空も飛べるはず/スピッツ について
※この記事は既存の曲の歌詞を含みます。
著作権法でいう「引用」の形式を取っていますが、ご指摘や改善点等あればご連絡ください。
かつては国民的歌手として名前を馳せたスピッツも、最近ではすっかり懐メロのイメージが根づいてしまいました。若者の中にはスピッツが四人組のバンドであることすら知らない人も多いのではないでしょうか。というか十年くらい前もそういう人いましたけど。
十年来のファンとしてスピッツの魅力をもっと広めたいとは思うのですが、では私はなにを伝えるべきか? 演奏が上手いこと? メンバーが仲良しなこと? 一度も活動休止やメンバーチェンジをしていないこと?
山ほど伝えたいことはありますが、あえて一つ選ぶとしたら、歌詞の素晴らしさでしょう。
このエピソードではスピッツの代表作である「空も飛べるはず」の歌詞を私なりに解釈して魅力を伝えられたらと思います。
なお草野マサムネさんは歌詞の意味について、聞き手の解釈に委ねる、と明言されています。そのためこの記事はあくまで私の解釈であり、聴く人の数だけある解釈の一つでしかないことをご了承ください。
「空も飛べるはず」。
時々テレビで流れたりするので、曲名も知らないしサビを聴いたこともないという人は少ないのではないでしょうか。カバーされてアニメや映画の主題歌になったこともありましたね。
しかし、歌詞にまで目を向けた人はおそらく少ないと思います。
優しげなボーカルが歌う、優しげなラブソングと思われがちな「空も飛べるはず」。実は、その歌詞は仄暗さと危うさを秘めているのです。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
幼い微熱を 下げられないまま
神様の影を 恐れて
隠したナイフが 似合わない僕を
おどけた歌で なぐさめた
色褪せながら
ひび割れながら
輝くすべを求めて
――――スピッツの楽曲「空も飛べるはず」(作詞:草野マサムネ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
冒頭からサビ直前までを引用しました。
さて、サビしか聴いたことない、という人は意外なイメージを持ったのではないでしょうか。テレビでこの曲を初めて聴いたという人も、突然の不穏なワードに驚くかもしれません。
スピッツの歌詞は意味がわからないといわれることが多いように、具体的なことが何一つ描かれず、ただ比喩表現と心理描写だけが続きます。
「幼い微熱」とはなにか? 少なくとも冒頭ではわかりません。
ポイントなのは「神様」の「影」を恐れているところです。
大人や他人ではなく神様、しかもその影という曖昧な表現です。彼の懸念とは具体的な脅威ではなく、なにか漠然とした不安感、罪悪感、焦燥感に苛まれていることが読み取れますね。日本人的にはお天道様が見てる的な感じが似ているでしょうか。
では、なぜ彼は恐れているのか?
「隠したナイフ」という物騒なワードが、その原因であると考えられます。本当にナイフなのかもしれませんし、自身の秘めた暴力性のことかもしれませんし、衝動的に犯した軽犯罪の比喩かもしれません。前に出てきた「幼い微熱」とは、彼が犯してしまった過ちなのでしょう。
(ここから余談)
「隠したナイフ」を、男性器の隠喩だとする解釈もあります。
その場合、「幼い微熱」「似合わない僕」という言葉が別の意味を帯びてきますが、ここでは割愛します。
(ここまで余談)
彼は「隠したナイフ」が自分に似合わないことを知っています。かといって平然と隠し持つこともできず、おどけた歌で慰めなければ落ち着いてもいられません。
なぜ、そんなことをしてしまったのか?
非行少年をイメージするとわかりやすいかもしれません。思春期特有のアレです。自分自身を確立するため、時に暴走してしまう。時に自分を傷つけてひび割れ、鮮やかなはずの自分が汚れて色褪せながら、輝くすべを求めていく。
尾崎豊さんの「15の夜」や「卒業」で語られるような、抑圧された世界でもがく少年を草野マサムネ流に描いたものが「空も飛べるはず」なのです(個人の印象)。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原に流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
――――スピッツの楽曲「空も飛べるはず」(作詞:草野マサムネ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
ここだけなら知ってる! という人は多いでしょう。多いよね?
相変わらず暗喩だらけでなにを言っているかよくわかりませんね。
よくあるラブソングの一節に思えますが、よくよく見てみましょう。
「きっと」「はず」「流れたら」「笑っていてほしい」。ほとんどが仮定や願望で、確かなものがないのです。彼は輝くすべを求めてもがき苦しみながら、安らぎを未だ見出せていない。
わかっているのは「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる」ことだけなのです。この曖昧さや不確かさが、いわゆる神の視点ではない、本当の意味での等身大な姿を表現しています。
しかも彼が求めるのは君の笑顔だけで、愛してくれともいいません。触れたいわけでもない。なんなら「君」が彼に対してどういう感情を抱いているか、歌詞からはさっぱり読み取れません。
これはスピッツの歌詞の特徴で、徹底した主観ですね。身勝手といってもいい。あるいは、どう思われているのか知るのを恐れているのかもしれません。この辺りの消極性や無駄な純粋さが、童貞に刺さると時々称される理由なのでしょう。
そしてここからちょっとコアな話です。
「空も飛べるはず」には、プロトタイプの作品があります。デモバージョン? というのでしょうか。若干アレンジや歌詞が異なっていますが、原型はできています。
その「めざめ」では、サビの歌詞が下記のように異なります。
◇ ◆ ◇ ここから引用 ◇ ◆ ◇
君と出会えた痛みが この胸にあふれてる
――――スピッツの楽曲「めざめ」(作詞:草野マサムネ)より
◇ ◆ ◇ ここまで引用 ◇ ◆ ◇
捻くれた愛の表現ならば草野マサムネの右に出るものはいないでしょう。
「空も飛べるはず」が発表された頃にはスピッツはブレイク寸前でしたが、それまでは中々セールスが伸び悩んでいました。「空も飛べるはず」が収録されたアルバム「空の飛び方」、その前作である「Crispy!」が売れ線を狙ったにも関わらず鳴かず飛ばずだったこともあり、スピッツメンバーは相当焦っていたといいます。
まさに「空も飛べるはず」の前後くらいがスピッツの過渡期だったのです。このあたりから、わかりづらいを通り越してシュールだった歌詞が、比喩の多用でよくわからないくらいに緩和され、ラブソングが少しずつ増えました。
「君と出会えた痛み」が「君と出会った奇跡」になったのも、その影響だったのではないでしょうか。私の憶測に過ぎませんが。
少々脱線しましたが、彼にとっては君との出会いは奇跡であり、痛みを伴うものでもあったわけです。
長くなりすぎたので少し割愛しますが、二番では「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも」笑っていてほしいと歌います。この辺も、思春期の若者に特有の厭世観が滲みでているように思えますね。
曲では、ここで間奏に入ります。
イントロから歌詞は多少不穏ながら、キャッチーで優しげな旋律が続いてきました。しかしながら、この間奏は少しだけ、立ち込める暗雲を思わせます。
しかしあるフレーズを境に光が差し込み、飛びたくなるような空が見えたところで、ふっと最後のサビに入るのです。
スピッツの曲にストーリー性はありません。なので、彼が輝くすべを見つけられたのか? 君は笑ってくれたのか? 空を飛ぶことはできたのか? なにもわからないのです。最後のサビだからといって「空も飛べるんだ」なんて歌詞になったりもしないのです。
しかし間奏からサビの流れを聴くと、あぁ、きっと彼は空を飛べたのだろう、と信じたくなってしまうのですね。
スピッツの歌詞は繰り返しが多く、全体を見ても短めです。
ここまで冗長な文を書き連ねた自分への戒めも込めて書きますが、文章作品に置いて長いということは往々にして欠点です。とりわけ詩とは、短い文章にどれだけ多くの意味を込め、読み手の想像を掻き立てるかで価値が決まります。それは歌詞も例外ではありません。
一から十まで、ろくでもないことを書き連ねるだけの歌詞など無価値といっていいでしょう。全部スキャットにでもした方がいくらかマシというものです。
ストリーミング配信が主流の今、歌詞を読み込むようなことは少なく、曲を聞き流す人も多いでしょう。
しかし現在のアーティストにも素晴らしい歌詞を書く人は必ずいます。お気に入りだと思っていた曲が、歌詞を読んでみたら更に気に入るかもしれません。
さて、非常に……ほんと思ったより遥かに長くなってしまいましたが、この辺りで筆を置こうと思います。
※
今さっき「空も飛べるはず」で検索したら私と似たようなことを、より簡潔に書いている記事がいくつもあって死にたくなりました。興味があれば、ぜひ調べてみてください。
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