第3話「父から息子へと紡がれていく誇りと絆」


 母親が事故を起こしてから父親は今まで勤めていた会社の仕事の他に掛け持ちをいくつもこなし、ほんの僅かなギリギリの生活費だけを残しその給料の大半を被害者家族のもとへ毎月送金していた。


 父親の知人や兄弟はその姿勢に最初は感心していたものの、数年と経過していくうちに逆にそれを咎めるようになっていた。


「あの事故はお前の嫁が個人的に起こしたものだろう?いつまでそんな生活を続けるつもりだ、望の立場やこれからのことも少しは考えてやれ!!」


 つまりは『もう義理は果たしたじゃないか』と言いたかったらしい。いつまでも責任を負い続けることは褒められることではない、と。


 基本的に口数の少なかった父親はこれといって反論することはなかったが、その人たちが帰ってからはいつも自分にだけ心のうちを明かしてくれた。


「俺が今の贖罪を止めるということは、責任を放棄するということだ。それは俺にとっても望にとって母さんが母さんでなくなってしまう。俺やお前が胸を張ってあいつのことを母さんと呼べるのはその責任を背負って担いでいるからこそなんだ」



 誇らしかった。


 父親からその想いを聞くたびに、父親が責任を負い続けることで母親のことを優しいお母さんとして思い返すことができた。



 もちろん、生活はかなり厳しかったし小遣いや誕生日プレゼントなんて無くて当たり前だった。でも、ちゃんと学校で必要なものは揃えてくれたし、修学旅行なんかにも行くことが出来た。


 贅沢はさせられないが、最低限を越えての不自由はさせない。きっとそこら辺が父親の定めた線引きだったんだろう。


 事実、感謝こそはしても、俺がそれを不満に思ったことはなかった。



 そのような態度からなのか、最初の頃は飲酒運転死亡事故を起こした家族としてかなり厳しい目で見られることもあったが、時間が経つにつれ近所の人、そして学校の先生や友人からも快く思ってくれることが多くなって、母親が犯罪者だという悲痛な思いを周囲から受けることが少なくなった。



 中学校に上がってからは新聞配達を始めた。


 それは少しでも父親の役に立てればと思ってのことであったが、加害者の家族の家に謝りに行った時に、自分と同い年くらいの女の子のとてもとても悲しい顔が忘れられなかったからでもあった。


 今でも目を閉じればはっきりと脳裏に浮かんでくるその子の瞳。


 今後それを確認する術はないかもしれないが、少しでもあの子の表情が和らぐのなら……自分にとって何ができるかなんて選択肢は選べるほどはない。


 新聞配達をすれば少しでもお金が稼げるから、それでしか罪滅ぼしはできないからだ。



 男子高校に進学してからはバイトをした。


 恋愛なんてもってのほかで、趣味や遊びに費やす余裕もなんてなかったけれど、それでもそれを理解して愛想をつかせずに友人でいてくれた奴らには感謝しかない。


 でも、新聞配達やバイトの給料を父親に渡すときだけは、多少なり意見の食い違いも見られた。


「母さんの起こした事故はお前が責を負うことでは無い」


 度々、差し出した給料を受け取るのを拒まれる。


「じゃあ、なんであの時に俺も一緒にあの子の家に謝りに連れて行ったんだよ」


 卑怯な言い返しだったのかもしれないが、その言葉を言うと父親は必ず給料を受け取った。


「仲間外れにすんなよ。俺は親父が立派だと思うし、母さんのことは今でも好きなんだ。だから俺だけを仲間外れにしないでくれよ」

 

 苦虫を噛み潰す顔をした父親だったが、自分の言葉に良い解釈をしてくれたかどうか確信は持てない。


 自分が父親を誇りに思うように、自分のことも誇らしく思っていて欲しかったと心から願う。

 

 今となってはそれを確認する術はない。



 高校を卒業して老人ホームの介護の仕事に就いた自分が働きだして数ヶ月後に父親は過労で死んだ。


 あれほど掛け持ちの仕事をしていたのだから、無理もないと思う。


 あの世で母さんと幸せに暮らしているのなら、本望ではないだろうか。そう思えることがせめてもの救いだった。


 

 父の想いを受け継ぐと既に決心していたので、父親が被害者家族に送金していた金額と同額を稼ぐ為に残業を増やしてもらうように上司に頼み込んだ。


 介護の現場は人手不足だったので、休日返上で欠員のシフトに入れてもらうのは簡単だったが、自分の父親が過労死したこともあって、上司は過労死認定される80時間を超えての残業は許してくれなかった。


 それでも、送金しながら自分たちの食い扶持も稼がなければならなかった父親と違って、自分は独り身だ。


 ギリギリだけれど掛け持ちせずともその金額を稼ぐことが出来た。



 そして自分が父親の代わりにお金を振り込んだその数日後、自宅へ訪問者が来た。


 車椅子に乗った中年女性と付き添いの看護婦。


「すみません、まずはあなたのお父さんのお仏壇を拝ませては頂けないかしら」


 誰だかわからない人から突拍子もなく告げられたことに対して肯定する返事くらいしか出来なかったが、父親の写真の前でブツブツいうその人の姿をみているうちに、ひょっとしたら……と思い当たる人物像が頭に浮かんだ。


 もしかしたらあの時の被害者の母親ではないだろうか。


 もし、そうだとしたら……と、額から冷や汗を垂らしながらその人を注視する。


「私と娘が父親を失ったのは貴方のお母さんの責任かもしれませんが、私自身が命を存えて娘の一人立ちを見届けられたのは貴方たちのおかげなんです」


「不治の病にかかった私が高額な治療を受けられて延命できたのは、貴方たちがお金を送ってくださったお陰です」


 父親には言っていたらしいのだが、そんな事実を知らなかった自分はただただ驚愕しかなかった。


「保険が適用されるようになったので、すぐに貴方のお父さんに送金を止めて頂くようにお願いしたのだけれど、『自分たちが救われる為に自分が元気な内はどうかこれからも受け取って下さい』と言われて返す言葉も無いままに受け取り続けてしまいました」


「貴方のお父さんが亡くなったことを知ったのは、急に振り込み名義が貴方のお名前に代わっていたので、どうしてだろうと、交通事故の際にお世話になった弁護士の方に調べてもらって初めて訃報とわかったからなのです」


「貴方のお父さんが過労で亡くなったのは、贖罪し続けることをちゃんと断れなかった私の責任です。もしも、貴方がお父さんの代わりに未だ送金するつもりでいるとしたら、私にはもうそれに耐えることができません!」


 そう言ってその人は、通帳と印鑑を差し出しながら言葉を続けた。


「これは私の治療費の残りです。正直申し上げますと、もう病の薬も効かなくなっていて、私の余命は幾ばくもないのです。私たちのことを本当に想っていただけるのならば、どうか送金は止めてどうぞこれを受け取ってください」


 なんとか必死に頭の中を整理して、彼女の想いをきちんと汲んだ上でゆっくりとそれに答える。


「わかりました。しかし、親父が残したお金は親父の想いです。そのお金が在るうちはどうか送らせてやってください。親父の想いを受け取ってやってください。それまではその通帳を預かっていてはいただけませんか」


 看護婦に体調を心配されたこともあって、その人は通帳と印鑑を持ったまま渋々家を後にした。



 自分はその人の眼をジッと見つめながら嘘をついていた。


 僅かな生活費を除いて稼いだ分の全てを毎月送金していた父親に貯金など在りはしなかった。


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