第7話「暗がりの中で」
金曜日。
体育祭は滞りなく終わって、あらかたの片付けが済んだあと、生徒たちは、各クラスごとに集まって打ち上げを開く。
飲食店などに行って騒がれるよりはと、この高校では、行事のあと、生徒たちが学校内で打ち上げをすることを公認している。
体育祭の場合、優勝した組は第一体育館を、準優勝の組は第二体育館を使って打ち上げをする権利が与えられ、三位以下の組は、それぞれのクラスの教室を使っての打ち上げとなる。
時々教師たちが見回りに来るので、あまり羽目を外した真似はできないが、まあ、それなりには盛り上がるのだった。
遥介のクラスの打ち上げは、教室で行われた。
委員会の仕事を終えて、遥介が教室に戻ってくると、そこには、闇鍋用と思われる大きな鍋が用意されていた。
先に教室に来ていた早川は、遥介が来たことに気づくなり声をかけてきた。
そして、鍋を指差して言った。
「眉村。鍋ん中、覗いてみ」
促しに従って、遥介は、透明なガラスの蓋の上から、鍋の中を覗き込んだ。
鍋には、まだ汁も具材も入れられていなかった。
けれど、空っぽではない。
ガラス蓋の下にあったのは、ハンバーガーの包みと、コンビニのおにぎり、計十個ほどの盛り合わせだった。
遥介が戸惑いながら早川のほうを見ると、早川は、へへっと笑った。
「闇鍋はやるんだけどさ、全員参加ってのはやめたんだ。やっぱ、好き嫌いとかアレルギーとかあって闇鍋いやだってやつが、眉村以外にも何人かいたからさ。というわけで、鍋食わないやつは、このハンバーガーかおにぎりな! 早い者勝ちだから、好きなの選べよ」
「あ……」
ありがとう、と、遥介は思わず笑顔を浮かべた。
よかった。
今日の打ち上げでは、何を口に入れてもとにかく呑み込んで消化しよう、と覚悟を決めてきたが、鍋以外で腹を満たすことが許されるなら、それに越したことはない。遥介は胸を撫で下ろした。
しかし、早川ら打ち上げ実行係に感謝し、ホッとすると同時に、いくらか申し訳ない気持ちにもなった。
これでは、打ち上げの場が、闇鍋参加組と闇鍋不参加組に分かれてしまうことになる。
もちろん、遥介自身を含む不参加組のほうは、それが自分の意志であり希望なのだが。
それでもやっぱり、同じ場にいながら、闇鍋をする人としない人とで盛り上がりに差が出てしまうことは、想像にたやすい。
せっかくのクラスのイベントである打ち上げが、果たしてそれでいいのだろうか……。
遥介は少し考えて、
「あのさ、ちょっと、提案があるんだけど……」
と、早川や、教室にいる他のクラスメートを呼び集めた。
「闇鍋に参加しない人……というか、鍋を食べない人は、鍋に材料投入する役をやるっていうのはどうかな。材料入れ終わるまで、鍋を食べる人は後ろ向いて、絶対鍋のほうを見ないようにしてさ。そうすれば、鍋を食べる人も食べない人も、みんなで楽しめると思うんだ」
遥介のその案に、クラスメートたちは、なるほどとうなずいた。
そうして、やがて打ち上げが始まる時間となった。
打ち上げのメインイベントである闇鍋は、遥介の提案がみんなの賛同を得たため、具材投入組と実食組、それぞれに分かれて、打ち上げに来た者ほぼ全員が参加する形で行われた。
ただ一人、打ち上げに来て闇鍋に参加しなかったのが、佐里だった。
「何が入ってるかわかんない鍋なんか食べたくないし、鍋に何が入ってるか知ったら、それを秘密にしておくなんてできないからね」
と、それが、佐里の不参加の理由だった。
確かに、佐里には不向き極まりない遊びだなと、遥介は納得した。
他のクラスメートたちは、教室の隅にいつものごとくヘッドホン装備で座り込んだ佐里のことなど、さして気に留める様子もなく、闇鍋を開始する。
鍋に背を向けて座る実食組。
その後ろで、具材投入組の生徒たちが、もともとの闇鍋参加希望者である実食組の持ち寄った具材を、思い思いに鍋に入れていく。
「うわー、誰だよこんなの持ってきたやつ。え、ほんとに、これ入れていいの?」
「あ、これは、鍋にしたらフツーにおいしいよね。多めに入れてあげよっか?」
「ねえ、これ何? ラベルとかなんにもないんだけど」
「スパイス? ハーブかな? どのくらい入れればいいんだろ。全部はやばいかも……」
「いいっていいって、入れちまえ!」
「ちょっ、大丈夫なの!?」
「ぎゃー! なんかっ、一気に鍋がエスニックな香りに!」
具材投入組のそんなやり取りを背に、実食組の生徒たちは、ドキドキしながら鍋が出来上がるのを待つのだった。
二組に分かれて全員参加、という形を取ったことで、闇鍋は大いに盛り上がった。
鍋を食べない者も具材の全貌を知って楽しめたし、それを実食する者は、鍋の中身を知る者たちの会話によってスリルを倍増させることができたからだ。
中には、はじめ実食に不参加の予定だったにもかかわらず、自分たちで具材を投入した鍋の味が気になって、けっきょく実食のほうにも飛び入り参加することになった者も、何人かいた。
闇鍋のため明かりを落とした教室に、どこの国の料理風ともつかない鍋の匂いが立ち込める。
クラスメートたちの声が響く。笑い声、歓声、楽しげな悲鳴。
そんな中でチャーハンおにぎりを食べながら、遥介は、ここにいるうれしさを噛み締めた。
学校という居場所があること。
クラスメートという仲間がいること。
それを普段よりも強く実感できるから、遥介は、昔から学校行事が好きだった。
そして、中学生頃からたびたび機会のあるこういう打ち上げの場にも、いつも積極的に参加していた。
闇鍋も終盤に近づいた頃、早川が隣にやってきて、遥介の肩を叩いて言った。
「みんなでこんなに盛り上がれたの、眉村のおかげだな」
その言葉に、遥介は深い満足感を覚える。
よかった。自分のせいで打ち上げに支障をきたすことは、避けられた。
早川が楽しみにしていた闇鍋を中止にせずにすんだし、それを、鍋を食べる人だけのものではない、打ち上げ参加者全員のイベントにすることができた。よい結果になったものだ。
――いや。
全員、ではない、か。
遥介は、薄暗い教室の隅に目をやった。
そこには、佐里がぽつんと一人で座っていた。
佐里はやっぱり、依然としてヘッドホンで音楽を聴いている。
誰とも会話せず、一人で音楽を聴くだけなら、何もこんな集まりに出て来ることはないのにと、遥介は思う。
きっと、他のみんなもそう思っているだろう。
それにしても、佐里が一人でいるのは妙だ。
佐里はクラスメートから避けられている存在だが、それでも、まったく友達がいないわけではない。
「そういえば……黒崎さんは、打ち上げに来てないのかな」
隣にいる早川に尋ねると、早川は、不思議そうな顔をして首をかしげた。
「黒崎……? そんなやつ、うちのクラスにいねーだろ」
「え……?」
早川の言葉に、遥介は一瞬、混乱した。
でも、そうだ。確かに早川の言うとおりだった。
クラスメートの名前を出席番号で五十音順に思い浮かべていけば、黒崎なんて苗字の生徒は、このクラスにはいないのだ。
考えてみると、佐里が教室で黒崎と話をしているところは、見たことがない。
一体何を勘違いしていたのだろう。
自分自身に呆れつつ、その一方で、なんだか腑に落ちない思いを抱きながら、遥介はおにぎりを口に運んだ。
おにぎりの最後の一口を呑み込んだ、ちょうどそのとき。
「はい、完食―!」
と、鍋のところから声が上がって、消えていた教室の電気が灯された。
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