第8話 心臓の音

 朝の飼育が飛び込んできた秋休みを、ハンナは順調に過ごしていた。相変わらず、にわとりは怖くて近寄り難いが、建物内の掃除も難なくできている。飼育に参加する児童で皆勤賞は、ハンナ・テル・チョコ・トーマ・セントの5人であった。

 もぞりもぞりと動くうさぎを、ハンナが触れたのは飼育活動3日目。ふあふあというか、こつこつというか、するするというか……チョコの感情がようやく理解できたような気がした。


(手のひらの下から、心臓の音が聞こえる)


 キューブがある生活で、何もかも満ち足りていたと思っていた。だが違った。飼育小屋の主達は、自分より随分と小さいくせに、全く思い通りにならない。エサしか見ていないんじゃないかとも思う。ロボットに任せず掃除している自分達に感謝してほしい。そのような気持ちが伝わるはずもない。にわとりの鳴き声に心臓が飛び出たあの瞬間、ハンナはこの世には母の怒りに匹敵するものがあると感じた。それでも生命というものを、ハンナは受け入れた。受け入れざる得なかったと言うべきか。五感をダイレクトに刺激する存在に振り回される自分を、少しずつ好きになれそうだった。


 もちろん、飼育が始まった事をおばばには報告した。動画付きで。おばばはたいそう喜んでいた。ラッキーだったねぇ、良かったねぇ、と繰り返す。ハンナはそうかなぁ?とかき氷を頬張る。おばばに、にわとりの鳴き声を聞いたことがあるか、尋ねると、当たり前だよ、と返事が帰ってきた。その後二人で鳴き真似対決をして、大笑いをした。おばばは、大切な命なんだから、優しく接してあげるんだよ、と笑い涙を浮かべながら言うのだった。


 秋休みがはじまって3週間目。いつものように汗を拭きながら通学する。それにもようやく慣れてしまったなと、校門のテルとチョコを目にしながら、ハンナは水筒のお茶をごくりと飲んだ。今日はめずらしく羽兼アイザック(ハガネアイザック F11歳 男)が来ていた。秋休み早々、会社の役員会や工場の視察に行っていたそうだ。そう、彼の家族が経営する会社は、最上製薬のライバルと名高いHagane製作所である。大金持ちだが、そんなそぶりを見せる事はない。むしろ存在感無く学校生活を送っている。ごくたまに大きな黒い車が、学校の門を前面に防いでいることがある。そんな時は、彼の迎えが来たのだとわかる、その程度だった。


 彼は自分の名前が嫌いだった。しかも母親指定の髪型、ボブヘアーも気に入らなかった。直毛の黒毛に太陽の光が当たると、その反射光は周囲の人々を威嚇するのである。どこにでも御付きの者がついて周り、どうにか取り入ろうとする大人達に囲まれ、羽兼様だのアイザック様だの、毎日がうるさくて仕方なかった。通学する事が決まり、彼はため息をついた。大企業の御曹司の肩書きに寄ってくる者などたかが知れていた。登校初日、彼はチョコに話しかけられた。


「単刀直入に言ってアイザックは呼びづらい、ハガネでいい?」

 そん事を言う者など、今まで彼の周りに存在していなかった。苗字を呼び捨てにし、名前を呼びづらいと一刀両断した。彼はチョコから目線を外す事ができなかった。

「何?別の呼び方がいいの?」

 チョコが問うと、彼は言った。

「ハガネがいい。よろしく」

 もしかしたら、ここは何か違うのかもしれない。彼の通学初日は、こうやって始まったのであった。


「君達、このために毎日来てるの?」

 ハガネは、うさぎの動きに視線を合わせながら話す。

「充ぅぅぅぅぅ実だっ!!!」

 トーマが胸を叩いて答える。

「資料で見るのと結構違うもんなんだね」

 にわとりの方にも目線を映すハガネ。

「「しりょう?」」

 ハンナとテルの声が重なる。

「昔の薬の資料で、動物を見た事あるんだ」

 キューブを手に乗せ、操作するハガネ。

「あっ、これ社外秘だ」

 一人で完結しているハガネを、ハンナとテルはきょとんと見ていた。


 そんな会話をしながら、いつも通り一番初めの仕事、担任の所に参加児童の報告&餌の受け取りのじゃんけんをした。セントが来ていなかったが、もう数に入っている。当然のように、トーマが負けた。

「いっつも俺負けるぅぅぅ」

 ぼやきながら、半泣きで出て行こうとするトーマに、

「仕方ないわね、ついて行くわよ」

 チョコが日傘を準備した。ついて行っても荷物を持つ気はないようだ。


 テルとハガネとの会話を、ハンナは聞き流しながら、まだ来ていないセントの事を考えていた。

(ひょろ長いのに、よくやるよね。おまえもそう思うよね?)、

 うさぎの背をなでる。うさぎに名前を付けようと、最初の頃に話していたが、全くまとまらないので、名無しのままになっている。ハンナは、名前を覚える事が面倒だと思っていたので、それで良しとしているのだった。


「っっっ大変だぁぁぁっ!!!」


 勢いよく開いたドアからトーマが飛び込んできた。


「セントが、、、っっ倒れてた!!!」

 息も鼓動も上がったトーマだった。


「「「うそ?!!」」」


 トーマの後ろから、ハンナ・テル・ハガネは走った。

 校門から3メートルほど学校の敷地に入った所に、チョコの黒い日傘が見えた。その向こうに、担任の背中とうずくまったチョコが見えた。

 もっと近づくと、だらりと横になったセントが見えた。こんな事を今までに体験した事の無い5人は、ただセントを見るばかりで精一杯であった。担任は、もう医療チームを呼んでいるから安心するようにと、声をかけたが、ハンナのこわばりは解ける事がなかった。


 ずっと長い時間に思えたが、医療チームは数分と待たずに到着した。担任が医療ロボットにセントのキューブを渡した。


 リョウカイシマシタ


 と、男とも女ともわからない音声が聞こえた。あっという間にセントは搬送された。担任から、今日はもう帰りなさいと言われても、5人はしばらく動けないでいた。


「あのさ5台で迎えに来て」


 その場を変えたのは、ハガネの声だった。


「こんな日にひとりで歩いて帰るのは、ちょっと、ね。みんな送るから」


 こんな事を言われた4人は、苦いものでも食べたかのような表情を浮かべていた。

 さほど時間はかからず、Hagane交通と書かれた車が5台揃った。ハガネ以外、言葉もなく、操り人形のようにそれぞれ車へ乗り込んだ。

 ハンナは、車の窓から見える景色をただ漠然と見ているのだった。自宅に着き、先ほどまでの出来事を父親に伝えた。


「それは大変だったね。セント君がよければ、お見舞いに行こう」


 父のその言葉を皮切りに、大粒の涙がハンナからこぼれる。父は慌てふためく。だが、ハンナの目に父の姿は映っていない。ハンナは頭で叫ぶ。何も出来なかった自分がくやしい。セントはいつもみんなを助けてくれた。そんなセントが倒れていた姿を見て、ひとつの声も出なかった。セントが苦しんでいた時、近寄る事もし難かった。情けないちっぽけな自分を、悔やむばかりであった。


 2日後、

「φチョコ様より、通信です。繋ぎますか?」

 ベッドに横たわっていたハンナに、フィが問いかける。

「うん」

 セントが倒れて、次の日からベッドの中にいた。ろくに食事もとらない彼女を、フィは心配している様子であった。

「ハンナ、おはよ、、、ってもう夕方か」

 お互いに姿を見られたくないのか、音声のみで会話をしている。

「あのさ、私ね、担任にセントの病院聞いたんだけど、わからないって……」

 その言葉にハンナは起き上がる。

「どう言う事?」

「私もわかんないよ。ダメ元でセントのキューブに連絡してみたけど、繋がらない」

「繋がらないって?」

「セントのAIが、メッセを残すように言うだけでさ。全然手ごたえ無い感じ……」

「そうなんだ……」

「セント、大丈夫なのかな」

 チョコの声がか細い。

 チョコも心配でたまらないのだと、ハンナは気づく。

「もしかしたらさ、今だけかもしれないよ。もう少し待っていようよ」

 ハンナは声を強めた。

「そうだね。ハンナ、明日は学校行く?うさぎもにわとりもセントの分までお世話しなくっちゃ」

 その言葉にハンナは心動かされた。そうだ、ベッドの中で丸くなっている場合ではないと。セントの事はどうにもならないけれど、うさぎとにわとりの世話はやれる。できる事をするしかない。セントの為に。


 チョコからの通信を終え、久しぶりにキッチンへ向かうハンナであった。


 つづく


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