第2話 ファッション研究
お昼休み。私は穂乃果と窓際でおしゃべりをしていた。今里美は日直として先生に呼ばれて雑用をしている。校庭からは男子のグループが走り回りながら声を上げているのが聞こえた。
「お姉ちゃんのオシャレ?」
穂乃果が視線を窓の外から私へと移す。怪訝そうな表情だ。その後ろでポニーテールがピョコピョコと揺れている。
「お姉ちゃんのオシャレなんか聞いても参考にならないよ。妹のあたしが言うんだから間違いない」
自信満々に何度も頷いている。けれども、ハルにはそれがちょっと信じられなかった。何と言っても、この前ハルが見た雑誌は彼女の姉の持ち物だったからだ。オシャレに気を使わない人があんな雑誌を持っているはずがない。
「あの雑誌ね。うん、そこだけ見たらまあ、気を使ってそうに見えるけど」
穂乃果は口元を歪めてハルを見た。無理やり捻り出した笑み。
「ここだけの話ね。お姉ちゃんって、物だけ揃えたら満足するタイプなの」
ハルの耳元に口元をコソッと近づけて穂乃果が言った。少しハスキーな声がこそばゆい。
「というと?」
「例えば、朝にランニングしようと思ったとする。そしたら、シューズとかウェアを買い込む。その時点でなんとなく達成した気になって一度も走らず終了。こう言うタイプなの、お姉ちゃんは」
なるほど。今まで穂乃果の姉とは会話したことが稀だったが、ハルにも彼女の行動パターンが上手く理解できた。ファッションに力を入れようとした挙句、雑誌を買っただけで終わったのだろう。
「普段着はスウェットに同系色のボーダーシャツだからね。参考にしない方が良いよ。うん」
ハルの肩に手を置き、まっすぐな目で覗きこむ。もしかしたら、姉の意見を聞いて失敗した口なのかもしれないとハルは感じた。
「でも、何で。急に?」
「いや、洋服の雑誌があったから何となく気になっただけ」
「へえ~。ハルもお年頃か」
「同い年のくせに」
2人して教室の片隅でケラケラ笑う。どこにでもある光景。日本中どこの中学校にもありそうで、何でもない光景だ。傍から見たら悩みなんか一切感じられないだろう。
しかし、ハルは笑っている自分を見つめているもう1人の自分を意識していた。ちょっと冷めた、よく言えば俯瞰的に物事を見つめる自分。
彼女は気づいていた。事態は悪化している。あのセーターを着こなすために頼りにできそうな人がいないのだ。お披露目の相手である里美や穂乃果には言えない。どうする?
「どうしよっかな」
夜中、スマホを片手に1人呟く。気分直しと思って最近はまっている歌手の音楽を聴いていたのだが、どうしても服のことに考えが向かってしまう。
「とにかく、行動するしかなかろう」
視線を上げると、翼を軽く広げた貯金箱がてくてく歩いてくるところだった。意外と足が長い。
「でも、クク。行動するって何をすんの?」
「とにかく、ファッションに関する何かだ。やってみれば多少は見えてくることもあろう。結果に直接結びつく保証はないが、方針がないならやって損はなかろう。ところで」
貯金箱はハルの目の前まで飛んでくると、軽く羽ばたいて彼女の頭の上に乗った。中身が空とはいえ、陶器でできている。そこそこの重さはあるし、爪でとまられると痛い。
「何するん」
「仕置きだ。勝手に妾の名前を省略したからな」
「だって、言いにくいんだもん」
ククヴァヤ。何となく口にしたら、ククバヤとかククヴァアとかになりそうだ。昨日のことから考えて呼び間違えたらこの貯金箱は絶対に怒る。だからと言って、いちいち気をつけて呼んでいたらハルが疲れる。それならいっそ、略してククなら言いやすいかなと思ったのだ。なにより、可愛いだろう。
しかし、逆効果だったらしい。貯金箱はプリプリ怒っている。
「人の名前くらいはちゃんと話せ。妾はフクロウ。知恵の化身であるぞ」
「はいはい、分かりました。……ククヴァヤ」
取りあえず正式名称で言ってみたが、やっぱり言い辛い。いつか、ククというあだ名を認めさせようとハルはこっそり決めた。
「ところで、知恵の化身って言ったよね」
「うむ、それが何か?」
「私の手伝いしてくれんの?」
「さっきから、助言しているであろう?」
何を今さら、という口調が頭の上から聞こえてくる。頭の上でモゾモゾ動いた後、コツンと衝撃が伝わってきた。ようやく、落ち着いたらしい。
頭を完全に止まり木にされたということだが、それに関してはあまり文句もなかった。なぜなら、知恵の化身が手伝ってくれるのだから。きっと、問題なんかすぐに解決するに決まってる。
「ねえ、あのセーターをどうやったら着こなせるか、教えて」
「それは無理だ」
驚くほどあっさりした返事に全身から力が抜けた。スマホは倒れ、ハルは顔から布団に突っ伏す。バランスを崩したククヴァヤはポウンと放り出される。
「どういうことよ。できないって。さっき知恵の化身って自分で言うたくせに」
「お主。知識と知恵とを勘違いしておるな」
羽根をバタバタ動かして態勢を整えながらククヴァヤが話し出す。滑稽な仕草のくせに、ハルに呆れたようなセリフはアンバランスだ。
「知識というのは、ある事柄について知っている情報のこと。知恵はそれらを活用して物事の道理を見抜き、処理する能力のことだ。それらはよく混同されるが全くの別物なのだ」
尊大な口調でふんぞり返っている貯金箱にハルは白い目を向ける。
「つまり、ファッションのことは全く知らへんから、処理できませんって?」
「うむ。そういうことだ」
「役に立たず」
「うるさいわ。服も着せずに毎日部屋に閉じ込めておいて、それでファッションの知識を勝手に身につけると期待する方がどうかしておる」
目の前でフクロウは羽根を逆立てる。見る間に倍くらいにまで膨らんだ。ふっくらしたフクロウはちょんと押したら転がっていきそうだ。
「だから、知恵が欲しいならまずは知識を与えよ。そうすれば、力になってやらんでもない」
「知識ねえ」
「だいたい、お主。本とかを読まんのか。この部屋には全然ないぞ。教科書だけで世間の知識は身につかんぞ」
「そんなこと言っても、大体はこれで十分だもん」
ハルはスマホの画面をククヴァヤに見せる。近すぎたのか、ククヴァヤは1歩下がる。
「そう言えば、よくそれを眺めているな」
「うん。これで検索すればいろいろ出てくるんだよ」
試しにハルは秋物ファッションと入れてみた。画面上に検索結果がずらずら出てくる。ハルがそのうちの1つをタップすると画面が切り替わる。ククヴァヤはその様子を興味津々で眺めていた。
「ホー。これで知識を集めるのか。なるほど、これではグリーンのコートが良いと書いてあるな」
「でも、あのセーターを着こなせるようにしたいわけだからね」
私が買ったセーターはミルクのような純白だ。グリーンの羽織り物を勧められてもどうしようもない。
「あとは、キラキラした素材の物。チェック柄の物」
「どっちもアウト」
どう考えたって似合わない。上から羽織ったとしてもセーターが映えないだろう。その後も色々検索ワードを変えて調べてみたが、使えそうなものはない。色合いに関する記事では補色がどうこう言っていたが白には無関係。ファッションショーは度肝を抜くぐらいに奇抜だった。合わせる小物もかばんやネックレス、はてはマニキュアまでと多岐にわたる。
「方針を変えてみようではないか」
1時間ほどしてからククヴァヤが言いだした。このくらいにまでくると、ハルもだんだんどん詰まりになっていることが感じられていたのであっさり承諾した。
「お主、予算はどのくらいある?」
「う~ん、細かいのも合わせると、2000円ちょっとくらいかな。誕生日プレゼントを買う分は別に確保してるから」
「なるほど」
ククヴァヤは頷いてから、チョイチョイと足を器用に動かして画面をスクロールした。映っているのは、服飾店のカタログだった。
「となると、新しく買えそうなのは、ギリギリ1品だけということになるな。必然的にシンプルな服装にしかならない」
「そうか……」
私は手持ちの服を記憶から引っ張り出しながら答える。あのセーターに合いそうな服……思いつかない。今まで明るい色か大き目のロゴの入ったものが好きだったので、そちらの方がセーターよりも目立ってしまう。色々脳内で組み合わせてもチグハグだ。
やっぱり買うしかない。
「なるほどな。ならば、下に履く物を考えた方が良さそうだ」
ククヴァヤはカチカチとくちばしを鳴らしながら考えていた。
「妾がここまで見た情報から考えていくと、選択肢はいくつかありそうだな」
「なに?」
正直に言うと、ファッションの知識という物をいろいろ見すぎて頭の中が飽和状態になったハルである。うまく物事をまとめていってくれるククヴァヤは彼女にとってかなりありがたい存在だ。
「どのような雰囲気にしたいのかにもよるのだがな。愛らしさを求めるのならば、ミニスカート」
ククヴァヤが足でトントンとやって示したのは、黒のフレアスカート。ひざ上10cmほどだろうか。次に彼女はその2つ下の画像を示す。
「スタイリッシュにしたいならば、このジーンズだな。スキニージーンズ」
画像は青いスキニージーンズがモデルの美脚を強調していた。最後の候補はその隣。
「エレガントにしたいならばこういうロングスカートだな」
青と緑が混じったような不思議な色だった。下の表示を見るとピーコックグリーンというらしい。どことなく深い森をイメージさせるの色だった。
「どれにする?」
「うーん」
3つの画像を見比べる。色は後で、買う時に決めるとして、問題はタイプだ。
「季節的にミニスカートは無いかな」
最近めっきり寒くなってきた。オシャレは我慢ということを聞いたことはあるが、それで風邪をひいてはさすがに良くないだろう。
「ジーンズか、ロングスカートか」
他の服にも応用が聞きそうなのはジーンズの方だ。ファッションには疎いが、なんとなく大体の服には合わせられる気がする。けれど、スキニーでないだけで、普通のジーンズなら2,3着持っていた気がする。目新しさで言えば……。
「ロングスカートかな」
せっかく今までと違うスタイルで行くのだから、ガラッと変えてしまいたい。
「よし、ならば決まりだな」
ククヴァヤがばさりと飛び立つ。
「次の休みにそれを買ってくるように」
「うん」
学習机の隅という定位置に着地したククヴァヤを見てハルはふと思い出した。今更だったが。
「ねえ、朝は何で返事してくれなかったの?」
ハルは指ではじいても見たのに、その時のククヴァヤは全くの無反応だった。
「当たり前だ。妾は夜行性なのだからな」
だから、お主はそろそろ寝ろ。ちょっと投げやりな気遣いの言葉にハルはコクリと頷いて従った。
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