Digress.11

【感傷に浸る夕暮れ】


 日も傾き始めると、町並みと空の境界がオレンジと紫で彩られていく。夕暮れの風はひっそりと夜の訪れを伝えて去っていく。

 レンカはとくに考えずに町の酒場へと足を運んでいた。見た目ほど狭くはない店内の壁には蒸留酒やワインなどの酒瓶が並べられ、酒樽がテーブルの代わりと言わんばかりに置かれているような素朴な酒場だった。

 腰かけるイスは無いためレンカは適当な樽に肘をついて酒を嗜みながら店内の様子を眺めていた。

 冒険者ギルドも兼任している酒場ということもあって、中は武器を携えた老若男女の冒険者たちで賑わいを見せていた。夜の帳も近いためにクエスト帰りの者が多いようだ。


 物心つく前から酒場というところには馴染みがあった。なんでもないのに遊びに行って冒険者やギルドの人から町の外の話を聞くことが毎日の日課となり、お酒が飲めるようになる頃にはガタイのいい男たちと腕試しや飲み語らうことが増えていった。今となっては思い出の中の話だ。

 レンカにとって旅の合間に心を安らげる場所は他でもなく酒場だった。リオなんかは女の子がひとりで酒場に行くのはあまり良くないという話をしていたが、よくわからない話だ。あくまで一般論だよ、と付け加えた彼はレンカを見て困ったように笑っていたのでその顔に軽く拳を入れておいた。


「なつかしいな」

 そう言葉をこぼす彼女が口にしているのはブドウから作られた蒸留酒を水で割ったものだ。それは初め色のない透明なお酒だったが水を注ぐと白く色づくおもしろいものだった。

 ハーブで風味づけされたそのお酒はかつてレンカがいた地域で飲まれていたものとよく似ている。スパイスの効いた甘く刺激的な香りと味はかなり独特でクセになりそうだ。

「うまっ」

 レンカは幸せそうにグラスを傾け喉の奥に流しこんだ。ノスタルジーはほどほどがいい。


 ***


 カラン。グラスの中の氷が音を立てた。

「知ってるか? この街に勇者が来ているらしい」

 ひとりでお酒を楽しむレンカの耳にとある冒険者たちの会話が入ってくる。

 『勇者』――その単語が表すのは、やはり彼女がよく知る人物のことだろう。

「勇者なんて本当にいるのかよ」

「どうせ偽物だろ?」

 他愛のないありふれた世間話だ。人の集まる場所には話題が尽きないものだが、昔から『勇者』絡みの話はよく耳にする。この広い世界に一人しかいない勇者の存在をおとぎ話や伝説の類だと思っている者は少なくない。

 まさか自分がその勇者とともに旅をすることになるとは、かつての自分は夢にも思わなかっただろう。


 彼、勇者カズトは自らを勇者であると名乗ることは少ない。隠していてもバレそうなものだが、彼はよほどのことがない限りは剣士を名乗っている。

 本人になぜ隠すのかと幾度と尋ねたことはあるがめんどくさいの一言で毎回一蹴されてしまう。勇者は言葉足らずでその返答の真意はわからない。

「(なんでアタシには勇者を名乗ったんだろう)」

 ふとした疑問に頭の中の仏頂面がめんどくさいと答えた。


 傾けたグラスの最後の一滴を飲み干した。それは少しばかり残念で気がかりに思ったがもう一杯を飲む気はない。樽の上に代金分の硬貨とチップ、透明になったグラスを置いて酒場を後にした。

「期待していいの、勇者様?」

 自嘲気味に口角で虚ろを描いて嘯(うそぶ)いた言葉は、だれの耳にも届くことなく真暗な夜に溶けて消えた。

 魔導灯が照らすぼんやりした夜の街を歩きながら、レンカは宿に戻ることにした。


END

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