推敲対象の原文(抜粋:「魔法王立大学」)
ひし形大陸の南端に広がる神域の森を抜けて白銀連峰を越えたその先に王都がある。
バールははじめての長いひとり旅に乗り出した。山越えには向いている季節だが、山脈を迂回する順路をとって、数ヶ月をかけ王都に至ることにする。
家訓のように聞かされた旅の心得を守り、毎日義務のように安全の確保、旅程の計算、路銀を減らさない努力を繰り返していると、このまま旅に終わりが来ないような感覚に捕らわれていく。
通り過ぎる景色は人も生活も気候も変化して、事前に調べて知っていたことも知らなかったことも目で見て肌で感じながら、感想を持つ暇もなく旅は続いていた。
目的地は確実に近付いている。
(慣れが出てくると、一瞬で身包み持ってかれたりするんだよなぁ…)
気力をふるい起こしバールは今一度、心を改めて馭者台で顔を上げる。その時、行く手に広がる大地に王都が姿を現した。
山脈から流れる雪解け水が絶え間なく落ち続ける断崖の下、せり出した大地の上に美しくも整然とした都が築かれている。大地を上と下に分ける広く深い谷に雪解け水の大河が流れ、いくつもの飛行庭園が浮かぶ。
王都のある地はまるで断崖から切り離された空中にあるような光景だった。
渓谷に浮かぶ岩のような飛行庭園の仕組みはわからなかったが、潜流瀑布に反射してその上にかかるいくつもの小さな虹を、バールは夢でも見ているかのようにぽかんと眺めやった。
乗り合い賃の代わりに勤めた馭者を終えて、都の玄関口に降り立つ。無事に着いたこと以上に、久しぶりに踏む生活水準の高い街並みに安堵感を覚える。
しかし、荷を解くより先に行きたい場所があった。旅の疲れを癒したり、感慨にふけったりするのを後回しにして、バールは王都に着いた足でまっすぐに目的地へと向かった。
かつて、大陸に栄華を誇った古代魔法帝国は自らの文明によって一夜にして滅び去ったと伝えられる。
それ以降、魔力ことに魔法の脅威は深く人の心に負の記憶として住み着き、魔術を扱う者にとって長く冷たい時代が続いていた。
小国が睨み合う群雄の時代に、閉塞的な状況にあった魔法を顧みて、国力としていち早く組織した国がある。大陸一の領土を持つようになった王国はその後も魔法の研究に力を注ぎ、魔術士の発掘と強化のため王都に専門機関を作った。
現在、北方の魔導の国にある妖都や、魔術士たちの知識が集まる西都と並び、大陸にその名を知らしめる魔法使いの指導機関がある。
その名は。
「王立魔法大学マリテュスへようこそ」
実に平板な声で受付係は言った。
そこだけで街のような広さを持つ魔法大学の敷地には公的な出入り口は一箇所しかない。マリテュスの「顔」ともいう迎賓館はその正門を塞ぐように横に長く延びていて、門から先にある大学内の眺めを阻んでいる。
バールは黒鉄製の門の前に立ち、しばらくその威容と迎賓館の装飾に目を奪われた。受付係のいる詰所からバールのお上りさんぶりが丸見えだった。
ようやく目の前にやって来た男に受付係は今まで何度も口にしてきた挨拶を繰り返すと、値踏みするようにバールを見つめた。
童顔に似合わず肩幅があり胸板も厚いが、腰回りの寸胴っぷりに違和感を覚える。着ぶくれてダブついているだけなのかもしれないが、単に骨太で固太りしてるだけなのかもしれなかった。
迷った末、ようこそと言っておきながらこう続けた。
「騎士見習いの受付はここじゃありませんよ。ああ、戦士とか傭兵志望だったら組合の方を当たってもらうしか……」
「ちがいます!」
淡い金茶色の髪を揺らし、若者は灰青色の瞳を輝かせたまま力いっぱい否定する。
小汚い旅装と荷袋の大きさから、王都に着いたばかりだということを推察した受付係は、戦士系というより、働き盛りの若牛のようなみすみずしさを目の前のバールに見出した。
「農夫は今、足りてます」
「ちがいます! おれは魔法使いになりに来たんです!!」
「うーん……」
自分にはすごい魔力があるのではないかと、何の根拠もない可能性にかけてくる人物は意外と多い。心中ため息をつきながら重い腰を上げ職務に移る。
「今までに魔法を使ったようなご経験は?」
「ありません!」
バールはせいいっぱい正直に答えた。
「どこのお生まれですか?」
「場所ですか? バルトリア半島の海沿いです」
農夫というより水夫の方が近いようだ。
「今までのお仕事は?」
「仕事というか、実家は港の大店ですけど」
「血縁関係に魔術士や魔法に携わる方はいらっしゃいますか?」
「いません、一人も!」
受付係は質問内容をざっと見返した。
今のところ、素質がありそうな要素は見当たらない。
「あの……魔法使いになれるかどうか、そんなことでわかったりするんですか?」
「いいえ。可能性が低いということしかわかりません」
その言葉にバールは衝撃を受けた。
「そこをなんとか!」
「あくまで可能性の話しです。魔術士の両親から魔力の低い子供が生まれることもあります」
(魔力の低い親から魔力の高い子供が生まれる可能性は0に等しいけどっ)
受付係は心の中で補足する。
「なんかもっとはっきりわからないんですか、手相とかで」
(手相でわかるわけないだろう!?)
「個々が持つ魔力はそんなもので決定されません。種族も性格も、生年月日も星座も血液型も魔力とその人とのつながりを判断する材料にはならないんです。当てになるとすれば、血の記憶には現れやすいようですが」
「だめじゃないですか」
そうですね、と喉まで出かかった言葉を受付係はこらえた。
正直、目の前の若人には魔法なんていう強大な力は向かないと思うのだが、それでも少し気の毒になってくる。
バールは他に質問することがないか必死に考えた。うろうろと彷徨う視線が、なんとなく受付の顔で止まった。
「あの失礼ですけど、おじさんは魔法使えるんですか?」
(おじさんっ!?)
まだ30前だぜという言葉を飲み込んで、平静を装う。
「使える」
「すごいですね!!」
他人事なのにバールの目はきらきらと輝いた。
「まあ、あれだ。諦めきれないなら、適性試験を受けたらいい。それではっきりするから」
「魔法が使えなくても、試験を受けられるんですか!」
「色んな段階の試験が用意されてるが、魔力値が高ければ、それだけで入学が認められるようになってる。低ければマリテュスには入れない」
「がんばります!!」
(いや、がんばるとか、がんばらないとか関係ないんだけどな!)
気の毒さが増していく。
「君は初心者だな、年齢は?」
「15です」
「じゅう……じゅうごっ!?」
てっきり相手が成人していると思っていた受付係は、にこにこする大柄な少年を思わず見上げた。
(若ければ、やり直しもきくか……)
たとえここで夢に挫折しても。
「ありがとうございました」
適性試験の受付を済ませたバーレイ・アレクシアは意気揚々と街並みに戻って行った。
二年に一度の受付期間であり、マリテュスには連日さまざまな人物が遠方から訪れていた。大半の者は適性基準を満たさず故郷に戻ることになる。
ものになるのはほんの一握りの才能に過ぎない。
それを伝えるのも魔術士の端くれである受付の仕事であった。毎回、うまく伝わるとは限らなかったが。
およそひと月の待機を経て、バールに適性試験を受ける順番が回ってきた。
住み込みで働き始めた粉屋を後にして向かったマリテュスには、多くの人が溢れていた。
人に埋め尽くされた迎賓館前の広い車寄せに拡声魔法の案内が鳴り響く。バールはあらかじめ指定されていた初心者用の会場である、館内の中央回廊まで人をかき分けるようにして進んで行った。
途中に通り過ぎた中庭では魔法の心得がある者の試験が行われていた。すごく見たかったのだが戻れなくなりそうで、後ろ髪を引かれながらなんとか心を振り切る。
それにしてもである。
(いろんな所から来てるんだなぁ、みんな)
ほとんどがバールのような地方出身者に見えたが、明らかに辺境の文化圏の特徴的な髪型や服装、装身具を身につけた者や、亜人がちらほらと混ざっていた。
まったく心当たりのない姿の者もいる。
バールはこの日のために鼻息を荒くしてなみなみならぬ気合いでやって来たはずが、いつのまにか観光気分でふわふわと歩いていた。
すっかり堪能したバールは満面の笑顔で、水晶玉の前に座る白い下がり眉で目の表情がうかがえない老魔術士の前に立っていた。
「バーレイ・アレクシアです! よろしくお願いします!」
バールの大きな声に老人はちょっと顔を背けたあと、はよ座れと手で示した。
この前の受付と同じような問診が繰り返される。
「おんしは魔力が何かわかっとるかね」
老人は最後にそう尋ねた。
バールは頭をひねる。
「みんながもってるもの」
沈黙が流れた。
「ぢゃ、水晶球の中を見て」
老人の姿勢を倣って、言われるまま覗き込む。
何が見えるかと問われた。
「下の白い布が見えます」
老人は長いあご髭をしごいて軽い調子で告げる。
「おまえさん、その白いとこに〈MANA〉って字が書けるかい。字を目の前に想像するんだな」
バールはじっと底の白い布地を見つめた。
「できました。太くて黒い字ですけど」
「ならそれをゆっくり剥がすんだ」
自分で想像したものを、今度は変化させる。
「ゆっくりは重要ですか」
「いいや。字が崩れないってのが重要だよ」
「字が……」
バールは岩場に張り付いて干からびた海草を思い出して、文字が端からぺりぺりっと剥がれて行くところを想像してみた。
剥がれた文字がひらりと宙に舞い上がる。想像力に意思が介在した瞬間、水晶球が反応を示す。漂うバールの黒い〈MANA〉の内部からじわりと滲み出たのは色だった。ひび割れ噴き出した赤が火のように文字全体に広がっていく。火の色は赤から山吹、黄色へと明るさを増し続け、文字の輪郭が見えなくなったところで臨界点に達しぱっと弾けた。
水晶球の中を赤々とした火の粉が舞い散った。
「これが魔力じゃ」
バールは口を開けて何かを言おうとしたが、横合いからほとばしった閃光に視界が飲み込まれる。大回廊全体が一瞬にして真っ白に染まった。
辺りを包んだ光は次の瞬間には収まり、柱を挟んだお隣の机から褒めちぎる試験官の声が轟いた。
「合格っ! 合格だよっ!! すごい潜在能力だ、間違いない。いやぁ水晶が壊れるかと思った」
バールは仰け反ってお隣さんの横顔を眺めた。ほっそりした少年が座っていた。
(ほあー、すごいなーあの人。オレより年下なんじゃないかなぁ)
はっとしてバールは前を向いた。
老試験官は今の事態を毛ほども気にした様子がなく、黙してあご髭を撫でている。
「うーむ、どうしようかの」
「あるんですか、ないんですか?」
「ある。おんしも言うてただろ、みんなある」
喜びかけたバールは再び固まった。
「おまえさん、これは入ってから厳しいぞ。どうしても魔術士じゃないとダメか?」
(祖父ちゃんみたいに商人でも武勇伝は作れるのかもしれない……)
バールは口を開いた。
「だめだったら、弟子にしてくれるまであなたの所に押しかけます」
「んー、いやな奴だなおまえさん」
老魔術士はあご髭を強くしごいた。
「見込みが皆無じゃないからな、合格にしといちゃる」
「ありがとうございます!!」
「後悔させるなよ若僧」
渋い声音を聞きながら、バールは深々と頭を下げた。
机の上には試験官ラガード・ハッシュの名前が記されていた。
許可証を渡した少年が奥の間へ手続きに進み、再び席が空く。ラガードはそこで水晶球の中にまだ火の粉が残っている事に気がついた。
「持続力は基準値超えか、しまった」
申請用紙には全て「並」と記して渡している。
魔力残滓がゆっくりと消えていこうとしていた。
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