第5話
「一日目にして命の危険に遭遇するなんて。話が違うわよイオちゃん」
「まさか手下をけしかけてくるとは思わなかったんだよ」
「どっちにしても郊外に行けば人目も何もないんだから、仕掛けてくるのは当然じゃないの。何をやっているのよ」
「分かったよ。明日からは街中で気配の探索だけにするよ」
帰って来て、今日一日の報告をしてから涼子さんとイオはずっとこの調子だった。危険な目には遭わせないという約束だったのに一日目にして俺は命の危険に晒されたのだ。涼子さんは実に怒っていた。実に険悪な雰囲気だが晩飯は美味かった。魚の煮付けにお浸し、それに味噌汁とごはんというシンプルなものだが実に美味しかった。ひとつひとつの味の深みが違う。
「春太くんにもしもがあったらおじいさんとおばあさんに申し訳が立たないでしょう」
「・・・・・分かってるよ」
じいちゃんばあちゃんの話になるとイオはやけに神妙な面持ちに変わった。ここまでの反発感が消え素直に自分の非を認めたようだった。なにかあるらしかった。
「本当に気をつけなさいよ」
「約束するよ」
「ならよろしい。で、アザムヤゼムの話ね。あいつは『子供』じゃなくて錬成魔獣できたのね」
錬成魔獣というのは錬金術で作った人工生命体らしい。『子供』というのは俺が襲われたときにアザムヤゼムが使っていた黒い霧のことだそうだ。あっちも人工生命らしいが自分の体組織から作るそうでより主との繋がりが強固だとか、ほかにも色々普通のとは違うのだそうだ。
「ああ、『子供』だったらあいつの居場所を逆探知する方法も無くはないからな。安全策ってことだろう。多分今回はこっちの手の内を調べるのが目的だったんだろうな」
「そう。錬成魔獣ってことはこっちに工房があるんでしょうね」
「ああ、ああいう格が低いのは扉を抜けられないはずだからな。十中八九こっちのどこかに工房がある。そこが連中の根城だろう」
「なるほど。工房があるとなるとそれなりのスペースが必要になるはずだからいくつか候補は絞れるわね」
そう言って涼子さんはタブレットを取り出した。しかしでかい。机いっぱいに広がるような大きさだ。こんなものどこで売っているんだろうか。涼子さんはさっさと操作し画面に湊市の地図が表示した。
「こことかこことか、あとこことかも怪しいかしらね。うーむ」
「あとそことかもな」
涼子さんとイオが地図にマーキングをしていく。しかし、ふとイオは涼子さんに聞いた。
「なぁ、なんでアザムヤゼムは錬成魔獣なんか使ったと思う。工房を持ってると晒すようなもので、こうやって場所の特定までされてる。あきらかにデメリットしかない」
「馬鹿じゃなければなにか策があるんでしょうね。バレても問題ないのかもしくは罠か」
「罠か・・・・・」
そういうイオの前で涼子さんはマークを付け終えた。
「よし、こんなところかしら」
付いた丸は全部で12。大きな倉庫や廃ビルなど、無人でかつ大きな建物ばかりだ。
「これをしらみつぶしに探していけばいいわけか。随分作業が楽になった。もっと長期戦を想定してたんだけどな」
「まぁ、可能性は低いけどアザムヤゼム程の魔族になれば工房を移動してる場合もあるから確実とは言えないけどね。ただ、さっきも言ったように罠の可能性も高い。あっちとしては魔法陣を貼ったり消したりの競い合いを止めて短期決戦で来たってことなんでしょうし」
「望むところだ。アザムヤゼムが相手なら負ける気はしねぇよ」
イオはすごい自信だった。
「本体さえ出さなければこっちに分があるでしょうね。でも、相手は『貴族』なのよ。あなどっちゃだめだと思うけど」
「大丈夫だ。こっちには秘策がある。最悪、本体が出てきてもなんとかなる」
イオは言い切った。
「秘策?」
「まぁ、とりあえずアザムヤゼムは問題ないってことだ。共犯者の方がどうかは分からねぇけどな」
そうだ。あの黒づくめの男が居たんだった。
「その共犯者はどんな人間だったの」
「全身真っ黒な服装の陰気な男でした。日本語を話してたんで多分日本人だと思います。40絡みなんでしょうけど20代と言われても60代と言われても納得するような年齢不詳な感じでした。髪はざんばらっていうのか割と伸び散らかってました。背はそこそこ高かったように見えました」
俺は自分が見た男の情報を述べた。
「うーん。まぁさすがにこの情報だけで何かが分かるってこともないわね。恐らく魔術師かなにかなんでしょうけど。黒服の魔術師も陰気な魔術師も沢山いるから個人を断定するには足りないわねぇ」
「そもそも魔術師なら姿くらい変えれるだろうしな」
「そうねぇ、でもこっちのほうこそ問題ないんじゃないの。イオちゃんみたいな魔族とやりあえる人間なんてそうそう居ないし」
涼子さんはヒラヒラと手を振る。
「そうだよな・・・・。でも、なんか引っかかるんだよな・・・・・」
イオは目を細めて考え込んでいた。なにか確信めいたものを感じているようだった。
「そういえばそいつがイオを見ながら『随分なものだ』とか言ってました」
「なにかしらその感想。イオちゃんの魔術に感心してたようにも取れるけど」
「随分なものか・・・・・」
俺の発言にイオはなお考え込んだ。しかし、ぱっと顔を上げた。
「止めとこう。考えたって答えは出ないだろうしな。会った時に慎重に対処すりゃあいい話だろ。そんなことよりまず相手の根城を探すほうが先だ」
「それはそうね。今の情報だけじゃ何にも分からないんだから」
イオは地図を眺める。
「とりあえずこの印の付いてるところをしらみつぶしに当たるぞ。一日あれば全部回れるだろ」
「まぁ、これくらいなら余裕だろう」
見たところ全部街の中にある。郊外にあるものは一つもない。今日みたいに自転車を使い、朝始めれば昼過ぎには全部回れるだろう。
「で、見つけたらすぐには仕掛けちゃだめよ。一旦戻って作戦を練らなくちゃ」
「分かったよ。こいつのこともあるしな」
「ちょっと、春太君も連れてくつもりなの」
「コイツの鼻は頼りになるからな」
「ダメよ。今日以上に危険なんだから」
確かに。敵の本拠地に乗り込もうというのだから危険なのは言わずもがなだ。もし敵に見つかったなら戦闘は必至であろうから当然命の危険も出てくる。しかも、先に言ったようにもし罠だった場合輪をかけて危なくなるだろう。だが、付いて行きたかった。
「俺行きますよ。俺の鼻はイオの感覚より上みたいですし」
「本気で言ってるの?」
「はい。命を助けてもらったんだから、ちゃんと協力したいです。俺の鼻ならあいつらが近くに居たらすぐに分かるでしょうからむしろ危険を回避できると思うんです」
「そんなわけないでしょう。付いて行かなければそもそも危険に逢うこともないんだから」
「でも、イオを危険から守るには俺が居たほうがいいはずです」
俺は引かない。本当の意味で恩を感じているから手を貸したいのだ。俺の助けが必要と言うならもちろん助けたいのだ。なにかの形で恩返しがしたかった。それだけ、あの絶望のどん底でイオが現れた時の安堵は大きかった。俺はなんとかして自分を助けてくれた英雄の助けになりたかった。
「随分と意固地なのね」
「絶対に引きませんよ」
涼子さんはため息を一つついた。
「仕方ないわね。行ってらっしゃい」
「え、ホントですか」
正直絶対に了解してもらえないものと思っていたので意外だった。夜中に抜け出そうと思っていたのに。
「あなた自分じゃあんまり自覚ないだろうけどもものすごく頑固よ。だから、テコでも曲がらないでしょ。その代わり安全第一よ。一瞬でもヤバイと思ったら迷わず逃げなさい」
「分かってます」
こっちもわざわざ命を投げ出そうとは思わない。あの酸っぱい匂いが強まったら危険信号ということだろうから気をつけなくてはならない。
「ならよろしく頼んだぜ。お前の鼻は当てにしてる」
「合点だ」
明日は正念場だろう。気を引き締めなくてはならない。
「『全身黒づくめの陰気な男』・・・・まさかね・・・・」
と、最後に涼子さんがボソリと何かを呟いていた。それから、今になってこの骨董店には普通ではない匂いが感じられることに気づいた。錆びた金属の匂いに近いだろうか。本当に微かなものだったが。
駅前のビルは今日も暗かった。もう廃ビルとなっているので電気も点かないのだろう。その中で棘は今日もソファにかけて窓の外を眺めていた。その表情は相変わらず不吉だった。
「やぁ、また外を見てるね。なにかあるのかい」
「なにもない。別にすることもないだけだ」
「ないってことはないだろう。本を読んだりとか。暇なら外に出るとか」
「興味がない」
「つまらない奴だねまったく」
アザムヤゼムはいつの間にか部屋の入口に立っていた。2本足の姿だ。口元は笑っていた。
「お前の手下はまんまとやられたようだな」
「ああ、まぁ初めから仕留めるつもりで送ったわけじゃないからね。相手の能力を見るための小手調べさ。おかげで色々分かった。あの娘はあいての特性を下げたりできるみたいだね。多分能力を逆に反転できるんだろう。だから、相手を弱体化させることも出来るし、仲間を強化することも出来る。場合によっちゃ地形や魔術なんかの現象にも作用させられるんだろう。汎用性の高い厄介な能力だ」
「それは難敵だな」
棘はこれといって興味がなさそうだった。アザムヤゼムはそんなことも気にはならない。短い間でこの男とのリズム感というものを掴んでいるのだろう。
「でも、問題ないさ」
「なぜだ」
「魔族の『カラー』にはルールがあってね。自分より上位の相手には効かないんだ。だから、僕と『子供』があれの対象になることはない」
アザムヤゼムはクツクツと楽しそうに笑った。
「そんな手下なんぞを辺境でけしかけるより、さっさとあの骨董店を襲えばどうだ」
「それはできないね。あそこには『恐ろしいモノ』が居る。あれには関わりたくない。おい、本当にあの女はこちらに干渉しないんだろうな」
アザムヤゼムはさっきまでの上機嫌から一変、その不可思議な声を低く落とした。
「ああ、あの女自体は普通の人間だ。よほど自体が切迫せん限りは出てこないだろう」
「それは良かった。そうだ、お前も見に行ったんだろう。あの娘を。どうだった」
「ああ」
棘はこの時初めてその表情を変えた。何かを哀れむように眉を寄せた。
「あれは随分呪われている」
棘は言った。
ガコンと自販機は缶コーヒーを輩出した。下の取り口には「ほろ苦いプレミアムな微糖」とコテコテに銘打たれたコーヒーが落ちた。プレミアムなのにほかと値段が変わらないのは缶コーヒーの一番の謎だと思う。俺はそれを拾い上げる。手元にある缶はこれで2本だ。俺の分とイオの分である。
「お前はココアだったな」
「おう」
俺は先に取ったココアをイオに渡した。もう深夜だった。場所は笹川骨董店からすぐにある自販機だ。大分寒かった。
「そこで飲もう」
「ん、店に戻らないのか」
「現界の空気感を感じるのが好きなんだよ」
「そんなもんなのか」
俺たちはバス停の横に備え付けられたベンチに座った。息が白い。それはそうだ。この前なんて雪が降ったんだから。そういえばあの夜からもう2日になるのだ。いや、「もう」というか「まだ」だろうか。随分前のように感じた。というより、まだあれが現実のものだということがいまいち実感できていない部分もあった。俺はそんなことを考えながら特に何を見るでもなく宙に視点を合わせていた。
「街明かりが綺麗だな」
「ん? そうか? 普通の住宅街だろ」
「お前にはそうなんだろうが、私には珍しい景色だ。『向こう』には街っていうものがまず珍しいからな」
「そんな辺鄙なところなのか」
「ああ、辺鄙だよ。だからこっちに来たらなんでも珍しくてさ。目を奪われてばっかりだ」
そう言いながらイオは町に目を送っていた。街といっても別にここは眺めがいいわけではない。ただ、家が並んでいるだけだ。それをイオは満足そうに眺めていた。それは不思議な感じだった。
「こんな住宅街だけじゃないぞ。もっと色んな景色がある。この辺は景色だけは良いからな」
「本当か」
「山側に行けば高い山もあるし、切り立った渓谷もある。海側に行けば漁港やら水族館やら、ちょっと向こうに行けば道の駅でカニやらなんやらが並んでる。街の中心の道には色んな地域から走ってきた車がわんさか通ってるしな。その道を通っていけばもっと色んな景色が見れる。まぁ冬には雪で全部真っ白だけどな」
「雪が降ったらだめなものなのか? 綺麗じゃないのか」
「いいや、そんな感想は浮かばない。始め、本当に一回目に降ったときはなんとなく季節を感じておセンチになるけどな。そのあとはただただ厄介なだけだ」
これは雪国の人間の感想だろう。都会とかほかの地方の人間が「雪が綺麗」とか言ってるのがまったくではないが理解できないのだ。雪は降れば寒いし積もれば邪魔なのだ。なければないに越したことはない。
「はは、そうか。それはおもしれぇな」
イオは笑った。初めて表情が崩れるのを見た気がした。
「こっちに来るといつも面白いことが色々知れるな。いや、向こうでも旅をすれば面白いんだけどさ」
「ん? お前、こっちにくるのは初めてじゃないのか」
「あ、ああ。何回か来てるよ。こんな感じで大抵こっちに侵攻しようとしてるやつを邪魔しにな」
イオはなぜか知らないが少しだけ口調が揺れていた。しかし、特に気にせず会話を続けた。
「へぇ、前はどこに行ったんだ」
「ヨーロッパ辺は何回か行ってるし、それ以外だとアメリカとか中国とかか」
「色々行ってるんだな。羨ましいな」
「羨ましいもんかよ。その度にとんでもない目に逢いながらああいう連中と戦ってるんだぞ」
「そ、そうだったな。観光旅行じゃないんだもんな」
アホなことを言ってしまった。
「色々あるよ。こっちに来るたびに」
「そうか」
なんとなく重みを感じる言葉だった。イオは虚空を見つめていた。今まであった色々を思い出してるようだった。哀愁と苦悶をないまぜにしたような表情でなんだか見ているこっちが苦しくなるものだった。なぜか今にもイオが消え入りそうな、そんな錯覚さえ覚えた。
「嫌なこともあったのか」
「・・・・・そうだな。・・・・・いや、この話は止めとこう」
「そうか」
はぐらかされた感じがしたがそれ以上は踏み込まないことにした。あんまりそういうところにズケズケと踏み込むべきではないだろう。空気が冷めてしまった。イオは寂しげな表情で黙っている。なにか元気になる話題が欲しいところだ。
「そうだ。こっちが面白いっていうならさ。明日はこの街のおすすめスポットを紹介してやろうか」
「なんだそりゃ」
「いや、能天気なこと言ってるとは思うけどさ。でも、一日中張り詰めた空気で捜索するっていうのも疲れるばっかりだろ。休憩がてらにちょっとだけでもさ」
「別にいいけどさ」
「よし、色々教えてやるから楽しみにしとけ」
「ああ、期待しとくよ」
イオはさっきの会話からなんとなく心ここにあらずといった感じだった。しかし、OKは貰ったわけだから色々行くとしよう。何にもない街だが本当に何一つないわけではない。休日に若者が暇を潰せる程度の施設はある。外から来たものに自慢できる店もいくつかはある。頭の中でいくつかピックアップしながら明日の計画を思い描いた。隣を見るとイオはやはり虚空を見ている。この表情を少しでも明るくしなくては、と思った。
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