第12話
「俺はな、お前が目障りでしかたなかった。さしたる目的もなく同時期に画聖として後宮へ入り、適当に画を描いては
「そんなこと。私がここへ来たのは、――鳳梨帝に寄越せと所望されたからだ」
「何を」
とっさに、左耳にある大玉の翡翠飾りに触れていた。曾祖父が大切にしまっていた、この世にひとつしかない珍かな耳飾り。どこで聞きつけたか知らないが、先帝はその存在を知っていた。まだ幼い自分の前へきて、それを渡せと迫ってきたのだ。
「私は鳳梨帝と勝負をした。彼は『勝てばそれをもらう』と言った」
波路は、唖然と翡翠の耳飾りを視線で追っていた。
指先でもて遊ばれている大玉の一品だ。
刹那のあと、叔父は腹を抱えて笑いはじめる。
腹立たしいが、真実なので笑われてもしかたがない。
「そうさ、私は先帝に負けた。笑いたければ笑えばいい」
「いや。いや、そうじゃない。まさかお前が……そんな耳飾りひとつで。くれてやればよかったじゃないか」
「これを譲るわけにはいかん」
思わず強い調子でかえしてしまうと、叔父はおかしそうに笑う。
「餓鬼だな。そうか、お前の弱点はそこにあったか」
叔父は静かに立ち上がった。まだ笑っている。
机の上の蝋燭を吹き消すと、部屋は真っ暗になった。
窓から差しこむ一条の月明かり。部屋の外に、無数の兵の気配がある。
「俺とともにこい。鳳梨帝はもう死んだんだ。ここを出たいというのなら、お前も連れてってやる」
「私は、……」
「家に帰りたくないなら好きにすればいいさ。拾野の一族はすでに逃がしてある、なんならお前の家族も逃がしてやってもいい」
「もともと、そうするつもりだったんだな。画を二日で描けと言っておいて、お前はもう逃げる気でいた」
「そうだな、お前ならきっと、俺様が普段使っている顔料を取り寄せると思っていた。昔から負けず嫌いだったろう? 俺の得意な風景画を描くつもりだったんじゃないか」
波路の言うとおりだ。酒楽はまんまと有害な顔料を商人から仕入れてしまった。柘榴帝が呪いの首飾りの真偽をたしかめるため、安寧宮で首飾りを確認したのが二日前のこと。
(波路はそれを知っていたんだな)
だからわざと挑発するようなことを言い、時を稼いだのだろう。酒楽が挑発にのり画を仕上げようとすれば、それで十分だったのだ。
(私を先帝殺害の犯人にしたてあげて)
疑いの目がこちらへ向く間に、逃げるつもりでいたに違いない。なんなら人を介し噂を流してもいいのだ。廿野酒楽の宮には有害な顔料が多量にあって、先帝殺害にはそれらが使われたのだと。
「ともに来い酒楽。お前は頭はいいが、腹芸にはむかん。後宮にいればいずれ命を落とすぞ」
叔父は懐からしずかに短刀を取り出してみせた。
そっと鞘を外すと、磨かれた白鋼の刃が現れる。
切っ先は酒楽の喉元に向けられていた。酒楽は平然と言葉をかえした。
「言っていることと行動が真逆だが」
「来ないなら今ここで殺す」
束の間、思考をめぐらせた。
拾野波路の背後には、おそらく官界の大物がいる。
(鳳梨帝をよく思わなかった人物。そして、
彼らにとり、酒楽という存在は邪魔なのだ。美蛾娘に目をかけられ、それなりの地位もある。歳も十五とまだうら若い。そんな人間が、柘榴帝に近づくのをよしとしない一派があるのだろう。
波路の思惑がどこにあるにせよ、たしかに後宮に留まるのは危険かもしれない。先帝のいない今、酒楽の立ち位置は不鮮明だった。敵だらけの後宮に留まる無意味さを、叔父は憐れんだのだろうか。
(いや、こいつにそんな慈悲の心はない)
利己心の塊を慈悲と偽って見せかける、波路は昔からそういう男だった。
「せっかくだが、私は強制されるのは好きじゃない。いつここを出るかは自分で決める」
「なら死ね」
ひと息でつめられた間合いに身じろぎもしなかった。
波路は本気だ、自分を殺すだろう。
切っ先が目前にせまり首の皮一枚を裂いたとき、けれど叔父は動きを止めた。真横に引かれるはずの刃は止まっている。
「お前、――そうか」
間近に目が合う。
叔父の苦々しい表情。その黒目に、無表情の酒楽が写りこんでいる。
死への恐怖は微塵もなかった。ただ訪れるべき痛みを待っていた。
「どうした、殺さないのか?」
「ようやくわかった、俺がお前の何に苛つくか。お前は後宮を出たかったわけじゃないんだな。あの火薬にしたって――……」
叔父がどうしてそんなに苦い顔なのかわからない。
(殺すなら殺せばいい)
いつだって死に抗したことはない。ただやるだけやってみて、結果として死のほうから酒楽を避けていくだけだ。
消えていくのは周りの人間ばかりで、それを保身だと言われる。
(こうして機会があれば、それに抗う必要もない)
首にふれた刃に身を寄せてみる。
するどい熱がちりと走り、叔父のほうがびくつき手を引いた。
そのときだ。部屋の戸が勢いよく開かれ、兵と伍仁が飛びこんできた。
「酒楽さま!?」
悲鳴に近い声が響いたとき、波路は身を放していた。
刃をおさめる際、叔父はかえす刀で耳元を、翡翠の首飾りを狙った。
「ッ!」
とっさに利き手で庇い、手の甲がざっくり切れる。
失敗したとみるや波路は舌打ち、窓を開けて夜の暗がりへと消えた。
すぐに兵が後を追うが、彼が捕まる可能性は五分だろうと思った。
(波路の協力者はこの後宮内にいる。助かる道があるからこそ、私と長々話もできたのだろう)
「酒楽さま! 血がっ、首が、手を怪我してます!」
「落ちつけ、たいしたことない」
「大丈夫かい?」
青ざめた顔で近づいてきたのは柘榴帝だった。兵に指示をくだし波路を追わせた帝は、薫香避けの黒羽織を身にまとっていた。それでも彼が近づいてきた途端、羽織の下からふわりと不思議な匂いが漂ってきて、立ち眩みをおぼえた。
「酒楽さま!? あなたのせいですよ、近づかないでください」
「なんと。ひどい言われようだね」
柘榴帝は苦笑している。
伍仁の腕にすがり、匂いの根源を探り驚いた。
(これが、薫香の匂い)
体中の力が抜けていく。膝が笑い、思考に
不快だった。とにかく自分の身体と思考を制御できない。
すがりつくように伍仁の服に顔をうずめると、嗅ぎ慣れた白檀の匂いがしてほっとした。
(大丈夫だ。まだそばに伍仁がいる)
怪我の具合をたしかめ、兵からの報告を受けた柘榴帝は、床にへたりこんでしまった酒楽へ頷いてみせた。
「きみのおかげで助かった。大丈夫、このことは俺がうまく処理しておく。疲れただろう、話は明日にしようか。――誰か、廿野酒楽の手当てを。宮まで
支えられてようやく立ち上がると、帝はふと微笑んだ。
「はやく宮へ戻らないと
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