『朱夏練兵場』
ひと月が過ぎて、世代間闘争が始まる。
闘争の舞台は様々であり、加えて、同一人物が同一所属から二度参加することはできない。そして、決まった勝負方式は存在しない。端的に言ってなんでもありの戦闘行為でのみ勝敗が争われる。参加する『組織』は、毎回変わらない。『青春学園』に『朱夏練兵場』、『白秋会議室』そして『玄冬病棟』。それぞれの組織は世代間闘争に向け、全国に最大30人の代表を世代間闘争に送り込む。
ぼくたちにわかっているのは、世代間闘争はこの世界の形を保つために必要だということだけだ。少なくとも歴史の現時点において、世代間闘争はなにか大きな仕組みの一部となっていて、なくてはならない。その確かな手触りだけがぼくらにはあり、そしてその代表になったという事実にぼくは名誉を感じる。
そのことを確認するかのように、五指に順に力を込める。
すると、返ってくる感触がある。それは青春16号の手指のものだ。ぼくらは手を繋ぎ、戦いに向かっている。否、まだ『敵』が姿を見せていないだけで、もうすでに戦いの舞台に立っているのかもしれない。
ここはどこか?
駅の構内だ。
更に具体化すれば、JR池袋駅構内であり、そしてここは地下一階だ。池袋駅の地下。ぼくたちはここ池袋に呼び出され、『いけふくろう』で待ち合わせをした。そして、すでに武装としてクレープを購入している。ほら、青春学園の代表として、ぼくたちはまったく油断していない。ぼくたちは恋をしているのだし、デートをしているのだし、こうして『生クリーム2倍トッピング』のいちごチョコクレープを二人で交互に食べながら、手を繋ぎ、微笑みあって、そして胸はこんなにもどきどきしている。
万全に、戦闘態勢に入っている。
「ね、気づいてる?」
唇に――薄く色付きリップで彩られた、『制服デート』的臨戦態勢の唇に――生クリームをつけた16号が言う。
「ああ、もちろん」
ぼくは返事をしつつ、その生クリームを人差し指で掬い取り、口元へと運ぶ。唇に触れられたことへの照れたような仕草で彼女はそっぽを向く。巧い。さすがだね、とぼくは思う。自然な仕草で周囲の様子を確認する、彼女の手際を心の中で称賛する。
もちろん16号が問うていたのは生クリームのことではない。
ぼくらの周囲が、『敵』に囲まれている、そのことについてだ。
彼女にばかり任せては格好がつかないので、ぼくもそれとなく周囲を確認する。取り出したスマホでカメラアプリをセルフィーモードで起動。照れた仕草の彼女と自分を『自撮り』に収めよう、というそぶりで、カメラに写った背後と、彼女の死角にあたる側の側面を確認する。
そして確信を得る。
ぼくらはすでに囲まれている。いまは平日の午後三時、そして近隣の高校は、ぼくらの調査によれば『テスト週間』だ。となれば、『早めの放課後デート』最中の学生たちがもっといてもおかしくない――しかし、ぼくらの周囲は会社員あるいは主婦層ばかりだ。
偶然かもしれないが、そのような油断をするべきだとはぼくも彼女も思っていない。
これは、すでに始まっていると考えるべきだ。
ぼくはいかにも『なにかSNSで面白いネタを見つけました』風に彼女にスマホの画面を見せる。そして開いてある入力用キーボードに『囲まれてる』とフリック入力すると、16号はいかにも『女子高生の悪ノリ』風の、しかしデート向けの、下品にはならない調子で笑いながらぼくのスマホを操作。スタンプ画面を選択し、ゆるキャラがYES!とサムズアップしたスタンプをタップ、そしてぼくの手からスマホを奪う。ぼくはその画面を追いかけ、彼女の肩に手を回しながら覗き込む。もちろん、『隙を見てスマホを取り返そうとしてるアピール』は忘れない。
彼女の細っこく白い親指が滑り、画面に文字が入力される。
敵は朱夏練兵場ね
しかけてこないのは
クレープが
まだあるから
でしょ
最後は「でしょ?」と入力と同時に声に出して、16号はスマホをぼくに返す。「そうだね」とぼくは返事をし、スマホをポケットへ。そして、クレープを彼女に差し出す。『朱夏練兵場』側が仕掛けてくるなら、これを食べ終わるときだろう。囲んでいる「わたしたちママ友よ」然とした主婦グループや「さて次の客先に向かわなきゃな」的態度のスーツ姿の男女の殆どは、おそらくは朱夏練兵場の構成員で、しかしそのほとんどは代表ではない。目くらましだ。代表は多くても三〇人だし、しかもそれが全国に散らばっているのだから。この場にいる代表は、二人か、三人か……多く見積もっても、五人ということはないと思う。そして、各組織の代表に直接手出しが許されるのは、やはり組織の代表だけだ。
どれだ?
そもそも、なぜぼくらが代表だとわかった?
疑問は尽きないが、クレープは尽きる。自然なペースで食べていく必要があるから、当然食べ終えてしまうし、最後の一口は16号がぼくに譲る。だって、まだ一緒になにか食べたりしたいでしょう、デートなんだから。だったら、わたしよりあなたが食べるの。お腹は一杯にしたくないもの。パーフェクトな言葉を受けて、ぼくはクレープの最後のひとくちを口に運ぶ。
入れた。
同時、ぼくに対し、背後から頭部へと放たれたハイキックを、16号がハイキックを重ねて受ける。制服のスカートからスラリと伸びた彼女の脚とスーツ姿の男の靴が衝突し、そして男が押し負け、わずかに距離を取る。体格的に勝るスーツ男の蹴りを押し返したのは、16号自身の力だけではない。彼女は相手の蹴りを『ハイソックスと肌との境』で受けていた。
巧みだ。
感心しているぼくもまた、動きを止めているわけではない。口の中にはクレープが残っているが、気にせず『スクールバッグ』での一撃を男の左側頭部に向けて放っている。
頭部にクリーンヒットするかに思えた一撃は、しかし男の腕時計――当然、ビジネス仕様の、嫌味にならない程度に高級な――で弾かれる。左利きか。左側頭部を狙ったのが、裏目に出た形になった。だが、ぼくはもうスクールバッグを手にしていなかった。バッグを振り抜いた勢いそのままに、姿勢を低くとったぼくは両手を地面につき、側転気味の回し蹴りを男のみぞおちに叩き込む。無論、16号が巧みであるようにぼくもまた周到だ。みぞおちをガードするネクタイ、あるいはネクタイピンを男がしていないことは、はじめに確認している。
男が倒れ込み、その頭を16号の『学校指定ローファー』が容赦なく打ち抜いた。
ノックダウン。
しかし、まだ一人だ。
息を整えながらスクールバッグを回収し、16号と再び手をつなぐ。デートの姿勢を崩すのは、まずい。こちらは今、守りに徹する場面なのだから――いや、違うな。
「逆手に取るよ。16号」
宣言し、ぼくは彼女の手を繋いだままダッシュをかける。包囲役はどうせ直接手を出せないのだから、ぶつかっていけば退くはずだし、事実そうなった。さらに駅構内の人混みをすり抜け、改札では16号とお揃いのパスケースをタッチし、一気に山手線のホームへと疾走する。
「いた、あいつだ」
「ええ、そうね、18号」
山手線5、6番ホームへの階段を登りきったタイミングで、ぼくらは振り返る。すると、階段を疾走してくる女がいる。服装は、私服だ。しかし色味は落ち着いていて、ビジネスシーンを思わせるし、パンプスを履いている。そして、社員証らしきピンバッジが胸に光っている。長方形に整えられた爪には主張を抑えたマニキュア。ポイントを押さえた防備だ。そしてこちらに疾走してくるその足取りに、不格好な要素はない。ハイヒールで難しくなる重心管理を、膝のみに頼らず全身の筋肉で行っている。
油断できない、とぼくは感じる。
「確認するわ、18号」
「なんだい、16号」
「ここにきたってことは、出し惜しみはしないのよね?」
「勿論」
ぼくの返事と、女がホームに上ってくるのと、ホームに山手線内回りの電車が入ってくるのは同時だった。ぼくらは電車の停止まで、女を撒くためにホームを駆ける。その間も、繋いだ手は離さない。16号の上気した頬が、運動量によるそれ以上にぼくの胸を高鳴らせる。
そして、電車のドアが開く。
いける。
「だめ!18号!」
叫びとともに、電車内に飛び込もうとしたぼくを16号が後ろに引っ張る。
すると、眼前をなにかが飛んでいった。
もし引っ張られなかったら、ぼくの側頭部にヒットしていただろうそれと同じものが、更に複数、飛び込んでくる。名刺か。糞、予想できた武器だ。しかし、それなら、
「一発もらう覚悟なら、電車には飛び込める。16号、ぼくを盾に」
「わかった!」
タイミングを合わせ、閉じかけた電車のドアに飛び込む。腕で顔を庇ったから制服の袖に名刺が刺さったが、腕を軽く切った程度。これならまったく、問題ない。
ただ、追手もまた、隣の車両に飛び込んでいたらしい。
程なくして車両と車両とを繋ぐドアが開き、追手がこちらの車両に姿を現す。
ぼくと16号は、正面から追手と向かい合った。
私服姿の女と、スーツ姿の男。
「二対一かと思ったかしら、学生さん。残念だったわね」
女が言う。そして、腕を振る動作とともに、会議用の指示棒がすちゃちゃちゃちゃちゃと小気味良く伸長する。名刺はサブウェポンで、本命はそれか。
「いや、失策だよ、それは」
ぼくは言って、返事をさせないで続ける。
「この車両にいる人の姿を見て、気づくことはないかい? ほら、どの座席にも、そして扉の脇にも、いるのはすべて『制服姿』の『高校生』だ。ねえ、朱夏練兵場の代表、電車は自分のフィールドだって思ってる? ここがもし満員電車だったらそうだっただろう。これが通勤の時間帯だったら、ぼくは為す術無くあなたがたに叩き伏せられただろう。けれど今はまだ、定時前なんじゃないかな? そしてぼくらは、定期テスト期間だからもうとっくに放課後でさ、こんなふうに、クレープで軽く糖分を摂ってさ、どこかのファミレスか何かに行くのさ、そして、『明日のテストの勉強』を『ドリンクバー』を飲みながら、する。何時間もね。あとさ、ぼくが失策だって言ったのは、あなたの武器のことじゃない。あなたたちが、二人揃ってしまってるってことだよ。お二人さん、ずいぶん仲がよさそうだね。ぼくらにだって負けないかもしれない。でもさ、ぼくらのは『恋』だけど、あなたたちのは、なんか、逢い引きって感じだぜ。深夜ならいいかもしれないけど、今はまだまだ定時前だろ。日も落ちてない、そういう時間だろ。そういう時間には、相応しくないんじゃないの。そして、最後に決定的なことを言おうか。ねえ、ぼくのことを何部だと思う? 部活だよ、部活動。多分、青春学園代表っていうだけで、サッカー部とかテニス部とか、思ってない? あるいは吹奏楽部、とかね。しかし残念、ぼくはね、『帰宅部』なんだよ、お二人さん。そして今は、『テスト期間の、放課後の、電車の中』だ。「彼女と二人、幸せいっぱいの』ね。諦めなよ、ぼくらには勝てない」
ぼくは宣告する。
そして、程なくして決着が訪れる。
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