あかずの部屋の約束と秘密

ジュウジロウ

第1話「〈ある日〉からの正直者」

 正直が私のモットーなんだよ。

 私は嘘をつかないし、隠し事もしない。

 誰が相手でも。

 どんな状況でも。

 絶対に。――絶対にね。




 いつからだったのだろう、幼なじみの佐里さりが、あんなことを言い出すようになったのは。

 佐里の家の二階の窓を見上げて、遥介ようすけはふとそれを思った。


 薄いオレンジ色のカーテンが、半分だけ閉じられた窓。

 昔の佐里の部屋だ。今は誰も使っていない部屋らしいけれど。


 幼い頃、遥介は、佐里とよくあの部屋で遊んだ。

 遥介の記憶に残っているそのときの佐里の姿は、七、八歳くらいのものだろうか。

 その頃の佐里は、今の彼女とは全然違っていた。

 当時の佐里と、今は高校生になった佐里が同じでないのは、当たり前のことなのだが――。

 奇妙なのは、佐里が、ある日を境に、別人のように変わったのだと思えてならないことだ。


 でも、その「ある日」とは、いつのことだったのだろう。


 もう遠い昔のことだから。

 幼い子どもの頃のことだから。

 思い出せないのも無理のないことかもしれない。

 それでも、そのことはずっと遥介の心に引っかかっていて、時折こんなふうに考え込んでしまうのだ。



 無意識に足を止めて、オレンジ色のカーテンを見つめていた。

 どのくらいの間、そうしていたのか。 

 玄関の扉が開く音で、遥介はハッと我に返った。


「あれ、遥介? おはよう」


 佐里だった。

 遥介は反射的に笑顔を浮かべた。


「おはよう、佐里」

「どうしたの、今日は。遅いんだね」

「ああ……ちょっと」


 寝坊した、と、遥介は当たり障りのない答えを返した。

 しかし佐里は、


「それ、嘘だよね? 寝坊で遅くなったんなら、こんな道端に突っ立ってぼーっと人んち見てるわけないよ。今から学校行ったらぎりぎりの時間だもの」


 と、目を細めて笑ってみせた。

 意地の悪い、あきらかに嘲りを含んだ、冷めた笑み。

 それを見て、遥介の胸に吐き気にも似た不快感が広がる。

 自分の笑顔が崩れてしまう前にと、遥介は急いで歩き出し、佐里の横を通り過ぎた。


 門から出てきた佐里は、少し走ってすぐに遥介に追いつき、遥介に並んで歩く。

 佐里が向かう先も同じ高校だから、こういうタイミングで顔を合わせた以上、一緒に歩かないというのも不自然なことなのだ。


「遥介はさあ、いっつもつまんない嘘ばっかつくよね。なんで?」

「……別に」


 笑顔を作り直して、声にも充分な朗らかさが宿るように意識して、遥介は一言、そう答えるに留めた。


 本当のことを言う必要なんかない。

 人の家の窓を、時間が経つのも忘れてじっと見つめ続けていたなんて。

 自分でもおかしなことだと思うし、当の家に住む佐里にとっても、そんなことを聞かされるのは気味が悪いだけだろう。

 ――「つまらない嘘」をついた理由は、こんなところか。

 でも、仮にそう説明したとしても、今の佐里がそれを理解するとは思えなかった。



 しばらくの間、特に会話もなく、佐里と歩く。

 気を紛らわすものがないせいで、先ほど佐里に言われた台詞が、追い払っても追い払っても頭に浮かび、そのたびに、遥介は知らず知らず眉間に皺を寄せる。

 そして、自分が苦い表情をしているのに気がつくと、内心慌てながら、ゆっくりと眉元の皮膚を伸ばす。

 そんなことを、何度も繰り返した。


 数分間歩いたところで、唐突に、佐里が言った。


「あー、気まずいなあ。遥介、すごい機嫌悪いんだもん。私と歩きたくないならそう言えばいいのにさ」

「…………」


 もはや言葉を返す気にもなれず、遥介はただ苦笑いを浮かべた。


「もう一緒にいても気分悪いだけだから、私、先に行くよ。じゃあね!」


 笑顔でそう言い放ち、佐里は、手提鞄を片腕に抱えて駆け出した。


 遠ざかっていく後ろ姿。

 それを表情なく眺めながら、遥介はのろのろと歩く。


 腹の中は煮え繰り返るようだった。

 腹の底から立ち昇る蒸気が、胸を焼け付かせ、その熱で鼓動が速まり、息が苦しい。

 不快感の固まりが、喉元まで込み上げてくる。

 遥介は必死にそれを飲み下した。

 こういうものは、喉よりも下に押し込めておかなくてはいけない。

 顔や口に出してはいけないのだ。


“ある日を境に変わった” 佐里を、ずっと見てきたからこそ、そう思う。


 遥介は自分に誓っていた。

 佐里のような「正直者」には、絶対になるまい、と。

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