なのか。ちょっと心配になってくるくらいだ。正直罪悪感がスゴイな・・・




「い、いえ、こちらこそ、勝手に部屋に入って、怒鳴りつけるなんて真似・・・へっへっ、へっくしょん!!・・・ゴホッ、カハッ!?」




・・・埃が口に入った。




「だ、大丈夫ですか!?」


「は、はい・・・別に・・・ゴホッ!?」




 言えない。貴方の部屋、埃が溜まりすぎなんじゃないですか、なんて言えない。これ以上彼女に無礼を働こうものなら、罪悪感で破裂してしまうかもしれないぞ。




「・・・・あれっ? これは、罪悪感? あの、よくわかりませんけど私は別に嫌な思いとかしてないので、そんなに気を遣わなくても・・・・・」




・・・そんなことを言ってきた。いや、本当に色々とマズい。主に精神面が。本当に胸が張り裂けそうだ。


いかん、ここはなんとかせねば・・・僕はガバリと身を起こして・・・




「いや、そちらこそそんなにお気遣いいただかなくとも・・・・ゴホッ!?」


「? 別に私はそこまで・・・・ハ、ハ、クシュン!! あれ、なんで・・・クシュン!!」




 どうやら、僕が思いっきり動いたせいで埃が舞い上がったようだ・・・・思うそばからなんてざまだ・・・というか、これでは・・・




「クシュン!! これは・・・クシュッ!・・・あ、そうか、埃・・・・さっきのも・・・・・あの、こんな汚い部屋でごめんな・・クシュン!!」




 やはりというか、なんというか、さっきから気管を襲う刺激の原因に気づかれてしまったようだ・・もう本当に勘弁してくれよ・・




「お願いですから!! これ以上僕に謝らないでください!! 本当にいたたまれないですか・・・コホッ!!」


「いえいえ、私がお部屋の掃除を怠けていたツケが・・・ハ、ハックシュン!!」


「いやいやいやいや、元はと言えば僕が不法侵入したのが悪・・・コホッ、コホッ!!」




 それからしばらく、僕らはせき込みつつも謝り合い、お互いの謝罪表現の限界を突き詰めたのち、「とりあえず落ち着いて話し合おう」ということになったのだった。


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