呪いの首飾り
第7話
「は、……なんだと?」
話を聞いた酒楽は顔をひきつらせた。
片手にもった饅頭のことですら忘れてしまったようだ。齧りつこうとした姿勢のまま、目の前に座る男を睨みつけている。
今朝の酒楽は栗色の髪を後ろで団子にし、鴬色に金刺繍の入った軽やかな羽織姿だった。髪と衣のせいでずいぶんと幼く見え、つくも神の
(この男が来るとわかっていれば、もっと大人びた装いにしたものを)
酒楽の前に座るのは、画聖・
朝はやくに突然やってきて、部屋を煙草臭くした張本人でもある。
工芸家系、
「聞こえなかったか? 酒楽、お前には画聖としての才がない。画を描くのを止めろとそう言ったんだ」
ふうと紫煙をくゆらせ、拾野波路は意地悪く笑んでみせた。叔父の歳は酒楽よりひとまわり上、二十代の半ばだ。漆黒の長衣に赤襟布をたらし、黒髪を無造作に流している。病的に白い肌。空気をも切り裂く鋭いまなざしは凶相で、顔立ちが整っているぶん、目があうと凄まれている気にさせられる。いつでも煙管を手放さない、その両手には黒革の手袋がつけられている。この手袋を、酒楽の叔父は年中つけっぱなしだった。酒楽が口を開くより前に、拾野波路は言葉を吐き出していた。
「この五年。お前と同時に後宮入りしてから、俺はその評判、作品、所業のすべてを見聞きしてきた。酒楽、お前は天才だが画聖じゃない。とっととそれを認めて、家に帰れ」
後宮を去れと、男は横柄に告げていた。
「なぜ、お前にそのようなことを」
「分かってんだろ、自分でも」
酒楽は何かを言いかけやめた。険しい目で煙管を握る拾野波路の右手を――そこに
「お前には愛がない。たとえばこの俺様のように、一度でもいい。自分の利き腕を守ろうと考えたことがあるか? 画筆を握る指をなにより大事と考えたことは。画に命をかけようと考えたことくらいは? ないだろうな。お前にはたしかに才がある。けれど芸に対する愛がなく、だから画はいつまでたっても二流だ」
「私の画の価値は与えられた
酒楽の位は貴人であり、拾野波路の才人より上だ。同時期に後宮入りし、年下の酒楽のほうが評価されるという現状を、叔父は苦々しく思っているはずだった。しかし男はなぜか余裕たっぷりの笑みでいる。
「どうかな? 俺とお前では得意な画風も違うしなあ。先代の
ぐしゃりと、酒楽の手にあった饅頭が潰れた。酒楽の地を這うような声が聞こえる。
「……負け惜しみだな。信じないだろうが、私と鳳梨帝の間に艶事はなかった」
「ああ、信じられんなあ。あれだけ足しげく通わせておいて」
「碁を打っていたのだ」
「まあいいさ、先帝はもう死んだ。だが次の
酒楽は忌々しそうに茶をあおっている。
数週間前まで、たしかに大量の火薬が隣室にあったのだ。その用途を聞きそびれていたが、どうやらそれを使い後宮から逃げる算段を酒楽は立てていたらしい。
(でも
酒楽が春画を失くしたときのことだ。その一枚と引き換えに、隣室の火薬はほぼすべて蓮楽人が持ち去ってしまった。いま思えばそれは僥倖だったのかもしれない。酒楽がどんな手を考えていたか知らないが、火薬を使い後宮から脱するなんて物騒すぎる。
酒楽は勢いよく茶器を置いた。上物の青磁茶碗が割れていないかと、つい心配になってしまう。
「話はそれだけか?
「お互いさまだな」
ふうと煙を吐き出し、拾野波路は立ち上がった。どうやら今日はただ嫌味を言いにきただけらしい。朝から迷惑な話ではあるが、拾野波路のこうした嫌がらせにはこの五年ですっかり慣れてしまった。後宮に入ってから、彼にはそれだけ目の敵にされてきている。出て行こうとする男の背を、よせばいいのに酒楽は呼び止めた。どうやら言い足りなかったらしい。
「いつ後宮を去るか、それは私自身が決めることだが……そうだな、今度の
話をそばで聞いていた伍仁は呆れてしまった。酒楽は見栄のために嘘をついている。
(宴に招かれたのは本当だが、柘榴帝とは話したこともないのに)
酒楽を気に入り、宴に招いたのは
数日前、春画の件で
(宴に出ること、あんなに嫌がっておられたのに)
元々出世欲など皆無の少年は、叔父に負けまいとなけなしの意地を張っていた。しかし口は災いの元。目をすがめた拾野波路は、親の仇でも見るよう、憎々しげに告げる。
「宴に画家の席はないと聞いていたが、お前の席があるなら、官吏に金を渡して俺の席にしてもらおう」
「は、そんなこと」
「できるさ。俺様はお前と違って顔が広い。心配するな、柘榴帝には『あなたが招いた廿野酒楽は、風邪で来られなくなりました』と詫びておく」
これに焦ったのは酒楽のほうだ。拾野波路は社交的な男だ。官界にも顔がきく。
(もし今日のことを告げ口されたら)
柘榴帝から直々に招かれたという嘘が周囲にばれてしまう。つまらない嘘をつくからだと伍仁は呆れかえったが、酒楽はめずらしくも本気で怒りだした。
「いい加減にしろ! 波路、お前はいつもそうだ。この五年嫌がらせばかり、今日という今日はもう」
「いい加減にするのはお前だぞ、酒楽」
ぴしゃりとはねのけられ、酒楽は声をのむ。
拾野波路の形相には凄みがあった。
「俺は後宮でお前に問い続けてきた。お前は何がしたいのか。出世に喜ぶでも、画を描く悦びがあるわけでもない、お前はただ飽いている、違うか? 違うとは言わせないぞ、見ればわかる。家にいたときと同じだ。お前、何のためにここにいる。何がしたくて後宮へ来た? 目的もなくうろちょろされたら目障りなんだよ」
「私は、ただ――」
ちろりと困惑した瞳が伍仁へくれられた。
「え?」
付喪神の伍仁の姿は人には見えない。拾野波路には、酒楽が視線をさまよわせたように見えただろう。けれど伍仁は見た。栗色の瞳のなかにある困惑を。迷いとためらい、その中心に伍仁がいる。酒楽は言葉を選ぶように言った。
「私は、ただ画を描きにきたのだ。そのために後宮にいる。画聖なのだから当然だろう」
拾野波路は「ふうん?」と首をかしげたが、顎をさすり嘲笑した。
「なら、お前に二日やろう。あくまで後宮の画聖であるというなら、俺様に見せてみろ」
画を持ってこいと拾野波路は言葉を投げてよこした。挑戦状だ。
「この俺様を納得させるものを描いてこい。それ次第では、宴のことは考え直してやってもいい」
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