第2話「嘘つきの笑顔」
学校にいるときの佐里は、授業中以外、たいていヘッドホンで音楽を聞いている。
休み時間の教室でも、弁当を食べているときでも、教室移動のわずかな道のりでさえも、ヘッドホンを耳から外すことは滅多にない。
携帯音楽プレイヤーの類を学校に持ってくることは、一応校則で禁止されているのだが、最初はいちいち注意していた教師たちも、佐里に関してはもう、あきらめて見て見ぬふりをしているようだ。
遥介は以前、職員室に呼び出された佐里が、教師と交わしていた会話を、たまたまそこに居合わせて聞いたことがあった。
『どうして、学校に来るのに音楽プレイヤーが必要なんだ?』
厳しい顔で問う教師に対して、佐里はこう言った。
『私にとっては必要なんです。学校に来ると、聞きたくないことがいろいろあるので。知り合いの内緒話とか。人の悪口とか。私の悪口とか』
困惑した顔になる教師。そこへ、佐里はさらにこう続けた。
『私、みんなに嫌われてるから、よく陰で悪口言われるんです。それに、私は正直者なんで、誰かの秘密とか陰口とか聞いたら、それを黙ってること、できないんです』
はきはきとした佐里の口調は、もし日本語のわからない人が聞いたら、何かよっぽどの正論を述べているんだと勘違いしてしまいそうなほど、なんの後ろめたさもないものだった。
佐里の言葉に、佐里と話していた教師は呆れた表情を浮かべた。
そのとき職員室にいた、他の教師たちも、数人の生徒たちも、皆一様に、溜め息をつきたげな顔になっていた。
あんなことを堂々と口にできる佐里は、確かに「正直者」に違いない。
だけど、それがなんだというのか。
正直者であることによって、佐里は一体何を得ているというのだろう。
朝から佐里と話したこの日、遥介は、放課後までずっと気分の悪さを引きずって過ごした。
ともすれば佐里のことが頭に浮かんで、佐里のことを考えれば考えるほど気分が塞いだ。
委員会の仕事が終わったら、早く家に帰って、本でも読んで気分転換しよう。
そう思いながら廊下を歩いていたとき、
「おーい、眉村」
馴染みのある声に呼び止められ、遥介は立ち止まった。
振り返ると、クラスメートの早川が、薄っぺらいノートを顔の横でパタパタさせながら近づいてきた。
「いやー、ちょうどよかった」
「どうした? 早川」
「うん、ちょっと、聞きたいことがあってな。眉村、おまえ、鍋って好きか?」
唐突な質問に、遥介は少々面食らう。
「え……まあ、好きだけど」
「そうか。……では、『闇』はどうだね」
「や、ヤミ?」
当惑する遥介の顔を見て、早川は面白そうに笑った。
「闇鍋だよお。や、み、な、べ! ほら、もうすぐ体育祭じゃん? 体育祭つったら、そのあとクラスで打ち上げじゃん? そのときの食いもんをさ、ハンバーガーだのピザだの出来合いのもの買ってくるだけじゃつまんねーから、どうせなら盛り上がることやりたいと思って!」
遥介は、早川のはしゃぎっぷりに少々たじろぎながら、うなずいた。
「へえ、それで闇鍋か。面白そうだな。大人数で闇鍋なんて、なかなか機会ないもんな」
「そうそう、いい思い出になりそうだろ? 他のやつらもけっこー乗り気でさ!」
「ふうん。……その闇鍋は、全員参加なのか?」
「うん、打ち上げに来るやつは全員参加ってことで、話進んでる」
「そっか……」
遥介は、一瞬だけ喉の奥を詰まらせたあと、その
「クラスの大半は参加するだろうから、ほんとに大人数になるな」
笑顔を浮かべながら、遥介は胸の内で、う……と呻いていた。
闇鍋……。鍋が好きかどうかと聞かれれば、早川に答えたとおり、まあ好きだ。
それは嘘ではない。けれど。
遥介が鍋を喜べるのは、あくまで普通の鍋を食べる場合。
つまり、闇鍋なんていう特殊なルール下で行われる食事ではない場合の話だ。
「一度箸でつまんだ物は、それがなんであろうと食べなければならない」ことを基本ルールに据える、闇鍋という食事形式。
それが遥介にとって、面白さよりも、はるかに大きな苦痛をもたらすものであることは、確実だった。
風変わりなその食事の魅力がわからないわけではないが。
少なくとも、食べ物の好き嫌いが激しくない人向けの娯楽だろう、闇鍋というのは。
まいったな、と、遥介は、表情に出さず悩む。
家で家族と食べるにしても、店で他人と食べるにしても、普通の鍋なら、嫌いな具は皿に取らなければいい。
でも、闇鍋だとそんなことは――鍋の具を事前に把握することはできない、どころか、そもそも鍋全体がまともな味付けになるという保証すらないのだ。
不味い鍋ができたらどうしよう。
いや、たとえ世間一般的には美味しいと言える味付けの鍋になったとしても、だ。
どうしても食べられない、という食材に運悪く当たってしまったら、最悪、その場で嘔吐してしまうこともありうる。
そのくらい筋金入りで食べられないものが、遥介には、両手の指で数え切れないほどあった。
「そんでさ」
と、早川は話を続ける。
「今、教室に何人か集まっててさ。これから本格的に話し合って、ほんとに闇鍋やるかどうか、やるとしたらどんな感じにするか、いろいろ決めようとしてるとこなんだ。眉村も、なんか、意見とか要望とか、言っときたいことあったら、今から教室来いよ」
「うん……」
そう言われても、遥介は今から委員会に向かうところだ。
体育祭というイベントの直前で、各委員会にはそれぞれいろいろな仕事が割り当てられていて、なかなか忙しい時期である。
そっちをさぼるわけにもいかなかった。
それに、できれば闇鍋をやりたくない、と思っている自分が話し合いに参加したって、どうなるものでもないだろう。
話し合いに加われば、あるいは闇鍋を取りやめにすることも、できるかもしれないけれど。
他のクラスメートたちが乗り気なら、それでいい。
みんなで闇鍋やろうと盛り上がっているところに、自分が水を差すのは申し訳ない。
何も、これから一生闇鍋を食べ続けなければいけないわけではないのだ。
たかだか一食限りのことである。
打ち上げそのものには参加したいから。
それなら、自分が我慢するのがいちばんいい。
本当のことなんか言わずに。
そう思い、遥介は笑顔で答えた。
「俺は、特に要望はないかな。早川たちに任せるよ。……あ、そうだ。参加者へのアレルギーの有無の確認は、しておいたほうがいいと思うよ」
「おっ、そうだな。さっすが眉村、気が回るねー。眉村は、食べ物のアレルギーってどうよ?」
「いや、俺は、そういうのは別に」
「そっか。……ちなみに、眉村は、鍋の食材提供する? 食べるだけにする? どっちがいい?」
「うーん……。もし、食材足りなさそうだったら、何か持ってこようかな」
「おう、ありがと。んじゃあ――」
早川は持っていたノートを広げて、そこに何か書き込んだ。
たぶん、食材提供者候補の名前をメモしたのだろう。
早川がペンを止めたのを見計らって、遥介は「それじゃあ」と口を開きかけた。
だが、顔を上げた早川が、
「あ、それでさあ、眉村」
と、さらに続けたため、遥介は、歩き出そうと動かした右足を慌ててもとの位置に戻した。
「打ち上げの、飲みもんとか菓子とかの買い出し、眉村も手伝ってくんねーかな? クラスの人数分っていうと、けっこう量あるから、人手必要でさあ」
「ああ……。えっと」
少し考えて、遥介は言った。
「買い出しって、何時頃になるかな? 体育祭終わってすぐはちょっと……難しいんだけど。でも、遅くなってもいいなら手伝いに――」
「委員会に行かなくていいの?」
不意に、その声が割って入り、遥介はぎくりとした。
後ろにいる佐里を、遥介は振り返ることもせず、ただゆっくりと身を固くする。
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