『白秋会議室』
隣のJR目白駅につく頃には、ぼくらは朱夏練兵場の追手を完全に制圧していて、16号が彼らをバレエダンサーじみた美しい蹴りで電車から叩き出す。ホームは一時騒然となり、だからぼくらの車両には結局誰も乗り込むことがないまま、ぼくらは座席に腰を落ち着ける。この車両にいる学生たちはすべて青春学園の手の者だ。朱夏練兵場はぼくらを追い込んだのではなく釣り出されていた。ぼくらの策に、まんまとハマっていた。しかし、
「甘い相手じゃなかったわね、18号」
そう、彼女の言は正しい。
被害を少なくするためとはいえ、まだ序盤戦だというのにぼくらは仕込んだカードのうち二枚を切ってしまっている。一枚は、車両一つの占拠。そしてもう一枚は、ぼくが『帰宅部』だという事実。
「けど、しかたないよ。ここまでの判断は間違いじゃない――消耗戦に持ち込まれたら、ぼくらは不利なんだから、消耗を抑えつつ嵌め手で短期決戦を仕掛ける。なんせ今は、少子高齢化社会なんだから」
ぼくは脳内で自分の言葉を反芻する。今は少子高齢化社会だ。だから青春学園は、少数精鋭の組織にならざるを得ない。消耗戦は避けろ。切り札を惜しまず切れ。余裕を持とうとするな。そうでなければ、勝ちなど呼び込めない。青春という季節のことをぼくは考える。いや、ぼくはいつだって青春のことを考え続けている。勝利に至るために。そしてそれは
青春は短い。高温で燃やせ。
青い、青い炎で。
■■
車両はJR新大久保駅を何事もなく通過し、そのままJR新宿駅のホームへと侵入する。そして、ブレーキが掛かり始め、停車する、その、寸前――
音が。
同時に、破壊が。
襲いかかる。ぼくらに。音はガラスが割れるそれで、稲妻をハイ・トーンにしたような、だから耳を割るようなと、そう形容されるべき音だ。そして同時に破壊が生じている。ぼくの動体視力はその破壊を細部まで捉えている。割れたのはぼくらの真向かいの窓ガラスと、そして背後の窓ガラスだ。破壊は直線の軌道に沿って起きた。
ぼくらはそれを回避している。
ぼくらは破壊に先んじて繋いでいた手を振り払い、反動で互いを僅かに自分の反対側へ衝いていた。それにより生じた隙間を、破壊が、いや、破壊をもたらした弾丸が、通過。直後、硝子が散るが、そのころにはぼくも彼女も状況を捉えている。硝子は驚異とはならない。
「『白秋会議室』か!」
ぼくは言う。理由はシンプルだ。飛んできた弾丸はゴルフボールだった。その武装の選択から、敵は白秋会議室でしかありえない。そして、ここにいたら的だ。
思考の間も行動は止んでいない。ぼくは窓を蹴破って、16号は開いていたドアから、逃げ惑う群衆の肩を踏み台に。それぞれの手段で車両を脱している。そして宙を舞う16号の手には『和弓』が握られている。車両にいた青春学園の生徒から受け取った弓が。無理な姿勢での跳躍にもかかわらず着地から構えまでの動作に淀みはない。どころか、なにかの淀みを祓っているとさえ感じさせる。構える姿には勢いが溢れる。
そして、言葉。
「わたしはね、『弓道部』なの。さあ、いざ勝負」
言葉と、互いの射撃は同時。
16号はわずかに首を傾け、頬を飛来したゴルフ球を躱す。
そして、ホーム三つ分、距離を置いた先で一人の男が倒れる。
その額を、撃ち抜かれて。
「やるねえ」
直後、16号の背後で賞賛の言葉を口にする男がいる。
整髪料で丁寧に整えられた白髪交じりの短髪。口元から耳まで、鋭角的に刈り揃えられた口髭。高級さを隠さず、しかし気品を備えたブラウンのジャケット。丁寧に磨かれた、ジャケットと同色の革靴。
その革靴の靴裏が、まさに16号の背中を打ち抜こうとしていて――
ぼくはそれを、交差させた両腕で庇う。
ぴきり、と『制服の袖ボタン』に罅が入り、しかしぼくも16号も、無事だ。
だから先の称賛は、16号だけではなく、ぼくら双方に向けられている。
「しかし、ひどいことするぜ」
脚を引いて、とん、とん、と距離を取り、ハンドポケットの姿勢で男が言う。長身で、そして、引き締まった肉体をしている。ジム通いを欠かさないって感じに。そして尻ポケットからスキットルを取り出して一口。飲酒……それも、攻撃的な。そしてスキットルの素材はステンレスやチタンではない。おそらくは、錫か。
拘りだね、とぼくは思う。
年相応に積み重ねてきた拘りが、攻撃性に転じている。
強い。
「あいつ、幼馴染なんだよ。長い付き合いだ。腐れ縁だな。大昔はさあ、一緒に野球もやったよ。大学じゃあテニス、そして今はゴルフってな。酒と煙草を覚えたのも、あいつとだった。ナンパもやった。一緒に風俗も行く仲だった。だがまあ、そういうのは遊びだな。そして、遊びじゃないこともやったよ。たくさんやった。なあ、当然、喧嘩もだ」
言うが早いか蹴りが飛ぶ。
ハンドポケットの姿勢のまま、正面へ、いかにも路上の喧嘩という風に。
一見洗練された動きではないが、しかし手慣れている。
その仕草が、素振りが、装いが、そのまま力を生んでいる。
当たればただでは済まない。
当然、ぼくも16号も当たる気はない。
「素直に当たれや」
聞く耳持たず、ぼくは16号とともに距離を取る。理想は、ぼくが足止めしたところを彼女が撃ち抜く、という流れだが、それは相手も百も承知。ぼくを無視して16号との距離を詰めようという意図が足運びから見える。
駆ける16号を追う白秋会議室の男、そこに割り込むのがぼく、という構図。
ときにはホーム間を跳躍しつつのチェイス。
「邪魔っけだねえ、ナイト気取り。しかし、こちとら妻子持ちだぜ。守るモンの重さでいやあ、こっちが重いんじゃねえのかい?」
ぼくは飛来する拳を受け、流す。
裏拳気味の、牽制に過ぎないそれが、すでに重い。
膂力もあるが、言葉による上乗せが大きい。
迂闊に言い返すのは不利。
間違えるな。この勝負、現状、決着は16号の役目だ。
ぼくは――
「ちっとな、優等生すぎるぜ、ナイトくん」
飛来する拳が思考に割り込む。
牽制ではない。正面からだ。
そして、踏み込みが深い。
しかし、受け、流せる――
はずだった。
「なっ、ぐっ、あっ!」
ここまで受けてきた拳と全く異質の衝撃と痛みが腕に走り、ぼくは思わず膝をつく。
そして相手の拳を見る。
何かが握り込まれている。
「め、メリケンサック?」
「正解。痛えだろ、それ。よくわかるよ、おれも昔何回か食った。不味いんだよ、それ。
なあ、罅くらいは入ったか」
男が言う。
「もっと不味くしてやるよ。折るぜ、それ」
言葉とともに、腕を取られる。
これは、まずい。
「18号ッ!」
16号の矢が放たれる。
彼女の射撃姿勢からは美がまるで損なわれていない。
本当に感嘆する。
しかし、
「見えてるねえ。なんせ、おれは美人を見逃さないからな」
男は、飛来する矢をあっさりと弾く。
メリケンサック付きの右拳ではない、左の拳で。その、薬指に光る指輪で。
そしてぼくの腕を地面に叩きつけ、革靴で踏み抜き、砕く。
制服のボタンごと、ぼくの右腕尺骨が圧し折られる。
「ぐ、あ」
ぼくは呻き、直後、16号の二の矢、三の矢が飛来する。
「んー……邪魔っけだねえ。ま、手負いの方は置いとくか」
身を引いて矢を回避した男はぼくへの追撃を止め、16号との距離を詰めにかかる。
まずい。早く追いつかなくてはいけない。
ぼくはなんとか姿勢を立て直し、男を追う。
16号はもう弓を構えていない。
余裕は失われている。
ぼくも16号も、一人では勝機はない。
16号と男の動きに注視し、ぼくは16号への最短ルートを取る。
ここは後発の利を活かす。状況を俯瞰して、最適なルートで、16号を追う。そして16号もまた、ぼくとの合流を望んでいる。
これだ。
この事実にこそ勝機がある。ぼくが追うべきは男ではなく、彼女だ。16号は男からは逃げているが、ぼくからは逃げない。むしろ合流を望み、こちらに近づいてきてくれる。ほら、16号との距離が詰まっていく。ぼくは高揚を感じる。ぼくは鼓動を感じる。
脈打つ腕の痛みを掻き消すほどの、心臓の脈動を。
「16号、手を!」
「ええ、18号!」
差し出された16号の手を右手で握る。ぼくらは合流する。尺骨は折れているが、構いはしない。痛みは置け。胸のときめきを、増せ。痛みさえ無視できるなら、ぼくは右手を怪我していても問題なく戦える。ぼくは『矯正された元左利き』で、訓練を経て今は殆ど両利きとなった。そうだ、ぼくは若いが、きっちりと躾けられている。それは、いずれ大人と相対するときのためだった。つまり、今このときのためだった。『これ』は武器だった。ぼくだってこんなことには今はじめて気づいたが。自分が『躾けられた存在』であることにこんな使い方が? と驚きを覚えているが。
しかし、使えるものは、使うぞ。ぼくは。
「持てるものは少ないんだ、ぼくらは。でも、それを、軽いって、そうは、言わせない」
迂闊な反論は、ダメだ。
吐くべき言葉を、吐け。
即興の警句で自分を奮わせろ。
「持つものも守るものも少ないぼくらは、すべてを燃やすぞ。高温で。青い、青い炎で。そして、燃やした以上のものを手に入れる。そっちに守るべき過去があるなら、ぼくらには手に入れるべき未来がある。ほら、釣り合ったぞ、天秤は。こちらの手の内とそちらの手の内は。だからぼくは言おう。彼女の言葉を借りて」
ぼくは短く、しかし鋭く、息を吸う。
「さあ、いざ、勝負」
■■
ぼくの宣言に、上等だよ、いくぞガキども、とそう言って、白秋会議室の男は拳を繰り出す。周囲の空気を揺らすほどの重く強靭な踏み込みで。守るものも背負うものも誇りも覚悟もすべて拳に載せたとでもいうように。その拳に鈍く光るメリケンサック以上に、踏み込みが、姿勢が、雄弁に拳の威力を語っていた。
拳は、輝いているようでさえあった。
白く、白く。
しかしその拳は、ぼくにも16号にも届くことはなかった。
男は、倒れている。
男は、分たれている。
断たれている。上半身と、下半身に。空気を揺らすほどの踏み込みを見せた下半身と、覚悟と思いを載せた、輝く拳を構えた上半身に。そして表情は、歪んでいる。理解できないという顔に。驚きに目を見開いて、そのまま、時が停止している。命が絶たれている。そして停止しているのが表情なら、停止していないのが血液だ。上半身と下半身、双方から噴出した血液はぼくの視界を赤く、いや、むしろ昏く、染めていく。
その向こうにぼくは見る。
影を。
黒い、黒い姿を。
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