第2話

「どうしてわかって下さらないのですか!!」




 こげ茶色の髪に白髪の混じる仏頂面の男にそう言ったのは、同じこげ茶色の髪の若者であった。


 よく似た顔だちの二人である。仏頂面の男は50か60、若者は17、18といったところだろう。他に違いをあげるのならば、男の瞳が髪と同じ茶色なのに対し、若者は黒い瞳であることくらいか。二人とも仕立ての良い服を身に着け、若者が大声を出した部屋も1個人の部屋としてはなかなか広い。部屋の調度品は地味なものばかりだが、どれもそれを選んだ者の品の良さを感じさせるものであった。




「何度も言ったはずだ。 お前の言う役目は我々がすべきことではない」


「・・・・お言葉ではございますが、この地で僕以外にできる者がおられるのですか? ジョージさんは確かにお強いですが、もう無理ができるお歳ではないはずです」




 若者の強い口調も、中年の男には全く堪えていないようだ。その言葉にはまるで温度というものが感じられない。




「・・・・前から言っているだろう。そこはお前が気に病むことではないのだ。 いざとなれば私には伝手があるし、そもそも派遣される騎士に任せればよいことだ。 お前にはまた別の役目と責任がある」


「またそれですか!! 一体いつになったらその伝手とやらを頼るのですか!? それに、騎士を要請しようにも、これ以上は財源が持ちません!! 守るべきものがいなくなったら、私の役目など無意味でしょう!!」




 若者は顔を紅潮させてまくしたてるが、男は眉一つ動かさない。




「今がそのときに至っていない以上、頼る必要がないだけだ。そして、お前の役目はお前が理解しているものがすべてではない。 たとえこの地から民がいなくなろうと、我々がなすべきことはなくならない」


「そんなことになるのなら、そのような役目なぞ願い下げです!! 役目、役目、役目と伝えるつもりもない癖にいつまで私にその役目とやらを押し付けるつもりなのですか!? 伝手のことも、役目のことも、今以上に言うべき時があるのですか!?」


「無論だ。少なくとも、お前が今のようにいちいち昂るようなうつけである限り、教えるつもりは毛頭ない」


「~~~!!!!!! ・・・・・分かりました、よくわかりましたとも!! あなたがそうおっしゃるのなら、私を未熟者扱いするのなら、この未熟な己を鍛えてまいりましょう!!」


「好きにするといい。 私の目に適う者になることを期待している」




 仏頂面の男は欠片も思ってもいないことを言うようにそう返すと、執務机の書類の山にサインしつづける作業に戻った。紙をめくってサインの1文字目を書くと同時に若者のことなど忘れてしまったかのようだった。




「・・・・・!!」




 その様子を見て怒りを抑えられないように拳を振るわせる若者は何かを言おうとして、結局何も言わずに踵を返し、部屋を出て行った。




「・・・・未熟者め」




 若者が乱暴に閉めていった扉を見つめて、中年の男はそう呟いた。




「・・・・仕方あるまい」




 男はサインをする手を止めて、飾り気が少ないながらも品の良い机の引き出しから便箋を取り出した。


 それまで綴っていた書類の山をいったんどかし、便箋に何事かをしたためると、もう一度引き出しに仕舞う。そして、席を立って、窓の方に歩き出した。




「・・・・・・・・・」




 数分後、バサリ、と窓の外で何かが羽ばたく音がした。それとともに、男の屋敷の庭に生える枯れた大木がガサリと揺れる。




「・・・・・・」




 男はカーテンを閉めて再び椅子に座り、書類の山を動かすと、作業に戻る。


 後に響くのは中年が一人万年筆を走らせる音のみであった。


















オーシュ王国


 極めて膨大な魔力を含む霊脈を有するが、周りを複雑な海流と一年の間吹き続ける風、そして海と空に住まう強力なモンスターに囲まれる島国であるために、海の向こうの国々の干渉を受けることなく独自の文化を築く島国だ。


 そして、その文化の一つに「魔装騎士」がある。


 霊脈の魔力にあてられた地中の鉱物は魔鉱と呼ばれる特殊な金属に変質するが、その魔鉱を精錬して造られる魔鋼、そして魔鋼を鍛えて作られた「魔装」は極めて強力な武具となる。


 王国が今の形となるよりもはるか昔、一人の男が魔装を身にまとい悪逆の限りを尽くした魔竜を討った時代より、魔装と魔装を身に着けて戦う魔装騎士はオーシュ王国に脈々と受け継がれている。


 魔力が満ち溢れるためか、時として空を覆い地上を埋めるほどのモンスターに他国の手を借りることなく国を守り抜いたのも魔装騎士あってのことである。厳しい訓練を耐え、強力な魔装を使いこなす魔装騎士は国民の憧憬を集め、魔装騎士団に名を連ねることは平民から貴族まで例外なく誰にでも胸を張って誇れる栄誉とされている。


それは、今も怒りで頭が煮え立ちそうな若者も同じであった。








「父上の言うことは正論だと思うけど・・・・」




 若者は屋敷の中を歩きながらそう小さくつぶやいた。だが、若者の胸中はその言葉とは裏腹に、怒りと焦りで乱れに乱れていた。


 今、この国には危機が訪れようとしている。それまで狼かゴブリン程度しかいない草原に突如としてオーガが出没し、川魚が泳いでいた川からサハギンが現れ、つい最近では近くの村の上空にグリフォンまで飛んでくる始末である。まるでこの国が建国される前の魔物が闊歩する時代に逆戻りしようとしているようだった。


 当然、そんなことは見過ごせない。モンスターに民が蹂躙されることを良しとしない若者も渋い顔をする父を自分に課せられた義務だとどうにかこうにか説き伏せて討伐に加わったのだが、次から次に溢れるモンスターの群れに若者の住む土地はみるみるうちに疲弊していった。どうやらどこもかしこもモンスターが湧いているようで貴重な「魔装騎士」も常に一所で討伐に参加してくれるわけではない。そして、日に日に追い込まれていく周りを見て、若者は自分が「魔装騎士」になることを父に告げたところで断られ、書くことも憚れるような口論の末に冒頭につながる。あれから心を落ち着けようとして庭を歩いてみたが、胸の内の火は弱まる気配すらない。




「けど、やっぱり自分だけが守られて周りのみんなが食われるのを見てるだけなんてゴメンだ。」




 最後に自分が残ったところで守るべき民がいなければ意味などないではないか。そう思っているといつのまにか自室の前であった。若者は手を伸ばして部屋の扉を開けようとして・・・




「あれ? デュオ様、こんな時間に家にいるなんて珍しいですね」


「リ、リズ!?」




 若者の口から裏返った声が出た


 声をかけてきたのは、赤い髪の娘だった。年は若者と同じくらいで、侍女の恰好をしていた。肩のあたりまで無造作に伸ばした髪に、鼻のあたりにほんの少しそばかすがあってやや田舎臭いが、中々可愛らしい顔をしている。




「リ、リズこそ珍しいじゃないか。月に1,2回くらいしかここには来ないのに・・・っていうか、ジョージさんは?」


「お爺ちゃんなら、外出中ですよ。あたしだっていつもお爺ちゃんの傍にいるわけじゃありませんし」




 若者は心の中で深呼吸をすると、努めて落ち着いた口調で話しかける。


 娘の名は、リズ・バークという。若者が住む屋敷の使用人のバーク夫妻の孫娘であるらしい。らしいというのはリズがあまり屋敷に姿を見せず、会話をしたことが少ないからである。だから、今この状況も、かなり珍しい事態だ。




「ところで、デュオ様はこんな昼間からお部屋で何を?」


「あ、いや、ちょっと遠出をしようと思って、部屋に物を取りに・・・」




 痛い質問が飛んできて、思わず若者はしどろもどろになって答えた。先ほど親と喧嘩して家出しようとしていたとは言えない。


 そんな若者を、娘は青い瞳を眇めて訝し気に見ていたが、ふと、何かに気づいたような顔になった。




「あ、それじゃあリーゼちゃんは連れてきますか?」


「え? うん。 そのつもりだけど」


「そうですか・・・・それじゃ、ちょっとお部屋の外に呼んできますね。確か裏庭の方にいましたから」


「あ、うん」




 娘はそういうと、パタパタと廊下を走っていった。




「なんだったんだ?」




 あまり話したことはないから分からないが、若者が遠出をするときにはリーゼロッテという名の竜を連れるのはこの辺りでは有名であり、呼びに行くというのも不自然ではない。しかし、そこまで気を遣ってもらうほど仲が良かったかと若者は少し不思議に思った。




「まあ、いいか」




 あの様子では、家出の件は恐らく気づかれてはいないだろうと、若者は気を取り直したように扉に手をかけた。


 若者は自室の扉を開け、ベッドの上に置いておいた鞄を持つ。着替えに食料は勿論、野営道具まで収まる空間魔法のかかった優れもので、若者の持ち物の中では一番高価な品かもしれない。




「結局、こうするしかないか」




 若者は部屋の中でぼそりとつぶやいた。


 自分の父親が素直に頷くはずがないということはなんとなくわかっていたのだろう。鞄の中にはその父親の仕事の手伝いや魔物退治の対価も路銀として収まっている。若者は、念のため、鞄の中身がちゃんとそろっているのか、少しだけ確認する。




「うん、大丈夫かな」




 確認を終えると、若者はそのまま部屋の窓を開けて身を乗り出した。




「よし、行こう。来てくれリーゼロッテ!!」


「ギャオォォォォォォ!!」




 若者が名を呼ぶと、屋敷の窓に真っ赤な竜が飛んできた。竜の周りには風が渦巻き、窓の向こうでホバリングをする。どうやらリズはその言葉通り、竜を近くまで連れてきていたようだ。周りには娘もその祖父もいない。リズはやはり気づいていなかったのだろう。若者はひそかに娘に感謝した。




「キュルルルル!!」


「? ずいぶん嬉しそうだけど、ちょっと遠乗りをお願い、リーゼ」




 竜の様子を不思議に思いながらも、若者は窓枠に足をかけた。


 トンッと若者が竜の背に飛び乗ると、竜は翼をはためかせ、そのまま午後の青い空に飛び立つ。




「頼むよリーゼロッテ、王都まで!僕は絶対に騎士になって帰ってくる!」




 オーシュ王国辺境の地、シークラント。若者、シークラントを治める辺境伯の息子、デュアルディオ・フォン・シークラントはこうして旅立った。




オーシュ王国歴774年 春のことであった。


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