第4話 ククヴァヤの特訓
休日明けの放課後、ハルと穂乃果は一緒に下校していた。途中までは里美も一緒だったのだが、用事があるとかで途中から別行動になってしまった。
「そうだ、次の日曜日。覚えてる?」
穂乃果がハルの顔をいたずらっぽく覗きこんだ。
「穂乃果の誕生日やろ。覚えてる。毎年なんやから」
「うん、今年もハルと里美には来てもらう。だけど……」
そこまで言って、穂乃果はビシリとハルを指さした。いたずらっぽい笑みがさらに広がる。
「里美にはもう言ってあるんだけど、今年は、ゲストが増えるのでーす」
「え、誰!?」
今まで3人で慎ましく開いていた誕生日パーティ。そこに人が加わるというのは意外だった。ハルは急いで頭を回転させるが相手が思い浮かばない。
「3人いるんだ。隣のクラスの、ひとみちゃん、新条君、牧村君だよ。写真部で同じで、誕生日のこと話したら来たいって。ダメかな」
「ううん、それは良いけど……。新条君って新条真君だよね、ひとみちゃんって言うのは、仁科ひとみちゃん!」
「そうだよ」
穂乃果はあっけらかんと笑っているが、ハルは動揺していた。新条真と仁科ひとみ。この2人は学年でも割と有名な2人だ。
新条真は、背の高いイケメン。そのくせ、人当たりがよく細かいところまで気がつく。スポーツが得意なのに文化系の写真部で活躍しているところからもその性格が分かる。優しくて頼りになって見た目も良い。女子の中ではかなり人気があってハルも時々廊下で見てカッコイイなと思っていた。
仁科ひとみは一言で言えば美人。目鼻立ちがくっきりしていて、すらっとしている。髪が長くて颯爽とした印象のある人だ。皆と同じ制服を着ているはずなのに、堂々とした風格があってカッコイイ。そのくせ、時々フニャンと甘えた感じにもなる。猫みたいな人だ。こちらもみんなから注目を浴びている。
2人ともクラスが違うせいで全然話したことがないから苦手意識があるわけでもないが、気後れする。それでも、パーティーの主賓は穂乃果。彼女が決めるべきことだ。
しかし、ハードルが一段と上がった。制服しか見たことがないが、あの仁科ひとみの私服がダサいものだとは思えない。それと比べられるのだ。みんなの憧れ新条真の前で。憂鬱だ。
「ホー。それは良かったな」
これが事情を説明した時のククヴァヤの第一声だった。相変わらずのかすれた声だが、普段より高めだ。どうやら皮肉でもなく心から喜んでいるらしい。何を考えているのか。
「なんで、これが良いことになんの」
「決まっている。今まではセーターを着こなして大人っぽくなりたいということだったが、明確なゴールがあったわけではないのだ。だが、今回具体的な目標ができた。そのひとみとかいう者に勝つことだ。この方が励みになるだろう」
無茶苦茶言い出した。ククヴァヤは相手を知らないのだ。相手は学年で話題になるくらいの人物。そんな人間にハルが太刀打ちできるものか。
「敵う訳あらへんよ」
「やる前から諦めてどうする。せっかくなのだから自信をもっと持て。それに、勝てればその新条とかいうのが振り向いてくれるかもしれんぞ」
「ええ!?」
「気になっているのだろう?」
今まで全然接点がない相手だ。ときおり廊下で見かけるくらい。でもまあ、全く、興味がないとは……言えない。
あるわけないとは思いつつ、でももしかしたらという淡い希望が捨てられない。完全に乗せられてしまった。そう思いながら自分から乗りに言っていることにもうすうす気づいていた。
「それで、具体的に所作ってどうするの」
ハルは極力渋々という感じを出しながらククヴァヤに問いかけた。昨日の晩、せっかく買った服が今一つに合わないハルは彼女に言われたのだ。「ここからは、お主自身を磨かねばならぬ。そのために必要なのは美しい立ち振る舞い、マナーを身に着けることだ」と。
しかし、マナーと言われてパッとハルに思い浮かぶことは、電車やバスでお年寄りに席を譲るとか、焼き魚を食べる時の骨の取り方とかしか思い浮かばない。どう考えても誕生日パーティーで使えるようなものではないだろう。立ち振る舞いに至っては思いつくことすらない。
「そうだな。まずは立ち姿からだ」
「そんなとこから!?」
「もちろんだ。第一印象は大事なのだぞ。世間では人は見た目で決まるものではないというし、そうであってほしいものだが、最初の印象が良い方がスムーズにいくに決まっている。そして、だいたい人と出会う時というのはお互いが立っている時であろう?」
そう言って、ククヴァヤはハルの周りを飛び回り始めた。その間、ハルは正面を向いておくように言われた。
「背筋はわりと良いな。キョロキョロするな、あごを引く。そして、お腹を意識してお尻を引っ込める。ホー。肩をもう少し開いた方が良いな、いやそれでは反り過ぎだ。心持ち戻して……」
こまごまとした指示に従って調整していく。割と早く仕上がりはしたと思うが、普段無意識にしていたことを改まってしてみると、普段使っていない筋肉を使っている気がした。簡単ではあるが、長続きしそうにない。
「これいつまでやるの」
「ずっとだ」
「無理! キツイ!」
思わず脱力すると、ククヴァヤが飛んできて足でガシガシ蹴ってきた。小さいくせにかぎ爪なのでかなり痛い。仕方なく全身に力を込める。
「そうだ。毎日できる限り続けて行けば、自然と身につくようになる」
そう言って今度は座り方の作法が始まった。座っている時の姿勢はもちろんのこと、イスを引いて座る時、逆に立ち上がる時も含まれている。それをたっぷり20回はやらされた。
「では、今度は歩き方」
座るだけ、立つだけ。それだけでも割と神経を使う。それに今度は動作が加わるわけだ。当然激も増えてくる。
「違う。かかとからではなく、かかと、小指、親指が同時に着くように。足は膝を軽く曲げて歩くんだ! でないと、足に無駄な負担がかかる……。目線が下がってきておる。背中も曲がって来てる。お尻を引っ込めるのだ。そう。もう少し手は大きめに振っても良い」
これで部屋を30往復ぐらいさせられた。学校帰りのハルはクタクタだ。前後左右のみならず上下からも確認する鬼教官に愚痴が出る。
「これ、パーティーと関係あんの」
「パーティー、というよりも日常生活全般だな。こう言う習慣を変えていくことこそが自分を内側から変えていく秘訣なのだよ」
全身が変な筋肉痛になった所でハルはようやく解放された。その夜、ハルは人生最高のスピードで睡魔に屈した。あんまりに彼女が疲れていることに気づいていたので、ククヴァヤは彼女のスマホが振動するのを黙って見ていた。わずかな文面に目を細めた。
そこには穂乃果からのメッセージが一部表示されていた。「ハルのこと話したらひとみ――」
ククヴァヤは学習机に着地すると、体はそのままに首だけを180°回転させて寝入っているハルを眺めた。
「明日は騒ぎそうであるな」
と呟いて。
翌日、日が暮れて夜行性の貯金箱が動き出したタイミングでハルが部屋に駆け込み、スマホの画面を突きつける。
「マズいことになったよ。クク」
「廊下をドタドタ走るな」
呆れたようなククヴァヤの口調にハルはバツが悪そうに押し黙ったが、すぐに焦りが前面に出た表情で話す。
「あの、ひとみちゃんがパーティーにオシャレしてくるって」
文面には、ハルが新しい服を買っておめかししてくるらしいから、楽しみにしているということを写真部で言ったら、ひとみまでが乗り気になってしまったらしい。
「まあ、そんなところだとは思っていた。良いではないか、お主はお主の良さを出せばそれで」
動揺しまくりのハルにククヴァヤはあっさり告げるとマナー教室を再開した。今日はナイフとフォークの使い方だ。パーティーには必ずケーキがあるのだからその練習ということらしい。だが、実際の食器を使うわけにはいかないのでエア食器だ。ままごとみたいな感じがしないでもない。
その時の皿の渡し方や会話の時の話し方まで細かく言われた。その時に何度となく言われた言葉が、「相手の気持ちになって、相手が心地よく、美しいと感じられるように行動するんだ。そうすれば、色んな人から受け入れられるし、自分も嬉しいものだ」とにかく、相手から見て、という部分を強調された。自分を出すのは、会話などで行えば良いと。
もちろん、歩き方のおさらいなんかもやらされる。ナイフの使い方に集中している時に座り方について怒られることも。なかなかのスパルタだった。これが毎晩毎晩続くのだ。
学校帰りに毎日行われる訓練にいい加減疲れたハルは一度スパルタ貯金箱に尋ねた。
「ここまでしなきゃいけない物なの?」
「むろんだ。相手が分からぬ以上、備えをし続けておくことに越したことはない。ひとみという者に絶対に勝つのだ」
即答だった。ファッションって勝ち負けで考えるものなのかというハルの疑問は一瞬たりとも頭に浮かんでいないことは明らか。そこで方針を変える。
「あんまり堅苦しいと疲れてくるよ。こっちも向こうも」
人付き合いの難しさをついた我ながらなかなかの反論だとハルは思った。正論ばっかりいう人が皆から慕われるわけではないのだ。しかし、こんな抵抗、知恵の化身には通用しない。
「そう感じさせないくらいにさりげなく、そう感じないくらいに体に叩きこんでおくのだ」
フクロウは飛び回る速度を上げて
「もっと自分に自信を持って!」
と言われながら。もちろんだと、ハルは半ばやけくそになった心で思う。ここまでやって何も良い方向に変わらないのだとしたらこの世の摂理とやらを丸ごと恨みたい。それくらいククヴァヤのレッスンは苛烈を極めていた。
前日、ハルは純白のセーターとワインレッドのロングスカートに包まれて鏡の前にいた。彼女の浮かべる笑みは、今までと同じく少し幼いあどけなさがあった。しかし、その中にはどんなものにも侵されない、苦難は全て見てきたと言わんばかりの不敵さと自信が混じっていた。
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