第5話 誕生日パーティー 前編

 ハルは学校指定の靴を履いて玄関を出た。大人っぽいファッションには普段のスニーカーに比べてそちらの方がよっぽど似合っていたからだ。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 お母さんが玄関先に出て軽く目を見開いていた。ハルの姿を見て少し驚いていたらしいが、感想は言わなかった。ふうん、という声が出ただけだ。けれども、その声は少し弾んでいた。

 プレゼントを入れた手提げカバンを持って空を眺める。雲の少ない青空。雀が2羽パタパタと飛んでいくのが見える。良い天気だ。

 ふうっと息を吐いて姿勢を意識して、歩く。品良く、元気良く。ただそれだけで気分も上がる。普段の道中が少し綺麗に見えて嬉しくなる。穂乃果の家まで、あっという間だ。

 彼女の家についた時、ふと仁科ひとみのことを思い出す。隣のクラスの美少女。ククヴァヤ曰く、勝負の相手。彼女とここで初めて会うのだ。それなのに、ほとんど意識から抜け落ちていた。緊張感もない。何故だろう。

 インターフォンを鳴らしながら一瞬だけ考える。それで十分だった。

 今の自分に満足しているからだ。ククヴァヤの特訓のおかげだろう。自分にしかないものがある。その自信。

「ハル、いらっしゃい」

「誕生日おめでとう。穂乃果」

 心からの言葉を告げる。もらった彼女はポニーテールをぴょこぴょこ揺らしている。嬉しそうな表情だ。黄色いカーディガンが幸せの象徴みたい。

「入って、入って。皆まだなんだけどね」

 もちろん、そうだろう。集合20分前だから。こんな時間に来たのは誕生日パーティーの用意を手伝うためだ。会場は穂乃果の家であるが、彼女は今日のメイン。ある程度勝手を知っているハルが手伝った方が良いと思っていた。脱いだ靴をそろえてリビングに移動する。

「いらっしゃい。今日はありがとうね」

「いえ、こちらこそ呼んでいただいてありがとうございます」

 一瞬顔を見せた穂乃果のお母さんに挨拶をしてキッチンに近い席のイスにハンドバックを置いておいた。

「今日は、全員で6人やんな」

「そう。だからいつもの部屋には入りきらないから、リビングになってるの」

「なんか、手伝うことある?」

「いや、今はないよ。せいぜい、ゲーム機取ってくるくらいだから」

「取りに行こか?」

 他人の部屋から物を持ってくるのは本来気が引けるが、祝われる側の人は極力働かせたくない。それに、ハルは何度も穂乃果の部屋に遊びに言っている。勝手は自分の部屋のように知り尽くしている。

 穂乃果は少し悩んでいる様子だったが、ちょうどインターフォンが鳴った。

「う~ん、じゃあ、お願い。あと、カメラも頼んで良い? 机の横の棚に飾ってあるから」

 そう言い残すと、玄関の応対に向かっていった。ハルは2階の穂乃果の部屋へと向かう。ゲーム機とカセット入れ、それにデジカメだ。わりと厚みが合って裏を見ると色々と設定することができるようになっているらしいがハルにはさっぱり分からない。とにかく、落としたり傷つけたりしてはいけないから、スカートのポケットにしまい込む。

 ゲーム機を両手で抱えて階段を降りようとすると、下が上手く見えない。ロングスカートの中でカメラがポンポン揺れるのを感じながら一段一段そっと降りていく。下からは穂乃果と男の子が喋る声が聞こえてくる。

「持って来たよ」

 リビングに入ると、襟足の長い男の子が穂乃果の隣にいた。ニコニコとしていて仕草が大きい。見たことのない子だ。

「ありがとう。そこのテレビの前に置いてくれる」

 穂乃果に言われた通りにしようとすると、すれ違いざま、男の子に「今日はお邪魔しています」と言われた。びっくりして立ち止まり、顔をしげしげと眺めてしまう。

 横で穂乃果がクスクス笑いながら紹介する。

「この子は、写真部の牧村洋一君。こっちが小学校からの親友、西川ハルさん」

 えっ、と声を上げてから、頭を掻いて牧村が笑いだす。屈託のない表情だ。

「いや。ごめんなさい。大人っぽい雰囲気だから、てっきり、皆元のお姉さんかと……」

「西川ハルです。よろしく」

 ゲーム機を抱えたまま頭を下げて微笑む。下手なことを言わずにこの方が彼も気楽だろう。

「こちらこそ」

 彼は思わぬ失態にまごついていたのでそっとしておくことにした。ゲーム機を置いて戻ると、牧村がトランプを取り出すところだった。大勢でやった方が楽しいし、これなら皆知ってるからだと言っていたが、

「俺よりもババ抜きが弱い人が見つかるかも」

 とも。言っていた。ひょうきんな人だとハルは思う。穂乃果曰く、彼はいつもこうらしい。どんな時でも、三枚目であり続ける。こういう人がいるから、場が和むのだと。

 ピンポーン。またもや、呼び鈴が鳴って穂乃果が席を立つ。

「ねえ、西川さんって毎年このパーティーに来てたんでしょ。どういう事してたの」

 俺、実はこう言うの初めてで、と言って牧村がハハ、と笑う。

「特に変わったことはないですよ。皆でケーキを食べてお祝いして、その後は普段通り遊ぶ感じ」

「そっか、なら気楽でよかった。あ、でも。トランプはちょっと浮いてたかな」

「ううん、皆で楽しめるし、そういうのもいいと思いますよ。コンピューターゲームだと、コントローラーの数しか遊べる人がおらんいから」

 ハルがそうフォローすると、牧村も安心した様子だった。そこに、男女の話し声が近づいてくる。すりガラスに男女3人の姿が映りこむ。

「おう、新条」

 声をかけられてシンプルな青い襟付きシャツの男の子が手を挙げる。シンプルな装いが彼のカッコよさを引き出している。新条真君だ。肩からかけたショルダーバッグにはストラップでカメラがぶら下がっている。

 2番目に表れたのは穂乃果。彼女は半分後ろを向く形でこちらに向かってくる。

 そして、微笑みながら相槌を打っているのが仁科ひとみだ。目鼻立ちのはっきりした彼女はそれだけでも目立つ。そして、予想していた通り、オシャレだった。

 スカイブルーのTシャツに黒のショートパンツ。これだけだと誕生日パーティーにはカジュアルすぎるのだが、そこを丈の長いネイビーのカーディガンが上手く抑えていて上品と無邪気さが調和していた。手には黒のハンドバックがあり、シックな感じではあるが白猫のストラップがアクセントになっている。

 ククヴァヤには勝たなければならない相手と言われていたが、一瞬目が離せなくなる。綺麗で、可愛い。普通ならどちらか一方に寄ってしまいがちのところを見事に両立している。

 一瞬見いってしまった。彼女と目が合う。

 ひとみは少しだけ首を傾げてかすかに笑みを浮かべる。そしてそのままハルに近寄ってきた。彼女の方が6、7cm背が高いので見下ろされる格好になる。

「あなたが西川ハルさん?」

「そうやけど」

「やっぱり、そっか。穂乃果ちゃんから聞いた通りだ」

 そう言って、ハルの頭の上からつま先、そしてつま先から頭へと視線を移していく。まるで、値踏みされているみたいで落ち着かなかったが、それしきのことで動揺するようなそぶりは見せない。

「私は仁科ひとみ、よろしくね」

 ハルの手をそっと取り、軽く握る。柔らかでハルよりも少し大きな手だった。

「そのスカート、今年のカラーだね」

 そう言われてハルはこの色を選んだ時のことを思い出した。あの時、お店で見たおススメの色は2つあった。

「そのカーディガンも、でしょ?」

 ネイビー。これもまた秋のトレンドカラーだった。やっぱり、そういうものを抑えて着こなしているのだ。そして、全体的な感じがどこかで見たような気もする。

「それって、SAYAKAみたい」

「そう。動画でカッコイイなって思ってちょっと真似してみたの」

 そう言って、ひとみは曲をワンフレーズだけ歌って軽く振付を踊る。誕生日プレゼントを買いに行く時、電車の中で里美が見せてくれた動画通りだった。

 ハルは小さく拍手する。別に皮肉でやっているわけではもちろんない。大雑把な振り付けはコピーしているものの、どこかにひとみらしさがあったのに素直に感心しただけだ。

 穂乃果が彼女の写真をパチリと撮っていた。ひとみは写真部らしいが、撮るよりも撮られる側の方が似合っている気がする。ゲームソフトを眺めていた牧村が口笛ではやし立てる。新条はちょっと困ったように笑っている。でも、内心は割と楽しんでいるのではないかとハルは感じた。

 ピン、ポーン。ゆっくりとインターフォンが鳴る。相手はもう想像がつく。里美だ。

 入ってきた里美は何故かショルダーバッグにプラスして白い箱を持っていた。サイズを考えると、ケーキのようだがそれはさっき挨拶した時に穂乃果のお母さんが買っているのを聞いた。どういうことだろう。

「ごめんね。遅くなって」

「それ、何?」

「う~ん、もう少しだけ秘密」

「ケーキ?」

「違います」

 穂乃果(と何故か牧村)が問いかけるがのらりくらりと里美は逃げる。そう言えば、最近里美は単独行動をとることが多くなった。別に仲が悪くなったわけでもないので気にしてはいなかったが、これに関係あるのか。

「あれって、毎年なの?」

 いつの間に近づいたのか。新条がハルの耳元で囁いた。唐突なのでさすがに少し驚いた。肩がピクリと震えた。

「ごめんね。驚かして」

 新条が弁解して一歩下がる。ハルは黙って首を横に振る。むしろ彼の少し低い声は体に響くようで聞いていて心地よかった。

「いえ、大丈夫です。普段はああいうものは持ってくる人がおらんかな。ちょっと見当がつきません」

「そっか、じゃあ、もう一つ」

 そう言って、新条はハルを手で指し示す。ちょっと気取った仕草が良く似合っている。

「普段から、そう言う服なの?」

「あ、いや、今日はパーティーやから」

 どういうことだろう。ハルは内心で冷や汗が出てきた。正直に言ってみたが、普段は全然見た目に気を使わない女だと言ってしまったようなものだ。けれども、逆の返答だと毎日力を入れ過ぎていると取られる可能性もある。

 この葛藤を押し隠してスカートを軽くつまんで持ち上げ、膝を少し曲げる。ククヴァヤに教えてもらった、昔のメイドの礼だ。

「似合ってます?」

「うん、キレイだよ。似合ってる」

 褒め殺しの常とう句みたいだが、サラッとなんの屈託も無く新条は言ってのけた。その方が効果は抜群だ。残りHPはわずか。ゲームならゲージが一発で赤になるくらい。

「じゃあ、全員そろったなら、始めましょうよ」

 パンと小気味のいい音を立ててひとみが手を打ち合わせる。いよいよパーティーの始まりだ。

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