第1話 ある秋のこと

 残暑が過ぎ、ようやく暑さから解放された秋。


 中間テストがちょうど終わったこともあり、周りの生徒たちはどこか浮かれている様子だった。


 「おーい日輪。次移動教室だぞ」


 「あぁ……」


 「またあれか? まぁいいけど。遅れるなよ~」


 友人の呼びかけに生返事で返す。


 「ふぅ……」


 別に仲の悪い友人なわけではないし、普段からテンションが低いなんてこともない。

 今日はなんだか、とにかく気だるいのだ。

 こういう日が、半月に1回ほどのペースでやってくる。


 「次、なんだっけ?」


 のそのそと、俺は教室を後にした。


******


 ポケットから、少し錆び付いたカギを取り出しドアノブへ挿入する。


 ちょうどカギの根本あたりが錆び付いているせいで、この瞬間はカギが折れてしまうのではと緊張してしまう。ちなみにカギを渡してくれた先生曰く「そのカギのスペアはもうない」らしい。そんな大事なもの、生徒に渡してしまってよいのだろうか。さらに言うなら、早くスペアを作るべきだろう。まぁ自分の金を使うのは嫌なので俺は絶対に作らないが。


 ともかく、ドアノブを回し扉を開ける。


 目の覚めるような冷たい風が吹く。半月に1回のこの日は、気分転換のためにここに来るようにしているのだ。


 そう、ここ、屋上に。


 外の空気を吸ったことで、どうやらしっかりと気分転換はできたようだ。

 おかげで、授業をサボって屋上まで来てしまったことに気が付いた。

 時計を見れば、授業開始の時間はしっかりと過ぎている。


 「あえっ?」


 意味不明な言葉を漏らしつつ、先生への弁明を考えるやっぱやめた。


 今日はもう帰ってしまおう。そろそろ体も冷えてきたしとりあえず室内へ、とドアのある方へふりかえる。


 「やあ日輪陽人くん。こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 しまった! と思ったのは一瞬。声の主を確認すると、俺は「そうですねさようなら」と早々に立ち去ろうとする。そうはいかなかった。


 「あぁちょっとまってよ。ここに来れるようになったのは誰のおかげだと思ってるんですか。というか次の君の授業、担当は私なんですけど」


 そう、俺に屋上の鍵を渡した先生とはこの人である。選択授業音楽担当の女性教師である木島先生だ。


 「それを言われるとちょっと痛いんですけど……まったく、授業サボって何やってるんですか」


 「いやそれ、君が言えた立場じゃないけどね」


 まったくもっておっしゃるとおりではございますが。


 「わかってますって。それで? 呼び止めたんだからなんかあるんでしょ?」


 「教師なら、授業をサボっている学生がいたら注意するでしょう。今が高校2年生とはいえ、油断してたらあっという間に受験が始まりますからね。ちなみに君はサボりでもう一人の生徒さんは早退。なので私もサボります」


 おいおい。それでいいのか木島先生よ。


 ちなみに、もう一人の生徒さんとは先ほど俺に声をかけてくれた友人ではない。あいつは別の選択授業を取っている。

 

 では、もう一人の生徒さんとはだれなのか。当然俺は知っている。


 「まじすか! 先生すみません体調悪くなってきたので早退します!」


 「ええそうですか。お大事にどうぞ」


 ニコッとした笑顔を浮かべ、木島先生はあっけなく道を空けてくれた。


 自分で言うのもなんだが、本当にそれでいいのか先生よ。


 ともかく、先生からのお許しも出たことなので俺は急いで屋上を後にする。


******


 「彼、すぐにあなたを追いかけに行きましたよ」


 音楽室に入ってくるなり、木島先生はそう言った。


 「はぁまったく。毎度のことですが今まで一度も、二人そろって授業をしたことないじゃないですか。あなたたちを見てるのは面白いですが、評価をごまかすために他の先生たちに嘘をつくのも大変なんですからね?」


 「それは本当にごめんなさい。でも彼とはあまり関わりたくないんです」


 私は、彼を。日輪陽人を避けている。小学生のころから避け続けている。


 「授業とは言え、彼と二人きりになるのはちょっと・・・・・・」


 不幸なことに、音楽の選択者は私と彼の二人だけだった。他にも人がいればまだ良かったものの、どうしてこうなったのだろう。大体、二人しか選んでいない授業がなんで成立するのか。普通は人数が少なかったら、他の希望授業に振られるのではないだろうか。


 「というか先生。薄々勘付いてはいましたが、評価ごまかすために嘘ついてたんですね」


 「それは当然でしょう。早退するあなたたちを目撃してしまう先生もたまにいますからね。その言い訳を考えなければならない私の身にもなってほしいですよ。もっとも、日輪陽人くんの時は適当な理由でも、あいつならしょうがない。と皆さん納得してくれて楽なんですがね」


 その「しょうがない」が意味するところは、彼がサボりの常習犯で問題生徒だからということではないのだろう。むしろ彼が授業をサボることなんて今日のようなことが無い限りありえないし、成績も優秀なほうだ。テストでは毎回上位5位以内にランクインしているほどである。


 「彼は優秀ですからね。成績とか普段の生活態度に免じて、他の先生方も許してくれてるんじゃないですか?」


 仮にそうだったとしても、寛容すぎる気が・・・・・・


 突然、先生は私の顔を覗き込むようにして見てきた。


 「ふむ・・・・・・」


 そして、自身の右手を口元にやり少し考えるような仕草をとった後、この人がいつも浮かべているにっこり偽笑顔とは別物の、ニヤリとした笑みを浮かべた。


 木島先生のこんな顔を見たのは初めてだ。普段からどことなく怪しい雰囲気を醸し出している人なだけあり、こんな表情をしていると余計に怪しさが増す。私は次に先生が何を言うのか、あるいは何をしてくるのかを想像できず身構えた。


 しかし、予想は裏切られることとなる。


 「雪野小織さんは、ツンデレちゃんかと思っていましたが。ふむふむ。実は日輪陽人くんに負けず劣らず、感情的な人なのかも知れませんね」


 何を言っているのだろう。私が感情的? 今のやり取りのどこからそんな考えが出てきたのか。


 「私は感情的なんかじゃないですし、もちろんツンデレでもないですけど・・・・・・」


 私の反論に、なおもニヤニヤと笑みを浮かべる木島先生。なんだかおちょくられているようで、少しいらいらしてきた。


 そんな私の気持ちに気づかず、先生はこう続ける。


 「だって雪野小織さん。あなたは日輪陽人くんのことが、本当は好きなんですよね?」


 「そんなことっ・・・・・・!」


 心臓が少し早めに鼓動を打つのがわかった。

 

 いけない、冷静さを保たなければ。


 「・・・・・・ふぅ」


 自分を落ち着けるように、深呼吸をする。深く、ゆっくりと。


 鼓動がいつもと同じくらいのペースになったことを確認して、私は口を開く。


 「そんなことありません。少なくとも今は」


 「はぁーっ」


 私が答えると、先生は大きくため息をついた。一度感情的になってしまったのもあったし、それは嘘、とか言ってくるのだろう。


 しかし、またも先生は私の予想を裏切ってきた。


 「あなたの病気については知っています。名前だけでなく、もちろんその症状もね」


 これには驚きを隠せなかった。


 「どこで、聞いたんですか」


 私が病気を抱えていることは、家族以外誰も知らないはずである。学校側にも言っていないはずだ。それなのにこの人はどうやって。


 「実は、私の身近な人も同じ病気でして。雪野小織さんは似ているんですよ、その人に」


 過鼓動症候群を患った人たちは個人差はあれ、皆感情表現を抑えがちになり、無表情でいることが多い、と聞いたことがある。でも、私は普段無表情でいることはない。


 心からの表情かと聞かれれば、NOといわざるを得ないが。


 それでも私は極力この病気がばれないように、周りの空気を悪くしないように勤めてきたつもりだ。おかげで今まで病気がばれることも無かったし、病気になる以前の友人やそれ以降の友人とも親しくしている。


 それなのに・・・・・・。


 「私は普通の人と同じように生活してきたのに、どうしてわかったのか、ですか?」


 「えっ。は、はい・・・・・・」


 思っていたことを的確に言い当てられ、動揺してしまう。


 そんな私の様子を見てか、また先生はニヤリとした笑みを浮かべた。


 「教えてほしいですか?」


 「意地悪しないでください。あなた教師でしょう」


 「あぁそんなに怒らないで。心臓に悪いですよ」


 今度はいつもどおりのニッコリ笑顔を浮かべる。


 ふぅと一息。


 「生徒で遊ぶなんて趣味が悪いですよ、先生」


 「趣味なので許してください」


 そんな返しありなのか・・・・・・


 「まぁ病人で遊ぶのは良くないですよね。でも、話す前に私も聞きたいことがあるのですが」


 何だろう、先に質問したのは私だけど。


 まぁ、本当は日輪陽人をどう思っているの? とか簡単な質問だろうしいいか。


 この先生がそんな簡単な質問をしてくるはずが無いと、もっと早くに気が付くべきだった。


 この後授業が終わるまで話をさせられるとは、この時の私は知る由も無かった。


 「あなたの昔の話が聞きたいのです。そう、過鼓動症候群を発祥した日の話をね」

 

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さよならまでのカウントダウン 多多多ケト @ro0906

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