第9話 変調と休息

 私はゆっくりとまぶたを開いた。

 一番最初に目にするのは見慣れた天井。

「・・・・・・私の・・・・・・家」

 身体を起こそうとした瞬間、全身に鋭い痛みが駆け抜ける。

「――ゔっ、痛たた・・・・・・」

 それでも何とか起き上がった私は周囲に視線を巡らす。

 ベッドの側にあるナイトテーブルの上ではロウソクに火が灯されていて、温かな光が薄暗い部屋を優しく照らしていた。

「クライストはどこ?」

 姿が見当たらない友人を探しに布団から出ようとすると。

 布団の中で何かが足に当たった。

 私は布団をペラッとめくり、中を覗き込む。そこには口の端からヨダレを垂らし、すぅすぅと寝息を立てているクライストがいた。

 クライストは楽しい夢でも見ているのだろうか、幸せそうな表情を浮かべて眠っている。

「ふふ、そこにいたのね」

 クライストの可愛い寝顔を見て、思わず頬が緩んでしまう。

 私はクライストを起こさないように布団を被せようとした時、気づいた。

 私の腕や身体、そして左眼に巻かれた出来の悪い包帯。

 いつの間にか着替えてあった寝衣。

 これら全てクライストが一人でやってくれたのだろう。

 クライスト自身だって決して軽い怪我ではないし、相当疲れていたはずなのに・・・・・・。

 私はクライストの頭に手を伸ばすと、絹のようになめらかなその黒い髪を撫でる。

「・・・・・・ありがとう、クライスト」

「・・・・・・んっ」

 撫でられたクライストはくすぐったそうに身をよじると、閉じていた瞳を薄く開いた。

「えー・・・・・・れさん?」

「ごめんなさい。起こしてしまったようね・・・・・・」

「気にしないでください。それにエーレさんに撫でて貰えて、私はすごく嬉しいですぅ」

 そう言ったクライストはえへへーと笑うと、再び深い眠りについてしまった。

「私もまだ傷が癒えてないようだし、もう少し寝ましょうか」

 私は布団を被り直し、クライストと向き合う形でもう一度眠りについた。




 窓から暖かな光が差し込み、眩しさで目を覚ます。

 家の外からは普段と変わらない街の人々と活気づいた声が溢れかえっていた。

 時計は十一時を指してる。

 すると、脱衣所の方からガシャーンと大きな音が鳴って、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 廊下に繋がる木製のドアがバァーンと勢いよく開かれる。

「エーレさん!!大変です!!」

 そこには麗しい裸体をバスタオル一枚だけで隠したクライストの姿があった。

 バスタオルの端からはみ出たツヤのある肉感的な肌が見え隠れする。

「エーレさん!!大変です!!」

「それはさっきも聞いたわ。一体どうしたのよ・・・・・・?」

「実は朝、お風呂に入ろうと服を脱いだら・・・・・・」

 そう言うとクライストは顔をそのままに背中をこちらに向ける。

 その瞬間、真っ先にあるモノが目に付いた。

 私の視線が吸い寄せられたのはクライストの可愛らしくてぷりっとしたお尻ではなく、

「しっぽが生えてたんです!」

 尻尾しっぽだった・・・・・・。

 クライストがお尻をふりふりすると、一緒にお尻から黒く伸びた尻尾も揺れた。

 尻尾には幾層にも重なり、光沢感ある龍の鱗がずらりと並んでいる。

「ええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 私は突然の出来事に驚歎きょうたんの声を上げ、その叫び声は家の外にまで響き渡るのだった。




「あまり派手に動き回っちゃダメよ。・・・・・・左眼同様、もしも他の人達に見られたらタダでは済まないから」

 私は隣を歩くクライストにめっ!と人差し指を立てて注意をする。

「それくらい分かってますよー。ちゃんと気をつけます」

 クライストは頑張りますって感じで胸の前に両手で拳を握る。

(本当に大丈夫かしら・・・・・・)

 私達は今、ウェスタン通りにあるメイダスさんのお店に向かうべく、イースタン通りからセントラルエリアの方面に向かって歩いていた。

 ケルミエールの角をメイダスさんに届けるためだ。

 本来は私一人で向かう予定で、クライストには留守番をお願いしたのだが、「私もメイダスさんに逢いに行く!」とクライストが言い出したのだ。

 竜の尾を生やしている状態で街中を出歩くことはなるべく避けたかったのだが、なかなかクライストが引いてくれず、私が根負けして現在に至る。

 今のクライストは左眼の眼帯に加え、薄汚れた藍色のローブを身に纏い、尻尾を覆う形で隠している。

 この世界には猫人や虎人、狼人等の尾を持つデミ・ヒューマンは多く存在する。

 が、見聞すらされていない竜人の類いはその枠に当てはまらない。だから、ヒューマンの身であるクライストが鱗で覆われた尾を生やしていることは完全なる異常事態 《イレギュラー》。

 そんな彼女クライストの姿を大衆の目に晒す訳にはいかなかった。

「あ!ギルドが見えて来ましたよ」

 一人で思考にふけっていると、クライストがギルドに向かって指を指した。

 クライストは手持ち無沙汰な右手で雪の様に白く、シワひとつ無かった私のマントの裾を掴むと、ぎゅうぎゅうと引っ張って先を急ごうとする。

「ちょっとクライスト、そんなに強くマントを引っ張らないで。・・・・・・伸びちゃうから」

 クライストは私の言葉など気にも留めず、そのままギルドに向かって歩みを進めた。


 セントラルエリア内に入り、ウェスタン通りに向かうため、ギルドの横を差し掛かろうとした時、クライストが口を開いた。

「ところで、ケルミエール討伐の成功報酬ってギルドから貰えないんですか?」

「もちろん貰えるわ。けれど、受け取りはまた後でね・・・・・・先にこちらの用事を済ませるわよ」

 私はそう言うと左肩に担いだケルミエールの角をポンポンと叩いてみせる。

「そうでしたね・・・・・・えへへ」

 ケルミエールの角は包帯でぐるぐるに包まれ、周囲の人々から一応は見えない様になってはいる。が、角自体が非常に大きいため、自然と衆目を集めてしまう。

「エーレさん、重たくないですか?」

「ええ、これくらい問題ないわ。ありがとねクライスト」

「はい」

 きっと私一人に荷物を持たせていることに負い目を感じているのだろう。

 ほんとにこの子は優しい子だ。




 私はエーレさんと一緒にセントラルエリアを抜け、そのままウェスタン通りを進む。途中、通りの左側にある裏路地に入り、前回通った道なりをそのままなぞって行く。

 すると、淡いランプの灯火に照らされた古びた鍛治工房が姿を現す。

 今日は心地よく響いてくる鎚の音が聴こえてこない。

(お仕事してないのかなあ・・・・・・?)

 私は両手の塞がったエーレさんの代わりに劣化が進んだ木製の扉をコンコンと叩くと、扉の向こう側から「誰じゃ?」と野太い声で訊ね返された。

「メイダスさーん、私、私!」

 すると、軋む音を立てながら扉がゆっくりと開かれる。

「私、私って、どっかの詐欺師じゃあるまいし・・・・・・」

 開かれた扉の先にいたメイダスさんは苦笑を浮かべると、ご自慢の長く伸びた髭を撫でた。

「むぅ、それはひとまず置いておくとして二人ともおかえり。良くぞ無事に戻った」

 メイダスさんは髭を撫でたまま、元々シワだらけの顔を更にしわくちゃにして笑った。

 白く綺麗な歯を見せるメイダスさんはとても嬉しそうだ。


「「ただいま!」」


 私とエーレさんは声を揃えて、メイダスさんに挨拶を返す。

「それにね・・・・・・はい!」

 私は肩に掛けてあった弓と矢筒を外すと、メイダスさんに手渡した。

 すると、メイダスさんは小さく微笑む。

「・・・・・・返さんでも良かったのに、律儀なお嬢ちゃんじゃのう」

「だって、返しに来るって約束したもん!」

 私はメイダスさんに向けてニコっと破顔する。

 メイダスさんは「そうじゃったな」と小さく呟くと弓と矢筒、それにナイフを受け取り、工房の中に私とエーレさんを招き入れた。

 それから近くにあるイスを一つ引き寄せると、ドカッと腰をかける。

「そのお主が背負ってるそのデカブツが依頼内容の『ケルミエールの角』じゃな!」

「はい、そうです・・・・・・」

 エーレさんは角を床に降ろすと同時に、巻いてあった包帯を一気にほどく。

 露わになった角は工房の天井に吊されたランプの光を浴びて薄緑銀色の光沢を放っている。

「・・・・・・見るのは初めてじゃが、綺麗な色してるわい」

 エーレさんから角を受け取ったメイダスさんはそれをまじまじと見つめると感慨深げに呟いた。

「武器の完成までにどのくらい日を要するのでしょうか?」

 そうエーレさんが尋ねると、メイダスさんは素材を凝視したまま、答えた。

「まだこやつを叩いてないから何とも言えんが・・・・・・まぁ、二日もあれば充分じゃろう」

 そう言うとメイダスさんは『ケルミエールの角』を金床かなとこに置く。

「そうですか」

「お主らがいると仕事に集中できん。はよ帰って、二日後に取りに来なさい」

 メイダスさんはシッシッと私達を手で払おうとする。

「私、自分の武器が作られるとこ観たいです!」

 私はメイダスさんにお願いすると、横からエーレさんに阻礙そがいされた。

「メイダスさんの邪魔になるから駄目よ。それに貴方にはやらなければならないことがあるでしょう」

 ――私のやるべきこと?

「メイダスさん、確か武器の命名は基本的にその武器の所有者が行うことになっていますよね?」

「ああ、そうじゃ・・・・・・」

「そういうことよ、クライスト」

 なるほど、そういうことか。

 腑に落ちた私は左手をお皿にして、右拳をぽんっと乗せる。

「自分の名前を書く練習をしておけばいいんですね!」

「なぜその考えに至ったのかしら・・・・・・」

 エーレさんはこめかみに手を当て、やれやれと首を横に振った。

 どうやら、私は間違えちゃったみたいだ。

「お嬢ちゃんの武器に付ける名前を考えとけってことじゃよ」

 呆れたようにメイダスさんが言ったので、私は確認のため、エーレさんに視線を戻す。

「・・・・・・そういうことよ」

「なるほどぅ」

「何がなるほどぅよ」

「あいたっ!」

 エーレさんのゲンコツが私の脳天を直撃した。

 私は頭をさすり、エーレさんを睨め付ける。

「エーレさん、私の真似全然似てなかったですよ」

 指摘されたエーレさんはみるみる顔を真っ赤にし、肩をプルプル震わすと無言で私の両頬をむにっとつねった。

「えーれはんいはいれす」

 どうやら頑張って真似したのに、似てないと言われて悔しかったようだ。

 だからといって私に当たるのは良くないと思います。


 暫くして気が済んだのか、エーレさんは私の頬をパッと離した。

 エーレさんにつねられ続けた私の頬は少し赤くなっている。

「エーレさんひどいです!」

 私は「むー!」とほっぺを膨らませると、エーレさんはしょんぼりとした顔になった。

「ごめんなさい、少し大人げなかったわね」

「ほっぺにチューしてくれたら許してあげます」

 私が自分のほっぺを指差すと、エーレさんは肩を抱くと、頬を赤く染めて視線を逸らした。

「・・・・・・他の人が見てる前でそんなこと・・・・・・・・・・・・はしたないわ」

 恥ずかしがってるエーレさんも可愛いなあ。

 思わず、頬が緩んでしまう。

 だが、ここは心を鬼にしなければ!

「そうですか・・・・・・なら、もうエーレさんとは口を利いてあげません!」

 私は肩を組んでぷいっと顔を背ける。

 横目でチラッとエーレさんの顔を見ると、凄く哀しそうな顔をしていた。

「・・・・・・分かった。チューしてあげるからそんなこと言わないで」

 そう言ったエーレさんは私の横顔に唇を近づけると、私の頬に優しく触れた。

「・・・・・・・・・・・・これで良いかしら」

「はい!大満足です!」

 顔を赤らめながら問うエーレさんに対し、私は花が咲いた様な笑顔で返す。

 すると、後ろから溜息が聞こえた。

「お主ら、惚気のろけは他所でやってくれんか?作業に集中できないんじゃが・・・・・・」

(・・・・・・明らかに言うタイミングが遅い)

 きっとメイダスさんは私達がむつみ合っている間、迷惑だと思いつつも、終わるまで口を挟まないようにしていてくれたのだろう。

「ごめんなさい」

「すみません」

 私とエーレさんは同時に頭を下げると、メイダスさんは「分かれば良いんじゃよ」と言って再び作業に戻った。

「私たちもそろそろ行きましょうか」

「そうですね」

 エーレさんは髪を払うと、コツコツと歩き出して外へ出て行った。

 私もそれに続くため、駆け出すと。

「・・・・・・お嬢ちゃん」

 扉の前で呼び止められた。

 振り返るとメイダスさんが不敵な笑みを浮かべ、片目を閉じている。

「武器、楽しみにしてろよ」

 その言葉が嬉しくて、私は顔を綻ばせた。

「はい!」

 私の返事を聞いて嬉しそうに頬を緩ますメイダスさんを確認してから、私はエーレさんを追いかけた。


 裏路地を抜け、表通りに出た私達はライセンスの更新を行うべくギルドに向かう。

 この通りは多種多様な冒険者が武器屋に寄ったり、アイテムの補充等を済ませていたりして賑わいを魅せていた。

「ねぇねぇエーレさん」

 私はエーレさんの袖をちょんちょんと引っ張った。

「どうしたのクライスト?」

 エーレさんは首を捻って、続きを促す。

「ギルドで更新を済ませたらどこか買い物に行きませんか?」

「別に構わないわ・・・・・・クライストがまだ行ったことない南の通りに行ってみましょうか」

「ありがとエーレさん!!」

「――ッッッ!?」

 私がいつもの様にエーレさんに抱きつくと、エーレさんは苦虫を噛み潰したような苦悶の表情を浮かべ、額に汗を滲ませる。

 その様子を見た私は、慌てて手を離す。

「ごめんなさい!まだ傷が治りきっていないのに私・・・・・・」

「大丈夫よ、気にしなくて良いわ」

 エーレさんの柔らかな手のひらが私の頬を優しく触れる。

「・・・・・・だから、そんな顔しないで」

 そう言ったエーレさんの表情はとても慈愛に満ちていた。

 エーレさんは頬を撫でていた手を私に差し出すと。

 ――・・・・・・握って。

「・・・・・・うん」

 私は目尻に溜まった涙を拭い、その手を取った。




 エーレさんと手を繋いだまま街路を暫く進むと、ギルドに到着する。

 そこでエーレさんはそっと私の手を離した。少し名残惜しい気はしたが、ギルドに入る時まで手を繋いだままというのはちょっぴり恥ずかしいのでここは大人しく従っておく。

 エーレさんがギルドの大きな扉を押して中に入って行くので、それに私も続いた。

 カウンターの前まで来ると、今ではもうお馴染みとなった青髪ツインテールの受付のお姉さんがマニュアル通りのセリフで出迎えてくれた。

 髪もいつもの様にツインテールがみょんみょんと揺れている。

「ようこそ、アルタイナ支部へ!本日はどのようなご用件でしょうか?」

「討伐したモンスターの報酬金を貰いに来ました」

 そう言ってエーレさんはライセンスを提示する。

「クライスト、貴方もライセンスを出しなさい」

「あ、はい」

 言われるがままに、ライセンスをカウンターの上に置いた。

「こちらですね、ただいま確認致しますので少々お待ち下さい」

 そう言ってお姉さんはライセンスに眼を落とすと、そのまま硬直する。

 それからギギギと音を立て、こちらに顔を向けると引き攣った笑みを浮かべた。

「す、すみません・・・・・・ギルド長に確認して参りますので・・・・・・ッ!!」

 言うや否やすぐさま、カウンターの奥へ走り出した。

「受付のお姉さんはどうしてしまったのでしょうか?」

「ふっ・・・・・・その答えはすぐに解るわ」

 エーレさんが不敵な笑みを浮かべてる!?

 その時、バンっとギルドの左隅にある扉から大きな袋を抱えたギルド職員がぞろぞろと出てきた。

 その先頭にはいかにもギルド長って感じの高そうな装飾を身に着けたおじさんと、一歩後ろを歩く受付のお姉さんがいた。

 あまりの異様な光景に掲示板を眺めていた冒険者達や呑気にラウンジで食事をしていた人達、二階の図書室を利用していた人々までもが手を止め、こちらに視線を注ぐ。

 騒がしかったロビーの中は一瞬で静寂に包まれた。

やってくれたなあ、エーレ・アーベンロート」

「それほどでもあるかしらツォーリ・バルトギルド長」

 エーレさんの顔を忌々しそうに睨みつけてくるギルド長。

 その一方でエーレさんは勝ち気な笑みを浮かべている。

 この状況はなんだろう?

「お前はいつもいつもいつも高額な報酬のモンスターばかり倒しよって、ギルドを潰す気か!この私利私欲のために動くハイエナめっ!!」

「その報奨金額を設定したのはそちらでしょう?それに私達、冒険者はモンスターを倒すことでギルドに、街に貢献しているのよ。それなのにハイエナ呼ばわりされる筋合いは無いわ。・・・・・・椅子でふんぞり返っているだけで何もできない、税金を食い荒らすだけの小豚ちゃん」

 エーレさんは清々しい笑みをギルド長に向けた。

 それにしてもエーレさんのことをハイエナ呼ばわりするこのギルド長は呪われればいいのに・・・・・・。

「貴様は今、俺の逆鱗に触れた!」

「だからなに?それよりも早く報酬金を出して」

 ギルド長がビシッとエーレさんに向かって指を差すが、それをエーレさんに冷たくあしらわれてしまった。

「前回も貴様は『タイラントホーク』討伐後、報酬金だけ受け取り、素材をこちらで換金していかなかったではないかッ!!・・・・・・他のハイランカー達は日頃の感謝の意を込めて素材を幾つか提供してくれているというのに・・・・・・」

 ギルド長が怒りに拳を固めていると、エーレさんはポケットに手を入れ、ゴソゴソしだした。

「あれ、ポケットの中に何か入っているわね・・・・・・」

 そう言って取り出したのは、三本の毛の様なものだった。

「あら、これはケルミエール討伐する際に毟り採った『ケルミエールの体毛』ね!」

 エーレさんは明らかにわざとらしい小芝居をすると、たったの三本しかない毛をギルド長に差し出した。

「はい、これあげる!」

「やかましいわボケェッッッ!!」

 腕を横に薙いだギルド長の怒声がギルド内に響き渡る。それに比べ、エーレさんは凄く楽しそうだ。

 それより『ケルミエールの体毛』なんていつの間に獲ていたのだろう?

 まさかエーレさんはこれをしたいがために、あの死闘の中でケルミエールから体毛を毟りとったのでは・・・・・・エーレさん怖っ!!

「ふーん、いらないのね。そこの貴方、これ換金しといてくれる」

「あっ、はい。・・・・・・分かりました」

 エーレさんは指でつまんでいた三本の毛を側にいた受付のお姉さんに渡す。

 受付のお姉さんはふところから小さな小瓶を取り出すと、その毛を小瓶の中に入れ、懐にしまう。

 すると、今度はポーチを取り出し、金貨をエーレさんに手渡した。

「こちらが換金分の9千ゼルです」


 毛三本で9千ゼル!?


 私はあまりの想定外の額に開いた口が塞がらなかった。

(くそぅ、毛1本で3千ゼルもするんだったら、帰る前にいっぱい毟っておけばよかった・・・・・・)

 エーレさんは金貨を受け取ると、ギルド長に向き直った。

「まだ私に何か言いたいことはありますか?ツォーリギルド長」

「うるさい!私は部屋に戻る!!・・・・・・後は任せるぞプラシア・アルノーツ」

 ギルド長は受付のお姉さんにそう言うと、背中を見せ、歩き出した。

 役割を託させた受付のお姉さんは深く腰を折る。

「お任せ下さい、ツォーリギルド長」

(このお姉さんプラシアさんっていうんだ・・・・・・)

 ギルド長は自室に戻る途中、ロビーに設置されたベンチを蹴って苛立ちをぶつけていたが、激痛に足を抑え、ぴょんぴょん跳び回る結果に終わった。

「ギルド長は何がしたかったのでしょうか?」

 私がエーレさんに訊ねると、「考えるだけ時間の無駄よ」とバッサリ切り捨てた。

 プラシアさんは「あはは」と乾いた笑みを浮かべてから、わざとらしくこほんと咳をすると。

「それでは、報酬金をお渡ししますね!」

「ええ、お願いするわ」

 エーレさんは肩にかかった真っ白な艶髪を後ろに払う。

「まずはケルミエール討伐報酬でギルドから5000万ゼルとさらに討伐依頼が発注されていたので、そのクエスト達成報酬の2億ゼルです」

 プラシアさんは羊皮紙を読み上げると、後ろに待機していたギルド職員達が私たちの前に袋いっぱいに詰められたゼル金貨をどんどん積み上げていく。

「それから今回の討伐でエーレ・アーベンロートさんはNo.5からNO.4へ昇格、レイラ・クライストさんは149993位から一気に433位に昇進致しましたのでそれぞれにゼル金貨1億ゼルと700万ゼルを譲渡致します」

「――NO.4!?」

 私は驚愕に目を見張り、エーレさんの顔を見る。

 先の戦いで少しは縮んだかと思っていたエーレさんとの差が更に開いてしまった。

 私はいつになったらエーレさんに追いつけるんだろう?

 ランキングはエーレさんのNO.4に対して私はまだ400番台。

 もしもこのままエーレさんとの距離がどんどん離れて、その背中が見えなくなる程、遠くに行っちゃうんじゃないかと思うと凄く怖い。

 私は押し潰されそうになる心を必死に支える。

 そうだ。

 ――私は、強くなるって決めたんだ!

 それは何のため?英雄として皆の脚光を浴びるため?違う。

 ――いま隣にいるエーレさんを守るためだ。

 私はエーレさんの服の袖をシワができるくらいに力強く握った。

「どうしたのクライスト?」

 不意に袖を握られたエーレさんは少し困惑した表情を浮かべるが、引き剥がそうとはしない。

 私はバッと顔を上げると、エーレさんの瞳を見つめて、想いを伝えた。

「私、必ず追いつくから!待ってて!」

 私と視線を交わしたエーレさんは優しく微笑むと。

「うん、待ってる」

 私を抱き締めて、優しく包み込んでくれた。

 やっぱり、エーレさんの胸の中が一番落ち着く。

 だって、エーレさんはこんなにも近くにいるってできるから。


「今回の報酬の金貨はこれで全てです」

 全てのゼル金貨が積まれると、それは山の様になった。

 当然、その量は二人で持ちきれるものではなかった。

 ――計3億5千7百万ゼル。

「・・・・・・エーレさん、こんな大金どうするんですか?」

「・・・・・・・・・・・・貯金かしら」




 私達はギルドからリヤカーをレンタルすると、大量にある全てのゼル金貨を家まで運んでからサウス通りに向かうことにした。

「エーレさんのお家に泥棒とか入ったりしませんよね?」

「金貨の入った金庫は《アイオロス》での30連撃を浴びても壊れない程、強固な素材でできているからそこまで心配する必要はないと思うわ」

 エーレさんは私に微笑みかける。

「そうですか」

 私はそっと胸を撫で下ろした。

「・・・・・・着いたわよクライスト」

「おおっ!?」

 セントラルエリアから南方にレンガの道が延々と続くサウス通り。

 冒険者や貴族、一般人が入り乱れて

 こちらは他の通りと比べ、段違いにきらびやかで、色んなお店が建ち並んでいた。

 冒険者や貴族、手を繋ぐ母娘などこの街に暮らすあらゆる人々が横行していた。

 食べ物、服、装飾、武器、アイテム、素材、食材全ての品が揃っている。

 でも、私の目を一番引いたのはこのサウス通りを抜けた先に広がる運河だ。

 太陽の光を反射し、キラキラと輝きを放ちながら波に揺れる運河に私の目は釘付けになった。

「すっごく綺麗ですね」

「ここは街の貿易地点だから色々な街や国から様々な品が輸入されてくるのよ。もちろん輸出も行っているわ」

 エーレさんの言う通り、サウス通りの端にあるここは港になっているようで大小様々な船が停泊していた。

 しばらく、ゆらゆらと流れる美しい運河を眺め立たずんでいると、ほのかに甘い香りが漂ってきた。

 私は鼻をくんくんさせ、匂いを確かめてから隣にいるエーレさんに声をかけた。

「エーレさん、甘い匂いがします。きっと美味しいスイーツの匂いですよ!・・・・・・って、あれ?」

 先程まで隣にいたはずのエーレさんの姿が消えた。

 慌てて辺りを見回すと、エーレさんの姿はすぐに見つかった。

 河沿いに並ぶお店のショーケースとにらめっこしている。

 お店の名は、『天使が作ったたまーとのお店』

 とってもファンシーな店名だ。

 タマートとは器状の生地に卵クリームを流し込んで焼き上げたもので、よくおばあちゃんに作って貰った覚えがある。

 私はショーケースに夢中になっているエーレさんにバレないようゆっくりと近づいてみる。

 エーレさんはショーケースにピッタリおでこをくっつけて、ケースの中で並べられたタマートを凝視していた。

「エーレさん何してるんですか?」

「ひゃう!?・・・・・・・・・・・・」

 エーレさんはゆっくりとこちらに振り返る。

「エーレさん、お腹空いたんですか?」

「べ、別にお腹が空いたわけじゃ・・・」

 と言った瞬間、エーレさんのお腹がぐぅぅと鳴った。

 エーレさんは羞恥に顔を赤く染め、俯いてしまう。

(エーレさん、変なとこ強がりだなあ・・・・・・)

 そういえばまだお昼も食べてなかったな。

 今はちょうど三時だからおやつには丁度いいかもしれない。

 ――というか、私も食べてみたい!

 ここでエーレさんが意地になって、タマートが食べられなくなるのだけは絶対に避けたい。

 仕方ない、ここで一芝居打つぜ!

「お腹すいちゃったなー。私、ここのタマートが食べたいなー」

 私の台詞に反応したエーレさんは腕を組むと、視線を泳がせる。

「そ、そう。食べたいと言うのなら買って行かないわけにはいかないわね・・・・・・」

 あくまで私が食べたがっていると強調したエーレさんはすぐさま、お店の扉へ向かった。

 ――イェス!!!!!!!

 私はエーレさんに隠れて大きくガッツポーズをキメる。

 扉へ向かったエーレさんの相好そうごうは普段の落ち着いたものとそう変わらないが、凄く嬉しそうなのはひしひしと伝わってくる。

(なんだこの生き物・・・・・・――可愛い過ぎるぜ!!)

 いつもとはまた違ったエーレさんの愛らしさに人知れず胸を打たれていると。

「何をしているの?早く行くわよ」

 エーレさんはお店の中に入って行った。

「待ってくださいよー!!」

 エーレさんを追いかけるように、私もお店の中に飛び込んだ。

「「「いらっしゃいませー!」」」

 可愛いらしい声音で来店を歓迎されるが、店員さんの姿は見当たらない。

 店内の右手側にはケーキショーケースがあり、その中で照り輝くタマートがずらりと並んでいる。

 どうやら入口にあったのはレプリカだったようだ。

 タマートを眺めているエーレさんは顎に手を当て、真剣に何かを考えている。

(タマートしかないのに何をそんなに考え込んでいるのだろう・・・・・・)

 すると、店の奥にある厨房扉がギィィィと音を立てた。

 そちらを見やると、そこには白いコック帽を被った小さな女の子がいた。

「いらっしゃいませー、『天使が作ったたまーとのお店』へようこそ!」

 小さな女の子は丁寧にお辞儀する。

「こ、子ども・・・・・・?」

 私が突然の事態に困惑する中、エーレさんは女の子に声をかけた。

「ここの店長さんはどちらにいらっしゃるのかしら?」

 そう言うと小さな女の子は背伸びして、右手を大きく挙げた。

「わたしがてんちょーです!」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 予想外の返答に辺りは静寂に包まれた。

 確認のため、エーレさんはもう一度女の子に問うたが。

「わたしがてんちょーです!」

 結果は変わらなかった。

「・・・・・・そう」

 すると、厨房扉からまた一人・・・・・・今度は男の子が出てきた。

「お客様、ご注文は何にしますか?」

 ご注文は何にしますかと聞かれてもこのお店にはタマートしか見当たらない。

「えーと、その、た、タマートを一つ」

「私は十個お願いするわ」

 ――えーっ!?

 さっきまで恥じらいはいったい何処へ行っちゃったの?

 私の視線に気がついたエーレさんがこちらに振り返った。

「なにかしら?」

 柔らかな声音でにっこりと笑顔を向けてくるエーレさんから物凄い圧力を感じる。

 エーレさんの笑顔には「余計な事言ったら、吊るすわよ」みたいな意味を含んでいそうだ。ひゃー、エーレさん怖いよー。

「な、なんでもない・・・・・・です」

「そう」

 エーレさんは短く言葉を返すと再び前を向いた。

「ご注文は以上で良いですか?」

「ええ、お願いするわ」

「かしこまりました!」

 小さな店長さん達はびしっと敬礼すると厨房扉を通り抜けて、厨房へ戻って行った。

「・・・・・・可愛い子達ですね」

「そうね」

 すると、また厨房扉がギィィと音を立てた。

 見れば、そこから顔半分だけ出しこちらを見つめる女の子がいた。

 店長とは別の店員さんのようだ。

 エーレさんはその子に声をかける。

「こんにちは。そんな所で何をしているの?」

 彼女はこちらを暫く見つめると、怖い人ではないと思ったのかトテテと小走りで寄って来た。

 その女の子は手に食べかけのタマートを持ち、口元には食べカスとクリームを付けていた。

 赤いフリルのついたエプロンが印象的な女の子だ。

 その子はエーレさんの前までやって来ると、食べかけのタマートを渡す。

「これね、おいしいよ。・・・・・・食べて」

 そう言うと女の子はニコッと笑った。

 食べかけのタマートを渡されたエーレさんは柔らかな笑みを浮かべる。

「・・・・・・ありがとう」

「うん」

 エーレさんは女の子に見守られる中、タマートを口に運ぼうとすると、またして厨房扉が今度は勢い良く開かれた。

「こらっ!マリー!また勝手に店の品食べたな!」

 怒鳴り声を上げて出てきたのは、さっき程店長の隣にいた男の子だ。

 男の子はマリーと呼ばれる女の子の後ろ襟掴むとズルズルと厨房へ引きずって行く。

 マリーは引きずられている間、「勝手に食べてないもん。ちゃんと自分に許可取ったもん」とか言っていた。

 マリーを厨房へ連行した男の子が再び戻って来ると、エーレさんが手に持っていた食べかけのタマートを取り上げる。

「ご迷惑お掛けして申し訳ありません」

 男の子はぺこりと頭を下げると厨房へ戻って行った。

 食べかけタマートを持って行かれたエーレさんは「あっ」と残念そうな声を漏らしていた。

 それも食べる気だったんかい・・・・・・。


「おまたせしましたー!」

 それから程なくして店長が縦長のケーキ箱を持って来た。

「焼きたてですよ!」

「ええ、良い香りだわ・・・・・・」

 その箱の中には黄金色に輝くタマートが並んでいる。

「合計で5千5百ゼルです!」

 エーレさんは財布から5千5百ゼルを取り出すと店長さんに渡す。

「ひーふーみー・・・・・・5千5百ゼルちょうどおあずかりします」

 店長はお金をしまおうとちょっと高い所にある金貨収容ボックスに手を伸ばすが、届かない。それから何度かぴょんぴょんと飛び跳ねてみるがそれでも届かなかった。

 諦めた店長は近くに置いてあったイスを持って来るとその上に乗り、金貨をしまった。

 それから店長を額の汗を拭うと、ふーと息を吐く。

(なんで店長はそんな高い所にお金をしまっているのだろう?)

 私がそんな疑問を浮かべている一方、エーレさんはそんな店長の様子を微笑ましそうに眺めているだけだった。

「ありがとうございましたー!」

 店長に店の外まで見送られ、お店を後にする。

 それから私達は近くにあるベンチでエッグタルトを食べることにした。

「美味しそうですね、エーレさん!」

「早く食べましょう」

 私とエーレさんはアツアツで湯気が湧いて出てくるタマートを手に取ると、声を揃えて言った。

「いただきます!」

「いただきます」

 私はパクッと頬張ると、目を見張った。

 ペイストリー生地のサクサクとした食感に、とろりとした卵クリームの甘さが口いっぱいに広がることで見事な調和を生み出している。

 一口食べただけで私の舌は、このタマートの虜になってしまった。

「エーレさんこれ凄く美味しいですよ!」

「ええ、そうね」

 短く返答したエーレさんはパクッとタマートを一つ平らげてしまった。

 ――いや、一つじゃない!?

 エーレさんの膝の上には既に食べ終えていたタマートの銀包みが三個並んでいて、今平らげたのは四つ目だ。

「エーレさん、食べるの早っ!?」

「そんなことないわよ」

 そう言ってエーレさんが私に顔を向けた時、エーレさんの顔が驚愕に染まる。

「クライスト!尻尾出てるわよ!?」

「へぇ!?」

 背を向くと、漆黒の鱗が並んだ尻尾が左右にぶんぶん揺れていた。

 私はエーレさんに手伝って貰いながら、大慌てで尻尾にローブを被せる。

 それから二人でキョロキョロと周囲を確認した。

「・・・・・・誰にも見られていないわね」

「・・・・・・はい」

 幸い、周囲には人影がなく、私達以外の者に見られることはなかった。

「見られていたら、その人の記憶が消えるまで殴っていたけれど、その心配がなくて良かったわ」

「記憶を・・・・・・消すまで・・・・・・」

 ぶるりと背筋を冷たいものが走る。

 本当にそんな事態にならなくて良かった。

「それよりも何故、尻尾があんなに揺れていたのかしら?」

 エーレさんは顎に手をやり、考え始める。

「たぶんエッグタルトが美味しくて、つい尻尾が反応しちゃったみたいです」

「犬みたいね・・・・・・クライストお手」

「わん」

「・・・・・・帰りましょうか」

「はい・・・・・・」

 私はふと空を見る。

 さっきまで青く澄んだ色をしていた空は傾く太陽のオレンジ色に染め重ねられていた。

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