Digress.12

【少女とビリヤードを】


 午後もそろそろ二時に差し掛かろうとしていた小昼時。少女はカフェテリアでの食事を楽しんだ後、なんとなく娯楽室に足を運んでいた。

 ここへ来たことに特に理由もなかったが、妹がミナに引っ張られてショッピングに行ってしまったので暇を持て余していたのは理由の一つだろう。ショッピングについて行く気にはならなかったので妹には悪いが一緒に行くことを断った。

 とはいえ自ら娯楽室に来ることもなかなかない。ダーツ盤やらルーレット台などに囲まれたこの空間は彼女にとって近寄り難いものだったが、今は誰もいないので照明も消えて薄暗く閑散としている。

「……変なの」

 そんな無人の娯楽室は違和感の塊だった。


 でもどうせ誰もいないのなら少しくらい遊んでみてもいいだろう、そう思い至り目に留まったのはそれなりにちゃんとしたビリヤード台だった。

 ビリヤード台に近づくと部屋の照明が一気に点灯し、目に痛いくらい明るくなる。設置されていたキューを手に取ると自動的にボールが最もスタンダードなナインボールの配置で現れた。同時に手球も自分の側に現れる。

 持ってみたはいいものの少女はビリヤードに対して無知だ。ルールも知らなければ、適切なフォームも知らない。

「まあいいでしょう。誰もいないしテキトーでも」

 自分でそう決定付け、記憶の中にあるビリヤードを思い起こし憶測でフォームを作ってみる。そして憶測のままに手球を突いてみる。

 真っ直ぐに打ったつもりなのに白い球は小さくカンッと鳴ってから、見当違いの方向へ転がった。

「けっこう難しいのね」

 それから何度も挑戦してみるが、一向に上手くいかない。少女は無心にキューを動かしていた。




 そしてビリヤードを始めて間もなく、不意に娯楽室に相応しくない嫌な臭いが彼女の鼻孔を掠めた。それは少女がかつて常に嗅いでいた硝煙の臭いに近しい。

 その臭いと共にそいつが彼女の横をすり抜けた。

「正しいフォームはこうだよ」

 その男はそう呟いて少女の手元からキューをさりげなく取ると、ビリヤード台にくっつく程腰を曲げた低い体勢で手球を突いた。力強く放たれた手球は狂うことなく菱型に置かれたナンバーボールに当たり、軽快な音ともに四散した。

ほらね。少女の目の前に立つリオははにかんで振り向いた。


「……何しにきたんですか」

「何って、娯楽室なんだから遊びに来たに決まってるでしょ」

「それはそうかもしれませんが……」

 言いにくそうにリオの手元のキューを見る。彼はごめんごめんと平たく謝った。

「ビリヤードに興味持ったのが嬉しくてね」

 確かに経験者から見るとちゃんとしていない体勢だったのは彼女も自覚しているが、そもそもビリヤード経験者が現れることは想定していない。

 邪気の無い笑顔のまま子どものように話すリオ。しかし先ほど僅かに掠めたあの臭いに少女の顔が少し曇る。同じ鉄把を握る者だからこそその臭いは新しいものだと気づいていた。彼女の預かり知らぬ間に敵と交戦をしてきたのではないかと疑ったからだ。

「リオさん、あなたもしかして撃ってきましたか?」 

 そのままキューを握っているリオは先程と同じく腰を曲げて、低い体勢から手球を突く。白い球は数字の「1」の書かれたボールに当たり、真ん中のポケットへと吸い込まれる。ボールがポケットに落ちてから、彼は少女の心中を察したように答える。

「……よくわかったね。でも心配してくれてありがとう、少し射撃練習してきただけだ」

「心配なんてしてません。……でも、そう。それなら結構です」

 少女は口先では軽くあしらったが内心ではホッと胸を撫で下ろした。

 彼女にとって硝煙の臭いが連想させるのはいつだって戦いの記憶だ。どうやら染み付いた先入観が無駄な杞憂を起こしただけのようだ。

 リオはまた手球を置き、「2」の書かれた球に狙いを定める。

 少女は溜め息をつく。今日だけで何度目だろう。言うこともやることも大人っぽいのに垣間見せる子供っぽさはなんとも言えない不思議さを秘めている。この男はなかなか掴み所の無い人物だ。


 カン、カンッ。球と球とがぶつかる音だけが訪れた静寂を掻き乱して響き渡る。言葉を交わす隙すらも与えられないような空白を意識しないように少女は腕を組み壁にもたれかかり、一人でビリヤードに没頭する彼の姿を見ていた。

 彼のフォームは少女が行うよりも正しく、真っ直ぐ球が放たれては綺麗に狙った球と接触しポケットへ落ちる。その様は見ていて飽きを感じさせなかった。




 それからも手元が狂うこともなく最後の「9」と書かれた球はカコンと音を鳴らしてポケットに入った。録音された安い歓声と共にビリヤード台の縁の電飾がネオンに色付く。機械質な棒読みの歓声に加えて、ゲームセットを告げるファンファーレですらも安っちいのだからやる気も削がれるというものだ。集中力を要するこのゲームにこのような無駄な機能を付けたことに製作者の悪意を感じる。

 ゲームを行っていた当の本人も煩いくらいの装飾効果に乾いた笑いを零してから少女の方を見た。

「もう少し教えてあげようか?」

 キューを差し出して尋ねるリオの申し出に少し悩んだあと、彼女は首を横に振り断った。

「今見てたのでなんとか自分でやってみようと思います」

「そう。じゃあ、これどうぞ」

 お礼を述べてリオからキューを受け取る。そして彼と居る場所を代わり、今度は少女が最初そうだったようにビリヤード台の前に立った。

 先ほど彼がそうやっていたように見よう見まねでフォームを作る。そのフォームは最初の時よりはなかなか様になっていた。

 タイミングよく次のナインボールの配置が準備できたようだ。

 ――カンッ。

 手球をキューで突くと球は上手く真っ直ぐ転がった。フォームを整えただけなのにこうも違ってくるのは面白い。

 しかし球を突く力が弱かったのか、球は緩やかに1番の球と接触すると弱くその振動を他の球へ伝え微弱な広がりを見せた。

 かっこいいブレイクショットとは行かなかったが少女はそれだけでも満足そうに笑みをこぼす。

「……すごいね。見てただけでいきなり球に当てるってなかなか才能あるよ」

 そこからはリオも口を挟まず、少女がビリヤードをする様を見ていた。

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