第6話「不可解な答え」
「昨日はありがとう、遥介」
教室でいきなりそう話しかけられ、遥介は、多少面食らいながら顔を上げた。
目の前には、ヘッドホンを首に掛けて微笑んでいる佐里の姿があった。
次の授業の準備をする手を止めて、遥介は、言葉なくうなずいた。
佐里が首に掛けているヘッドホンは、昨日遥介が届けに行ったものではない。新しく買ってきたほうのヘッドホンだろう。
古いヘッドホンとプレイヤーは、もう使うつもりはないということなのか。
それなのに、昨日のことであらためて礼を言われても、どう言葉を返していいか、よくわからなかった。
そして、まだ何か用事があるのか。佐里は、遥介の席を離れようとしない。
「あの、佐里……何?」
「別に。ここにいたくて。遥介がいやなら、自分の席に戻るけど」
佐里に見つめられ、遥介は思わす目を伏せた。
わからない。何を考えているのだ、佐里は。
いや、考えていることはそのまま口に出すやつだから、佐里が「別に」というなら、それは「別に」ということなのだろう。
――「ここにいたくて」というのは、どういう意味だ?
「……そういえばさ」
下を向いたまま、遥介は口を開いた。
何? と佐里が聞き返す。
だが、とりあえず沈黙を破っただけで、遥介は、そのあとに続く話題を持っているわけではなかった。
焦った遥介は、何か佐里に関わる話がないかと考える。
急いで考えて、なんとか話題にできそうな事柄が思い浮かぶと、遥介は手元にあったノートをすばやく広げ、まだ使っていない白紙のページに、シャープペンでこう走り書いた。
『佐里は、なんで、おばさんに付いていかなかったの?』
とっさに思いついた話題は、それだった。
ずっと気になっていたことだった。
佐里の両親は、佐里の父親の不倫が原因で離婚した。
そういう事情であれば、娘としては父親に対して嫌悪感を抱きそうなものだ。
それなのに、佐里は、両親の離婚後も、あの家で父親と一緒に暮らしている。
その心理が、遥介には少し不可解だった。
何も今ここで尋ねるようなことじゃないな、とは思ったが、書き出してしまったものは仕方がない。
遥介は、返答を求めて佐里にペンを渡そうとした。
しかし、佐里はそれを受け取らず、
「あの家を離れたくなかったんだよ」
と、あっさり口頭で答えた。
「それに……遥介のそばにいたかったから」
その一言を。
遥介が理解するまでには、少し時間が掛かった。
言葉そのものの意味と、それを言ったのが佐里だという、そのことが、噛み合わなくて。
佐里が言い間違えたか、自分が聞き間違えたか、そんなふうに考えたほうが、よほど自然なことに思えた。
でも、言い間違いでも、聞き間違いでもないとしたら。
それだと、ますますわからなくなる。
無神経な言動。
嘲りを含んだ冷めた笑み。
そういう態度で、佐里は、今まで自分に接してきたではないか。
だから、自分は佐里に嫌われているものと思い込んでいたのに……。
昨日のことといい、この言葉といい……どういうことなのだろう。
そのとき。
遥介は、ふと後ろのほうで気配を感じた。
急にそこに生まれた、物音、息づかい。
まるで、それまで微動だにせず、息を殺していたかのような。
そういえば、佐里のプレイヤーを盗んだ山岸――あの子の席と自分の席は近かったな、と、遥介はそこではじめて思い出した。
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