第4話

 生まれて初めて精密検査としてレントゲンを撮ったが、なるほど、ああいう物なのだなあと感心した。言葉にはうまく表せないし、正直な話、記憶的にもかなりおぼろげなので下手な記述は控える。

 部屋を出ると、不健康そう且つ、不吉そうな医者が先程とあまり変わらず、椅子に座って何らかの書物を読んでいた。僕は彼に結果が載っているカルテを渡した。


「結果は……よろしい。やはり何ら問題は見受けられませんね。一応訊きますけれど、何か異変とかありますかな?」

「……少し、耳鳴りがする程度で、後は何も」


 先程からもしていたが、さして気にすることもないだろうと思いながら言う。彼もなんら問題ないと言わんばかりに、そのうち消えるであろうとの旨の話をした。


「それで、誠に勝手ながら貴方には今すぐに、退院していただきたいのですよ。と言いますのも、ついさっき大きな事故が起こったものでして、かなり危険な状態の患者が来たのです。何でも車同士が正面衝突下とか。しかし、なにぶん、狭い小規模な病院ですからベッドの数が不幸なことに足りないという始末。それ故、貴方にはここを出て行ってもらいたいのです。勿論、少しばかりではありますが、いくらか保証はしますよ? 少なくとも、今日の診察代は払っていただくことにはなりますまい」


 レントゲンを使用しての精密検査がいったいどれ程の金額になるのか、僕には想像もできなかったが、あまり安いものではないことは何となく想像がつく。だから、その提案にすぐさま飛びついた。


「それはよかった。では、こちらで病衣から私どもで用意させていただいた、スーツにお着替えください。一応、貴方のもとのものと同じものを用意させましたが、不満があればおっしゃってください」


 あまりにも至れり尽くせりな対応に思わず引いてしまう。だが、一つ確認しておかなければならないことがあった。


「ちなみに、僕の前のスーツはどうなりましたか?」

「ああ、あれですか。まだ処分はしていないはずですので、希望があればお返しできますよ。もっとも、衝突の衝撃でズタボロに引き裂かれておりますが」

「そうですか。ではお願いします。思い入れのある物ですから……」


 思い入れがあるもなにも、それは彼女と一緒に選んだものだった。どんなにボロボロになっても手元に置いておきたいものであった。


「了解いたしました。では着替えてお待ちになってください」


 僕は彼に指示された通り部屋に入って、新品のスーツに身を包んだ。パリッとしたそれはなるほど、入社して一年間でどこかに消えたフレッシュさを思い出させてくれるようであったが、変な違和感が残る。

 スーツは机の上に置いてあったが、その横には僕の仕事用の鞄も置いてあった。これもまた新品なのだろうと思ったが、そこは幸いというか何というか、僕が使っていたやつそのままだった。殆ど、損傷が見られなかった。勿論、その中のスマホも画面が割れている等の問題はなかった。

 もっとも、これが助かるぐらいなら、スーツの方を助けてくれと思ったが。


「すまないが、スーツは用意することはできなかった。本当に、すまない」

「え、あ……。どうしてですか?」


 部屋を出た瞬間、あの医者は僕にそう言った。言葉の割に悪いことをしたという表情をしていなかったが、僕はそんなことに気づくほどの余裕がなかった。


「こちらの手違いで、もうすでに処分してしまったそうだ。もう、どこにあるのかも分かっていない」


 大げさなことではあるが、僕は半身を何かに飲まれてしまったかのような、妙な虚無感を抱いた。


「いかがしましたか。先程からも思っていましたが、なにぶん顔色がよろしくない」

「いえ、ここ最近、あまり寝ていなかったもので、おそらくはそのせいだと思いますよ」

「なるほど。だから貴方はこんなにも長い時間、お眠りになられていたのですか」


 長い時間……? 思えば、僕はこの病院で目が覚めてから時計を確認することも(スマホのロック画面は指紋認証で通るため、時間は見ていない)、どころか、外の空色も確認していなかった僕は、ここでようやく現在時刻を彼に訊いた。


「今の時刻ですか。ええっと、二三時五〇分。もう少しで明日のようですね」


 かなり遅い時間だったが、だからといってこれから帰れないと言うことはあるまい。幸いなことに、この病院から家までは決して遠くはないのだ。精々一キロと言った程度で、一五分も歩けば着く距離にある。

この後は、別段特筆すべきこともなく淡々と、彼は事務処理的な手続きを終えて、病院から出て行く僕を見送った。

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