第9話

 目が覚めると天井が見えた。木目の入った日本ではありふれた天井。ぐるりと辺りを見回せば色々なものが置かれていて、ここが物置として使われていたであろうことが分かる。ここは笹川骨董店の二階だ。俺は敷布団に入れられて寝ていたようだった。時刻は夜だ。体が重い。なんだか随分疲れているような感覚だった。なんでこんなことになっただろうかと頭を巡らせてみる。そしてこんなことをしている場合ではないことを思い出した。

「やばい!」

 俺は勢いよく体を起こす。イオがあいつらに捕まったのだ。早く助けに、いや、まず涼子さんに報告したほうがいいのか。

「具合はいかが、春太君」

 と、ふすまを開けて涼子さんが入ってきた。絶妙のタイミングだった。どこかで見張っていたのではないかと思われるほどだ。

「見張ってたんじゃないかって思ってるでしょ。案の定そういう結界は張ってたわ」

 涼子さんは俺を見透かしたように言った。

「な、なんでそんなことを」

「あなたが暴走状態になってたから。起きてすぐまた暴走しないか監視してたのよ」

「暴走?」

「まだ、頭がはっきりしないかしら。意識が途切れる直前の状況を思い出してみて」

「あ・・・」

 そう言われて、俺は頭がぶっ飛びそうな感情の渦に飲み込まれたことを思い出した。あの時のことはあまり記憶に残っていない。あまりに頭の中が真っ白でなにも記憶に残らなかったのだ。ただ、暴れていたことだけは分かっている。

「あ」

 そして、体を見るとまだ怪物のままだった。イオの契約が薄れているのだ。

「あの、なにかけが人とか出たりしてないですよね」

「ええ、そこは安心して。あなたの最後の自制が働いたからなのか、あなたが暴走して暴れたのはあのビルの周囲だけ。目撃者も少なかったから大きな騒ぎにもなってないわ」

「良かった・・・・。俺は、何をされたんでしょうか」

「アザムヤゼムがあなたの中に混じっている自分の細胞の活動を増幅して制御不能の状態にしたみたいね。止めるのは本当に骨だったわ」

「それは本当にすいませんでした」

 俺は頭を下げた。

「あの、イオはどうなりましたか」

「まだ連中に捕まってるわ。儀式の核としてね」

「儀式の核? 良くわからないけど早く助けなきゃ!」

 俺は立ち上がって部屋を出ようとする。幸い、少し体が重い程度でそれ以外はどうということはなかった。そんな俺を涼子さんが制する。

「待ちなさい。あなたが行ってどうこうできると思うの? また、アザムヤゼムに暴走させられて何もできないのが関の山よ」

「・・・・・・っ」

 確かにそうだ。また暴走したら戦闘不能になってイオを助けるどころではなくなってしまう。同じことの繰り返しになるだけだ。でも、どうしたらいい。どうにかしてイオを助けなくてはならないのに。

「落ち着きなさい春太君」

「でも!」

「そうね、なら現状の整理をしましょうか。ついでにイオちゃんの過去についても触れなくてはならないでしょうね」

「イオの過去?」

「ええ、連中が行っている儀式というものにはイオちゃんの過去が深く関わっているから。とりあえず下に降りましょう。暴走はもう心配なさそうね」

 そう言って涼子さんはパチンと指を鳴らした。カキンと何かが外れるような音が壁からした。見えない結界が解けたのだろうと思われた。

「さ、行きましょう」

 俺は涼子さんに続いて階段を下りた。



 下に降りると涼子さんはコーヒーを一杯淹れてくれた。

「笹川スペシャルブレンドよ。お気に召すといいけど」

 コーヒーは実にいい匂いだった。一口飲むと、なんというか深みのある苦味の中にほのかな酸味を感じた。美味しかった。美味しいということを感じるとどこか我に返ったようで、俺は少しだけ落ち着きを取り戻した。

「それで今イオは。それから連中は何をしようとしてるんですか。もう、『扉』を作る必要はなくなったって言ってました」

「ええ、もうあいつらは『扉』を開く必要はない。彼らは『鍵』を手に入れたから」

「『鍵』ってなんですか」

 『扉』の次は『鍵』か。

「『鍵』はその名のとおり『門』を開くための鍵よ。それがあれば『扉』なんてなくても『門』を開ける。それがイオちゃんなの」

「どういうことですか」

 少し突飛な話だ。今まで『扉』は魔法陣で、人か魔族が動かして起動させていた。『扉』を作ることで『門』は開く。そこに『鍵』という新しい方法だ。そしてイオが『鍵』だという。全然イメージが沸かない。

「『鍵』は本来はなんらかの道具であることが多いわ。イオちゃんみたいに魔族が『鍵』の役割を担うことなんて本来は有り得ない。『鍵』は因果律の塊。『門』に縁のある物品に関わる因果律をさらに強く、濃くすることによって強制的にあちらとこちらつなぐものなの。その因果律のいわば加工は意志を持つ生物では有り得ない。それ用に用意された道具に、様々な工程を経て属性を付加してようやく完成するものなのよ」

「すいません。ちんぷんかんぷんです」

 もはや涼子さんの言っていることの一割も理解出来ていなかった。

「まず、因果律が良く分かりません」

「そうねぇ、つまるところ何かとなにかの関わりと言ったところかしら。例えばここであなたと私が話している。この状況がすでに一つの因果律。そして私はあなたを若さに満ちてて羨ましいと思っている。この感情もまた一つの因果律。そしてあなたとイオちゃんが事件をきっかけに付き合うようになった。この関わりもまた因果律」

「はぁ、なにかとなにかの関わりですか」

 なんとなく分かったような分からないような感じだった。

「つまり『鍵』は『門』との関わりがとてつもなく深い道具ということなの。『門』が開いた場所で作られた。『門』を開いた人間が身につけた。『門』を開くためのものだとあらゆる人が注目した。そういった『門』に対する関わりを、何万、何億と重ねがけすることでようやく完成するものなのよ」

 なんとなくだが分かったような。とにかく、この上なく『門』のためにだけ存在しているような、そういう感じのものだということだろうか。そういう特殊な道具を使うことで『扉』なしで『門』は開かれるということか。

「でも、そんなものは向こうとこっちをあわせても数える程しか数はない。だから魔族は門を開こうとするとき『扉』を作るという、より簡単な方法を選ぶのよ」

「ふーむ。それで、どうしてイオは『鍵』になれるんですか。なんかすごく作るのが難しいみたいでしたけど」

「そうね。一つはイオちゃんが『門』を開いたことがあるからなのよ」

「はぁ!? イオは『門』が開くのを止めるためにこっちの世界に来たはずでしょう。あいつがそんなことするなんて有り得ない」

 イオは確かに『門』を開くのを止めようとしていた。こちらの世界を救おうと動いていた。それに『門』を開くということは『古き母』とやらがこちらに来て世界が滅ぶということだ。そんな極悪非道なことをする奴では決してなかった。短い間の付き合いだがそれだけは確信できた。

「それがイオちゃんの過去に関わる事実。それは次に説明するわ。とにかくそういう事実がイオちゃんを『鍵』たらしめる要素の一つ。イオちゃんは『門』に対する一つのそして大きな因果律を持っている。でも、それだけじゃ『鍵』になるには弱いの。でも、それを乗り越えるもうひとつの要素がある。それが、あの男、『呪術師』棘よ」

「あの陰気なおっさんですか」

 確かにイオはあいつを『呪術師』と言っていた。そしてひどく警戒、いや怯えていた。あんな風に自分の心をえぐる術を使うからだろうと思っていた。

「そう。あの男は『呪術師』。『呪術師』は魔術師とは違うの。彼らはさっき説明した因果律に直接干渉できる稀有な『業師』達」

「どういうことですか」

「あなた、イオちゃんに人間の魔術が効かないのは知ってるわね」

「はい、あいつは魔族だから効かないんですよね。・・・ん?」

 おかしい。そういえばそうだ。あいつの術はイオにちゃんと効いていた。人間の魔術は効かないはずのイオにだ。戦いに必死で気付かなかったがよく考えれば妙だ。

「気づいたようね。そもそも人間の魔術師の術が魔族に効かないのは、魔族が魔力による術に対して耐性があるからなのよ。イオちゃんのように莫大な魔力量を使って魔術を使えば効くわ。でもそれは魔族だから出来ること。人間でイオちゃんほどの魔術を扱えるのはほんのひと握りしかいない。そして棘はそういう術者ではないの。でも、彼の術は確かにイオちゃんには効く。それはやつの術が魔力によるものではないからなの。発動こそ魔力を使うものの術式そのものに魔力は通っていない。彼は因果律を直接操作するのよ」

「因果律を? 人々の関わりをですか」

「そう、彼らのような術者はものや人間に通っている『澪』と呼ばれる因果律の通路を操る、『業師』と呼ばれる高等術者。棘さん達『呪術師』はその因果律を操って、人の精神を攻撃したり、悪い因果律を集めてその人間を良くない方向に向かわせたりする。イオちゃんはその精神攻撃をを受けて敗北したの」

 なるほど。あの灰の流れが『澪』で、それを使ってイオに精神攻撃をしたのか。あんまりだ。なんて奴だ。人の心を弄ぶなんて許せない。

「そして、棘さんはその呪術を使って『門』に関わる因果律をイオちゃんに無理やり集めようとしている。普通では誰かを『鍵』にすることなんて不可能。けれど、『呪術師』ならこの方法を使えば可能なのよ」

 イオには『鍵』に適した『因果律』を持ってはいるが弱い。それを棘が無理やり強化して『鍵』にしようということなのか。涼子さんの口ぶりだとイオが『鍵』になるのは時間の問題のようだ。だが、俺はやはり聞いておかなくてはならないことがあった。

「それで、『門』に関わるイオの過去ってなんですか。あいつが自分の意思で『古き母』とやらを呼び出そうとしたんじゃないんでしょう」

「そうね。それが一番大事でしょうね。これはイオちゃん自身に深く踏み込む話になるわ。イオちゃんに勝手に話したことを知られたら私は二度と会ってもらえないかもしれない。それはあなたも同じことよ。それでもいい?」

 つまり、絶交ということか。俺は少し戸惑った。他人の人生に、尊厳にそこまで踏み込んだことなんて今までの人生で無かったからだ。俺の人生なんて平凡なもので、これといった不幸も幸福もなかった。だから、こんなに他人の深いところに触れることなんてなかった。正直怖かった。今まで守ってきた普通の日常からはみ出すことになるだろう。体はとっくにはみ出してしまったがそれはそれとして。

 しばし、考えて俺はそれでも聞くことにした。

「分かりました。覚悟します。お願いします」

 やっぱり、それでもイオを助けたかった。だから、イオのことを知らなくてはならないと思ったのだ。

「そう、なら話すわね」

 涼子さんはカップに入ったコーヒーを一口飲んだ。

「事件があったのは50年前、ポルトガルのこの街と同じような片田舎の港町。イオちゃんはそこに現界した。単に好奇心のためにね」

 50年前って、じゃあイオが一体何歳なのか気になったが聞かなかった。

「魔術の知識を広げるためにイオちゃんはたびたびこちらに来ていたそうよ。それでイオちゃんは行動した。行動といっても単にいろんなところを回るだけだけど。そうして、ある街にたどり着いた。そこには魔術師が居て、魔術を研鑽していた。イオちゃんはその魔術師から魔術を教わりたかったのね」

 そういえばイオは旅をして魔術を教わっていたと言っていた。つまり、たびたびこちらに来ていたということだった。

「でも、魔術師は魔術を教えてはくれなかった。だからイオちゃんはとりあえずその街に滞在することにしたの。野宿もなんだから宿を取ったのね。そこで一人のおばあさんと知り合った。その宿の主人ね。おばあさんはいい人で、イオちゃんは見た目も人間だから随分良くしてくれた。イオちゃんはその街にいる間ずっとその街に居た。それでどんどんおばあさんと仲良くなった。本当に仲良くなって、孫とおあばあちゃんみたいな本当にそういう無二の関係になった。一緒に食事をしたり、家事を手伝ったり家族のようになった」

 あんまりそういう甲斐甲斐しいイオは想像出来なかった。もっとこう社会性というものが無いようなところはある気がしていたのだ。

「一方でイオちゃんの目的はやはり魔術師に魔術を教わることだったから、毎日足繁く通っていたのね。でも、魔術師はまったく心を開こうとせず、会話さえせずに追い返した。イオちゃんはそれでも負けじと通っていた。そんな風にひと月が過ぎた。イオちゃんは目的を果たすことはなかったけど、それでもその日常を楽しく感じていた」

 のどかな日々だったのだろう。

「でも状況は動いてしまう。イオちゃんが訪ねていた魔術師の手によって」

 涼子さんはまたコーヒーをすする。

「魔術師は『門』を開こうとしていたのよ。魔族と契約していたの」

「そんな。異界の気配があればイオは気づくんじゃないんですか」

「そこは彼の魔術のおかげね。その魔術師は魔力の制御に関してずば抜けた腕を持っていた。だから普通ならどれだけ努力しても残滓が残ってしまう魔力を完全に消し去っていたの。だからイオちゃんは気付けなかった。そして彼らは『鍵』を使って門を開けようとしていた。この『鍵』は普通の道具の方ね。相当なレア物。魔族が魔術師に渡していた」

 その魔術師はアザムヤゼム達のように『扉』の設置なんて回りくどいことをしなかったのか。

「ただし、『鍵』を使うには条件があった。まず起動に莫大な魔力が必要だった。そして、使用者が『最も愛する者』を『生贄』に捧げなくてはならなかった。魔力はなんとかなったけど、魔術師は人間嫌いで『愛する者』が居なかった」

 よほどの変人だったのだろう。俺にはそこまでの孤独は良く分からなかった。

「かといって、普通の人間を脅して使わせようとしても魔力が足りない。魔術師と魔族は困った。でも、そこで一人の心当たりを思い出した。それがイオちゃんだった。連中はイオちゃんに『鍵』を使わせ『門』を開くことにした」

「どうやって。イオが使うはずがないでしょう」

「ええ、普通は絶対に有り得ない。だから魔族はそこでも道具を使った。魔族は魔術師に使った相手を意のままに操る紐を与えた。それは魔族にもちゃんと効く道具でそれでイオちゃんは操られた」

 外でゴロゴロと雷の鳴る音がした。

「そしてイオちゃんは鍵の起動のために『最も愛する人』を、おばあさんを殺した。そして『鍵』は起動し『門』は開かれた。『古き母』の体の一部が現界し世界中のありとあらゆる裏の番人たちが総出で駆けつけた。起動させたイオちゃんも討伐され、7日間にわたる戦いの末にようやく門は閉じられた。それでも街の半分が壊滅し、沢山の人が死んだ。それが50年前の事件。イオちゃんの過去」

 俺は言葉が出なかった。

「イオちゃんは今も良心の呵責に苦しんでいる。自分がおばあさんを、街の人々を殺したのだと」

「そんな、イオは何も悪くないじゃないですか。操った魔術師と、計画を立てた魔族が全部の元凶だ」

「それでもイオちゃんは思っているのよ。自分さえいなければ、と。自分が魔術師に接触しなければ、と。自分が現世に来なければ、と。自分が軽率に行動を起こすことさえなければ、と」

「そんな・・・・・」

「イオちゃんはだから常に人間に後ろめたさを感じている。常に人間に贖罪している。だから自分の全てをかけて『門』を開こうとしている魔族を止めようとしているのよ」

「・・・・・・・」

 俺はどう言えばいいか分からなかった。

「すみません・・・・、なんて言えばいいのか・・・・」

 壮絶な話だった。でも、多分その壮絶さの半分も理解できていなかった。俺は自分の無知さを痛感した。イオが感じた日々の楽しさも、イオの好奇心も、イオの行動もその結果起きたことも、そしてイオの後悔も、想像さえ出来なかった。俺はイオの苦しみを分かってやることが出来なかった。だが、涼子さんは柔らかく微笑んだ。

「君はいい子だね。自分の無知を正直に受け止められるんだから」

「そうなんでしょうか」

「さて、どうかしらね。それも自分で考えましょう。それで、話は終わったわ。それでも助けに行くの?」

「・・・・・・・」

 それも良く分からなかった。

「私は止めるわよ。行ったら死ぬもの。それも何も出来ずにね。それに、私は『管理局』に連絡を送った。おそらく明日の朝には精鋭が何十人と送られてくる」

「『管理局』・・・ですか・・・」

「裏の世界の組織ね。裏の世界の統治とか、こんな風に世界が揺らぐような事態の収拾を受け持ってる組織。あそこの実働部隊ならあの二人を倒し、『門』が開くのを止めることができる。だから待てば事態は解決するのよ。ただ、その場合はイオちゃんの無事は保証できない」

「それじゃダメじゃないですか」

「でも、あなたが死ぬよりはましよ。はっきり言って今の状況はあなたの、そして私の手が届くところにはないのよ。今までだってイオちゃんが居たからなんとかなってたんだから。私はただの異界研究者、そしてあなたに至っては普通の高校生」

「でも、体は魔族です。棘くらいなら倒せるはずです」

「無理よ。行ったらまたアザムヤゼムに体を暴走させられるわ」

「あ・・・・」

 そうか、あいつがいる限り俺はまともに戦うことさえできないのか。

「それに精神は普通の高校生でしょう。世界の命運というものに本当の意味で関わるというのがどういうことか、あなた分かってる? 60億人の命運を、地球の全ての生物の命運を、星の命運をその肩に乗せるというのがどういうことかあなた分かってる?」

「・・・・・・」

 それもまったく分からなかった。家族の命運をとか言われてもどうだか分からないくらいだ。 『世界』と言葉にすれば簡単だがその実像を俺はさっぱり理解していない。何にも分かっていない。

「あとはプロに任せて一般人の私たちは後ろで見守る。それが普通の判断。守るべきは自分の命。そうしたからといって誰もあなたを咎めはしないわ。そういうものだもの」

 大人の判断というやつだろうか。それも分からない。今、俺には何も分からなかった。全てが今までの日常からかけ離れていた。俺が今まで経験してきたありとあらゆる状況から逸脱していた。俺が理解出来ない現象、関係性、感情。俺にはそれらを含めて考えると何が正しいのかさっぱり分からなかった。混乱していた。でも、答えは出さなくてはならなかった。だから答えた。

「でも、俺はイオを助けに行こうと思います」

「なぜ?」

「あいつはいいやつだった。一緒にいて楽しかった。あいつが苦しんでるならなんとかしたい。あいつが死ぬかもしれないなら助けたい。何もできなくても、せめて近くまで行って本当に何もできないんだって確かめたい。ここで、ただ耐えてるだけなんて絶対に嫌です」

 俺は自分の分かる範囲のことで答えを出すことにした。俺が今ままで知っていたことで、あいつをどう思って、今の状況でどうすべきか、どうしたいかを考えたら、やっぱりそうなるのだった。正しいのかどうかはわからなかったが、それが俺の答えだった。

「呆れたわね。本当に死ぬだけなのよ。連中、あなたが近くに来ただけで殺すでしょう。アザムヤゼムなんてあなたを見たらまた食おうとするかもしれないのよ。本当に何にもできない、死ぬだけなのよ」

 涼子さんは厳しい口調で言った。俺は後ずさる。

「た、確かに、それは・・・・・」

 アザムヤゼムに食われる。あの時の苦痛が蘇る。俺には何もできない。涼子さんはそれを重ねるのだ。正直強い決心を伝えれば納得してくれるんじゃないかと甘い考えがあったのだ。俺はうろたえる。

「でも、それでも行きたいです」

 俺はやっぱりイオを助けたかった。

「仕方ないわね。確かにあなただけだと助けられない。だから私も付き合うわ」

「え?」

 涼子さんはそう言った。

「い、一緒に行ってくれるんですか? 涼子さんも死ぬかもしれないんでしょう?」

「そうね、でも確かに私もこのままイオちゃんが死んでしまうのを良しと思ってるわけじゃないもの。それに、私の見立てでは儀式にはそう時間がかからない。『管理局』が間に合わない可能性も十分にあるのよ。大体、乗りかかった船だもの。一緒に行くわ」

「や、やった! 涼子さんがいれば百人力ですよ!」

 俺は喜ぶ。しかし、ふと動きを止めた。いや、百人力なのか? 涼子さんはさっき『ただの異界研究家』と自称したばかりだ。戦闘能力なんてあるのか? そんな俺の一抹の不安を涼子さんは的確に読み取っていた。

「あなた、今私が力になるか疑問に思ってるでしょう」

「い、いやそんなことは」

「いいえ、それは思ってる顔ね。失礼しちゃうわ。確かに私には連中と戦う力はないわ。私にはね」

 涼子さんはニタリと歯を見せて笑った。それはなんというか下卑た笑いだった。いつもの綺麗で凛とした涼子さんからは想像もつかないニヒルな笑顔。俺は少しびびった。

「まぁ、行けば分かるわ。善は急げよ。出発しましょう」

「え、場所はわかってるんですか?」

「ええ、もう探索する必要さえない。恐ろしく魔力の濃度が上がっている場所がある。そこに連中は居るわ」

「どこですかそこは」

「海浜公園のあたり。ここからなら車で30分ほどかしら」

「分かりました。すぐ、行きましょう」

 海浜公園。海岸線を一望できる綺麗な公園だ。俺のお気に入りのスポット。あのあたりのどこかでイオを『鍵』にする儀式を行っているのか。とにかく早く行きたかった。一刻も早くイオを助けたかった。俺は上着を取りに寝ていた部屋に向かう。その時窓から見えた外は荒天だった。みぞれ混じりの雨が降りしきっていた。

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