第10話 御忍び視察2
——ジュザ一行視点——
有意義なギルドマスターとの対談を終え、依頼が貼り出される朝の賑わいもひと段落したころ、ジュザ一行は他にも手掛かりがないかと街中へ繰り出していた。
「リット、マーカス、そなたらのその格好……なかなかに似合っているな」
「ジュザ様、私どもは城を出れば地方貴族の端くれでございます。町人と何ら変わりはございません」
そう、柔和な表情で話すマーカスは四十過ぎの落ち着きあるおじさんだ。
控えめな顎髭と、癖っ毛の茶髪が、柔らかな性格と相まって、だらしなさそうな印象を演出している。
「そうですよ。王子様の護衛を任されていること自体、周りからのやっかみが絶えないほどの名誉職なんですから」
「ふふ、地位など関係ない。そなたらは、あの王国最強の騎士ガイナートに選ばれた精鋭。
いくら周りが騒ごうと、その強さを否定できる者などいないだろう」
「ですね!」
ニヤニヤと無邪気な笑みを見せるリットは、三十手前にもかかわらず、まだ幼さの残る童顔、金髪の青年だ。
トキオウ王国の近衛兵団には、貴族であれば誰でも入団可能だった。しかし、そこから側近警護隊の地位まで上り詰めるには、純粋な強さが求められる。
毎年、何万もの希望者たちが集まり、己の強さを競い合う入団試験が開催され、役職者以外の者は毎年この選抜を勝ち残った者たちと入替戦をしなければならなかった。
弱肉強食の世界でマンネリ化などはあり得ない。八百長が発覚しようものなら、地方貴族の地位は地の底に落ちてしまう。
なぜなら、領民が去ってしまうからだ。
悪政を許さないのは王ではなく領民。
強さを求め、平和を愛し、王政への信頼によって成り立つ王国であるがゆえに、熱を持たない地方貴族に未来はない。
そのため、トキオウ王国近衛兵団は、腐敗とは縁遠い純粋な強さを強固なまでに維持し続けてきた。
このように盛大な入団試験の時期が近づけば、王都は集まる人と金の規模から、経済的にお祭り騒ぎの様相になるほどだった。
そして、その荒波を幾度となく乗り越え、マーカスとリットの二人は入団当初からこの地位を維持している文字通りの猛者。
近衛兵団側近警護隊は、近衛兵団の花形であり、入団試験を勝ち抜いた者たちを更にふるいにかけた選りすぐりの二十人なのだ。
その名誉ある役職についた者は生ける伝説とも呼ばれ、年を追うごとに強くなるその様は、大陸全土を探しても知らぬ者を見つけるのが困難なほどに名声を轟かせていた。
「とはいえ、邪鬼城の魔物を倒せた者はいないんだ、この任務がいかに重要かわかるだろう? 気を引き締めろよ、リット」
「……わかってますよ。ガイナート隊長が死を覚悟した相手ですからね」
リットは、おちゃらけていた雰囲気を引き締め、国の命運を左右する任務についているという自覚を思い出す。
そんなリットを横目に、マーカスはギルドマスターが言った師範級以上の魔力を保有するという少年のことが気になっていた。
もし、仮にその少年が赤い光の主ではなくても、なんとしても戦いに参加して欲しい人材であることに変わりはない。
たとえまだ少年であったとしても、今からガイナート隊長の元に連れて行けば、後の戦争で多くの武勲を納めるほどには成長が望めると思っていた。
「そう気を詰めずともよい。そうだ、ランチにしないか? 露店を見ていたらお腹が空いてきた。どうだ?」
盛り上がる二人を見て、気負い過ぎていると感じたジュウザは気晴らしを提案した。
「それはいい考えですね! 私も城下町での食事は久し振りです」
「私も賛成いたします!」
三人とも、昼にはまだ少し早いが初日から根を詰めて働く気はさらさらない。
少年が目当ての人であればいいが、外れてしまえば草の根を分けてでも見つけることは難しいとわかりきっていたからだ。
それに、普通に探していたのでは見つからないかもしれないので、気晴らしに普段と違うことをすることで探索範囲を絞らない工夫も必要だった。
……というのが言い訳で、城下町の昼食が気になってしょうがないというのが本音だ。
一行は辺りを見回しながら良さそうな店を探して歩く。
しかし、貴族であることには変わりなく、案外お眼鏡に叶うお店を探すことはなかなかに困難であった。
「どこもパッとした店構えをしていませんね」
「そうですねぇ」
マーカスもリットも興味を惹かれるお店が見つからず、だんだんと歩くペースまで落ちる始末。
ジュウザ王子も、店に入っていく冒険者達の成りを見て、今一歩その歩みを前に出せずにいた。
「ここまで苦労するとは思わなかったな」
「早くに店探しをして正解でしたね」
「まったくだ」
選り好みをし過ぎて、余裕のあった腹の虫も徐々にチクチクと動き出していた。
もう、どこでもいいかと誰かが言い出しそうな頃合になって、出入りの激しい一軒の店が目に飛び込んできた。
「ジュザ様、あそこなんていいんじゃないですか?」
「そう……だな。あれだけ人の出入りが多いのであれば期待できそうだ」
「じゃあ、今日はあの店で決まりですね!」
「よし、行ってみよう!」
ジュザ一行が向かった先は、冒険者御用達のお店であり、ユキが働いているバクーであった。
ジュザ一行は行儀よく店の外で順番を待つ。
順番待ちの列はそこそこの長さではあったのだが、回転が早く、ものの数分で列の先頭へ。
そして、店の中から呼び声がかかった。
「お待ちのお客様! 席が空きましたのでどうぞ!」
マーカスが先頭を切って店に入り、二人を席まで連れて行く。
クッションなどは敷かれていない木で作られた無骨な椅子に座ると、店員がメニューを届けにきた。
「いらっしゃいませ! 今日のおすすめは干し肉のスープと焼き飯です。お決まりになりましたらお呼びくださいね」
「ありがとう」
マーカスはメニューを受け取るとテーブルに広げ、まじまじと内容を吟味していた。
「串肉、野菜炒め、黒パンに、ふかし芋……どうもパッとしないな。なんでこんなにも繁盛してるんだ?」
「そうですねぇ。メニュー表を見る限りでは、家庭料理に毛が生えたようなものばかりですね」
「うーむ。どうしたものか……」
「決めかねますねぇ」
二人はメニュー表と睨めっこしながら唸っていた。
地方貴族とはいえ、料理人を抱えるくらいには裕福だったため、どれもこれも食指が動くようなメニューには見えなかったのだ。
「ジュザ様はどうしますか?」
マーカスは自分では決めかねるため王子の意見に乗っかろうとした。
しかし、ジュウザ王子の目にはメニューなど映ってはいなかった。
彼が見つめる先……フラフラと目が泳ぎ、何かを追うように首を振る。
不審に思ったマーカスがジュウザ王子の見つめる先を追えば、彼はずっと献身的に働く店員をその目に納めていたのだ。
「ジュザ様?」
「……」
「ジュザ様!」
ビクッと肩を弾ませ、大きめの呼び声にようやく反応してくれたジュザ王子は、マーカスと店員とをキョロキョロと落ち着かない風に視線を動かしていた。
「あ、すまない……どうか……したか?」
「いえ……ジュザ様は何を頼みますか?」
「あ……ああ……じゃあ、今日のおすすめで……いい」
会話の最中もマーカスを見ることはほとんどせず、店員の方を見ながら返答していた。
「わかりました。じゃあ……すいません!」
「はーい!」
手を上げ、店員に聞こえるように声を張り上げたマーカス。店員の返事を確認するとジュウザ王子に向き直る。
すると、ジュウザ王子は下を向き、今まで見向きもしていなかったメニューに目線を落としていた。店員と目が合わないよう気にしてるようだ。
「ご注文をどうぞ」
「おすすめを三人前頼みます」
「はい、ありがとうございます! お飲み物はいかがいたしますか?」
「じゃあ……アルコールの入っていない飲み物を三人分追加してくれ」
「わかりました。それではお茶をお持ちいたします。少々お待ちくださいね」
伝票に注文を取り終えると、彼女は厨房へと急ぎ足で帰っていった。
王子へと目を戻せば、俯いていた王子が首を長くして、またもや彼女を視線に捉えていた。
これは……もしかしたら、もしかするかもしれない。
マーカスはこの任務の直前、ガイナート隊長より追加の極秘任務を命じられていた。
それは、王子の嫁探しだ。
貴族の娘に興味を示さないジュウザ王子を見かねて、町娘でも構わないと王が出した極秘任務。
もし、ジュウザ王子の気を引く娘がいれば、小貴族にしてしまえばいい。それに、御忍び視察で町娘を嫁にしたとなれば、領民も悪い気はしないだろうし、そうなれば意を唱える貴族も出ないはずだ。
異例なことだが、トキオウ王国の後継を確保できるのなら些細な話だった。
——トキオウ王視点——
「信じられん……まだここを立ってから一日も経っておらんというのに、赤い光の主の手がかりと、嫁候補を見つけたと申すのか?」
「はい。マーカスの使いから報告を受けた時は、私も驚きを隠せませんでした」
日が沈み、湯浴みを終えて寝室に向かうと、扉の前にガイナートが立っていた。
隊長であるガイナートが寝ずの番をすることはないはずない。
それに、どことなく落ち着きもない様子。王はジュウザに何かが起きたのではないかと不安に襲われたのだが、ガイナートから告げられたのは信じられないほどの吉報だった。
「して、どこの誰なのだ?」
「はっ! 歳は十六で冒険者になったばかりだそうです」
「冒険者だと!?」
「え? はっ……はい。えー、そして、今は疾風というチームに属し中級任務をこなしているとのことです」
「そっ……そうなのか」
「ええ、しかし、今は王都を立ったばかりで、連れ戻すのに一週間ほどかかるとのことです」
「ん? では、ジュウザはどこでその娘と会ったのだ?」
「え? いや、あの、これは赤い光の主の情報で……」
「馬鹿者! わしが聞いたのはジュウザが好意を抱いている娘のことだ!」
「しっ……失礼いたしました!」
掛けていた椅子から立ち上がり、ガイナートを叱りつけてしまった。
赤い光の主について、聞きたくないわけではないのだが、王としては世継ぎ問題の方が深刻であり、一刻も早く解決したい案件であった。
ガイナートとしては、国の行く末を決める戦争の方が大事かと思ってのことだが、こればかりはしょうがない。王といえども親であることには変わりないのだ。
「かの娘はバクーという宿屋が昼時に営業している食堂の店員らしく、昼食を取りにたまたま入ったところ、王子の目線が娘を追って離さなかったと報告を受けました」
「なんと! ジュウザがそのように興味を示したというのか! どんなに器量も気立ても良い娘を当てがっても見向きもしなかったあのジュウザが……そうか。して、その娘はどうなのだ?」
グイグイと王に迫られ、ガイナートは焦る。マーカスから受けた報告はこれで終わりだ。
ぐるぐると思いを巡らせても、良案は浮かばない。仕方なく切り出すしかなかった。
「あの……今日受けた報告は以上です」
「なんだと! すぐにその娘について調査せよ! 小貴族へと迎え入れる準備も忘れるな!」
「はっ!」
吉報を伝えたはずなのに、ガイナートの心境は穏やかではなかった。明日からまた雑用が増えたな……と、近衛兵団長としての責務に溜息が溢れそうになる。
「赤い光の主については、こちらからも身辺調査を進めておけ。小貴族へ迎え入れる準備もだ」
「はっ!」
王は簡単に小貴族へと格上げせよと命令するが、その準備を秘密裏に行うのはなかなか骨の折れる作業である。
ガイナートはもっと公になってからでもいいんじゃないかなーと思いつつも、ある程度作業を進めておかなければ、また無用な雑用を押しつけられてしまう。
王の機嫌が良くても悪くても、権力者の舵取りは難しいものなのだ。
——チーム疾風視点——
「うわぁああああああ!」
「いやぁあああ!」
「あ……いや……いやああああああああ!!!」
リュウ、レイース、ラッチェの三人は悲鳴を上げている。
彼らは今、風となって空を切り、放たれた砲弾のような速さで移動している。
文字通り疾風のごとく移動するその様は、誰の目にも止まることはない。
抜き去った後に残るのは、巨大な地割れと爆破したような音、そして、幼さが残る声色の絶叫だけだ。
「ったくうるせぇやつらだな! ちったあ静かにできねぇのか?」
「無理! 無理! 無理! 無理!」
「マサ! 前! 前をちゃんと見て!」
「ああ……木が……あ、危ない! 人! 前! 人!」
目にも留まらぬ速さで駆け抜けるダンジョン以外の初仕事への道中。
普通に向かえば馬を使っても一週間はかかる旅を、マサに抱えられ一日で移動するぞと言われたのがギルドに集まってすぐのことだった。
ギルドを出るやいなや、ガシッと両腕にレイースとラッチェを抱え込み、言われるがままにリュウが背中に乗ると、振り落とされなかったのが不思議なくらいの速さでマサは飛び出した。
「もう、いい加減慣れたらどうなんだ? まだまだ先はなげぇぞ!」
「いや! もう嫌!」
「無理だから! こんな、無理だから!」
マサが飛び出してから、この絶叫は延々と続き、人、木、崖、魔物と、目に見える全ての障害物に恐怖を抱き治らない。
「俺がぶつかるわけねぇだろうが! 安心しておねんねしてな!」
「マサ、寝れるわけない!」
「おろせ! おーろーせー!」
「もう、もう、ああ……」
「ったく……しょうがねぇな!」
マサがスピードを緩め、飛翔距離が縮まる。
三人とも、飛び出して間もないというのに、絶え間なく叫び続けたせいで休息が必要だった。
マサがスピードを緩めたことで、ようやく休めると三人は安堵していた。
しかし……
「これはあんまりやらねぇんだけどよ、お前たちが到着するころには疲れ切ってしまいそうだからな。そうだろ?」
「ええ、こんな状況、一日なんて、耐えられないわ……」
「無理ですー無理ですー」
「マサ、僕も……」
「わかった、わかった。んじゃ、出血大サービスだ! 景気付けにいっちょやりますかね!」
「え? 休むんじゃないの?」
「なに? なんなの?」
「……」
「へへ……秘奥義! 怒天真歩!」
レイースとラッチェは、掴まれている腕が固くなるのを感じた。
リュウは、マサが更に前傾姿勢をとったのを感じた。
そして、短いようで長い対空時間の間に、様々な予想が頭の中を駆け巡るのだが、マサが着地した瞬間、その全ての予想を遥かに超えたスピードが全身を襲う。
レイースとラッチェの絶叫が聞こえない。
叫んでいる姿を目では確認できるのだが、その声はリュウの耳には届かなかった。
おもむろに前を見る。
なぜか風は感じない。
先ほどまでの風切り音は鳴りを潜め、無音で世界が通り過ぎていく。
後ろを見れば……辿ってきた道には土煙が異様な高さまで登っていた。
リュウが韋駄天の異名はこんなにも恐ろしいものなのかと感じたころには、気絶という生命の安全装置が働いていた。
彼女が救った少年は黒い翼を持つ魔物でした 大きな鯨 @Okinakujira
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