一優

「んっ……」

 はるかな川の桜色の唇から、切なげな息が漏れる。


「はるかな川っっ‼︎」


 優一は駆け寄って、力なく崩折れる彼女の身体を受け止め、抱き寄せた。


「はるかな川、大丈夫か⁉︎ しっかりしろ、はるかな川!」

「逃げろ、優一……君一人なら、逃げられる」

「バカ言え、んなことできるかよ!」

「選択肢はない、奴はもう、ここに……」


 彼女の言葉を裏付けるように、ごおん、という音が路地に響くと、すぐ近くの壁を粉砕してギラつく長大なランスが現れた。その殺意の尖塔は、すぐに持ち主である無冠の女王を連れて来た。


 優一は咄嗟にはるかな川を近くにもたれさせて、彼女の持っていた鞘からその刀、斬新刀・驚天を抜いた。


「よせ……無理だ優一。借り物の他人のスキルでは、ここでは虫一匹殺せない」

「んなもん、やってみなけりゃ分からないだろ!」


 優一は立ち上がり、見よう見まねで刀を構える。戦う意志を見せた優一に、桃乃紋は満足したように微笑むと、槍を構えて猛然と突っ込んで来た。


 ギインッ!

「のわあっっ⁉︎」


 人生最大の集中でもって槍の切っ先を刀で弾いた優一だったが、しかし抵抗もそれまでで、直後に迫った生きたエンジンブロックのような馬体を躱し切れずに、その体当たりをまともに食らって、彼の身体は人形のように宙を飛んだ。


 地面に叩きつけられ、三メートル程を転がり、道路と歩道の境目の段差に全身を強打して、彼の身体はようやく止まった。


 遠のく意識。不思議と痛みはなかった。口の中に広がる血の味。それが、この世で感じる最後のことなのだ、と優一は消えかけた思考の切れ端で考えた。


 だが、そうではなかった。


「あはははは」


 女が笑った。


「あはははは」


 声を上げて、愉快そうに。


「あはははは」


 はるかな川でも、桃乃紋でもない。


「あはははは」


 放課後。校舎。教室。その後ろ、個人ロッカーの前。


「あはははは」


 クラスメイトの女子だ。顔は、逆光でよく見えない。


「あはははは、渡辺くんって、短歌なんて書いてるの? 短歌ってあの万葉集とかのやつでしょ? ふふ、ウケる。なんかお年寄りみたい」


 両腕の枷が、ガチャン、と鳴った。それは今まで以上に強力に彼の手首を締め付けて、鎖は引き縮んで手首と手首がくっついた。手首の皮からは血が滲み、その骨はミシミシと音を立てた。


「あはははは、渡辺くんって、短歌なんて書いてるの? 短歌ってあの万葉集とかのやつでしょ? ふふ、ウケる。なんかお年寄りみたい」


 顔の見えないクラスの女子は、透明なガラス細工のような姿で、倒れて苦しむ優一のすぐそばに立った。


「あはははは、渡辺くんって、短歌なんて書いてるの? 短歌ってあの万葉集とかのやつでしょ? ふふ、ウケる。なんかお年寄りみたい」



 ……るせえ。


 消えかけたいた胸の鼓動が、どくん、とビートを刻んだ。


「あはははは、渡辺くんって、短歌なんて書いてるの? 短歌ってあの万葉集とかのやつでしょ? ふふ、ウケる。なんかお年寄りみたい」


 うるせえ。

 高音のギターが滑り込んでくる。

 ビートに寄り添うように、ベースも主張を強めてくる。


「あはははは、渡辺くんって、短歌なんて書いてるの? 短歌ってあの万葉集とかのやつでしょ? ふふ、ウケる。なんかお年寄りみたい」


 うるせえ!

 ドラムセットが咆哮し、ギターもベースも同じリズムで怒りの炎を旋律に変えて吹き上げた。


 ぎゅう、と音がして、手枷の鋲が伸びた。ぼきり、と音がしてその錠前が割れた。


 バキィンッ!


 優一の手首の肉と血を削ぎながら、だがしかし鋼鉄の手錠は部品と破片に変わって辺り一面に飛び散った。彼を縛るものは、もう何もない。


【うるせえぞこのクソ女ッッッ!!!】

 叫んだ優一は振りかぶるとガラス女の顔面を全力のパンチで打ち砕いた。ガラスの割れる音がして、女の顔に大穴が開く。


「十七銃! 『カミク』!」

 優一がその穴から刺さった腕を抜くと、そこには三つの弾倉シリンダーを連ねた、異様な回転式拳銃が握られている。

 ガラス女は頭のひび割れが全身に及び、ついには鈴が鳴るような音を立てて光の粒子になって砕け落ちた。

「あばよ。俺の初恋」

 優一の胸がツンと痛んで、左の頬を一条の涙が伝う。優一は痛んだ自分の胸の真ん中に左手を差し込むと、その痛みの中心にあるものを強引に引き抜いた。

「十四銃! 『シモク』!」

 輝く胸の穴から現れたそれは、角張ったデザインの大型拳銃で、グリップの反対側にも飛び出した弾倉を備えていた。

「待たせたな兄弟たち。やっぱ……お前らがいなきゃやってられねえ」


 優一は両手の愛銃にそう声を掛けると、血の混じった唾を地面に吐き捨てた。


「俺は一優! 短歌詠みの一優! 能力名は……」


「見つけたな……優一」

 受けたダメージに耐えながら、はるかな川は二丁拳銃を構える彼につぶやいた。

「本当の自分を」


「……ショートソング」

 彼は駆け出した。

 彼の心が掻き鳴らす、激しいビートのリズムのままに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る