第8話「明かりの下で」

 教室の中の生徒たちは、薄闇に慣れた目を眩しさに目を細めながら、空になった鍋に向かって拍手を送った。

 その拍手が収まった頃、一人の女子が、唐突に立ち上がってこんなことを言った。


「みなさーん、ここで特別企画でーす!」


 その女子は、普段からクラスの盛り上げ役を買って出ることの多い、安藤という生徒だった。

 安藤は、教室中の視線を残らず自分に集めてから、


「えっとですね。体育祭と闇鍋でクラスの絆も深まったことですし、どうせなら、この機会にもっと思い出作っちゃえー、ってことで。なんとっ、今からっ、愛の告白、た、い、かーい! これから女子が一人ずつ、意中の人を明かしていきまーす!」


 おおーっと歓声が上がり、大きな拍手が湧き起こる。

 遥介は、驚いて周りの生徒たちを見回した。

 なんなんだ、これは。

 告白大会? いくらなんでも、こんな大人数の場で、まさかそんなことは……。


「はい、じゃあー、出席番号順で告白していくからね! まずは私、安藤からいきまーす!」


 安藤は、少し照れた表情で、コホンとひとつ咳払いをし、


「わたしは、早川のことが好きです! 付き合ってください!」


 なんのためらいも見せず、そう言い放った。

 すると、早川もまた即座に立ち上がり、


「俺もお前が好きだあっ。よろしくお願いします!」


 と、安藤に向かって頭を下げた。

 教室の中は再び拍手と歓声に包まれる。

 安藤は、ふーっと息をついて腰を下ろし、間髪入れず「では」と向かいに座っている女子に手の平を向けた。


「次、井上さん、いってみよう!」

「はーい」


 指名された井上も、ごくごく素直に立ち上がる。


「わたしは、福田くんが好きです」


 照れた様子さえなく、井上は、淡々とした口調で男子の名を口にした。

 それに対して福田は、


「ごめんなさい!」


 と、これもまた、みじんも迷ったり戸惑ったりせず、勢いよく答えて頭を下げた。


 それからも、安藤に指名された女子は次々に立ち上がり、みんないやがるそぶりもなく、この場にいる男子に告白をしていった。

 その結果はというと、最初の安藤の告白を除いて、名を呼ばれた男子の返事は、皆一様に「ごめんなさい」だった。


 どうもおかしい、と遥介は思う。

 告白される女子も、される男子も、それを周りではやし立てる生徒たちも、やけにノリが軽すぎる。

 振られた女子もみんなと一緒に笑っているし、それに、最初に告白した安藤はもともと早川と付き合っていて、二人の仲は、クラスの人間のほとんどが知っていることではなかったか? クラスの女子の意中の人がすべて同じクラスの男子というのも、ひどく不自然な話である。


 きっと女子たちは、誰も本当の「告白」なんてしてはいない。

 そして、ここにいるみんなはあらかじめそのことを知っている。

 そうとしか思えなかった。

 だが、一体なぜ、なんのために、わざわざこんなことを……。



「さーて、次の出席番号の人はー……はい、樹椎さんだね!」


 安藤に名前を呼ばれて、教室の隅に座る佐里が、びくりと肩を震わせた。


 佐里はヘッドホンを付けていなかった。

 ヘッドホンとプレイヤーは、おそらく無理やり奪われたのだろう、佐里の近くにいる男子が持っていた。


「さあ、樹椎さん。好きな人の名前を、どうぞ!」


 安藤に促され、佐里は、教室の床を睨みながら立ち上がった。

 途端に教室が静まり返る。今までとは明らかに違う空気だった。


 佐里は顔を上げ、一つ息を吸い込んで、言った。



「眉村遥介」



 静寂の中に、はっきりとその名が響いた。


 先ほどまでのようにはやし立てようとする者は、誰もいなかった。

 息を吐く音、唾を飲む音さえも聞こえず、ただ、黒板の上に掛かった時計の針だけが、時間の間隔を引き延ばすかのように、しくり、しくりと、やけに間延びした音を刻んでいた。



「……眉村くんは?」


 しばらくして、ようやく口を開いた安藤が、心なしかこわばった顔で尋ねた。

 遥介の頭の中は真っ白になっていた。


「あ……いや……あの……」


 遥介は下を向き、震える声を出す喉に、必死で力を込めた。

 その直後、遥介の口を突いて出た言葉は、


「ごめん」


 の、一言だった。


 声を押し出したあとの振動が かすかに喉の奥に残る。

 その感覚が消えてから、何秒か経って、遥介はゆっくりと視線を持ち上げた。


 佐里はこっちを見ていた。

 目を細め、苦しげな表情をした佐里と、一瞬だけ目が合った。


 次の瞬間、佐里は遥介から目をそむけ、教室の出口へと向かった。

 誰もそれを止めようとはしなかった。

 遥介も、佐里の足音が遠ざかっていくのを、ただ聞いていた。



 やがて、教室には、何事もなかったかのようにざわめきが戻ってきた。

 遥介は、今さらその場を動くこともできず、心もとなく教室の中に視線をさまよわせる。

 その視界の中に、歪んだ笑みを浮かべる山岸の姿が映り込んだ。

 それを見て、遥介はなんとなく察した。


 もしかすると。

 これは「正直者」な佐里への、山岸の復讐だったのだろうか。


 山岸は、このまえ佐里が言っていたことを、たぶん、そばで聞いていた。

 それで佐里の気持ちに勘づいて、クラスの皆に協力を求め、あんな告白大会の場を設けさせたのではないか。

 クラスの人間の中には男女問わず、佐里に痛い目に遭わされた者や、佐里のせいでいやな思いをしたことのある者は少なくないのだ。

 佐里の味方をする者がいなかったとしても不思議はない。


 それに気づくと同時に、遥介は後悔した。

 なぜ、自分は佐里に、もっと当たり障りのない答えを返せなかったのだろう。

 自分の前に告白を受けた男子たちの答えは、続けて「ごめんなさい」だった。

 そのせいで、自分もそう答えやすい雰囲気ができていた。

 だけど、あのときもう少しちゃんと考えていれば。

 告白を受け入れるようなことは言えなくても、佐里に恥をかかせずに済むような、佐里をあんな形で傷つけずに済むような言い方が、何かあったはずなのに。


 どちらにせよ、佐里の望む返事ができたわけではないけれど。


 でも――。

 もし、昔の佐里だったら。

 佐里が、今みたいに変わってしまっていなかったら。


 そうしたら、自分はなんと答えていただろうか――。

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