推敲後

 ひし形の大陸の南端にひらける神域の森と、その先の白銀連峰。

 聳える峰々の彼岸にみずからを占める王都を、バールはひとりで目指していた。

 山越えに不向きな時季ではけしてなかったけれど、あえて迂路をとっている。家訓と化した旅程の心得を遵守した末の選択だった。安全の確保、旅程の計算、路銀を出て行かせないための創意工夫。綿密にそれらをこなせばこなすほど、いつしかこのまま、旅に終わりが来ないような錯覚にとらわれていった。


 通りすがりの景色の中で、気候に合わせひとびとの営みも縷々変化した。調べていた既知も、取り落としていた未知も、目で見て、肌で感じることができた。が、感想を抱く暇もなく、それらは彼の内面から流れ去り、あいかわらず旅は続いた。

 けれどいまや、目的地が近づいている。


「慣れて油断してきたときにかぎって、一瞬で身ぐるみ剥がされたりするんだろうな」

 唇から転げた懸念をぬぐうように、馭者台の上の彼は顔を上げる。視界にひらけた大地の向こうへ、切り出したような都が、山脈のように勃然とあらわれる。 断崖の潜流瀑布レインフォールがいくつも虹をかけていた。地上を分かつ渓谷に浮かぶ、大小さまざまな飛行庭園ハイガーデン

 古色蒼然たる叙景と、魔術的な異形がこともなげに共生している光景を、白昼夢のように呆然と見つめた。


 馭者台を占拠していたのは、彼自身が馭者だったからだ。乗り合い賃がてらのお勤めを切り上げ、目的地の玄関口に降り立つ。

 無事に着いたこと、それ以上にその、端正で文化的な街区の装いに胸をなで下ろす。以前に滞留した小村のような、着替えや食事、果ては排泄に難儀するような事態は避けられそうだ。

 とはいえ、荷をほどき、腰を落ち着けるより先に、向かいたい場所がある。



 この地で栄華をきわめた古代魔法帝国。一夜におけるその滅亡は、みずからのゆきすぎた文明の刃先によるものだったとか。

 爾来、魔力……、ことに魔法の脅威は人心に根を張り、それは魔術を扱う者たちの冷遇につながった。


 さて、小国がたがいに睥睨をきかす群雄割拠の時世。冷遇による忘却の過程にあったそれらの力能を、あえて国力として表舞台に引きずり出した治者がいた。やがて大陸随一の領土を占めることとなった王国は、以後も魔法の研究に注力してきた――魔術師の育成を目的とした専門機関を、王都に設えるほどに。


 そのような経緯により、現在、北方の魔導の国に位置する妖都、ないし魔術士たちの知識の集まる西都と並び称される、魔法使いのための指導機関が、この地にはある。



「王立魔法大学マリテュスへようこそ」

 受付係の男は、土埃と汗に湿った若者へ向けて、事務的に告げる。

 敷地だけで小規模な街のひろさを有する魔法大学に、正式な出入り口は正門ひとつだ。そこにある迎賓館は、その正門じたいをふさぐように、横へ長く伸びたつくりである。したがって、学内の様子を外部の者が垣間見ることは難しい。

 若者が門前で、学内どころか門じたいの黒鉄の威容、あるいは建物の装飾に気を取られる様子を、詰所から観察する。お上りさんの類型的な反応だ。

 男は顎を鳴らして、あくびをしてみる。猫みたいに。


 踵を返すと踏んでいたが、予想に反し、意を決したように詰所へ歩み寄ってきた。

 男は若者をあらためて観察する。童顔に似合わず、肩幅がある。胸板も厚いが、腰回りの寸胴っぷりに違和感をある。着ぶくれだろうか? 骨太で固太りしているだけか?

 値踏みする自身を悟られる前にと、矢継ぎ早に台詞を口にする。

「騎士見習いの受付はここではありません。戦士または傭兵の志望でしたら、組合の方を」

「ちがいます!」

 淡い金褐色の髪をゆらした若者は、灰青色の瞳を輝かせて即座に否定する。

 薄汚れた旅装、ふくらんだ荷袋。王都に着いた足で直行してきたのだろう。働き盛りの若牛のような壮健に、羨望を覚える。

「農夫は」

「だからちがいます! 魔法使いになりにきたんです!!」

「……なるほど?」

 健やかなばかりでなく、無垢でもあるらしかった。つまり、自分がすさまじい魔力を持っているという、根拠のない空想を抱いている。


「今までに、魔法を使われた経験は?」

「ありません!」

「どこのお生まれですか?」

「バルトリア半島の、海沿いです」

 では、農夫よりも水夫に近い。

「今までのお仕事は?」

「仕事というか、……実家は、港の大店ですけど」

「縁者に、魔術や魔法に携わる方は?」

「いません。ひとりも!」

 なるほど。なら今のところ、素質はなさそうだ。

「あの……魔法使いになれるかどうか、そんなことでわかったりするんですか?」

「いいえ。ただ、可能性が高いとはいえないかもしれません」

 遠まわしに告げたつもりが、若者は過敏に反応した。

「そこをなんとか!」

「あくまで可能性です。魔術士の両親から魔力の低い子供が生まれることもあります」

 魔力の低い親から魔力の高い子どもが生まれる可能性は、皆無だけど。

 なだめすかしながら思うが、口には出さない。

「なんかもっとはっきりわからないんですか? 手相とかで」

「手相?」

 思わず口に出した。妙な沈黙が流れる。


 男は咳払いをして、肘を置いた机を指先で叩く。

「個人の魔力は、そんなもので決定されません。種族も、性格も、生年月日も、星座も、血液型も、……その人の魔力を判断する材料にはならないんです。血の記憶は例外ですけどね。つまり、血縁関係ということです」

「だめじゃないですか」

 肩を落とす、目の前のやさしげな若者に、魔法という強大な力は似合わないだろう。それが男の個人的な感想だった。とはいえ、一介の事務員を相手に食い下がる懸命さが、気の毒に思えないこともない。


 うろうろとさまよう視線が、ふと差し向けられる。

「あの、失礼ですけど、おじさんは魔法使えるんですか?」

「使える」

 おじさん。

「すごいですね!!」

 青天の下の川面のような眼差しがまぶしい。三十路に至らぬというのに壮年扱いされたことへの動揺も、この純朴さに呑み込まれていくかのようだ。

「まあ、あれだ。あきらめきれないなら、適性試験を受けたらいい。それではっきりするから」

「魔法が使えなくても、試験を受けられるんですか!」

 若いから何も知らないんだな、という嫌味を呑み込み、平静を装う。

「魔力値が高ければ、それだけで入学が認められるようになってる」

「がんばります!!」

 がんばりの問題ではないことを説明したつもりだが、わかってもらえなかったようだ。心なしか胃が痛む。

「君は、どう見ても初心者だな。年齢は?」

「15です」

「じゅう……じゅうごっ!?」

 てっきり相手が成人していると思っていた受付係は、にこやかな少年を見上げる。

 大柄な身体、意思の強そうな瞳。

 若ければ、やり直しもきくか。……たとえここで夢に挫折しても。



「ありがとうございました」

 適性試験の受付を済ませたバーレイ・アレクシアは、意気揚々と街並みに戻っていく。見送る人影はないが、そんなことは気にも留めない。

 二年に一度おとずれる受付期間のあいだ、遠方から、数知れぬひとびとがやってくる。

 その大半は、適性基準を満たすことなく、故郷くにへ戻る。ものになるのは、ほんの一握り。

 余談だが、そういう残酷さを上手に伝えるのも、魔術士の端くれである受付の仕事だった。毎回、うまく伝わるとは限らないにせよ。



 一ヶ月後、試験の順番が回ってきた。

 住み込みで働き始めた粉屋を後にして向かった大学マリテュスは、受験者たちでごった替えしている。

 迎賓館前の車寄せに、拡声魔法の案内がひびく。

 指定されていた館内の中央回廊まで、人波をかきわけて進む。

 通りがかった中庭では、すでに心得がある者のための試験が行われている。後ろ髪を引かれながらも、自分のことに集中しようとつとめる。人の流れに逆行すれば戻れなくなるという不安もあった。


 多くの受験者は、バールと同じく、地方出身者と見えた。辺境に特徴的な髪型や服装、装身具が眼につく。亜人も、あるいはその出自にとんと見当のつかない容姿の者もいる。

 彼はいつしか、観光にでも来た心地になっていった。



 弛緩した表情の若者を、老魔術士は見上げる。水晶玉にも、気質を悟られぬよう伸ばした白眉にも、動じる様子はない。

「バーレイ・アレクシアです! よろしくお願いします!」

 耳鳴りに顔を背けながら、ひとまず手で着席をうながす。元気なのはいいことだが、老人の鼓膜を考慮したあいさつを心がけてほしい。


 今までの経験、仕事、血筋。決まりきったことを尋ねながら、最後につけくわえる。

「おんしは、魔力が何かわかっとるかね」

 少年は黙考し、首をかしげながら答えた。

「みんながもってるもの」

 沈黙。

「ぢゃ、水晶球の中を見て。……何が見える?」

「下に敷いてある布。白いです」

 蓄えた顎鬚をしごきながら、軽い調子を意識して、本題を告げる。

「おまえさん、その白いとこに〈MANA〉って字が書けるかい。字を目の前に想像するんだな」

 少年の視線を、彼はひそかに追う。しばらくすると、見えない絵筆で刷くようにして立ち現われるものがあった。

「できました。太くて黒い字ですけど」

「ならそれを、ゆっくり剥がすんだ」

 自分で想像したものを、自分で変化させる。適性を測る上で、最も重要な技巧のひとつ。

「ゆっくりは重要ですか」

「いいや。字が崩れないってのが重要だよ」

「字が……」

 岩礁の藻草を指で毟り取るようにして、引き剥がされた文字が、宙を舞う。

 想像力に意思が介在した瞬間だった。

 水晶球が反応する。文字が色づく。噴き出た紅は炎のようで、それは真紅から緋色、山吹、明るい黄に刻々と転じる。

 文字の輪郭が見えなくなる。直後、花弁がひらくようにして、ぱっと弾けた。

 水晶球の内奥に火の粉が散る。

「これが魔力じゃ」

 少年は口を開き、何かを叫ぼうとした。

 待ち構えていた老魔術士の眼が眩む。横合いから迸った閃光のせいだった。大回廊が白く染まる。

 次の瞬間にそれは収まった。代わりとばかりに、柱を挟んだ隣の机で、試験官が絶叫する。

「合格っ! 合格だよっ!! すごい潜在能力だ、間違いない。いやぁ水晶が壊れるかと思った」

 合格を名指されたのは、線の細い少年だ。老魔術士はその、頼りなげな横顔を記憶しておくことを決めてから、目の前の、自分が担当している受験生に視線を戻した。

「ほあー、すごいなーあの人。オレより年下なんじゃないかなぁ」

 間抜けな独語を発してから、受験生も老魔術士に視線を戻す。いたずらがばれた丁稚のような仕草に漏れ出る微笑を、顎鬚を撫でてごまかす。

「うーむ、どうしようかの」

「あるんですか、ないんですか?」

「ある。おんしも言うてただろ、みんなある」

 喜びかけた少年が、そこで固まった。

「おまえさん、これは入ってから厳しいぞ。どうしても魔術士じゃないとダメか?」

「……商人でも」

 ぼそりとつぶやいた言葉を、老人は聞き逃した。

「ん?」

「いえなんでも。だめだったら、弟子にしてくれるまであなたの所に押しかけます」

 なるほど。どうやら聞き逃すべきではなかった。

「んー、いやな奴だなおまえさん」

 意に沿わぬ弟子を取る面倒と、平凡な者を招き入れた判断で生じる責任。天秤にかけ、後者を選ぶことを決めた。

「見込みが皆無じゃないからな、合格にしといちゃる」

「ありがとうございます!!」

 明朗な返事は、むしろふてぶてしさを予感させる。

「後悔させるなよ、若僧」

 渋い声音で告げても、彼は頭を上げようとしなかった。



 許可証を携えた少年が、奥の間へ向かっていく。その後ろ姿を見送ってから、ラガード・ハッシュは水晶球を覗き込んだ。

「……持続力は基準値超えか、しまった」

 申請用紙には、すべて「並」と記して渡している。別の意味で責任を負うはめになるかもしれない。

 ひそかに焦るラガードを尻目に、火の粉はゆっくりと消えていくところだ。

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