第5話 遅れたバス

 8月1日、ハンナは家の近くのバス停に立っていた。さっきまで涼しい部屋の中で快適に過ごしていたのに、今はじりじりと首筋が焼け、汗がじわっと出てくるのがわかる。キューブからバス知らせがあって、行ってきますと出たのに思ったよりバスが来ない。めずらしいこともあるもんだとポケットからハンカチを出して汗をぬぐう。それから5分経過しただろうか、ようやく青色のバスが来た。


 バスのドアが開くと冷たい空気が一気に排出された。ハンナはふぅと息を出して、バスに乗り込んだ。後ろから2個手前の席にトーマがいた。ハンナはトーマに近づいてその前の席に座った。8月は気温が高い為スクールバスが運行される。通信制から通学制に変えたばかりの者は体力がない事が多い。学校に来る前に倒れられては身もふたもない。救済措置のスクールバスとも言える。もちろんこのバスは通学するすべての児童が利用する事が可能である。そしてこのバス通学が1ヶ月終わると、9月から2か月秋休みになる。色んな意味でこのバス通学になると児童達は舞い上がるのだった。


「トーマ、なんかバス遅れたよね?」

ハンナは座ったまま後ろを振り返った。

「それそれ!」

事情を言いたくて仕方ない様子で身を乗り出すトーマ。

「何?」

早く話せと短くハンナは聞く。

「俺が乗ってさ、セントがもう乗ってたんだよ。あいさつして、今朝何食ったかとか、どこから乗ったんだって聞いてたら、あいついきなりバスの運転手の所に行って、バスを止めてくださいって言ったんだ」

トーマは目を爛々らんらんとさせてに語る。

「え?なんで?」

その真相を知りたいハンナ。

「なんでかはわかないんだよ。本当にバス止まってセント降りたんだぜ。こんな暑いのにあいつ来た方向に走って帰ってたんだ。あいつ絶対倒れてるぞ」

爆笑するトーマをハンナはじろりと見て言った。

「笑ってる場合じゃないよ。ホントにセント君倒れたらあんたのせいよ!」

そういいながらハンナは前に向き直った。後ろからごめんごめんとトーマが謝ってきた。ハンナはトーマの謝罪などどうでもよかった。なんでセントはバスを降りてしまったのか、学校に来るのか、それだけが気になった。


 バスが校門を通り過ぎ、玄関前の広場で止まる。ハンナが降りていると玄関にテルが先に着いていたようで待っていた。


「おはよーハンナ」

猛暑でも元気なテルのあいさつ。

「おはよう、テル。早かったんだね」

バスで来たからなのかいつものより若干元気めなハンナ。

「うん、なんかね、3人くらい休みだったのか通学止めたかわかんないんだけど、いつも停まる所で止まんなかったんだー」

靴を脱ぎながら話す。

「ふーん」

上履きに履きかえながら話を聞く。

「セント君は?同じバスでしょ?」

廊下を歩こうとしたらテルが思いもかけない質問をしてきた。

「青バスって知ってたの?」

ハンナはびっくりした。

「昨日みんなで聞いた」

自分だけなぜ聞いてないのか、昨日を思い出そうとするが曖昧だ。

「トーマが、セント君途中バスから降りたって言ってた。それ以上は知らない」

つまはじきにされたと感じたハンナは、つまらなそうに言った。

「怒るな。よしよし」

テルがハンナの頭をなでた。

「子供じゃないんだからやめてよ」

ハンナは早足になった。

「子供じゃん。お互い」

テルが笑いながらついてくる。


 教室に入るとトーマがセントの話をクラスメイトにしていた。皆でなぜセントが降りたのかその理由を当てる討論会が行われていた。ハンナはセントの事が気にはなったが、その話の輪の中には入らなかった。前の机と椅子を見る。今日はまだ主人が来ていない為か、そこだけ今日が来ていないかのようだった。今日はセントが学校に来るのか来ないのか、討論会は終わりを知らなかった。


「あっ、オレバス」

クラスメイトの和久井シオン(ワクイシオン F12歳 男)が窓に張り付いて言った。


 シオンはオレバスの利用者だった。スクールバスは4台あり、色で分けられていた。赤バス・青バス・桃バス・オレ(ンジ)バスだ。オレンジバスだけなぜカタカナなのか、それは誰にもわからない。ただオレバスがどのバスよりずば抜けてカッコイイとシオンは思っていた。オレバスと出会ったのは運命だと信じて疑わない。彼は毎年、オレバスを「俺様バス」と言って流行らせようとしているが、その度まわりに理解されることなく潰えてしまっていた。だが懲りることなく今年も彼の中で俺様バス普及計画がはじまったのだった。討論会をしていた児童たちが一斉に窓に張り付いて外を見る。オレバスが学校に入ってくる時間ではなかったからだ。頬をギューッと窓に押して外を数人が見る姿にチョコは呆れ、テルは笑い、ハンナは席に座って肘をついて軽蔑しているかのような眼差しを向けてていた。


「「「あっ、セントだ」」」


 何人かの声に顔色を変えるハンナ。しばらくしてあと1分でホームルームのチャイムが鳴る寸前、息を切らしてセントがやってきた。トーマがセーフだったなーとセントの肩をたたいた。そして後から理由を聞かせろよと言って、トーマも席に着いた。


 1時間目が終わるとトーマがセントの机にダッシュして来た。教室なんだからそんなに急ぐことはないのにとクラスメイト達は苦笑いをする。


「セント、なんでバス降りたんだよ」

トーマは座っているセントの顔を見上げるように、セントの机にあごを置いた。

「大したことじゃなくて恥ずかしいんだけど」

段々集まってくるクラスメイト達をぐるっと見渡してセントは下を向いたが、そうするとトーマと目があって、どこを向いて良いのかわからないといった様子だった。

「トーマ、近い近い」

トーマの首根っこを掴んで机から離すチョコ。

「なんで俺様バス乗って来たんだよ」

シオンはここぞとばかりに言った。

「シオン、それ流行らないから」

チョコに一掃されシオンの俺様バス普及計画は一瞬にして灰になった。

「もう、セント君しゃべれないじゃん」

キレ気味のテルとその周りのクラスメイト達。

「で、何だったんだ?」

チョコに掴まったままのトーマがまだ興味津々の様子であった。


「あのさ、」

下を向いたセントをみんなで見守る。

「本当に大した事じゃなくてさ」

うんうんと静かになる教室。

「かっカレーの鍋、れ、冷蔵庫に入れ、忘れちゃって」

セントは顔を赤くし息を詰まらせながら言った。

「「「「「え?」」」」」

その場にいた誰もが固まった。

「暑いし、カレー腐るといけないから」

声が段々小さくなっていくセント。

「ぎゃはははははははははははははっ!」

トーマの大笑いが教室を振るわせた。

 それに伴ってなーんだ、そんなことかとクラスメイト達も声を出して笑った。

「家の空調をAIに頼んだらいいことだろ?」

理詰めタイプの平家ユウゴ(ヘイケユウゴ F11歳 男)がセントに近づいて言った。

「あっ、そうか」

セントの目はユウゴのその先を見てるような視線で呟いた。

「セント君、頭のいいキミの行動とは思えないね」

ユウゴは黒目を光らせた。


 ユウゴはクラスでトップの130単位を取っていた。だがセントが来た途端2位にランクダウン。しかも100単位差。セントが来た日を彼は鮮明に覚えている。青白い痩せっぽっちの男子が来た。だが彼の口から230単位という言葉が出た。その数字は輝きを増し彼を飾った。クラスの誰もがその輝きにほだされて彼を誉めた。あの輝きも称賛も自分のモノだったのにと。その日からユウゴは通学の授業の他に、通信でも授業を受け単位数を増やしていった。もちろんまだそれを誰にも話してはいない。セントの喉元に届くまで誰にも言うつもりはない。そしてセントを追い越した暁には、今の涙ぐましい努力は欠片さえ一切見せず悠々と単位数を語ってやると心に決めていた。これだけは注意してほしいのだが彼はセントが嫌いなわけではない。ただ悔しくて勝手にセントのライバルという立ち位置を取っている自分に酔っているだけだった。


「AI、思いつかなかったよ。急ぎ損だね」

まだ恥ずかしさを残してセントが笑う。

「お前でも慌てて失敗する事あるんだな」

トーマの目には涙がまだ少し張り付いていた。

「笑いすぎトーマ。しかもあんたの失敗と一緒にするんじゃないわよ」

チョコがトーマの首根っこを持って自分の顔を近づけて言った。

「そうだよ。セント君の失敗は私達とは違うよ」

テルが真剣な眼差しで言う。

「いやいや、トーマ君の言う通りだよ。僕だって慌てたり失敗したりするよ」

セントがトーマを擁護する。

「で、なんでオレバスに乗ってきたの?」

チョコがトーマを離して第2の疑問を投げた。

「青色のバスの運転手が学校に連絡して、僕の家の近くまでバスを調整してくれたんだ。オレンジのバスだったのは偶然だと思う」

セントが説明すると、

「セント、俺様バスに乗れたことは偶然じゃないんだぜ」

灰の中から目を出し、カッコつけて今度こそはと語るシオン。

「偶然だ。そして俺様バスは流行らない。諦めろシオン」

チョコが再びシオンをいなす。その漫才のようなやり取りを聞いていたクラスメイト達は微笑ましい雰囲気に包まれていた。


「カレー、朝から食べたの?」

急に静まり返る教室。ハンナは言ってしまって自分の口を両手でふさぐ。


 クラスメイト達がセントの後ろに視線をずらす。セントも後ろを振り向く。ハンナは顔を真っ赤にしていた。

「それ聞くぅ?」

チョコが先ほどのトーマと同じくらいケタケタとおなかを抱えながら笑った。それにつられて皆もセントもポップコーンが弾けるように笑った。

「だって、朝から食べたからカレーのお鍋が出てたんだし、セント君は朝からカレー食べるタイプには見えないし……」

何を言ってもあの一言を消すことはできないと、わかっているつもりのハンナだったが、何か言わずにはいられなかった。


「席に着けーーー。授業はじめるぞ」

担任がパッドを団扇のようにパタパタとさせながら教室に入ってきた。学校全体に空調設備が完備されていて涼しいはずなのだが、人間の習性というのはなかなな抜けるものではないのだろう。


 2時間目が終わってもまだハンナの顔は耳まで赤くなっていた。それは授業が終わる前にハンナのスクールパッドに来たメッセージのせいかもしれない。


『ハンナ、僕、朝からカレー食べられるよ。それと呼び捨てにする約束だよ』


 誰から来たものか明白である。授業に使う端末には個人用に使用する事は出来ない。だがどうしてか、メッセージが届いた。パソコン関係に強い彼なら、それが可能なのかもしれないと思うだけで、本人に確認する勇気もないハンナだった。


 つづく

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