第4話 生きるための準備
美香が箒をまだ握りしめていた。そして目の前にあった死骸を蹴飛ばし、さらに箒で何度も、何度も殴り続けた。表情を変えずに、ひたすら。
「み、美香……」
その姿は、あまりにも狂気に満ちていた。自分は情けない声を出すことしかできなかった。
「おい美香!」
見かねたカズが美香の手を掴んだ。そしてようやく正気に戻った美香は、静かに涙を流し始めた。
カズが美香を落ち着かせてる間、死骸から矢を引き抜いて、分厚い雑巾で血を拭き取ると、矢筒に収めた。
「秋奈、俺たちは車に物を積もう」
「あ、うん、わかった」
飲み物や部活で食べていたお菓子など、少ない物資を残された商用バンのトランクに積み込んだ。美香が落ち着くまでの間、車内に沈黙が流れる。
この後、自分達はどうなるのだろうか、この騒動が、いつかは沈静化するとしてもそれまでは生き延びなければならない。しかし、それにはあの人型を殺すことは必須だ。
俺とカズだって、なんの躊躇も無く殺せるわけじゃない、それなのに秋奈や美香が殺せるのか。
そんなことを考えていると、カズと美香が乗り込んで来た。
「もう大丈夫か、美香」
「ええ、もう平気よ」
なんとかいつも通りとまでは行かないが、正気に戻ったようだ。
キーを回して、ドライブに入れる。車の免許は持っていないが、今となっては関係ない。一応原付は運転出来るし、車の運転も知らないわけではない、オートマ車なら尚更だ。
ブレーキを離して、アクセルを踏み込む。砂利道を少し進んで、舗装路に出ると、町に向かった。
途中に何人か、生存者を見かけると思っていた。しかし途中に見かけたのは、道に転がる無残な死骸と、血まみれで彷徨う化け物だけだった。
「どこへ向かうんだ」
「家だ」
ミラー越しにカズの顔を驚くと呆れた顔をして体を起こし、こう続けた。
「いまこの状況で向かってどうなる? 親と会うのか? 落ち着けよ」
「でも今の物資だけじゃ心もとないだろ、それに家付近は道が狭い、それを逆手に取ればバリケードも作りやすいし、それに近所の人も運良く猟師が多いし」
自分の身は自分で守って来たような人ばかりだ、きっと大丈夫な筈だ。
「そうかよ、まあどこに行っても一緒か」
諦めたようにシートに吸い込まれるように座り込んだ。
住宅街を進むと、古い建物が増えてくる、そして狭い道の前に車を塞ぐように止め、降りた。
「撃ち殺すぞ! 手を挙げろ!」
建物の二階から枯れた声の怒号が鳴り響いた。すぐに手を挙げ顔を確認する。
「吉田の爺さん!」
「なんだ、神河さんとこの孫じゃねぇか!」
構えた猟銃を下ろすと安心した顔ですぐに降りて来た。
「無事だったのか、よかったなぁ」
「ええ、なんとか友達四人で学校から逃げ出して、そういえば親父は帰って来ましたか?」
「いや、まだ見てねえな」
会社からは逃げていると思うが、少し不安だ。
「そうですか、他の人たちは?」
「ああ、みんな家の中でじっとしてるよ、交代で見張ってる、とりあえず君達も家の中でじっと休んでるのがいい」
「ありがとうございます」
吉田さんの言う通り、とりあえず今は家で休むのが先決だろう。頭を下げると、すぐにみんなを連れて家の中に入った。
「あんまり大したものないけど休んでて、倉庫で準備してくるから」
「ああ、ありがとう」
「悪いわね」
今から玄関に出て、倉庫に繋がる扉を開ける。すると後ろから声がした。
「何か手伝えること、ある?」
振り返ると秋奈がいた。
「いや、大丈夫だよ」
「で、でも、カズ君や文紀ばっかり頑張ってたから、私も何か……」
一瞬、恥ずかしそうな顔をすると、俯いた。
「ま、まあそこまで言うなら、こっち来て」
そう言って扉を開けると、埃っぽい倉庫に出た。手探りでスイッチを押すと、黄色い明りが照らした。倉庫の壁には工具が掛かっていて、隅にある箱には大量のパーツが詰まっている。
そして、さらに奥の扉を開けると、缶詰や非常食が大量に入っている。
「なんで、こんなに食料が……」
災害などに備えるにしては、かなりオーバーな量だ、しかしこれにも理由があった。
「ほら、家の前の道って狭いじゃん、それで昔に豪雪の時に埋まって、物資が届かなくなったことがあるらしいんだ。それでこの辺の住人はみんな蓄えてるらしいよ」
とは言うが個人的に非常食を集めるのが密かな趣味だった。恥ずかしく、みんなの前で言うことはないが。
「そこに何個かリュックがあるから、持てそうなだけ詰めてみんなの所に戻ろう、他にも準備しないとダメだしな」
部屋の真ん中にリュックを持って来て、出来るだけ軽く、水が少なくて済む非常食を詰め始めた。重量があるものはできるだけ家で消費しよあと思っていた。
リュックに詰めてる間、秋奈とたわいもない話をしていた。
「そういえば秋奈と最初に話したのって、宿泊研修の時だったよな」
「うん、そういえばそうだったね」
「あの時は友達少なかったからさ、話しかけて来てくれた時嬉しかったよ」
「わ、私も友達できるか不安で、文紀が優しくてよかったよ」
秋奈は優しそうな顔で微笑んだ。
「でもカレー作る時に薪割りしたじゃん、その時の秋奈かなり上手かったよね」
「そう、だっけ?」
正直、薪割りは男子の俺でさえコツを掴まないとかなり難しいかったのに、秋奈が一発目で綺麗に割ったのを見て、かなり驚いた記憶がある。
いつの間にか時間は過ぎていた、すぐにリュックを背負って今に向かった。腕時計を見ると丁度正午過ぎを指している。扉を開けるとカズと秋奈はテレビを付けていた。
「文紀か、今テレビつけて見たんだけどなんも入ってねぇな」
「消音にしとけよ、いつ気づかれるかわかったもんじゃないからな」
弓道場からここに来るまでの間、いつもは喧騒で溢れている町が、静まり返っていた。きっと少しでも物音を立てればすぐに気付くだろう。
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