Raining/Cocco について
※この記事は既存の曲の歌詞を含みます。
著作権法でいう「引用」の形式を取っていますが、ご指摘や改善点等あればご連絡ください。
Cocco、というアーティストについて知っている方はどれくらいいるでしょう。
最近はメディアへの露出が少ないので知らない若者も多いかもしれませんが、二十年くらい前にはメンヘラのカリスマとして君臨したシンガーソングライターです。当時は「Cocco、鬼束ちひろ、椎名林檎を聞いている女には気をつけろ」なんていわれたものです。
2001年から数年の活動休止を挟み、その前後で作風が一変しています。便宜上、ここでは前期と後期と呼ぶことにします。
前期は、ひたすらに陰鬱で重い。あるときは露骨に、あるときは婉曲な表現で、死、憎悪、悲哀、自傷、生々しい性、そして底なしの慈愛を歌いました。
後期は、良くも悪くも明るく、娯楽としての音楽を意識されています。この辺りの変化にはCoccoさん個人の心境の変化など、多く語れる部分もあるのですが、割愛しましょう。
今回、紹介する曲は「Raining」。Coccoさんのキャリアでは前期の作品に当たります。
タイトルは「Raining」(雨が降る様)。
主題は「Rain」(雨)そのものではなく、雨の降る情景です。
曲調は比較的明るい。清々しいといってもいいくらい。しかし歌い方はしっとりと湿度を感じさせる。春~初夏の陽だまりを感じる気がします。たぶんタイトルと曲の出だしから得られる印象は一致しづらいでしょう。
初めに、私なりの「Raining」の歌詞解釈をざっくりと述べます。
これは、大切な人との死別に直面した心のざわめきを歌った曲。
それが私の解釈です。
また、Coccoさんも自分の作品の歌詞解釈については聴き手に委ねると公言されていること。ここから私が書くことはあくまで私個人の解釈に過ぎないことをご承知おきください。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
ママ譲りの赤毛を
2つに束ねて
みつあみ 揺れてた
なぜだったのだろうと
今も想うけれど
まだわからないよ
静かに席を立って
ハサミを握りしめて
おさげを切り落とした
――――Coccoの楽曲「Raining」(作詞:こっこ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
曲の始まりで、誰かの回想であることが明らかにされます。
落ち着いた語り口から、彼女はおそらく大人になっており、みつあみを揺らした子供時代に思いを馳せています。
そして思い出すのは自らの髪を切り落とす記憶。なかなかにエキセントリックな行動です。
まだわからない――果たして実際に髪を切り落とした子供時代の彼女は、その意味をわかっていたのでしょうか。
たぶん、わかっていなかったのでしょう。理屈ではない衝動が、そうさせてしまったのだと思われます。
なお、ママ譲りの赤毛を切り落とすことから母親との確執、決別だとする解釈もあるようですね。しかしここでは別の視点から歌詞解釈をしていきます。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
それは とても晴れた日で
未来なんて いらないと想ってた
私は無力で
言葉を選べずに
帰り道のにおいだけ
優しかった
生きていける
そんな気がしていた
教室で誰かが笑ってた
それは とても晴れた日で
――――Coccoの楽曲「Raining」(作詞:こっこ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
サビです。
タイトル「Raining」なのに晴れた日の回想であることが明かされました。それもサビの初めと終わりに、強調するように述べられます。
この部分、かなり難解です。
無力感に苛まれていて、未来なんていらないと思ってた。なぜだかわからないけれど髪を切り落としたりしてみた。
しかし、生きていける、そんな気もしていたのです。
矛盾じみた、相反する考えです。しかし彼女の中で、それは共存していました。
教室で誰かが笑ってたと、まるで他人事のように彼女は歌います。曲の始まりでは、席を立った、つまり教室の中にいたはずなのに、たった独りで帰り道に向かっているのです。
これは疎外感の表れであり、言葉にできない思いを誰も理解してくれないという憤りを表現しているのではないでしょうか。
では、なぜ彼女はそんな複雑怪奇な思いを抱くに至ったか?
それを解き明かすには回想を先に進めねばなりません。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
髪がなくて今度は
腕を切ってみた
切れるだけ切った
温かさを感じた
血にまみれた腕で
踊っていたんだ
あなたが もういなくて
そこには何もなくて
太陽 眩しかった
それは とても晴れた日で
泣くことさえできなくて あまりにも
大地は果てしなく
全ては美しく
白い服で遠くから
行列に並べずに少し歌ってた
――――Coccoの楽曲「Raining」(作詞:こっこ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
二番の初めからサビまで。
髪を切った挙句にリストカット。ますますエキセントリックです。「Raining」に限らず、初期のCoccoさんの曲にはリストカットを思わせる描写が多く現れます。
手首に傷を刻んで得られたものは温かさ。つまり、それまでは冷たさに怯えていたのだと思われます。
そして、ここで「あなた」というワードが出現しました。
もういない。それが不穏な歌詞の中に、哀しみという大きな要素を与えます。
おそらくは、喪失は突然だったのでしょう。心の準備もできず整理ができません。泣くという発露の仕方もできず、それが彼女の奇行に繋がったと考えられます。サビで語られた矛盾するような感情は、これが原因なのでしょう。
太陽の眩しさ。果てしない大地。全ての美しさ。
あまりにも漠然とした表現は、むしろ皮肉を感じさせます。私はこんなに動揺しているのに、あの人はいなくなったのに、皆は楽しそうでいいわね、という憤怒さえ帯びているようです。
行列――とは、葬列のことではないでしょうか。
亡き者を送る最後の儀式。喪服を着た黒い人々の群れを、未だ喪失を受け入れ切れていない彼女は反抗するような白い服で遠巻きにしています。
歌詞をしっかり考えながら聴いていると、この辺ではもうすっかり歌に取り込まれてしまって、半ば呆然としてしまいます。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
今日みたく雨ならきっと泣けてた
――――Coccoの楽曲「Raining」(作詞:こっこ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
最後のサビへと導く一つの文章。
これを聴いたとき、私は総毛立ちました。
切ない歌だなぁとぼんやりしていたところに、これが回想であること、曲名が「Raining」であることを一気に叩きつけてくるのです。
このタイトルにして、歌詞に雨が現れる箇所は唯一ここだけです。
そのたった一度の衝撃が、盛り上がる演奏と共に押し寄せます。
雨を指す曲名で、晴れの景色を想像させながら、雨を思い出させてくる。単純な構成ですが、果たして今の邦楽に、これほどのストーリーを描くものがあるでしょうか?
この後は、最初のサビと同じフレーズが続いてからアウトロに向かいます。
もう歌詞を頭で考える必要もありませんね。
彼女は突然の死別で静かな錯乱状態にあり、未来を信じることもできません。ですがきっと、その脳裏には過ぎ去りし思い出、故人への想いが満ち満ちています。あの人のことを思いながらなら、生きていける。そんな気がしてならないのです。
過去を回想する彼女が、現在はどういう思いで人生を送っているのか。それは本当にまったく何一つとして語られません。
ですが、鼻歌のようなスキャットがかすかに聴こえるアウトロには、ほら、生きてこれたよ、と過去の自分を慈しむような穏やかさがあるように思います。
きっと彼女はこれからもあの日のことを考え、そしてずっとわからないままでいるのでしょう。大切な人を想って、生きながら。
余談その一。
出典不明ですが、Coccoさんがこの曲を作ったのは中学生の頃だったとか。それが本当だとしたらとんでもない鬼才ですね。
余談その二。
Amazonの、たぶんスピッツかCoccoさんの作品のレビューに「今の邦楽で最高の歌詞を書けるのは草野マサムネかCoccoだ」というコメントを見た記憶があります。あれ、私いつ書き込んだ? と本気で戸惑いました。
私も初期のCoccoさんと90年代後半の草野マサムネの詩は群を抜いて優れていると思っています。
2020年を目前とした現在では一昔前の音楽ですが、邦楽好きなら絶対に聴くべきだと胸を張っていえます。ぜひ聴いてみてはいかがでしょう。
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