第8話 狩るものと狩られるもの
「はははっ・・・・・・・・・・・・みんな死んじまった」
イラルガと呼ばれる冒険者は灰にまみれた地面に四つん這いとなる。
そのすぐ傍には仲間――いや、仲間だった者達が赤く染る肉塊と化し、転がっていた。
イラルガは自らの涙で地にばら
すると、イラルガの後ろから音を立てて近づく巨大なモンスター。
森の王ケルミエール。
影しか見えなかったその姿は豪炎の中から出てきたことにより、木漏れ日を浴びて露わになる。
銀色に輝く枝分かれした角。巨大な体躯は陽の光に照らされ、美しい毛並みは緑と銀色が入り混じる。四足のその脚は太く引き締まっているのが遠くから見てもよく分かる。
ケルミエールはイラルガの真後ろまで来ると脚を止めた。
イラルガは後ろを振り返ると、大きな声を上げる。
「く、来るなぁ!来るなああああああああぁぁぁっ!!」
体を
「エーレさん!あの人、殺されちゃいます!助けに行かないと・・・・・・」
私はぎゅっとエーレさんの
「駄目よ、クライスト。・・・・・・彼らは森の王の
確かに彼らはこの森林を燃やしたりして、酷いことをした。
――だけどっ。
「それでも・・・・・・助けなきゃって、思っちゃうんです」
私は目の
でも、エーレさんの表情は変わらない。
「それでも私は反対よ・・・・・・・・・やるなら勝手にして頂戴」
エーレさんはそう言うとマントを翻して背中を向けた。
「・・・・・・・・・分かりました」
私もエーレさんに背を向けて走り出した。そこで一度だけ振り返る。
「・・・・・・・・・・・・」
エーレさんは黙ったまま、その場に佇んでいた。
私はケルミエールに気づかれないように移動し、少し大きめな
「・・・・・・・・・・・・っ、よし!」
ここなら居場所を
すぐさま眼帯を外し、岩陰から飛び出して弓を構えた。
まだ放たれていない矢は獲物に当たるまでの
矢を二本に増やしても同様だ。
今度は矢を三本に増やし、それぞれの矢を的を絞らせないように獲物に当たるギリギリまで散らす。それにより放たれた矢は三本のうち二本は落とされるが一本は胴体に命中する
――これだっ!
私は
冒険者を踏み潰そうと脚を上げたケルミエールに目掛けて放たれた矢は私の紅の瞳に映る軌跡を辿っていく。
ケルミエールは飛んできた二つの矢を角で弾き飛ばしたが、クライストの
だが、その傷はあまり深くなさそうだ。
よし!矢を三本に増やしたせいで、矢の威力は分散しちゃったけど、これでケルミエールの意識は完全にこっちへ向いたはず。
攻撃を受けたケルミエールは上げた脚をゆっくりと下ろして、こちらに向き直ると、その鋭い空色の眼光がこちらを捕らえた。
その瞬間、ケルミエールから殺気を溢れ出す。その圧倒的なまでの無言の圧力には縄張りを、森林を荒らされた王の怒りが伝わってくる。
あまりの重圧に手は震え、膝はガクガクと笑っていた。
(何・・・・・・これ・・・・・・怖い・・・・・・ )
――どうしよ?・・・・・・動けない。
ここから距離は離れているはずなのにケルミエールがすぐ傍まで迫っているような・・・・・・そんな錯覚に囚われる。
『フシュウウウウウゥゥゥゥゥゥ・・・・・・』
殺意を駄々漏れにしたケルミエールは大きく息を吐き出す。
灰にまみれた土の上を走り出し、恐怖で固まった私目掛けて突進した。
死の軌跡が真っ直ぐ私へと続く。
(避けなきゃ死ぬ)
私は怯えで震える足をぶん殴って雑な活を入れると、震えが少し止んだ。
すぐさま攻撃を回避しようと思い、顔を上げると、瞳に映ったのは強靭な角を生やした鹿の鬼の形相。
その姿に私は瞠目し、言葉を失う。
(速過ぎる――これじゃ回避が間に合わない・・・・・・)
「――だから駄目って言ったじゃない」
視界の隅から白い影が電光石火の如く現れた途端、私の頬を風が走り抜けた。
漆黒の剣と鹿の強靭な角がぶつかり、ギチギチと音を立てながら火花を散らす。
このままでは埒が明かないと悟ったケルミエールは後方に飛び退き、距離を取った。
「ありがとう。エーレさん・・・・・・」
私はエーレさんの背にお礼を投げ、背筋を伸ばした。
エーレさんはケルミエールと対峙したまま、嘆息すると口を開いた。
「・・・・・・よく言うわね。貴方の左眼を使えば、私が助けに来ることくらいすぐに分かっていたくせに・・・・・・・・・・・・ずるいわ」
エーレさんの声音はいつも以上に冷気を帯びていたが、どこか淋しさが混じっていた・・・・・・そんな気がした。
「・・・・・・確かに知っていました。だけど、左眼なんか使わなくたってエーレさんが助けに来てくれることくらい・・・・・・私には分かっていましたよ。・・・・・・だって、エーレさんが私のこと大好きなの知ってるから」
私がニコッと微笑むと、エーレさんはそっほを向いてしまった。
そして、エーレさんは僅かに聞こえるような声でぼそっと呟く。
「貴方のそういうところは・・・・・・もっとずるいわ」
耳を真っ赤にしたエーレさんは煩悩を振り払うかのように頭を左右に振ると、ケルミエールに突撃し、
エーレさんは敵の足元を狙うように真横に剣を振り抜くが、それをケルミエールは難なく角でガードする。
「――っ!?はああああああああああああああっ!!」
それから切りつける度に速さと威力が上昇していくエーレの剣による剣舞がケルミエールを襲う。それに対し、ケルミエールは防戦一方に見えたが、よく見ると鹿の皮膚や角は全く傷ついておらず、殆どダメージを受けていないように見えた。
「もしかして、エーレさんの攻撃を全て角で受け流してるの!?」
ガンロックの岩をも砕くエーレさんの剣撃で傷を負わないわけが無い。
剣を振る度にエーレさんはその白い髪を靡かせ、輝く汗を散らす。
エーレさんの剣撃を受け流していただけだった、ケルミエールが大きく右脚を上げる。
ケルミエールはそのまま地面を強く踏みつけ、大地を揺らす。
衝撃によってエーレさんの体が宙に浮き、そこに大きな隙が生じる。
「――しまった!?」
ケルミエールは回避不可能となったエーレさんを狙い、角を勢い良く横に薙いだ。
エーレさんは咄嗟に剣でガードするが、振り抜かれた角の強烈な一撃はエーレさんを真横に吹っ飛ばした。
吹っ飛ばされたエーレさんは燃えて炭と化した大木をへし折り、地面を勢いよく転がった。
私はエーレさんの元に急いで駆けつける。
「大丈夫ですかエーレさん!?」
すると、エーレさんはすぐに立ち上がったが、エーレさんの左腕は力を失ったように垂れ下がっていた。
「やってくれるわね。左肩が外れてしまったわ」
そう言うとエーレさんは右手で左肩を無理矢理はめ込み始めた。
「いづっ!?」
エーレさんは一瞬顔を歪めたが、はめ終えると左肩をぶんぶん回し始めた。
「・・・・・・これなら、まだ戦えるわね」
そう言うとエーレさんは歩き出した。
「あの、私も戦います!」
私は再びケルミエールの元へ向かうエーレさんを呼び止めた。
エーレさんは足を止め、振り返ると優しく微笑む。
「そう?なら、援護射撃をお願いするわ」
「はい!頑張ります!」
やったー!エーレさんに頼られた!
私は拳をガシッと固め、ガッツポーズを決める。
「そういえば、さっきの冒険者はもうとっくに逃げたようね」
エーレさんに言われて辺りを見渡してみるが、確かに冒険者の姿は見当たらない。
「そうみたいですね。でも、無事なら良かったです」
私がそう言って微笑むと、エーレさんは怒りを孕んだ顔になる。
「良くないわよ。街で見つけたら絶対、金品を巻き上げてやるわ」
「あはは・・・・・・」
エーレさんは根に持つタイプなんだなあ。
「それじゃあ行くわよ・・・・・・準備は良いかしら?」
エーレさんは戦闘態勢に入る。私は急いで弓を準備する。
「はい、準備バッチリです!」
私が言うや否やエーレさんはケルミエールへ一直線に駆け出す。
私は周り込むようにして移動を開始した。
灰色になった樹木の間をするすると抜け、ケルミエールの背後に回る。
もう既にエーレさんはモンスターとの戦闘に入っており、一進一退の攻防戦を繰り広げていた。
私は援護射撃をする為、火事の被害を受けていない領域まで下がる。
「この辺りは燃えてなさそうかも・・・・・・」
傍にあった高くそびえる大樹の表面を手でぺたぺた触る。木の表面はボロボロと崩れることはなく、頑丈でしっかりしている。
私は大樹に足をかけ、ジャンプを繰り返し、木を駆け上がった。
「うん!視界は良好だね・・・・・・」
木々は倒れ、木の葉は焼け落ちているので視界を遮る障害物は少なく、獲物を狙うには絶好の場所かもしれない。
視線の先では今でもエーレさんが一人で奮闘している。
エーレさんは正面から突っ込み、振り抜くと思いきや直前で右方に跳ぶ。右脚で切り替えし、鹿の右腹部に一閃。ケルミエールはジャンプして回避したが、その腹部からは赤い血が滴っている。
エーレさんの高速フェイントには流石のケルミエールでも反応が数瞬遅れたみたいだ。
だが、ケルミエールは傷を気にする素振りは見せない。それほど傷が深くなかったのだろう。
その後もエーレさんはケルミエールを錯乱させるべく、周りを高速で駆け抜けながら攻撃を挟むヒットアンドアウェイに切り替えたようだ。
これだと《アイオロス》の効果を最大限に発揮することはできないが、ダメージを重ねることはできる。
『ィィィイイイイイッ! 』
ケルミエールはエーレさんの素早い動きに反応し、カウンターで角を突き出すが。
エーレさんはそれを
『――――――――』
今のは流石に効いたようで一瞬だけモンスターは体をよろけた。
その時はエーレさんがこちらをチラッと一瞥した。
その顔はむくれている。
どうやら、「早く援護射撃しろ」ということらしい。
すっかりエーレさんの戦闘に
私は急いで背中の矢筒から矢を取り出した。
今度は一本。
エーレさんがモンスターを錯乱してくれている今なら一本でも当たるし、弦の反発力も集中するので、先程よりも威力はある。
後は私が外さなければ良いだけ!
私は弓をつがえた。
エーレさんとモンスターと自分の動きを計算する。
エーレさんがケルミエールの左尻部を切り上げようとし、ケルミエールはそれを横に跳んで回避する。回避地点は私から見て右から三番目にある損傷があまり酷くない樹木の側。狙いはケルミエールの右目。
弓を標的の未来位置に向けて、時を待つ。
八、七、六・・・・・・。
弦がキリキリと音を立てる。
四、三、二・・・・・・一。
私は掴んでいた矢を離す。
風の抵抗までも軌跡と化し、計算し尽くされた私の矢を止めるすべは何も無い。
放たれた矢は空を裂き、私が
『キアアアァァァァァァッッッ!?』
左目の光を失ったモンスターの悲痛な叫びが辺りに広がった。
クライストは自分の矢が狙い通り当たったことを見届けると矢を放した腕を下ろす。
そしてすぐに、ふふんとドヤ顔を決めた。
「・・・・・・・・・・・・私って、天才」
べ、別に誰も見てないから恥ずかしくないもん!
一度外した視線を元に戻す。隙を晒したケルミエールをエーレさんが幕無しの剣撃を浴びせ、真っ赤な鮮血の華を咲かす。
その姿はまるで舞台で華麗な踊りを魅せる舞姫のようだった。
鹿の肢体を斬りつける度に《アイオロス》の効果で力と速さが共に上昇していく。
『ィィィイイイアァァァオオオォォォォッ!』
大森林の中をモンスターの金切り声が響き渡る。
一体どのくらい連撃を重ねたのだろうか?
既にエーレさんの動きを捉えることはできなくなり、エーレさんの軌跡は幾重にも重なり過ぎて紐解けられなくなっていた。
そこでピタッとエーレさんの動きが突然止まる。
あれ?どうしたんだろう?
不思議に思いつつ、離れた所からエーレさんの様子を伺っていると、エーレさんはふらふらと揺れ、次には自らの肩を抱くようにして膝つき、横に崩れた。
「エーレさんッ!?」
私は急いでエーレさんの元へ駆け寄る。
地面に倒れ伏したエーレさんの額には大量の汗が滲み、苦悶の表情を浮かべている。
「うう・・・・・・っ!?」
「大丈夫ですか!?エーレさん!!」
エーレさんは全身を痙攣させ、身体を襲う激痛に必死で抗っている。
まさか、これがエーレさんの言ってたキャパシティオーバー?
でも、なんで?
エーレさんは後先考えずに行動するような人じゃない気がする・・・・・・。
たぶん、エーレさんが勝負を急ぎ過ぎたんだ。
森の王は同じ手が通用するような相手じゃない。きっと、この先大きな隙を作ることは不可能だとエーレさんは考えたんだろう。
だから、エーレさんは私の作った唯一の隙で勝負を決めるつもりだった。だが、ケルミエールの生命力がエーレさんの予想をはるかに上回ってしまったんだ。
「・・・・・・げて」
エーレさんが掠れた声音で何か言う。
「え?何ですか?」
私はエーレさんに耳を傾けた。
「に・・・・・・げて・・・・・・」
エーレさんはそう言うと震える手で私の手を握る。
「はや・・・・・・く」
エーレさんの言葉の意味を悟った私はハッとなって後ろを振り返る。
そこには体毛を血で汚し、傷だらけになったケルミエールが片方だけとなった空色の眼で私を見下ろしていた。
「――しまっ!?」
次の瞬間、ケルミエールはその鋭い角でその場にあったのものを全て薙ぎ払った。
私はエーレさんを抱きかかえたまま抉られた地面ごと弾き飛ばされる。
「――うっ!?」
背中から地面に激突し、勢いそのままに草原の上を転がった。
身体が回り終え、ゆっくりと目を開ける。
目の前には額に汗を浮かべ、労しい表情をしたエーレさんがいる。
私はゆっくりと立ち上がると。
「――いづっ!?」
右腕に傷ができており、服の下から血が滲んでいる。きっと飛散した土砂が気づかぬうちに腕を掠めていたのだろう。
しかも着地の時、背中を強くぶつけたから、さっきからジンジンして痛い。
今、ケルミエールに来られるのはまずい。
私はひとまず近くにある大木の裏に隠れることにした。
エーレさんの脇に手を通し、引きずって木の裏まで運ぶ。
「エーレさん大丈夫ですか?」
私は仰向けに寝かせたエーレさんの隣で正座になり、顔を覗き込む。
(全然大丈夫じゃなさそうだ・・・・・・)
背負っていたバックからポーションを二本取り出していると、エーレさんはゆっくりと口を開いた。
「クライスト・・・・・・私を置いて・・・・・・貴方だけでも逃げて・・・・・・・・・・・・ね?」
全身を痛みで蝕まれたエーレさんは無理矢理笑顔を作る。
なんで、そんなこと言うの?
私達はパーティーでしょ?
友達でしょ?
なんで私を頼ってくれないの?
友達なら、もっと私を頼ってよ!!
私の頬から涙が伝い、流れた雫がエーレさんの頬を濡らした。
エーレさんは優しげな笑みを見せる。
「お願い・・・・・・」
私は唇を強く噛んだ。
――私の気持ちも考えてよ。
「エーレさんのばか・・・・・・そんな口、塞いでやるんだから・・・・・・」
私はリュックから取り出した二本のポーションの栓を抜くと、中の液体を全て口の中に含む。
そしてエーレさんの開いた口を塞ぐように唇を重ね、ポーションを私の唾液と共に流し込んだ。
「んっ、んんんんん~~~~~っ・・・・・・」
エーレさんは目を瞬き、身をよじる体に力が入らないのか最終的にはなされるがままになっていた。
私はまだ口内に残るポーションを押し出そうと舌を出す。すると、私の舌はエーレさんの舌に触れ、自然と絡まった。私は舌を動かし、エーレさんの舌を舐め回す。
エーレさんの口の端を滴が伝う。
エーレさんは最初こそ驚きの顔を見せたが、抵抗する素振りはなく、甘い嬌声を漏らす。
「んぁっ、んむぅ、はぁ・・・・・・ぁん」
私はゆっくりとエーレさんから唇を離すと、透明な糸が舌から伸びた。
頬を紅潮させたエーレさんは肩を上下に揺らしている。
きっと、少しは痛みも引いただろう。
「立てますか、エーレさん?」
私はエーレさんの手を取り、立ち上がらせようとしたその時。
『ファァァアアアアッッッ!!』
突如、モンスターの
そこで私は目を見開く。
ケルミエールから放たれた風の広範囲魔法攻撃が地面削りながら螺旋状に渦を描き、一直線にこちらへ向かってくる。
紅の瞳を縦横無尽に動かすが何処にも回避する軌跡が見当たらない。
「せめて、エーレさんだけでも・・・・・・」
そこではっと気付く。
これから私がやろうとしていることはさっきのエーレさんと何一つ変わらない。
自分で言ったことが返ってくる・・・・・・まさにブーメランだ。
自己犠牲の果てに得るものなんて何も無いことを分かっていながら、それでも私は自らを犠牲にエーレさんを助けようとしている。
自分がやられて嫌なことを友達にもするなんて、やっぱり私は嫌な女の子。
私は拳を強く握りしめたが、それをすぐに
でも、これでおあいこだよね。
私はエーレさんを庇う為、抱き締めようとすると、握っていたエーレさんの手がするりと私の手から抜けた。
「え・・・・・・?」
そのまま立ち上がったエーレさんは、私の前に出て、迫り来る暴風と対峙する。
そこで私はエーレさんの顔を見て驚きの声を漏らす。
その顔には以前ガンロック戦の時に見た。赤い紋様がエーレさんの左眼を中心に広がっていた。
けれど、今はそんなことはどうでも良かった。
「不甲斐ない所を見せたわね、クライスト・・・・・・もう大丈夫だから」
そう言うとエーレさんは両手で剣を構えた。
「エーレさん・・・・・・」
嘘だ。いくらポーションを二本飲んだって、あれだけ酷い状態だったのに大丈夫なわけがない。証拠に今だって、足が震えたままだ。今は立つのもやっとなのだろう。
だけど、後ろから見たエーレさんの横顔はすごく真っ直ぐで凛々しい。
だから、私は今できる精一杯のことをしよう。
「エーレさん!!が・ん・ば・れーーーーーー!!」
エーレさんは一瞬だけ笑みを見せるとすぐそこまで迫ってきている荒れ狂う風に突っ込んだ。
「あああああああああああああああッッ!!」
幾重もの漆黒の一閃を描き、次々に風を弾き飛ばしいく。
捌ききれなかった風は刃と化し、エーレさんの太ももや腕を斬り裂いたが、エーレさんはそれを気にすること無く、一心不乱に剣を振り続けた。
やがて風は徐々に威力を落としていき、とどめにエーレさんが漆黒の剣を真横にふり抜くと、風は霧散して頬を撫でるそよ風へと変わっていった。
「はぁはぁ・・・・・・」
エーレさんは魔法を防ぎきると、地面に剣を突き刺す。
「・・・・・・もう大丈夫だから」
「――ッ!!」
私はエーレさんに抱きついた。
顔を上げると、エーレさんと目がバッチリ合う。その顔から紅く浮かび上がった紋様はまだ消えてなかった。
「エーレさん、また赤い紋様が・・・・・・」
「貴方もね。・・・・・・でも平気よ。別に異常が出てるわけでもないし・・・・・・それになんとなくだけれど、これはそんなに悪いものじゃない気がするの」
エーレさんはそう言って私の左頬を撫でた。
「そうですかね・・・・・・」
「そうよ。それにまだ・・・
エーレさんの目線を追うように前を向くと、その先には私たちを殺し損ねたケルミエールが歯をぎりぎりと鳴らし、敵意を剥き出しにしている。
すると、ケルミエール大地を蹴りつけ、蛇行しながらこちらに向かってきた。
そして右に跳んだかと思うと、足を素早く切り替えして、その巨躯でこちらに体当たりする。
だが、ケルミエールの攻撃の流れを軌跡で
エーレさんはその後、ケルミエールを迎撃に向かい。私は矢をつがえる。
隙を軌跡を確認して隙を探るが見つからない。
けれど、さっきの攻撃を見て分かった。明らかに森の王の動きは鈍っている。必ずチャンスは訪れるはず。
エーレさんはケルミエールを猛攻を躱しつつカウンターを狙うが、そのほとんどが防がれてしまう。
当たった攻撃も浅い。
エーレさんの動きもかなり鈍っているみたい。
すると、ケルミエールに動きがあった。
緑銀鹿はエーレさんから一旦、距離を取ると口から碧色の
何が起こるか分からないけれど、霧を吐き出しているこの瞬間は隙だらけなので、足を狙って矢を射った。
矢は真っ直ぐ飛び、足に命中するが、モンスターは動く気配を感じられない。
なんだか嫌な予感がする。
私は鹿が無防備な今のうちにできるだけ矢を射った。
エーレさんは警戒の色を強め、近づこうとしない。
この場においては、遠距離攻撃のできる私が適任だろう。
やがて、ケルミエールは全ての霧を吐き終える。
状態異常の
ケルミエールを注意深く観察していると、その姿が消える。
あれ?何処に消えた!?
周囲に首を巡らせると、背後から石が転がる音がした。
バッと後ろを振り向くが、そこにあるのは燃え尽きた木々とその先に続く青々とした緑のみ。
一つ違和感を覚えたのが、眼の前を通る風の軌跡が不規則だったこと。
それでも何もないことに安心し、そっと胸を撫で下ろす。
再び前に向き直った瞬間。
背中を激しい衝撃が襲った。
「――ッッッ!?」
私は勢いよく吹っ飛び、ゴロゴロと転がる。
「クライスト!?」
エーレさんはすぐさま、私の元へ駆け寄って来る。
「エーレさん!来ちゃダメ!」
私が叫んだ次の瞬間、エーレさんは大きな打撃音と共に横に飛ばされ、木に激突する。
「――――ぐっっ!?」
エーレさんはすぐさま立ち上がるが今度はお腹に一撃を貰い、宙を舞った。
宙を舞った私の頭に一つの可能性が
「――これは【
けれど、ギルドにもこんな情報は一切無かった。
いや、考えてみればそれもその筈だ。
今までこのモンスターを倒した人間は史上に一人だっていない。
この魔法を知った冒険者は皆、一人残らず消されたのだろう。
ただでさえアホみたいに強いこのモンスターが透明化まで使うなんて・・・・・・他の冒険者達が勝てないわけね。
だけど、私はそうはならない。
だって、クライストがいるもの。
私は吹き飛ばされながらも、クライストの方を向く。
「・・・・・・貴方の力、貸して
私は灰だらけの地面を這いずりながら、宙を舞うエーレさんを見た。
エーレさんがこちらを向く。
その時、唇が動いたのを私は見た。
「・・・・・・貴方の力、貸して頂戴」
その声は耳には届かなかったが、ちゃんと伝わった。
私の力を貸す・・・・・・いったいどうすれば?
そこで私は一つの可能性に思い当たる。
私とエーレさんに広がるこの紋様、左眼を中心に広がっているのは偶然か・・・・・・いや、必然だ。
さっきエーレさんも悪いものではない気がするって言ってたし、やってみる価値はあるかもしれない。
私は左頬を手で触れると、詠唱を紡いだ。
「【
左眼を中心に広がる
それはエーレさんも同様であった。
吹き飛ばされていたエーレさんは華麗に回ると、スタッと着地を決める。
その時、気づいた。
エーレさんの左眼が透き通る蒼色から私と同じ
「景色がいつもと違うわね・・・・・・」
私の視界は二つに分断されていた。一つはいつもの私の眼から通してみる景色。
もう一つは視野の全体が紅く染まり、遠くから自分を映した景色。
二つ目はクライストの視点ね。
なるほど、この紋様は『龍の紅眼』の保持者・・・・・・つまりはクライストの左眼を共有するためのものだったのね。
この紋様の発動条件はやっぱり、
「き、きききき・・・・・・キスかしら?」
思い出しただけで、顔が熱くなる。
自分が恥ずかしがっているところをクライストの眼を通して自分で見てしまい、更に顔が熱くなるのを感じた。
「・・・・・・タチの悪い力ね」
日常でこの能力は絶対に使いたくないと心から思う。
今はそんなこと考えている場合じゃなかったわね。
クライストの眼を通してケルミエールの姿を探す。
ケルミエールの姿は見つからない。
だけど、風などの軌跡を見ることができた。
あまりの情報量の多さに頭が割れそうになるが、今はそんなことに構っている暇はない。私は再び顔を上げる。
すると、視線の先で見えない何かが風の動きを邪魔している所があった。
きっとあれがケルミエールの居場所。
私は蹴った足で地面を爆散させ、その場所へ一直線に疾駆した。
その時、ケルミエールを
ケルミエールは突撃する私に対し、角を横に振り、迎え撃つつもりなのだろう。
だが、そんな攻撃は今の私に通用しない。
私は身体を大きく
『オオオオオオオオオオオオオッッッ!?』
切断された腹部からは血が噴き出し、モンスターは叫声を上げる。
致命的なダメージを受けたケルミエールは魔法が解けてしまい、その姿を再び現した。
ケルミエールは怒りに
だが、エーレさんはそれを難なく躱し、私は次から次へと剣撃を浴びせていった。
先程までは当てることすら難儀だったのに、確実にモンスターの攻撃と防御を読むことができるようになり、容易く攻撃が決まっていく。
ケルミエールは自らの血で身体を真っ赤に染めており、ツヤのある緑銀色だった鹿の肢体は見る影もない。
――もうすぐ殺れる。
エーレが手応えを感じ始めたその時だった。
ケルミエールはその巨躯を反転させ、森の奥へと逃げ出した。
「――待て!!」
足を引きずりながらもケルミエールは必死に大地を蹴る。
私は逃がせまいとその背を追いかける。
左眼には自分とケルミエールの後ろ姿がしっかり映っている。
少し離れてはいるが、クライストもしっかり後ろに着いて来ているみたいだ。
きっと離れ過ぎると、左眼の共有が切断されると思い、自分の身体にムチを打ち、無理して追いかけて来たのだろう。これが終わったら好きなもの沢山食べさせてあげよう。
灰にまみれた林道を抜けると、景色は樹木の生い茂る豊かな自然に変わった。
すると、辺りに淡い光粒が漂い始めた。
周囲に溢れかえる極小の光粒は何かに引っ張られるようにして前方に流れていく。
その光粒が流れ着いた先はケルミエールの角。
一帯に広がる光粒が森の王の角に集束し、輝きを放っていた。
そこで、全てを悟った。
ケルミエールは逃げ出した訳じゃない。
むしろその逆・・・・・・森の王だけが所有する唯一無二の必殺奥義【エルフェンス・キャリバー】で、ここら一帯ごと私達を
――ならば、撃たれる前に殺る!
私は自分の身体の悲鳴を無視して、走る速度を加速させる。
とどめを刺すにはケルミエールが【エルフェンス・キャリバー】のチャージを終え攻撃が、放たれる瞬間に生まれる一瞬の隙をつくしかない。
攻撃のタイミングを軌跡を追って確認する。
アクションを起こすのは今から二十秒後、ケルミエールがチャージを終え、こちらを振り向いたその瞬間だ。
残り十秒。
私は更に速度を上げ、ケルミエールの背後に追いついた。
残り、四、三、二、一。
私はモンスターの頭上に跳躍しようと、地面を蹴りつけたその時、
「――ッッ!?」
私はタイミングを僅かにズラし跳躍する。
身体を翻したケルミエールは光粒を集束させた一撃を放つ為、角を振り上げる。
(駄目だ、間に合わない!!)
私が諦めかけた、その瞬間。
一本の矢が空気を灼き、【インビジブル】発動直前に予め足に刺しておいた矢に一寸の狂いもなく直撃し、元々あった傷口を更に深く抉った。
その強烈な痛みにケルミエールは顔を歪ませ、バランスを崩す。
そして、その隙を見逃さなかった私は剣を縦に振り下ろし、漆黒の一閃がケルミエールの首を駆け抜けた。
「~~~~~~~~~~~~~ィィァァッッ!?」
首から血飛沫を噴き出したケルミエールは声にならない断末魔を上げ、崩れるように倒れた。
「・・・・・・ちゃんと矢が当たって良かった」
エーレさんがケルミエールの首を斬り裂いた光景を見て、私はそっと胸を撫で下ろす。
「やっぱり、エーレさんはかっこいいな」
そう言って私は動かなくなったケルミエールの傍で剣を握り、立ち尽くしているエーレさんの元に駆け寄った。
「エーレさーーーーーんっ!!」
私の声に気がついたエーレさんは顔を上げ、こちらに振り返ると、柔らかな微笑みを私に向けた。
「・・・・・・ありがとう、クライスト」
エーレさんは言い終えると左眼から血の涙を垂らし、そのまま地面に倒れた。
「ふふ、どういたしま・・・・・・エーレさん!?」
私はエーレさんの傍まで寄ると、その体を抱き起こした。
「エーレさん、エーレさん!?」
いくら呼んでも、返事が無い。
私はエーレさんの胸に手を置き、耳を口元に近づけた。
心臓はちゃんと動いてるし、呼吸も問題ない。エーレさんはただ意識を失ってしまっただけのようだ。
きっと【
「とりあえず、ここから抜けて街に戻らないと」
私はリュックに入っていたポーションを二本飲み干し、自分の傷と体力を回復させる。
そして残りのポーションを全てポケットにしまった。それからケルミエールの角を剥ぎ、それに紐を結ぶとそれを自分の手首にくくりつけた。
「・・・・・・これで良しっと」
結構な大荷物なので余分なものはその場に置いていくことにした。
私はエーレさんをおんぶして、紐に繋げた角を引きずりながら、ここを後にする。
日は既に傾き始め、ジャスミンの大森林の中をオレンジ色が照らす。
「日が沈むまでにここ抜けられるかな」
私はモンスターが出ないことを祈りながら、森林の中を足を休めることなく進んで行った。
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