第6話
「よし、今日も行くか」
「おうよ」
「本当にくれぐれも気をつけるのよ」
「はい、行ってきます」
俺たちは涼子さんに手を振りながら今日も笹川骨董店を後にした。時刻は今日も早朝だ。天気は晴れと曇りの間といった感じ。雲が広がっているがその中にまばらに晴れ間が覗いている。雲のおかげか寒さは昨日よりはましだった。
「初めはどこからだったか」
「一番近くの廃ビルだ。今日は初めから自転車があるから心強い」
涼子さんが使わないママチャリを貸してくれたのだ。それに二人乗りして俺たちは街に向かった。道を走る車は少なかったが、遠く見える国道にはもう大型トラックが走っていた。運送屋がもう仕事を始めているのだろう。ご苦労なことだった。
「こんな朝でももう仕事してるんだな」
「人間は大変だな、こんな朝早くから」
俺たちは街に着くと目的地に向かった。街に入ってすぐのところにある廃ビルだった。工場地帯の中にあるビルだ。恐らく以前あった工場の事務所か何かなのだろう。今は使われず蔦が這い、草が伸び散らかり、荒れ放題になっていた。
「ここか」
「ああ、ここだな」
涼子さんから貰ったPDFデータを携帯で確認する。マーカーは確かにこのビルに付いていた。おどろおどろしいというか実にそれっぽい雰囲気だ。夜だったら絶対に入りたくはない。ここにあの化け物たちが潜んでいる可能性があるのだ。緊張が全身を強ばらせた。
「固くなるな。敵に感づかれやすくなる。ところで匂いはどうなんだ。私は何にも感じない」
「あ、そうか」
そうだ、連中が居るなら工房だのから魔力が漏れている可能性が高いのだ。そうするとあの酸っぱい匂いがわずかでもあるはずだった。俺は鼻に感覚を集中して付近の匂いを嗅いだ。
「うーん。何も感じないな」
なんの匂いもしなかった。強いて言えば朝の匂いというか、霜か何かで湿った緑や土、コンクリートの匂いが感じられた。そういえば魔力の匂いだけではなく、俺の嗅覚は基本的に鋭くなっているようだ。普段の生活でも前よりも匂いが細かく感じられる感じはしていた。ともかく、ここには魔力は感じられなかった。
「そうか、ならここは多分はずれだな」
「え、でも中で魔力の漏れを防いでるとかいうこともあるんじゃないのか」
「ないな。それをやっててもお前の鼻なら多分感じ取れる。この前の変電所でのその鼻の鋭さならな」
「俺の鼻ってそんなにすごいのか」
「ああ、すごい。そこまでの感度を持ってる奴は魔族でも珍しい。アザムヤゼムはそんなに嗅覚が鋭いのか、もしくは別の可能性かもな」
「別ってなんだ」
「さぁてね。いくつか思いつくが今は無駄話をしてる場合じゃねぇ。とにかく入って確認するぞ」
「おう」
「とりあえず気配を消す術を使っとくが、下手なことはしないようにな」
「お、おう」
高い電子音のような音が響いた。それと一瞬こちらの世界の魔力の甘い匂い。そしてイオは足を進めた。イオの足取りは慎重だった。まず、門をくぐるところから周囲の様子を確かめながら、恐らくなんらかの探知術式の類がないかを確かめながらそうっと入った。多分大丈夫と言いながらも警戒は怠っていない。俺も後ろに続きながら懸命に匂いに意識を集中する。しかし、やはり魔力らしき匂いはしなかった。
「入口にはなにもないみたいなだな」
そう言いながらイオは奥に進む。足取りは軽いがどことなく洗練されている。素人目には良く分からないが恐らくあれが警戒しながら歩いている状態なのだろう。俺には絶対に真似出来そうになかったのでおっかなびっくり後ろに続いた。どんどん進んでビルに入る。こちらではさすがのイオも慎重に入ったが何もなかった。中は荒れ放題だった。しかし、家具なんかは運び出されたようでもぬけの殻だった。イオは手前の部屋を覗く。ひょいと頭だけを部屋に入れた。
「何もなしと」
俺も覗くが、伽藍とした、天井、壁、床が荒れた部屋があるだけだった。イオは同じように次々と部屋を覗くがやはりなにもなかった。1階はひととおり見たが何もなしだった。
「匂いはしたか」
「いやまったく」
「やっぱはずれか」
そのあと、二階、三階と全部見たが何もなしだった。
「骨折り損だったな」
「ああ、これといった魔力の残滓もなしだし、正真正銘のはずれだぜここは」
俺たちはビルを出て入口まで戻った。時間にして30分ほどかかったようだ。
「さて、次は倉庫だったか」
「ああ、しばらく離れたところにある」
俺たちは自転車に乗る。もう大分日も登っている。気の早い学生服もちらほら見えた。あんまり見られるのはまずい。俺はパーカーのフードを被った。
「さて、いくつ目に当たりがくるかねぇ」
「そうだな、少なくとも今日必ずあいつを見つけるんだな」
「そういうことだ。本当にヤバイからな。そういう瞬間が来たらすぐ転移で飛ばすぞ」
「そうか、そうだな」
てっきり一緒に戦うものだと思っていた。いや、冷静になればそれはないのだ。戦うとなると一番命の危険に直面することになる。となると、俺の役目は魔力の探知に尽きるのだろう。警察犬のようだ。いや、警察犬は犯人と戦うからそれより役目は下になるのか。というか、俺は自分がどこかでイオと戦いたがっているのだと気づいた。多分、かっこいいイオが戦うから一緒に戦いたいとか、そういう憧れからだった。多分、子供じみた感覚からだった。実際の戦いを目の当たりにしてもいないのに想像だけで戦いを理解した気になって、自分ならなんとかできそうだと勝手に思い込んでいるらしかった。なんとなく自嘲的にため息をついた。
「さて、行くぜ」
「おう」
そうやってその後5件回ったがすべてハズレだった。そうして午前中は過ぎていった。
「はぁ、疲れた」
「ああ、さすがの私も疲れた。こう、緊張状態が続くとどうしてもな」
俺たちは公園のベンチで座っていた。本当になんでもない公園だ。ブランコとシーソーがゆらゆらしていた。繁華街から少し離れた住宅地にある公園だった。パチンコ屋の跡地を調べたあとここで休憩しているのだった。
結局まだ当たりは引いていなかった。ただ、建物に入るときはとんでもなく緊張するのだ。こういう場数を踏んでいるイオでさえ疲れているのだからほとんど一般人の俺の疲れは尋常ではなかった。ずっと嫌な汗がじっとりと全身から吹き出している状態だ。体は重いし頭も重いしクタクタだった。
「どうにも手がかりが見つからないな」
「ああ、あいつらの魔力の跡さえない。連中はほとんど出歩いていないのかもしれない」
「どういうことだ。あいつら諦めたのか」
「さてね。何を意味してるのかは分からない」
イオは考え込んだ。出歩いていないということは扉の設置をしていないということだ。それはつまり門を開けないということになるので連中は計画を投げたということになるのだと思うが。しかし、イオには色々考える節があるようだ。
「それとも、『扉』以外で『門』を開く方法を見つけたのか?」
「そんなのもあるのか」
「いや、どうだかな。でも、可能性として考えとく必要はあるだろう。何かは分からないけどな」
「でも、どっちにしても連中を見つけて倒せば済むんじゃないのか」
「まぁ、大概そうなんだろうがな。とにかく連中の根城を見つけることに間違いはないだろ」
「なら、あんまり変わらないな」
とにかく俺たちはアザムヤゼムたちを見つけて倒せばいいのだ。何を考えて計画していてもそれは変わらない。なのでさっさと次に回らなくてはならない。ならないが、さすがに疲れすぎていた。イオを見るとやっぱりなんとなくぐったりしていた。
「休憩にしようぜ。もう昼だし飯を食おう」
「そうだな。こんな疲れた状態で連中と遭遇しようものなら一大事だ。一旦休もう」
「なら、昨日言ってたように俺のおすすめスポットを紹介しよう」
「へぇ、どこに行くんだ」
「旨いラーメン屋だ。もう少しいったところにある」
この街で一、二を争うラーメン屋だ。あっさりとした魚介ダシの醤油ラーメンが売りで、チャーシューからネギに至るまで薬味もうまいのだ。俺的には一押しである。しかし、女を誘う上でラーメン屋というのはひょっとしてまずいのだろうか、と言ってから思った。女とまともに関わったことのない男の悲しい性だった。
「ふーん、それは良さそうだな。なら行くか」
しかし、イオは乗り気のようだった。そこそこウキウキしているのが表情に現れていた。イオ的には現界のものならなんでも興味津々なのかもしれない。助かる。
「よっしゃ。なら乗れい」
俺はイオを後ろに乗せて走り出す。店は本当にすぐそこだ。自転車なら5分もかからない国道沿いにある。大きな看板が目印のその店はまだ昼時が始まったところだというのにすでに人でいっぱいだった。
「すごい人だな」
「うーむ、座れるかどうか」
扉を開けて店に入る。店員に聞くと幸いカウンターの席が丁度ふたり分空いていた。俺たちはその席についた。
「おすすめはなんなんだ」
「醤油ラーメンだな。どれ食ってもうまいけど一押しはそれだ」
「ならそれにするか」
イオと俺は二人共醤油ラーメンを頼んだ。醤油ラーメンはこの店の看板メニューだ。気をてらわずシンプルな味で勝負する店なのだ。餃子も頼みたいところだったが財布事情的に止めておいた。俺たちはラーメンが出来上がるのを待った。と、その時。
「お、野尾じゃねぇか。お前もサボりか」
俺に声をかけるものがあった。見れば同じクラスの斎藤だった。
「まぁ、そんなところだ。学校では内緒にしといてくれよ」
「大丈夫だ。俺は今週はまるまるふけるつもりだ」
「相変わらずひでぇ奴だ」
斎藤はまったく学校に行かないことで有名だった。喧嘩をするとか盗みをするとかいうタイプではないが間違いなく不良だった。見た目的には間の抜けたメガネ野郎といった感じだが中身はろくでなしだ。親が可哀想になってくる。しかし、俺は結構こいつと仲が良いのだった。どうやら一足先にラーメンを食い終わり出て行くところのようだった。
「なんだ。彼女か?」
「い、いや、そういうんじゃない。なんというか・・・・そう、知り合いなんだ。遠方から旅行でこっちに来ててな。案内してるんだよ」
「へぇ。まぁそういうことにしておいてやろう」
斎藤は面白そうに笑っていた。勘違いは止めてもらいたかった。
「クラスはどうだ。みんな変わり無いか」
「無いよ。そもそも学校に行けば全部分かるだろうが」
「そういう考え方もある」
「出席日数足りてんのかほんとに」
「いや、ヤバイだろうな。来週はちゃんと行かねぇとまずい」
「じゃあ、来いよ」
斎藤はゲタゲタ笑った。実に不快な笑い方だ。実にイライラする。こういう部分が斎藤のろくでなしぶりを演出しているのだ。
「まぁ、明日は明日の風が吹くからな。先のことは俺には分からん」
「お前の意思でどうとでもなる問題だろうが」
「そういう考え方もある。では、さらばだ」
斎藤はさっと手を上げキザに歩き出す。
「ちゃんと学校に行けよ」
「分かったよ。ああ、そうだお嬢さん」
斎藤はくるりと向きを変えイオに言った。
「ここの醤油ラーメンはゴマとにんにくを加えるとさらに旨くなる。試してみるといい」
「おう。試してみる。ちゃんと『ガッコウ』に行けよ」
「お嬢さんにまで言われるとは参ったね」
斎藤はそう言いながら去っていった。
「変なやつだな。あれが友達か」
「まぁ、そんなところだ」
「ふぅん。お前も普通に生きてるんだな」
「『普通に』ってなんか嫌だけどな」
なんとなく普通と言われると不快に感じるお年頃なのだ。
「そうか。当たり前に『学生』やってるんなら立派なもんだと思うけどな」
「そうなのか? 学生なんてみんなこんなもんだろ」
「じゃあ、みんな立派なんだろ」
「なんだそりゃ」
イオ的には俺たちはみんな立派らしかった。ありがたいことを言っているのか変なことを言っているのか良く分からなかったがとりあえずラーメンが来た。醤油ラーメンが二つだ。うまそうな匂いだった。
「お、来たか」
「よし、食うか」
俺は割り箸を二つ取ってイオに片方を渡す。と、イオはさらににんにくとゴマを取って首をひねりながらその二つをラーメンにふりかけた。
「斎藤の言ってた食い方試すのか」
「ああ、せっかく勧めてもらったからな」
俺的にはまず醤油ラーメン本来の味わいを楽しんで欲しかったが仕方がない。俺たちはふたり揃って手を合わせ「いただきます」と言った。俺はラーメンをすする。いつものように旨い。あっさりした醤油のスープが太麺に絡んで実に美味かった。ついでにひっついてきたネギも旨い。隣を見るとイオも麺をすすっていた。変人の斎藤の食い方だからまともなのか心配だった俺はイオに評価を聞く。
「うまいか」
「ああ、これはうまいな」
イオはにっこり笑った。本当にうまいらしかった。うん。いい笑顔だった。その後俺はその味が気になり、斎藤のいう食い方を試してみた。確かに普通に食うより旨かった。俺たちは黙々とラーメンの味に感激しながら食べ続けあっという間に平らげた。
「さて、腹も膨れたし、次はどこを調べるんだ」
「ああ、次はここだ」
イオがスマホの画面の地図を指す。それは、駅の近くにある廃ビルだった。
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