第3話 小さな幸せ

 ——感情を隠せない男視点——


 今日も駄目か……。

 毎日欠かさず適正検査を受けてるってぇのに、受付の姉ちゃんは頑として首を縦に振らねぇ。

 今日も同じ所をぐるっと一周するだけのつまんねぇ仕事を繰り返す羽目になっちまった。

 毎日朝早くに出発して、帰って来る頃には日は沈んでる。正直うだつの上がらないこの日常が、これから先も永遠に続くかと思うと気が狂いそうだ。


 かと言って以前やっていた復興の仕事は一年もしないうちに飽きて辞めちまった過去がある。それに、頭を使った仕事はできねぇ。だから、冒険者ならと期待してたギルドの仕事だったんだが……やることはぐるっと一周城外観光ってんだから浮かばれねぇ。

 たまに現れる魔物を退治するってぇのが、この仕事の主な目的なんだが、早起きが苦手なもんで俺より先に出た奴らによってほとんど退治済みだ。

 俺は月に一、二度、魔物に遭遇するかしないかなんで、ほぼ毎日優雅で怠惰なお散歩で終わっちまう。


 そして、何より問題なのが報酬が安いことだ。リスクは低いが命懸けなことに変わりは無ぇし、一日かけてお城を一周歩き続けるのも骨が折れる……それなのにだ!

 日給制で棒銀貨一枚とはどういう了見なんだ? まあ、魔物を退治して素材を持ち帰りゃギルドが換金してくれるとはいえ、ここいらの魔物の素材なんか持ち帰っても棒銀貨一枚になるかどうかだ。

 それに、体が資本の仕事だから、三日に一度くらい休みを取ってキッチリ体調管理しなきゃいけねぇ。じゃなきゃいざって時に死んじまう。蓋を開けて見りゃ、雇われ仕事に毛が生えた程度にしかならなんねぇ。魔物を狩らなきゃ同等の給料だ。


 だから、もうこんな仕事は早々に辞めて違う仕事を探そうかと思ってたんだが……そんな時にギルドでたまたま出会った坊主から耳寄りな情報を聞いちまったんだ。

 いつも混んでて面倒だからと敬遠していた料理屋バクー。そこに、若くて可愛い姉ちゃんが働いているってぇんだから聞き捨てならねぇ。

 あの坊主、ちょっと頼りねぇが顔立ちは整ってた。きっと、姉ちゃんの方も期待できるだろう。

 しかも、俺が「可愛いのか?」って聞くと、はっきり可愛いと自慢しやがった。それに、昼時はいつも混んでいるとなりゃ……こりゃ期待しないわけがない。


 しかしながら、少々問題があった。それは、昼の忙しい時間帯しか働いていないってことだ。

 もっと朝早くに出てりゃ余裕で間に合ったんだろうが、もう早朝組が東門のすぐ側まで着いている頃だ。どう頑張っても間に合う時間じゃない。

 しかし、だ! 俺は昔「韋駄天のマサ」と呼ばれていた程の俊足。こんなハンデなんて何てこたぁない。余裕で巻き返せるって寸法だ。

 そうと決まれば善は急げ! 坊主と話し込んでなんかいられねぇから、ちゃっちゃと切り上げて俺はギルドを飛び出した。

 今日は天気も良く、風も穏やかで、俺の走りを邪魔する奴は何処にも居ねぇ。だから俺は今使わなきゃいつ使うってな具合に、磨きに磨いた秘技を繰り出す。


「秘儀! 怒天闊歩!」


 ドン! と空気を揺らし、地面に大きな地割れを残す。一歩一歩は数百メートル置きに踏み出され、その残した足跡を知らずに見れば巨大な魔物でも通ったのかと恐怖を誘う。


「なーっはっはー! まだまだなまっちゃいねぇなぁ!」


 久し振りに好奇心を揺さぶられ、気分は乗りに乗っていた。

 一歩踏み出せば、弾丸が撃ち出されたかのように加速して、飛魚のように突き進む。


「おお? いつもは長げぇ散歩道なのに、もうちょっとで着いちまうなぁ! 早朝組のお出ましだ!」


 早朝組が歩いている横を、ドン! と大きな音を立ててとおり過ぎる。早朝組が大きな音に気づいて後ろを振り返る頃には、俺はとっくに前に居た。


「へへっ! どこ見てんだあいつらは! もうそこにはなんもねぇってんだ! はっはっはー! 

 おおっと! ここだ、ここだ! あぶねぇ、危うくとおり過ぎちまうとこだったぜ」


 木よりも高く飛び上がり、音を置き去りにしながら突き進む。マサが走った音を聞く頃には、そこにマサの姿はない。

 結局俺は早朝組を追い越して東門へ一番乗りをした。


「さーて、バクーへ急ぐとしようかね」


 ウキウキし過ぎて独り言が止まらねぇ。普段はパーティを組まず気楽に一人でなんでもこなすたちなもんで、気づけばベラベラ口ずさんでる。

 ましてやこんな気分の良い日はなおさらだ。

 俺は美人と聞くと居ても立ってもいられねぇ。王都で美人と噂される女性は、聞けばすぐに見に行ってしまう……いわゆるミーハーってやつだ。

 あまり興味がなかったお店だったんで、少々道に迷っちまったがなんとか無事到着した。

 ワクワクと胸を躍らせてお店のドアを開く。


「いらっしゃいませー!」


 店内に入ると、すぐに可愛い声がお出迎えの挨拶をしてくれた。声の方を向くと、坊主が言っていたとおり可愛いくて美人な店員さんだ。しかも若い! 肌も透き通っていて、顔立ちは可愛い系の柔らかな感じだ。目が大きくて、少し垂れ目気味。髪型は癖のある長い髪を束ねてポニーテールと洒落こんでいる。こりゃ見に来た甲斐があったってもんだ。

 久し振りの上玉に満足感をじっくり味わっていた。

 店内を見回すと、早朝組が来ていないせいか誰の姿もなかった。


「どうぞこちらへ」


 可愛い店員さんはカウンター席へと俺を案内した。俺としては可愛い姉ちゃんを拝めたのでもう十分だったのだが、少々坊主のことが気になって声をかけてしまった。


「なぁ姉ちゃん。おめぇ、弟いるか?」

「え? ええ、一応……弟がどうかしましたか?」

「いやな、さっきギルドで会ったもんだからよ。ここで姉ちゃんが働いてるから、もし良かったらって言われてな!」

「リュウと会ったんですか!? ギルドで? そっかー……ちゃんと行ったんだぁ」


 坊主の名前はリュウというらしい。名前も聞かずに来てしまっていた事に今更気づいた。

 まあ、こっちとしては可愛い姉ちゃんを拝みたかっただけだから、名前なんてどうだって良かったのだが、ただ、やっぱり、あの坊主……リュウのことが気になってしまっている。

 しかし……姉ちゃんのこの反応からすると……坊主は見た目通りの弱っちい奴なのかな?


「なんだ? あいつは穀潰しだったのか?」

「穀潰し?」

「ああ、食うだけ食って、働かねえ奴のことをそう言うんだよ」

「いえ、リュウはちゃんと働いてました! あの日から八年間ずっと。でも……復興の仕事が無くなってしまったので、今日初めてギルドに行ったんです」


 坊主はちゃんと働いていたみたいだ。成見て判断なんかできないもんだな。俺が投げ出した仕事をあいつは最後までやり遂げたらしい。

 しかしまあ、八年前ってぇとあいつはいくつだ? 姉ちゃんが十八だから……十歳未満か……年端もいかねえクソガキじゃねえか!

 ……あの日の生き残りってぇなら根性座っててもおかしくねぇわな。


「……なるほどなぁ。そういや、壁も建物も完成したもんなぁ。世知辛いこったな」

「ええ……。あの……リュウは……その、ギルドでは、どうでしたか?」

「ん? んー坊主は……そうだなぁ……

 そういや俺、坊主に可愛い姉ちゃんがここで働いてるって自慢されてすっ飛んで来たんだった。

 まー、受付も済ませてなかったようだったからあんまよくわかんねぇな」

「そうですか……」


 そうガッカリされるとなんだか悪りぃことした気分になるな。まあ、でも、仲睦まじい姉弟じゃねぇか……。そんな幼い頃から二人して働いてるってことは……こりゃ、あんまり良い状況じゃねぇだろうな。

 でも……まあ、あの復興作業をやり遂げた男だ、何やっても大丈夫だろう。


「まあ、大丈夫じゃねぇか? ナヨナヨしてる割には、体はガッチリしてるし、こんな可愛い姉ちゃんがいるんだ、弟も頑張れるってもんよ!」

「ふふ。優しいんですね。ありがとうございます! また見かけるようでしたら、弟を宜しくお願いしますね」


 まったく……八年前の惨劇は幼い二人にゃ辛過ぎる出来事だったろうに……それが今はこんなにも純粋に弟の事を思ってる……あの事件が絆を深くしたんかねぇ。

 きっとリュウの野郎もそうなんだろう……本当に良い姉弟だ。

 おっといけねぇ、最近涙腺が弱くなってしょうがねぇ。

 俺は涙袋に水が溜まっていくのを感じていた。


「っかー! 羨ましいこったねぇ。可愛い姉ちゃんに大事にされて……いや参った。

 今度見かけたら世話してやんよ! 任しとけ!」

「ふふ、頼もしいですね!」

「ったりめぇよ! ……そういやおめぇ、名前は?」


 弟の方は聞き忘れちまったからな、同じ轍は二度と踏まねえ。坊主に会ったら、可愛い姉ちゃんが気にかけてたって教えてやんなきゃなんねぇかんな!


「ユキです」

「ユキちゃんか、弟は……リュウだったな。よし、これで間違えることはねぇな。っしゃ、じゃあ、行くわ! またな!」

「え!? あの! 食事していかないんですか?」


 ひょんなことから空腹も忘れるくらい良い話が聞けたもんでうっかりしてた。

 あの技を使った後はちゃんと飯食っとかねぇと時間差で体調崩すかんな……無理にでも食わにゃあいけねぇんだった。

 ただ、今日はあんま手持ちが無ぇから先に言っとかねぇとな。


「あ……そうだな、うっかりしてた。何も食わねぇで帰ったら冷やかしになっちまうな。悪りぃ、悪りぃ。

 じゃあ、なんかお勧め出してくれや。丸銅貨二枚しか無ぇから、そん中で適当に頼むわ!」

「それだけあれば、十分良いもの食べられますよ!」

「そうか? んじゃ、ほれ、釣りはいらねぇ、じゃんじゃん持ってきてくれ! ちーっと無理してここまで駆けて来たから、腹減ってんだ、よろしくな!」

「はーい。では、少々お待ちください!」


 まったく、思い出したら腹減って来やがった。こりゃ、丸銅貨二枚じゃ足りねぇかもしれねぇな。まあ、そしたら仕方ねぇ、帰ってからたらふく食うとすっかね!


 ——ユキ視点——


 私は今日とても個性的な人に会いました。

 見た目は冒険者にしては細身でしたが、ガッチリと引き締まった筋肉が力強さを主張していました。顔は切れ長な目をしている伊達男で、髪型は短髪でゆる目のオールバックが決まっていました。


 その人が急に「弟いるか?」なんて聞いてきたものだから、リュウに何かあったのかと思い少し不安になってしまいました。ですが、どうやらその人はギルドで弟と会っていたらしいのです。

 リュウからここの話を聞いて、姉が働いているからよろしくと言われたそうです。

 私はリュウの仕事振りを見る機会が無かったので、職場でのリュウはどんな風なのか思わず聞いてしまいました。


 しかし、残念なことにその人はリュウとほとんど話をせずに来てしまったようで、名前すら聞いていなかったみたいです。でも、ここで働いている女性は私だけなので、この人が会ったのは間違いなくリュウなのでしょう。

 それにしても、初対面の人に私の事を可愛いと自慢したみたいで、恥ずかしいやら、嬉しいやら……今日はふかし芋を作ってあげようと思います。


 リュウと会ったと言う人は、とてもおしゃべりで、そして、私達のことを気にかけてくれているような感じでした。なので、思わずリュウを宜しくお願いしますと言ってしまいました。

 しかし、その人はこんな不躾なお願いにも関わらず気前良く了承してくれました。

 見た目は少し怖い感じなのですが、とっても、とっても良い人でした。それに、料理屋に来て食ことを忘れてしまうというおっちょこちょいな一面があり、丸銅貨二枚をポンと手渡して、釣りは要らない! なんて豪快な一面もあったりして、話せば話す程とても面白い方でした。

 それから、料理を運んでは軽くお話をしていたのですが、お店が混んで来るといつのまにか居なくなっていました。

 なんだか嵐の様な人で、名前を聞きそびれてしまったことが残念でなりませんでした。


 ですが、結局私は名前を知ることができたのです。

 まず、その話をするには、今日来店した冒険者さん達の事をお話しなければなりません。

 今日は皆さん来る途中、まったく同じ体験をしたと口を揃えてお話されていたのです。

 それは、すぐ側で爆発音の様な大きな音が聞こえたかと思えば、急に旋風が吹き、いつのまにか地面が大きくひび割れていた……きっと、巨大な魔物が目に見えない物凄いスピードで通り過ぎたんじゃないか? なんて話でした。

 私は、来る人全員がその話をしていたので、少し怖くなってしまいました。だから、帰り際マスターにその話をしました。すると、それは最初に来たよく喋るお客さんの仕業だと言うのです。


 あのお客さんは、一部の人達にとってはとても有名な方で「奴が通った後は、まるで怒った神様が闊歩した様な跡が残る」といった逸話があったようなのです。

 また、あのお客さんは「韋駄天のマサ」という異名で呼ばれていたと知りました。

 私はマサさんについてちょっと興味が湧いていたので、マスターにお願いしてもう少しお話を聞いてみました。

 マサさんは以前、個人で物を運ぶ仕事をしていたらしいのですが、その配達の速さから贔屓にしてくれる固定客が数多くいたそうです。


 しかし、あの事件の後から依頼は無くなり、止む無く廃業に追い込まれたとマスターは話してくれました。

 何でマスターはマサさんについてこんなに詳しいのか聞くと、ニヤリと笑って「それは秘密」と言われてしまいました。

 私は話をしてくれたマスターにお礼をしてお家に帰りました。

 そして、帰る途中、忘れずにお芋を買って帰りました。


 ——リュウ視点——


 僕はあの後に受付のお姉さんから色々な説明を受け、明日の朝から採取任務に付けるよう手配してもらった。集合場所は早朝に東門。三人一組で、三人集まり次第順次出発。

 報酬は採取した薬草をグループ毎に集計してギルドが買い取ることになっていた。

 思惑と外れてしまったが、中級以上から単独行動が許される様なので、当面は中級を目指す事になりそうだ。


 また、城外に出る際、武器の所持を義務付けられた。武器を持たない者は通して貰えない。最初は貸し出しもしてくれるそうなのだが、有料なので、長い目で見れば買ってしまった方が良さそうだ。

 説明が終わったら武器屋に寄ってから帰ろうと思う。

 また、採取任務に必要な籠はギルドから支給されるので、特別何か必要な物は無いそうだ。

 採取任務についての説明を聞き終えた後、周辺に出る魔物の情報や、地形の説明があった。

 もっと簡単な説明で終わるのかと思っていたが、ガッツリ昼過ぎまで講習は続いてしまった。

 終わる頃にはもうヘトヘトだった。

 お姉さんは慣れているのか、終わった後も涼しい顔をしていた。


「それじゃあ、これで説明は終わりです。わからない事があれば何でも聞いてくださいね!」

「はい。ありがとうございました」


 ようやく解放された僕は、遅くならないうちに武器屋へと急いだ。

 王都に武器屋は三店舗あるが、帰り道に近いお店に行くことにした。主に魔力を応用した武器がメインのお店だった。


「いらっしゃいませ」


 武器屋に入ると、細身で身だしなみの整った好青年が声をかけてくれた。

 僕は軽く会釈して店内に飾られている武器を見回す。手頃な物を探していたため、短剣なら安いのではないかと思いそちらの棚へ移動した。

 しかし、どれもこれも高そうな装飾がされており、棒銀貨で表記されている品物は無かった。どうも初心者向きの武器を置いているお店ではなさそうだった。


「何かお探しですか?」


 僕が値段と睨めっこしていたら店員のお兄さんに声をかけられてしまった。


「あの……手頃な武器が欲しかったのですが、ここのお店にある品は買えそうになくて……すいません」


 こればかりは仕方ないので、わざわざ声をかけてくれたお兄さんに謝る。

 僕は恥ずかしくて早々に立ち去りたかった。


「なるほど……ちなみに、おいくら程度のご予算でお探しですか?」

「え……えーっと。棒銀貨三枚くらいで何かあればと思いまして……」

「……」


 お兄さんは僕の話を聞いて難しい顔をしている。悪気は無いのだが、これでは親切にしてくれたお兄さんに迷惑がかかってしまう。

 僕はお礼を言って帰ろうと思った。

 しかし……


「あの……」

「わかりました! 棒銀貨三枚でお譲りできる品をお持ちします。少々お待ちください」


 お礼を言おうとしたら、お兄さんは思いついた様にバックヤードに行ってしまった。

 棒銀貨三枚で武器を売ってくれるらしい。

 しばらく待つとお兄さんが包みを持って現れる。


「お待たせしたしました。こちらが棒銀貨三枚でお譲りできる品となります」


 そう言って、お兄さんは僕に包みを差し出す。

 僕は今すぐにでも帰りたくてしょうがなかったが、お兄さんがせっかく出してきてくれた品物を見もせずに帰るわけにはいかない。

 包みを受け取り、巻かれた布を開くと、とても簡素な短剣が姿を見せる。

 手のひら程度の刃渡りで両刃仕上げ。輝く程に磨かれた刀身は丹精込めた良い出来だ。

 しかし、持ち手の部分は木で出来ており、飾り気は無いが滑らない様に持ち易く削られていた。

 また、グラつく様子はないので作りはしっかりしているようだ。


「あの……これ、本当に良いのですか?」

「ええ! 見た目はあまり良くないですが、しっかり使える物となっています。

 これは、刀鍛冶のお弟子さんが練習用に制作した物なのですが、ちゃんと問題無い品を厳選しましましたのでご安心ください」

「そうなんですか……じゃあ、本当に棒銀貨三枚で良いのであれば買わせていただきます!」

「ええ、今後ともご贔屓によろしくお願いしますね!」

「はい! ありがとうございます!」


 僕はお兄さんに棒銀貨を三枚渡して短剣を得ることができた。これでどうにか参加条件は満たせたのでほっと胸を撫で下ろす。

 それにしても熱心なお兄さんの粋な計らいによって、とても満足のいく買い物ができた。いつかまた武器が必要な時はあのお兄さんのお店で買えるように頑張ろう!

 僕はお兄さんへの恩返しを誓い帰路につく。

 家に着く頃には辺りは夕暮れ時となっていた。


「ただいまー!」

「リュウ、お帰り! 今日はふかし芋だよー」

「ふかし芋!? やったー!」

「ふふ、早く手を洗って来て」

「はーい!」


 今日は、なんと、ユキがふかし芋を作ってくれた。良いことは続くものだ。

 すぐに手を洗って、ダイニングへと向かう。扉を開ければ、ふかし芋の良い匂いが漂っている。


「あ、そうだ。今日、リュウにお店を紹介されたってお客さんが来たんだよ!」

「えっ!?」


 僕はあまりのことに驚きの声を上げてしまった。あり得ない……あり得ないことなのだが、ユキの話を聞く限りではあの男の人だろう……仕事をサボって城内を通ったのだろうか? 


「どうしたの? そんなに驚くことじゃないでしょう?」

「いや……ユキがいる時間帯に間に合うなんて……その、あり得ないと思ったから……」

「んー? あー、なるほどね!」


 ユキはちょっと考えて、合点がいったように笑みを浮かべた。僕にはその笑顔の答えがサッパリだった。


「何? どういうこと?」

「んふふ。その人はね、「韋駄天のマサ」って言われるくらい足の速い人なんだよ! だから、普通なら間に合わない時間でも間に合ったんじゃないかなぁ? それに、開店して一番に来てくれたんだよ?」

「ええ!! それ本当!?」

「ふふ、よっぽど驚くような時間だったのね。本当よ、嘘じゃないわ」

「そっ……そうなんだ」


 ユキの話が本当だったとしたら……ちょっと異常過ぎて想像もつかない。速度も、持久力も、人の域を超えている。そんな人が未だに初級なのだとしたら、僕は本当に中級資格を得られるのだろうか?

 あまりに驚いたので、その人のことでユキに言っておこうとしていた心配事を忘れそうになっていた。


「そうだ……ちょっと心配だったんだけど、その……マサさんに何かされなかった?」

「ふふ、今日はどうしたの? 大丈夫よ。何もされてないし、とっても良い人だったわ」

「そう……なら、良かった」


 ユキも僕が感じたとおりマサさんを良い人だと言っている。僕が心配し過ぎただけだろうか?

 僕は、ユキのことになると、自分でも驚く程動揺してしまうようだ。

 今後、外でユキのことを話すのは控えようと決めた。


「それと……ありがと!」

「え? なっ……何の事?」


 ユキがニヤニヤと身に覚えのないお礼を告げる。いったい何のことかわからず聞き返してしまう。


「秘密! さっ! 食べましょ!」

「う……うん」


 ユキはいつになく上機嫌で、それはとても良い事なのだが……秘密の内容がまったくわからず、せっかくのふかし芋を悶々とした気持ちで食べることになってしまった。

 それから、結局最後まで秘密の内容は教えて貰えなかった。


 ユキはマサさんと会話した内容や、マスターから聞いたマサさんの事を楽しそうに話していた。

 僕は相槌を打ちながらそんなユキを見て安心することができた。

 聞けば聞くほどマサさんの明け透けない人柄が伝わり、僕が抱いていた疑念は杞憂だったと、ほっと胸をなでおろす。

 ユキが話してくれたマサさんの話は、どれもこれもとても面白かった。次に会うのが楽しみだ。

 気持ちが落ち着いた頃には、ふかし芋を食べ終わった後だったことが悔やまれる。もっと味わいたかった。





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