プロフェッサー

「ゴリラのずんだ原?」

「界隈切ってのパワーファイターだ。こんな所まで上がって……!」

 何かに気付いたはるかな川が言葉を切って、覆いかぶさるように優一を突き飛ばす。

 二人が伏せた直後のすぐ上を、轟音を立てて軽自動車が飛んで行く。それは道を囲うブロック塀に突き刺さって砕き、ひしゃげて斜めに引っかかった。


「逃げるぞ!」

「え、戦わないのか⁉︎」

 はるかな川は優一の襟首を吊り上げるように彼を起こすと、一目散に走り出す。

「見ただろう。理屈抜きのあのパワー。破壊力。とても敵わない」

「君には斬新のキレが、受賞実績があるじゃないか!」

「パワータイプの作家にはキレも実績も関係ないんだ。勝ち負けは、そのパワーの優劣だけが基準なのさ」


 夜の住宅地を必死で走る二人。

 それに続く地響きと何かの破壊の音。

 ちらりと後ろを振り返ると、四肢をゴリラに変えたポニテの眼鏡女が高速のナックルランで追って来る。その腕だけで、細い優一の身体の二人分はありそうだ。


「ここは精神の世界だろ⁉︎ 君も恐竜でもウルトラマンでもなればいい!」

「そういう作家性じゃないんだ! 私はな! 君だって今はここの住人だ! 鎖を千切って暴れて見せろ! あのメスゴリラをぶっ飛ばしてこい!」


 ゴリラのずんだ原は追いかけながら手当たり次第に色々なものを二人に向かって投げつけて来る。

 ポリバケツを躱し、自転車を避け、目の前に刺さった電信柱の倒れて来る隙間を潜り抜けて、二人は走り続けた。


「僕は作家でさえない! どっちかと言えば読者だよ! 読者がどうやって作家のスキルと戦うって言うんだ⁉︎」

「読者と作家が……戦う……。そうか!」


 はるかな川は急ブレーキを掛けて道の真ん中に立ち止まる。その腕は優一を捉えていて、彼も強引に引き止められる形で立ち止まった。

 

「っおわ! っと、なんだよ、追いつかれるぞ!」


 優一の言葉通り、ゴリラの四肢を持つ眼鏡女はあっと言う間に二人に追いついて、少しの間合いを取って止まった。はるかな川の様子を警戒したのだろう。


 はるかな川は刀を捨てた。


「なっ、なにしてんだはるかな川! そんなことしたら……!」

「優一」

 はるかな川は潤んだ瞳で優一を見上げていた。

「あいつには敵わない。逃げるのも無理だ。これで最後だと思った時、私は、私自身の本当の気持ちに気付いたよ」

「な、なに言い出すんだよ、こんな時に」

「こんな時だから、だ」

 はるかな川は真剣だった。その真摯な眼差しが、優一の胸を射抜いた。

「私の本当の気持ち。私の中心にあるもの。私にとっての、世界、そのもの──」

 言いながら近寄って来たはるかな川は、優一の制服の襟を掴むと、ぐい、と引っ張って自分に優一の顔を寄せた。

「それは、つまり、き、君だ。渡辺優一」

 そう言った途端にはるかな川は自分の言葉への羞恥の為か、赤面して俯き、ごにょごにょと何か言い訳のようなことを口の中で転がした。


(か、かわいい……)


 優一は、今までと打って変わったはるかな川の少女らしい仕草に見事にときめきをフルスロットルさせて、思わず手錠で繋がった手に彼女の頭を通して抱き抱えるようにした。


「優一……」


 はるかな川が顔を上げて、目を閉じる。

 手入れされた前髪がはらりと落ちて、彼女のおでこが露出する。そのおでこすら、今の優一は美しい、貴重なものだと感じた。


「はるかな……川」


 優一も目を閉じて、小さな彼女をゆっくりと抱き寄せる。

 二人の顔の距離が、その唇の距離が、限りなくゼロに近づいてゆく。


【うほぉうぉうぉうぉうーーっっ!!!】


 ゴリラ女が悲鳴を上げた。

 天を仰ぎ、落ち着きなく一瞬だけドラミングをすると、くるりと身を翻し、あっと言う間に夜の街並みの遥か彼方へと走りさって行った。


「離れろ優一っ! いつまでやってる!」

「ぐぼぁッ⁉︎」

 作戦が成功したのを確認したはるかな川は、グーで優一の左頬を押し退けるようにして殴った。

「奴は行った。恋人ごっこは終わりだ」

「ごっこ? ……死の間際に真実の愛に目覚めて、冷徹な女王様の仮面をかなぐり捨てたんじゃ……」

「誰が冷徹な女王様だ。パワータイプの作家はな、まともな恋愛描写やラブシーンに弱いんだ」

「それは……人によるんじゃないか?」

「いや、そういうもんだ。現に奴は耐え切れずに逃げ出した」

「起死回生のアイデア、か。パワータイプの作家にはスキルは通じないんじゃなかったのか?」

「ああ。我々の恋愛シーンを観ていたあの時、奴は読者だった。読者になってしまっては、作家としての超絶パワーも意味をなさない」

「あ、そうか、成る程。さすが着想のキレが持ち味のはるかな川だ」

「君のヒントのお陰さ」


 はるかな川は服の埃を払うような仕草をし、刀を拾うとまたスタスタと歩き出した。

 優一はその後を追いながら、なんだかすごく勿体無いことをしてしまったような気持ちを持て余していた。


***


 四車線の道路は霧に包まれていて、今までのエリアでは一番視界が悪かった。


 はるかな川の話では、ここを抜けた先が最も外の社会に近い領域で、そこで自分を見つけることができれば、無事元どおりの生活に戻れるだろうとのことだった。


 だだっ広い道路は中央に分離帯があり、オレンジ色の反射円盤が一定の距離でもって遥か彼方まで並び立っている。


 その左側二車線の、車線を隔てる白線を辿るようにして、二人は最上層を目指していた。


「なあ、はるかな川」

「なんだ」

「さっきの話だけどさ」

「さっき? どのさっきだ」

「この世界は精神世界で」

「ああ」

「ここに現れた僕は象徴だっていう」

「ああ、その通りだ」

「なんの象徴なんだよ」

「君の作家性のだよ」

「鎖で縛られた高校生がなんで僕の作家性なんだ」

「私に聴かれてもな」

「大体、誰がこんな手錠を……」

「誰でもないのかもしれない」

「なんだって? どういう」


 意味だよ、と言おうとした喉が驚きで詰まった。

 突然世界が暗転したかと思うと次の瞬間今度は眩しい程に輝いて、四車線の道路はその光に溶けて消え去った。

 代わりに視界は一面の真昼の砂漠に変わり、優一とはるかな川が呆気にとられているうちに周囲の地面から次々とガラスの壁が反り立ち、あるいは空から降って来て地面に刺さった。

 

 気付くと二人は、砂漠の広大な面積を覆うガラスで出来た巨大迷路のほぼ中央に囚われていた。


「くそっ、やられた!」


 怒りに任せてはるかな川がそのガラスの壁に拳を叩き付ける。

 その衝撃にガラスが僅かに身じろぎすると、表面に整然とならぶ数式のような文章が一瞬だけ浮かび上がった。


「なんだ? この迷路! どういうことだよ⁉︎」


「プロフェッサーだ」

「プロフェッサー?」

「私が取った賞の、前々回の受賞者さ。これは奴の作り出した文章の迷宮。『構成防壁』だ」

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