第20話 魔女の恋は花開く


 ずきん、ずきん。

 足が痛みを訴える。それと同時に、ガラスの靴が耳障りな音を立てる。

 リュンヌは木によりかかり、足首をさすった。

 

(……どうしよう……)


 足の痛みもそうだが、カルケルのことも……。

 彼に、自分は役に立たない魔法使いだと露見してしまった。

 それも、リュンヌ自身から打ち明けたわけではない、他者からの揶揄という形で暴露されてしまったのだ。

 王都にて、あの四人の前から上手く逃げおおせたのは、ランたんのおかげだ。

 もともとは“茨の森の魔女”が呼び出した使い魔だ。あのカボチャお化けは、有能だった。事実を言えば、リュンヌなどよりもずっと。


(私、なにもしてない……)


 危機に、何一つ満足のいく働きが出来なかった。

 人を助ける魔法も、人を守る魔法も、リュンヌは何一つ使えずにいた。

 ――合わせる顔が無いと、目を覚ましてすぐ衝動的に飛び出したが……。


(うぅ、結果的には気絶したカルケルを床に転がしたまま逃げたし……私って、なんでこう……)


 逃げるのかと、カルケルに偉そうに言っておいて……いざとなれば、逃げ出したのは自分の方だったなんて、なんという体たらくだろう。


「……なんでこう、突発的な事態に弱いのかしら……」

「あぁ、本当にな」

「――っ!」


 自己嫌悪にかられ、思わず声に出した言葉。それに、まさか返事があると思わなかったリュンヌは、飛び上がらんばかりに驚いた。

 顔を上げれば、カルケルとランたんが木々の間に立っている。


「か、カカカカカカッ!」

「こら、笑い事では無いぞ。足が痛いのに、外に出るなんて何を考えている」

「笑ってない! 動転していたの!」



 生真面目な王子は、真剣な顔でリュンヌを注意してきたが、リュンヌは悪びれなく笑ったわけでは無い。言葉通り、動転していただけで、本当はただ「カルケル」と彼の名前を呼びたかっただけなのだ。

 少し怒ったような顔をしていたカルケルは、リュンヌが気丈に言い返すと、安心したように目尻を下げた。

 そして、当たり前のように手を差し伸べてくる。


「あまり、俺を心配させないでくれ。……ほら、早く帰ろう?」


 声は、あまりにも優しかった。

 もしかしたら彼は、王都であの四人組の言った事なんて、一切聞こえていなかったのではないかと思うほど、リュンヌに対する負の感情が欠片もなかった。

 あるのは善意の塊のような、優しさだけ。

 

「か、カルケル……」

「……ん? もしかして、歩けないほど痛むのか? 無理をするからだ。……俺でよければ、背中を貸すが……。……灰、がな……」


 足は痛い。

 たしかに、足は痛いけれど、それよりももっとずっと、痛むところがある。


「なんで……?」

「……魔女殿?」

「なんで、お、怒らないの……?」


 カルケルが優しすぎて、胸が痛い。

 勝手なことだと思うけれど、露見した“真実”に、触れないようにしている彼の優しさが、針のように胸をチクチクとついてくる。


「……怒る? 俺が、か? ――どうしてだ?」

「だって、……聞いたでしょう、あの人達が言ってたこと」

「…………あぁ、あの失礼な四人組か。……あまりにも腹が立って、自制が効かなかった。目立つような事態を招いて、悪かった」


 謝るのは彼では無いと、リュンヌは首を横に振った。

 むしろ謝るべきなのは……。


「……ごめんなさい、カルケル。……私……私、本当は……」

「魔女殿?」

「……あの人達の言う通り、見習い以下の、ダメ魔法使いなの……! 黙っていて、ごめんなさい!」


 もう隠していられない。リュンヌはバッと頭を下げた。

 自分で言っていて、ひどく恥ずかしかった。

 きっとカルケルの目には、失望が浮かぶだろう。傷ついた顔をするだろう。

 彼は呪いを解くことを望んでいるのだから。

 

 そう思っていたリュンヌに、かさりと草木を踏む音が届く

 近くで聞こえた音に、顔を上げると、カルケルがすぐ傍まで来ていた。


「な……殴る?」


 怒っているのだ。

 なにせカルケルは人生がかかっている。それを、リュンヌの見栄のために台無しにされたとなれば、怒りは相当だろう。

 恐る恐るたずねてから、リュンヌは「どうぞ」とばかりに歯を食いしばった。


「……誰が誰を殴るんだ。女性に手を上げるはず無いだろう」

「……じゃあ、叩く……?」

「……叩かない。――魔女殿、君は何か勘違いをしているぞ? ……俺は、君に腹を立ててなどいない」


 困ったように微笑んだカルケルからは、確かに怒りを感じなかった。


「……どうして?」

「どうしてって……」

「もしかして……諦めちゃったの? だめよ、そんなの! たしかに私は半人前以下で、駄目駄目で、いいとこ無しかもしれないけど……約束は、ちゃんと守るから! 呪いを解く手助けはするし、集めた情報もあるもの……、もっと立派な魔法使いに頼めば、きっと――」

「……そこで、“茨の森の魔女に頼むから、祖母が戻るまで待て”とは言わないんだな」


 微苦笑のまま祖母の名前を出され、リュンヌはびくっと肩を跳ねさせた。


「……魔女殿、俺は怒ってなんていないし、諦めるつもりも無い。……ただ、この先も一緒に悩むのは、君が良いと言っているんだ」

「……私……?」

「どんな立派な魔法使いよりも、俺は君がいいんだ。……俺のために、あれこれと一生懸命力を尽くしてくれたのを知っているから、君以外は考えられない」

 

 リュンヌは今まで、魔法が全てだと思っていた。

 魔法が使えない自分は馬鹿にされる。必要とされない。

 そして、それが事実だった。

 今まで彼女に、“魔法が使えなくてもリュンヌがいい”と言ってくれる人は、いなかった。


「だから魔女殿、これからも、俺に力を貸してくれないか?」

「……本当に、いいの?」

「もちろんだ。……俺は、一生懸命な君がいい」


 優しく和むカルケルの双眸に、泣きそうな顔になっている自分の姿を見つけたリュンヌは、みっともないと思い笑おうとした。

 けれど失敗して、たまっていた涙がぽろぽろと流れる。


「……す、すまない……嫌だったのか?」


 慌てたカルケルに、リュンヌは首を横に振る。


「それじゃあ、俺と帰ってくれるだろうか?」


 うん、と大きく首を縦に振り、リュンヌは差し伸べられた手を握る。

 そして、伝えなければと口を開いた。


「ありがとう、カルケル……! 私……っ、わた……し……っ」


 不意に舌が、凍り付いたように動かなくなった。

 繋いだはずの手から力抜け、彼の手を離してしまう。


「……魔女殿? ――おい、魔女殿……!!」


 カルケルの目が大きく見開かれ、大声が耳朶を打つ。

 視界に灰が降ってくる。カルケルが大きく動揺しているのが分かった。それなのに、リュンヌはもう返事が出来なかった。


 足の痛みが、全身をねじ切るような激痛に変わり、リュンヌはそのまま意識を失った。

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