第4話「自分の本音も、他人の秘密も」

 次の日、遥介より遅れて、ぎりぎりの時間に登校してきた佐里は、ヘッドホンを付けていなかった。

 あれから結局見つからなかったのだろう。

 そのせいか、佐里はずっと浮かない表情をしていた。




 その日の放課後、遥介は、委員会の集まりに少し顔を出したあと、忙しいときに申し訳ないですが、と頭を下げて、了承を得た上で体育祭の準備を抜けさせてもらった。


 佐里の音楽プレイヤーを捜して、遥介は校内をうろうろと歩き回った。

 今は佐里と親しい付き合いをしているわけでもないけれど、佐里のあんな様子を見ると、やっぱりほっとけない。


 捜して見つかる場所にあればいいのだが……。

 何せ、なくなったのは昨日のことだ。

 佐里の言うように誰かがプレイヤーを隠したのだとしたら、その人物がすでにプレイヤーを自分の家に持ち帰っていたり、学校の外で捨てたりしているということも考えられる。

 そうでなくとも、その人物がプレイヤーを自分の鞄に入れて持ち歩いていたら、こっちにはどうしようもない。


 無駄かもしれない、と思いながらも、遥介はしばらくプレイヤーを捜し続けた。


 そこへ、同じクラスの女子が声を掛けてきた。


「あ、眉村くん」

「何してんのー、こんなとこで」

「なんか、捜し物?」


 女子たちは、いつも仲良さそうに喋っている三人組と、そこに山岸という子を加えた四人だった。

 遥介は、小さく笑顔を作って溜め息をついた。


「佐里……樹椎きしいの、音楽プレイヤーが、なくなっちゃったらしくてさ」


 そう答えると、四人は途端に顔色を変えた。

 四人は互いに顔を見合わせて、無言で目配せし合い、それから、中の一人がおずおずと口を開いた。


「えっとお……。あたしら、そのプレイヤーのあるとこ、知ってる……かも?」

「本当?」


 遥介は、ただそれだけ聞き返した。


 深く追求はせず、遥介は、彼女たちにそのプレイヤーのある場所まで案内してもらった。

 プレイヤーは、校舎裏に生えた木の枝に、ヘッドホンのコードを巻き付けてぶら下げられていて、茂った葉の陰になって隠されていた。

 遥介はプレイヤーを枝から下ろし、


「どうもありがとう。助かったよ」


 と、笑顔で四人に礼を言ったが、誰も笑い返す者はいなかった。


 気まずい空気の中、とりわけ硬く表情をこわばらせた山岸が、遥介の前に進み出た。

 山岸は、眉間に深い皺を寄せながら、遥介に向かって頭を下げた。


「ごめんなさい。樹椎さんのプレイヤー、私が盗んで隠したの。……眉村くんに迷惑がかかるとは思わなくて」


 それに続いて、あとの三人も、口々に「ごめん」と頭を下げた。


「山岸さんだけが悪いわけじゃないよ。あたしら全員共犯だから……」

「まあねー。でも、もとはと言えば樹椎さんがさ……」

「口で言って通じる人なら、あたしたちもこんなこと、しやしないんだけど……」


 うつむきながらモゴモゴとそんなことを言って、三人は、その顔に不満の色を滲ませた。

 自分たちだけ責められるのは納得できない、と言わんばかりだ。


「だってねー、樹椎さんて、ちょっとおかしいと思わない?」


 一人が顔を上げ、声高に遥介に詰め寄る。

 他の二人も援護するように、うん、うんと横でうなずいた。


 遥介は、もとより彼女たちを責めるつもりもなかったし、できるだけ彼女たちの感情を刺激しないようにと黙っていた。

 硬い表情をしていると否定的な態度と取られかねないので、意識して顔の筋肉を緩め、彼女たちの話を聞く。


「言わなくていいことまで言いすぎるんだよねー、あの人」


「そうそう。こっちが好きなドラマや漫画の話で盛り上がってんのに、その話題振ったら『あれは○○って作品の劣化コピーでしょ』とか、『いかにも頭悪い人がハマりそう』とか、そんなこと平気で言うんだから。そういう人だって知ってからは、絶対そういう話題には入ってこさせないようにしてるけど」


「あと、髪型変えてきた子に『変なの』とか、人の持ち物や服装見て『馬鹿っぽい』とか。それに、本人も気にしてるけどどうしようもないことをさ……。『ブサイクがかわいい服着てるの見るとイラッとする』とか、『顔と名前が合ってなくて恥ずかしいね』とか、『あんたの笑い方ってなんか気持ち悪い』とか……。人が傷つくことさらっと言うのが信じらんない」


「うん、それもそうだし、あと――。樹椎さんて、たまたま知った人の秘密とか、隠そうとしないんだよね」


「そこがいちばんタチ悪いよねー。そういうことやめてくれない? って言っても『私、正直者だから、隠し事ってできないんだ』とか言って、全然反省しないし」


「ほんと、樹椎さんて、なんでもうちょっと人の気持ち考えてくれないんだろ。あの人と中学同じだった子が、樹椎さんには関わらないほうがいいよーって言ってたけど……すごい納得」


 聞きながら、遥介はいちいち心の中でうなずいた。

 だいたい想像していたとおりの話だ。


「あの人、自分の父親の不倫まで、母親にばらしたって言ってたし。そのせいで、両親が離婚することになったんだ、って……。いくら『正直者』だからってさあ、フツーそこまでするかなあ。そりゃあ、不倫する親とか最低だし、長い目で見て母親の幸せ考えたら、本当のこと教えるって選択肢もありかもしれないけど……でも、あの人の場合、母親のためとか、そんなの関係なく、単に自分の信念のためって感じで……そういうとこ、なんか怖い」


 佐里の両親が離婚したのはつい最近のことだった。

 離婚の原因を、やはり佐里の口から直接聞かされたときは、遥介も薄っすらと寒気を覚えたものだ。


 佐里についての話を聞いていると、どんどん嫌な気分になってくる。

 それは話しているほうにしても同じなようで、ひとしきり言いたいことを言ったはずの女子たちもまた、とても気が済んだというふうには見えない、重苦しい表情になっていた。


 そのとき、三人が話している間ずっと黙っていた山岸が、口を開いた。


「私……この前、樹椎さんに……まずいところを、見られちゃって」


 思い出すのもいやだというように、山岸は眉根を寄せた。


「まずいといっても、普通の人にとっては、決してやましいことではないような、ささいなことなの。でも、うちは、親が特別厳しくて……。もし、そのことが両親の耳に入ったら……何を言われるか。だから、私……お願いだから、このことは誰にも言わないでって、樹椎さんに頼んだんだけど……」


 感情を抑えた声で、ぽつり、ぽつりと、山岸は語る。


「樹椎さん、そんなことは約束できないって……。『私は嘘ついたり隠し事したりできないから、自分から言いふらすつもりはないけど、そのことについて誰かに何か聞かれたら、今見たこと正直に話すよ』って……」


 山岸は深くうつむいて、体の前で組んだ手に、爪を食い込ませる。


「これは、樹椎さんがどうこうじゃなく、私と両親との問題だってことは、わかってる。親に不満を伝えられない私自身に、非のあることなんだって。でも……それでも、樹椎さんの態度は、どうしても許せなくて……。言葉で言っても通じない人だから……。それなら、言葉以外の方法で、なんとかして、思い知らせてやりたくて……」


 だから、佐里のプレイヤーを盗んだのか。

 そして、同じく佐里に対して思うところのあったこの三人が、それに便乗したというわけか。


 佐里がいつもヘッドホンで音楽を聞いているのは、人の秘密をうっかり聞いてしまわないようにという理由もあるようだから、プレイヤーを隠したら、それはそれで周りにとって弊害がある気もするが。

 でも、とにかく佐里に腹を立てていた山岸たちにとっては、そんなことは二の次だったのだろう。


 それにしても、普段おとなしい山岸がこんな行動に出るなんて。

 佐里のせいで、よほど精神的に追い詰められていたに違いない。


 人に知られたくない秘密を握られ、それをいつばらされるかもしれないという状況に陥れば、人間というのはこのくらい追い詰められるものだ。

 佐里にはそのことがわからないのだろうか。

 それとも、わかっていてなお、人の気持ちよりも、自分の信念のほうが大事だというのだろうか。


 遥介は心の中で溜め息をついた。


 とにかく――捜していたプレイヤーが見つかった以上、これは佐里に返さなくてはならない。


「山岸さんたちのことは、樹椎には、絶対言わないから。約束する」


 遥介がそう言うと、四人ともホッとした顔になった。


「にしても、眉村くんて、樹椎さんと仲いいんだねー」


 女子の一人が、今更ながら意外そうに、不思議そうに口にした。


「プレイヤー捜すの、わざわざ手伝ってあげるなんてさ。……それとも、樹椎さんに、どうしてもって頼まれたの?」

「そういうわけじゃないけど……」


 遥介は小さく苦笑した。


「今は、仲いいわけでもないよ。でも……一応、幼なじみだからね」

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