第6話 汗とイチゴ

 それは秋休みまで後2週間の木曜日だった。キューブが小さく点滅していた。おばばから連絡が来た時の黄色だった。ハンナはキューブを手のひらに乗せて広げた。ZOOの画面には相変わらずなまけものが木にぶら下がっている。母親に連絡をして放課後はスクールバスをキャンセルした。


 午後4時だがまだ日差しが強い。ハンナは汗をかく覚悟をして学校を出た。噴水のある公園はなんだか少しだけ涼しい気がした。そこで一度止まり水筒のお茶を飲んだ。10℃に保たれたお茶が体の中を伝わっていくのがわかる。そして汗が頬を流れていくのもわかった。ハンカチを取り出し頬から首筋を拭いた。ランドセルが当たっている背中の汗は拭けないし、拭いてもらちが明かないくらい汗が流れている。ハンナはそれを無視する事にして水筒のフタを閉めて再び歩き始めた。


 マンション街は影が多く、歩く者には救いとなっていた。暑いがおばばのマンションへと足早にハンナは進む。いつもなら15分かかる距離を10分ちょっとで移動した。マンションの外壁に設置されているパネルにキューブをかざす。いつもの事だが今日はめんどくさくてたまらない。ハンナは開いた扉に飛んで入った。残念な事にエントランスは外よりはマシだが、涼しいと言えるものではなかった。


 このマンションの住人はセカンドばかり、つまり外に出るのが困難になった者達なのだ。そのため外気温に関係なく、マンション内の温度は24度、湿度は50%に保たれていた。


「ただいま。やっぱここ暑い」

 さっと開いた扉をくぐってハンナはランドセルを肩から外した。

「そう言うと思った」

 おばばは冷凍庫から手のひらサイズの円柱形をした氷を出した。

「あっ、かき氷だね!」

 ハンナは手を洗らう水を弾ませた。

「水で服が濡れるよ。気をつけなさい」

 おばばはそう言うと、キッチンの下のキャビネットからかき氷製造機なるものを出した。


 ピンクの色をしているが、ぺンギンだそうだ。これも大昔からあるものだとハンナは聞かされていた。おばばが機械の中に氷を入れ、そのまた上からペンギンの頭部をかぶせて、ペンギンの頭上に手のひらを乗せ下に押すと、ゴリゴリと控えめとは言えない音を立てて機械は動き始めた。ハンナは氷のセットされている部分の下に置かれたガラス皿に、薄く削がれた氷が段々と山になっていく様を見ていた。


 ハンナは自宅で作るかき氷を思い出してた。水をジュースメーカーに注ぎ、パネルでかき氷を選ぶと、水が一瞬で静かにふわふわのかき氷に変わる。ピーピーと出来上がりの音が鳴るまでおよそ1分くらいだ。最初にピンクのペンギンを見た時に、ハンナはおばばにどうしてこんなに不便なものでかき氷がを作るのか聞いてみた。しかしおばばは不便だなんて思ったことはないと笑って答えた。


 便利なものがたくさんある。だけどおばばは昔から使っているものを好んで使っている。以前、おばばはキューブが好きではないと話していた。ハンナはどうしてそんな風に思うのか、おばばの気持ちが全く分からない。キューブのおかげでなんだってできる。むしろ出来無い事の方が考えられない。おばばはキューブをいつも引き出しにしまっている。こんなに小さいもの、出しておく方がわかりやすいんじゃないかと、ハンナはおばばに言った事が何度もある。その度におばばはこう言った。

「目に入るものは好きなものだけでいい」

 なんだか意味不明だったから、ハンナは納得したふりをした。納得したふりなんて、おばばにはバレてるだろうけれど。


 セカンドが登場し、120年が過ぎていた。最初のセカンド達はもちろん死んでいる。セカンドを迎えた者達の行動はそれぞれだった。200年を全うした者もいる。おもしろ半分に服薬をやめて死んだ者もいる。浄化圏外に自由を求め、やはり死んだ者もいる。どちらもやめず自殺した者もいる。セカンドを迎えた者の生きる意味を論ずる討論は後を絶たない。


 ハンナは200年という人生を送る事について、何か疑問に思うわけではない。深く考えるのは苦手だし、自分はまだ6年生で通学するのに精いっぱいだ。そして今は、家で作るのとは全然歯触りの違うかき氷が美味しいだけで十分だった。ハンナは通学の事を考えていたら、あれを思い出した。


「おばば、セント君がね、この間変だったの」

 ハンナは出来上がったかき氷に、イチゴシロップをかけてテーブルに移動しながら話した。

「ああ、新入生の子だね」

 おばばはピンクのペンギンをシンクで洗っていた。

「セント君、朝ね、カレーを出したままだったから、スクールバスをわざわざ降りて家に帰ったんだよ。キューブで家の室温調整すれば良かったのに。頭の良い子なのにさ、思いつかなかったんだって。おかしくない?」

 ハンナはシロップの量が少ないような気がして、もう1回かき氷にかけた。

「そうかねぇ。ちっともおかしくなんかないよ」

 おばばは手を拭いてテーブルの椅子に腰を掛けた。

「どうして?」

 ハンナはかき氷をスプーンで口に運ぶ。

「ハンナにはキューブを使い忘れるだなんて事は考えられないだろうけど、その子は責任感の強い子だって考えられないかい?」

 腰を掛けたおばばだったが、またすぐに立ってキッチンへ戻った。

「そりゃセント君は真面目だから、カレーが腐っちゃうかもって心配だったのかもしれないけど」

 ハンナは目でおばばの動きを追っていた。

「いいじゃないかい。そんなタイプのお友達も愉快じゃないか。あたしはそんな行動をする子は大好きだよ」

 おばばはキャビネットの上から、赤いチューブを手に取った。


「あっ、練乳!まだあったの?」

 ハンナはさっきまでの話そっちのけでガッツポーズをする。

「手に入ってね。やっぱりかき氷にはこれがなきゃさみしい」

 おばばはハンナの喜びように苦笑する。

「このチューブからかけるのがいいんだよねー。このとろーっとしたのを、たぁーっぷりかけるのがいいよねー」

 練乳を受け取って爛々らんらんとした瞳で語るハンナ。

「ハンナもこういう昔のやり方が好きだったりするだろ。200年生きられるようになっても、人って言うのはそういう部分を持ち合わせているんだよ。だからセント君が頭が良いのにキューブの事をうっかり忘れていたって、バスを降りて家に帰って行ったって、ちぃっとも変じゃない」

 おばばはようやくテーブルの椅子にゆったりと座って、ハンナの方を見て言った。

「そりゃそうだけど。なーんかね」

 練乳の多い所をスプーンですくいながら、ハンナはおばばがいつも座っている窓際の椅子を見た。


「ハンナにしては悩んでるねぇ。その子の事好きなのかい?」

 テーブルの上に置いている、赤い頭巾をかぶったマトリョーシカを手にしておばばが言った。

「いや、そんなんじゃないよっ」

 ハンナの顔はイチゴシロップがかかったようだった。そしておばばが手にしているマトリョーシカにキッと視線をやった。

「だって色白で、っていうか青白くて、細い体してるのに、朝からカレー食べてきただなんて変だもん」

 おばばの想定外な一言に奥歯のドキドキが収まらない。

「はいはい」

 おばばは笑いながら、マトリョーシカの中の妹マトリョーシカ達を丁寧に中から取り出していた。


 ハンナはもう練乳だかいちごだか何の味がしているのかわからなくなってどんどんスプーンを口に運んだ。

「くっ、いったーぁ」

 予想通りの展開。後頭部の辺りが痛くなった。

「ゆっくり食べないからだよ」

 おばばの手がいつの間にかハンナの頭にあった。


 さっきまでの説明のつかない感情はどこかへ行ってしまった。部屋が暑くて嫌だったはずなのに、今はおばばの温かい手が冬の日のブランケットのように優しく有難い。ハンナが置いたスプーンがカランと音を立てて皿の中で踊っていた。


 8月31日、明日から秋休み。学校は浮かれた児童達で賑わっていた。6年生の教室も然りで、担任の声などどうでも良かった。出される宿題は多くはない。ただどれだけ自学で勉強をこなして、単位を取得できるかだけだった。ハンナはスクールパッドの画面をスクロールしながら、秋休みの宿題と、秋休みの2ヶ月で単位の取れそうな科目を探していた。それは他の児童達も同じだったが、目の前にいるセントが何をしているかはわからない。ただセントは、これからもたくさん勉強して単位を取っていくんだろう。250単位では終わらず、この調子だと卒業までに500単位は取れるかもしれない。同じ6年生だというのに違いすぎる。


「あっ、そうですか」

 担任の微かな声に、ハンナは画面に向けていた視線を教室の前方に移す。担任と話しているのは誰だ?と思っているうちに、その人物は教室から出て行った。ハンナは、さっきの大人がいつから居たのかも全く分からなかった。


「あー、聞けよ6年生。おもしろい話だ」

 担任はニヤニヤと笑って教室をぐるっと見渡した。

「絶対面白くない気がする」

 チョコが呟いた。

「御坂、お前影響力あるんだから、発言するな」

 彼女の呟きを拾って担任がゴミ箱に投げた。

「明日から学校で動物を飼う事になった」

 担任の顔が意味ありげに輝いている。


「「「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ???!!!」」」」」


 教室中の児童の様々な思いを乗せた声が重なる。

「おもしろいだろー。でだ、その世話を6年のお前らがやる。班とかは決めない。暇な奴は来い。いやむしろ全員来い。毎日来い。こんな経験できないぞ」

 息巻いて担任が児童達に言い放つ。


「「「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ???!!!」」」」」


 喜怒哀楽とその他の全てを含んだ声だった。


 秋休み直前。毎日快適な我が家で過ごすと決めていたハンナ、そして大半の同級生達の計画は壊滅した。トーマは「よっしゃー」と教室を走り回って、ハイタッチを同級生達に求めていた。動物なんて飼った事の無い、知識も何も無いはずのトーマを横目に、ハンナはこれ以上ないほど肩を落とした。秋休みに登校するだなんて、ましてや生き物の相手をしなきゃいけないだなんて、信じ難かった。登校しないでいい理由を考えてみたが、思いつかない。お先真っ暗ってこういう時に使うんだろうか、ハンナはそう思わずにはいられないのだった。


 つづく


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