第10話

 柘榴帝はいかにも愉快だと笑って言う。


「先帝は不思議な首飾りをもっていてね。そのせいで死んだと噂になっているんだ」

「首飾り……不思議なというのは、それにも私のような付喪神がついていたのですか?」

「いや、そうじゃない。俗に『呪いの首飾り』と呼ばれるものさ。歴代の持ち主を殺して回るとか、そういう眉唾話。くだらない、ただの噂だと思っていたが、考えてみれば先帝の死には不思議な点も多かったからね。みなが騒ぐのも無理はない」

「……ご病気だったとうかがっております」

「そう病気。死因が毒でないことは待医全員がたしかめている。先帝はいくつもの重病を併発していた。全身の臓器が腐り呼吸器に異常をきたし、両目を失明して死んだんだ。埋葬するときわかったことだけれど、全身の骨は極度に脆くなっていたそうだよ。老いのせいだけじゃない。病気にしてもそういったことの説明はつかないらしい」


 高齢だった先帝は元から健康とはいいがたかった。けれどそこまで急に重病を併発する例を、腕利きの待医たちですら聞いたことがなかったという。ましてや、短期間で骨が極度に脆くなるというのは。


「俺は先帝が嫌いだった。殺したいほどに憎んでいたから、消えてくれてよかったと思っている。けれどそんな俺でも、あの死にざまにはぞっとさせられた。骨が脆くなったと言ったけれど、とくに顔周りはそれがひどくてね。最期の死に顔なんて、原型がなくて誰だかわからなかったくらいだ」


 伍仁は言葉を失っていた。体調を崩した先帝が、まさかそんなことになっていたとは。


「周りがあんまり騒ぎたてるものだから、実はこの前、俺は『呪いの首飾り』とやらを見てみたんだ。本当に実在するのかと思ったし、見れば作り話だとわかる、そう考えてね」


 それが二日前のことだと帝は言う。

 目の前に運ばせてみた首飾りは、漆塗りの箱に入っていたそうだ。帝の執務室の上に置かれた首飾り。伍仁はその様子を想像してみる。

 大粒の黒真珠がつらなる一級品だったそうだ。

 漆塗りの箱におさまったそれは、夜の手燭の灯にぬらと光ったという。

 帝はそっと箱に手を触れてみた。

 おそれと好奇心、期待の入り交じった顔で中をのぞきこめば、箱の蓋、木地の裏側に小さく文字が書かれてあった。目立たぬよう、けれどはっきりと読める贈り主の名だ。

 目を細め、柘榴帝はそれを見て息を飲む。

 書かれていたのは『謹呈 廿野酒楽』の文字だったのだ――……。


「え?」


 青年の水色の瞳と目があった。鋭くきりつけるようなまなざしだ。

 引きつれた喉からなんとか言葉を絞り出した。


「ち、違います。そんなもの、酒楽さまのおそばで見たこともありません」

「先帝がその首飾りを手に入れたのは五年前。ずいぶんと気に入り、肌身離さず身につけていたそうだよ。――ちょうどそのころ、廿野酒楽のもとへ通い出したとも聞いている」

「酒楽さまではありません!」


 悲痛な声が部屋中に反響した。帝は目をふせ笑っている。


「もちろん、違うかもしれない。誰かが彼の名をかたり、先帝に進物として与えたのかも。けれど頻繁に顔を合わせていた先帝が、酒楽に首飾りの礼を言わないなんてことがあるかな?」

「それは、っ、……」


 彼の言うとおりだ。もし誰かが酒楽の名で首飾りを贈っても、先帝から礼を言われれば、酒楽はそれが自分が贈ったものでないと気づく。そこで酒楽からの贈り物ではないと、先帝にもわかったはずなのだ。

(けれど鳳梨帝はそれを、酒楽さまからの贈りものだと信じ身につけていた)

 これはどういうことなのだろう。酒楽は本当に、呪いの首飾りなんてものを贈ったのだろうか。


「もし、もし仮にですよ。酒楽さまがその首飾りを贈ったとして、そのせいで先帝が崩御されたわけではないでしょう?」


 先帝は病気を併発し死んだのだ。その死に際が多少惨たらしかったからといって、首飾りのせいにするのはおかしい。柘榴帝はほんのりと笑みを浮かべていた。彼が立ち上がると、かすかに黒羽織の下から薫香の匂いがする。


「首飾りの呪いは本物だった。俺はこの目でそれを見たよ。君も、彼に聞けばわかるだろう。どんな呪術を使ったか知らないが、廿野酒楽には申し開きの機会を与える。目が覚めたら、今の言葉を伝えておいてくれ」


 柘榴帝は立ち去ろうとしている。このままでは酒楽が先帝殺しの汚名をきせられてしまう。


「待ってください! あなたは首飾りの呪いが本物だと仰るが、それはなぜ、根拠は何です?」


 たしかな答えなど得られまい。そうわかっていても食い下がるしかない。

 呪いの証拠などあるはずがないのだ、言いがかりにもほどがある。

 けれど意外なことに、柘榴帝は明朗な答えを投げてよこした。


「見ればわかるよ。呪いの緑光だ」


 夜に輝く死の光。

 そのうつくしい緑青の火を暗闇で見たものは、惨たらしい死を迎える――それが首飾りの謂れだという。死の光を実際に夜、柘榴帝はこの目で見たのだと冷たく笑った。


 数刻後、目をさました酒楽は話を聞くなり呻いた。


「ああ、……そうか」

「そうかって何ですか。本当にそんな物騒な代物を、先帝に贈ったんですか?」

「私じゃない。けれど絡繰りはわかる」


 寝台に伏した酒楽の顔はまだ白く、微熱があるようで瞳は潤んでいる。水を、と所望されひと口含ませてやると、逡巡するように瞼をふせた。刹那のあと、ひらかれた黒目にはいつもの理性と決意があった。


「五年も前から。きっと首飾りだけじゃないな」

「何がです?」

「伍仁、私が今から言うことをもれなく柘榴帝に伝えろ」

「しかし帝はもう帰られて……」

「安寧宮にはいるだろ。ちょうどいいから一緒に見てくればいい」

「何を」


 問いかけたときにはもう、酒楽は寝台を降りていた。外出用の羽織を着ているのに、慌てたのは伍仁のほうだ。


「どこに行く気ですかそんな身体で! 柘榴帝にことづてがあるなら、私が向かいますから」

「無論だ。お前は帝のいる安寧宮へ行け。私は別で向かうところがある」

「きちんと説明してください。行くべき場所があるなら、私もお供します」

「それじゃ駄目だ」


 姿見を覗きこむ酒楽は、自らの顔色の悪さに辟易したように言った。


「お前は柘榴帝に事情を説明し、兵をかき集めてこい。私はその間、波路が逃げないように引きとめておく」

「は……?」


(波路?)


「そうだ。鳳梨帝を暗殺したのは波路。危うくいいように利用されるところだった」


 酒楽の言葉には感情がない。そのことに戸惑ってしまう。

(憂いも恐れも悲しみも、酒楽さまは感じておられないのか)


「拾野波路が、鳳梨帝を? もしそれが本当だとして」

「本当だ、違いない」

「しかしそれを柘榴帝に告げるのは――そんなことをすれば。よろしいのですか?」


 拾野波路が先帝を暗殺した。そう柘榴帝に伝えることが、どのような結果をもたらすか、本当にわかっているのだろうか。

(いや、酒楽さまはわかっておられる)

 冷酷な判断をこのあどけない少年は、きょとんとした顔でくだしてみせるのだ。


「いいもなにも、私がそうしろと言った。お前が心配することは何もない」

「――そうですか」


 伍仁は目をふせ頷いた。酒楽がいいというなら構わない。どのような結果になり、酒楽以外の人間が何人死のうが、たしかにどうでもいいことなのかもしれない。

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