第3話 虹色
通学の児童達にとって通信の者達と決定的に違う点の一つは、体育の授業があることだ。今日はその体育がある日で、児童達は体育服に着替え体育館に集まった。
トーマは授業が始まる前から、雄叫びをあげて体育館中を走り回っていた。6月も後半になると動けば汗をかく。今日の日直になっていたハンナは、体育館入口の空間に投影されたスケジュール表を見た。何も入っていないので、そのホログラムから担任に連絡をした。担任はすっかりスケジュールを入力つもりになっていたらしくすまんと謝って、今日は跳び箱と最後にドッヂボールの時間も入れる事を伝えた。
「みんなー、跳び箱の準備してー」
ハンナが大きな声でみんなに伝える。
「まかせろーーーーー」
トーマが雄たけびをあげたまま用具室に入って行った。
他の児童も移動する。6年生の数は22人。跳び箱を5つ踏切り板を5つとマットを10枚飛び、準備をした。ハンナはマットをセントと運びながら、か細いセントの腕と自分の腕を見比べる。身長はセントの方が高い。145cm以上はありそうだ。だがどう見ても自分の方がたくましく見えてしまう。その現実が少し悲しく思えたのか、ハンナは目を伏せため息をつく。
「沖倉さん、重い?大丈夫?」
か細いセントに心配されてますます虚しくなるハンナの顔だった。無事準備を終えたところに担任が来た。軽く体育館を5周しストレッチをして、跳び箱がはじまる。通信だった児童達の多くは跳び箱を飛べず最初は苦労した。だが、小学生の吸収力はすさまじく、コツを覚えると次々に飛べるようになった。今ではハンナのクラスの20人は6段を飛べるようになっている。残りの2人はテルとセントである。普段は元気で明るいテルだが跳び箱に異常なほど恐怖を感じているようで、絶対飛べないし飛ばないと毎回担任に言い寄る。セントは今日が初めてだろうからわからないので未知数である。
「先生っ!私飛びませんから!無理ですから!」
体育館に入ってきた担任にいきなり食って掛かるテル。
「そうわめくな、島野」
毎度の事とはいえ、テルの異様さに圧倒されている様子の担任。
担任がテルを落ち着かせるのに必死だったせいか、担任の方に向かっていたセントが方向を変えハンナの所にやって来た。
「沖倉さん、この跳び箱だけど、」
セントは用意された跳び箱の方を少しだけ見た。
「あ、西川君初めてよね」
ハンナはテルと担任のやり取りを無視して、日直らしく他の同級生を5班に分けていた。
「その」
テルの声にかき消されるセントの声。
「じゃ、飛び方の習得プログラムのCG出すから待ってて」
ハンナは担任が持っているタブレットを取りに行こうとした。
そのハンナの腕をセントが掴んだ。ハンナは体を止めるしかなかった。セントの青白い手は思っていたより少し温かくて、ハンナはそっちにびっくりした。
「掴んでごめん」
セントはすぐに手を離して下を向いた。
「いいよ。どうしたの?」
セントが妙に落ち込んでいる気がして、気にしていない事を伝えるため笑顔でハンナは尋ねた。
「せっかく通信じゃないんだから、みんなが飛ぶところ見たいんだ」
顔を上げてセントは言った。
「えっ?」
思いもよらない言葉にハンナは少し言葉を失う。
「先生に言おうとしたんだけど、島野さんと先生の話が終わりそうになかったから、日直の沖倉さんに言ったらいいかなと思って」
セントはテルと担任の方を一瞥して苦笑いをした。
「そんな事か!よしっ!!俺様を見てろっ!!!」
いつの間にかトーマが話に入ってきて、そのままの勢いで6段を飛んでみせた。
それを皮切りに他の児童達もセントに見せるためにどんどん参加した。ハンナも飛んだ。今ではこれくらいなんともないハンナだが、テルと同じように最初は無理だと思って諦めていた。
失敗したら怪我をしそうで怖かった。その事をおばばに話すと、怪我をする自分を考える事より飛べる自分を想像する事、怪我をする事は怖いことではない事、挑戦しないで終わるのなら、通学している意味がない事を言われた。正論を言われても体がすくむハンナだったが、他の児童が楽しそうに飛んでいる姿を見ていると、同じようになりたいと思えるようになった。家で跳び箱の動画を観て、飛び方のコツを頭に叩き込み、イメージを膨らませた。
3段の跳び箱を足を付いたまま越え反対側に行く練習からはじめた。慣れてきたところで、動画のように飛ぼうとしたが、やはり怖くて跳び箱の手前で止まってしまっていた。だが少しずつ手が前に出て跳び箱の上にお尻も乗るようになった。徐々に慣れてくると、脳が学んだ情報を鮮明に体に伝えた。踏切り板の手前で片足ジャンプし、板には両足をそろえて乗る。この時、腕を後ろから回すと次の動作にうつりやすくなる。跳び箱の奥の方に手を伸ばす。ついた手はしっかり伸ばしたまま体を支えて飛び越える。
初めて3段を飛び越える事が出来た時の喜びは格別だった。児童達はセントにコツを教えていた。ハンナも教えようとしたが、おばばが言ってくれた言葉をもう一つ思い出した。
「西川君、怖いって思っててもいいんだよ」
ハンナは笑顔でセントの横に来た。今一度テルと担任の方を見た。
「それはどういう事?」
セントが不思議そうな目をする。
「あのね、怖いって思ってる自分も大切な自分、って事」
ハンナはセントの方を向いた。
「そうなんだ」
セントは少しだけ笑っていた。
「これはうちのおばあちゃんの言葉なんだけどね」
そう伝えるとハンナはまた跳び箱の方へ走って行った。
ハンナの瞳はキラキラと輝いていた。それは跳び箱という名の現実を、明るく超えていく自分も含めたクラスメイト達が虹のように見えるからだ。そしてセントにも同じようにこの虹が見えていたら良いのにと思った。どうやらテルとの決着がついたらしい担任がセントの隣に来て、今日の体育は無理して参加する必要はないと伝える。それから跳び箱をしている児童達の方へ行き、後10分したらドッヂボールの準備をするように声をかけた。
急に児童達がざわついた。担任は訳が分からず児童達が向いている方向に目をやると、セントが跳び箱の順番待ちをしていた。あわてて担任はセントに駈け寄った。担任の言葉を聞いてか聞かないでか、セントは軽く走って、飛び板を両足で蹴って、この世に重力がないかのように6段の跳び箱を越えて行った。児童達が驚きの声を上げて、セントに群がる。セントは恥ずかしそうにまぐれだと言った。ハンナにはまぐれに見えなかった。では、なぜ、みんなの飛んでいるところが見たいだなんて言ったのか、考えてみたが答えらしき欠片すらさっぱり浮かばない。
「日直、仕切れよー」
担任からの声で、ハンナは考えるのを一時停止せざるを得なかった。用具室に跳び箱一式を片づけ、じゃんけんで組み分けをしてドッヂボールをはじめた。組み分けの為のじゃんけんなのに、負けたトーマは異常に悔しがっていた。それを見て毎度の事と笑うクラスメイト達。トーマが最初にグーを出すことは周知の事実だった。これを本人に言わないのは、ひとえにクラスメイト達がトーマのリアクションを楽しみにしているからだ。セントは担任の横で立ってドッヂボールに参加する様子ではなかった。疲れたのだろうと20人の児童と1人の大人は思っていたかもしれない。ただ1人、
(なぜだろう)
とボールを投げながら、答えの欠片を探すのに、心ここに非ずのハンナであった。
つづく
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