第8話 王の矜持


「あらためて……皆さん、はじめまして! 麻布文香って言いま~す! 気軽に、フ・ミ・カって呼んでくれると嬉しいな。よろしくお願いしま~す」



 ザブブはそう言うと、腰を45度くらい曲げ、ぺこっとお辞儀をしてみせた。

 その背後の黒板には、大きく、女子っぽい丸い字で『麻布文香』と書かれている。

 教室内はホームルームのときに比べて静かになっており、生徒たちはみな、お辞儀をしているザブブに対し、歓声ではなく、無機質・・・な拍手を送っている。

 一通りはしゃぎ疲れたのか、生徒たちはすこし、やつれたような顔つきになっていた。

 ……まあ、ぶっちゃけると、ザブブがすこしばかり生気吸収エナジードレインをした。

 あいつの肌が今テカッテカなのは、そういうことだ。

 これはそうエナジードレインしないと騒ぎが収まらないと判断した、ハルゴン決断であって、僕の責任ではない。……といっても、きちんと死なない程度に手加減はしてある。

 たぶん。

 ザブブは自己紹介を終えると、教壇から降り、窓際に立っていたベリアンヌの隣へ移動した。


 静寂。


 ベリアンヌはホームルームの進行を忘れ、なぜか外を見て、黄昏ていた。その顔には、生徒たちと同じように、すこし生気がないように見受けられる。

 ベリアンヌに生気吸収は行っていないので、たぶん、さきほどの失敗を、うじうじと悩んでいるのだろう。

 しかし困った。

 このままでは先に進まない。

 そう思っていると、隣のザブブが億劫そうに、ベリアンヌに耳打ちした。



「あ! す、すまない! 月城結菜つきしろゆいな、入ってきてくれ!」



 ベリアンヌがそう促すと、教室の教卓側の扉が静かに開いた。

 ノロノロと教室に入ってきたのは、小柄で、身長が……150センチほどの、長髪白髪の少女だった。

 一見、トリプルアクセルを決めながらの一見だと、美少女にも見えるかもしれないが、じっくりとその顔を見ていると、美少女からはほど遠いのがわかる。

 触れれば壊れてしまいそうなほど、儚く脆く、その姿はまるで雪で作られた人形。

 目鼻口などのパーツは整っているものの、瞼は半開きで、口も半開き。

 全身を包む気だるさが、目や口から湧き水のように溢れ出ている。

 目のすぐ下には、生意気にも泣きぼくろがあるのだが、身長やその幼い顔つきのせいか、『セクシー』という単語からは程遠く、泣きぼくろというよりも、もはや亡き・・ぼくろとなっている。

 腕はだらんと、力なく垂れており、やる気のなさが十二分に見て取れた。

 周囲の生徒からは


「あれ? 可愛くね?」

 や

「フミカより好みかも」



 などといった声が上がっているが、トンデモない。

 アレと比べるなら、ザブブのほうが100倍マシだ。

 多分、2年3組の生徒は疲れてるのだ、生気吸収で。もしくは、現在進行形でトリプルアクセルをキメているか、そのどちらかである。

 そして、このだらしがない少女こそが、『暫定歴代最強勇者』と、初代様に言わしめた勇者である。

 重ねて云おう。

 この人生を舐め腐ってそうな無気力系女子こそが、『暫定歴代最強勇者』と、初代様に言わしめた勇者、本人である。

 よいだろうか、この害のなさそうな、ちんちくりんな外見に騙されてはいけない。

 そう感じてしまうのは、これがすでに、ヤツの汚いやり口だからだ。

 あいつは、この外見からは想像できないほどの俊敏な動きで僕たちをかく乱し、アトモスをも凌ぐ怪力で、眼前の敵をなぎ倒し、ザブブを無力化してしまうほどの魔力で制圧し、ベリアンヌを圧倒するほどの剣技を持っている。

 正面からぶつかれば10回中9回はぺしゃんこにされ、残りの1回は磨り潰されるであろう。

 ……とにかく、今回においてはこれが、僕と勇者の初顔合わせだ。

 ここからは、さきほどまでと同じような隙を見せていれば、すぐさま、僕の首が宙を舞うことになる。端的に言うと、殺られる。

 しかし、それは戦えばの話。

 今回は平和的に、友好的に物事を進めていくため、そのような心配はない……と思いたいけれど、ヤツの場合、マジでなにを考えているのか、わかったもんじゃない。

 なにせ、あのギガントドラゴンを食ったやつだ。

 哺乳類はすべて食える。……とのたまったやつだ。

 ヤツを人間だと思ってはいけない。あれは人の形をした化物。

 常にそう思い、気を抜いてはいけない。

 頑張れ僕、頑張れ魔王。

 外道勇者に負けてはならない。



「こんにちは……月城……です……。よろしく……です」



 僕があれこれと、いろんなことを考えている間に月城による自己紹介は終わっていた。

 たぶんあの『です』には『DEATH』の意味合いも含まれているのだろう。

 なんて恐ろしいやつだ。

 そして、心なしか、僕に対して熱い視線を投げかけてきている気がする。

 ヤル気か? 早くも僕と事を構える気なのか?

 上等だよ。

 こちとら、いつでも時間跳躍する準備は整っている。


「……あれ?」


 いま、気づいたが、背後の黒板には相変わらず、『麻布文香』の文字しかない。

 なんだ?

 月城のやつ、自己紹介してないじゃん。もしかして自分の名前も書けないような、おバカさんなのだろうか……?

 僕が怪訝に思っていると、黒板の右端、今日の日直が書かれている欄に、『月城結菜』と添えられていた。



「フム……」



 ――なんだこいつは。

 何がしたいんだ?

 いくらザブブが、自分の名前をデカデカと書いたからとはいえ、そこに書くことはないだろう。

 なんなら、ザブブの自己紹介は終わったんだから、黒板けしで消せばいい。

 遠慮したのか?

 遠慮してしまったのか?

 いや、こいつはそんなヤツではない。

 大方、安易にウケでも狙いにいったのだろう。

 しかし残念。

 教室はフリーズ状態だ。



「あー……、転校生の自己紹介も終わったことだし……、席替えといこうか!」



 そのあまりの痛々しさに耐え切れなくなったのか、ベリアンヌがクラスの空気を換気するために、席替えを提案してきた。



「お……おー……?」

「やったー?」

「ひゃっはー?」



 と、生徒たちもベリアンヌの気持ちを汲んだのか、無理くりテンションを上げはじめた。

 ベリアンヌは席替えを提案するや否や、巧みにチョークを操り、黒板に座席表を作り始めた。

 当の本人月城はどこ吹く風といった様子で、教室前方の隅でぽけーっと、グラウンド側、窓の外を見ていた。

 なんだろう、窓の外には何があるというのだろ――何もない。

 なんなんだ、おまえは。

 何を見ているんだ。

 何が見えているんだ。

 おまえはなんなんだ。



「さあ諸君、ここに数字が書かれている紙が入ったボックスを用意した。先着順だ。蟻のように群がるがいい」



 そんな掛け声(?)とともに、教室中の紳士が我先にと、ボックスに群がった。

 およその狙いはわかる。

 皆、ザブブ周辺の席に座りたいのだろう。

 当の本人はまだ、くじすら引いてすらいないのに。

 ……僕はとりあえず、この騒ぎが収まってから引こう。

 焦る必要はない。多分、これも作戦のひとつだからだ。

 僕が引いた番号は自然と、月城の周辺になるよう、仕組んでいるのだろう。

 でも、いまはそんな事よりも――



「志藤様……志藤様……」



 名前を呼ばれた気がして、辺りを見回していると、ベリアンヌが教室の後方で僕のことをコソコソと手招きしていた。

 無視するわけにもいかず、僕は席から立ちあがると、ベリアンヌのほうまで歩いていった。



「あのさベリアンヌ。学校ではあんまり僕に絡まないでくれ。怪しまれるだろ」


「す、すみません……! ですが、これをどうしても受け取っていただきたく……」



 そう言って、僕に差し出してきたのは、ノートの切れ端かなにかの紙切れだった。



「お、おま……おまえこれ、もしかして……」


「教室窓際、後ろから2番目の席を確保しておきました」


「ヤラセかよ……!」



 ベリアンヌの持っていた紙切れを、僕は半ば、ぶんどるような形で取り上げた。



「なんかこう……、餃〇チャ〇ズみたいな感じでさ、もっとスマートな方法はなかったのか? こんなの、古典的すぎるわ! 見つかったら怪しまれるって」


「申し訳ありません。生憎、超能力の類は専門外でして……」


「こんなにあからさまなのに、どうやって月城に説明するんだよ。絶対怪しまれるだろ」


「え?」


「え? じゃないって。こんなことをしたら……」


「紙はもう、渡してあるのですが……」


「……マジ?」


「マジです。あと、ザブブにも」


「なんてこった……! この周はもう終わったのか……。さて、時間跳躍するか……」


「ええ!? ちょちょちょ……ちょっと待ってくださいよ! そんなことないですよ! きちんと納得してくれてましたし!」


「……ちなみに、何て言って渡したんだ?」


「『ふたりは転校生で、いろいろと慣れてないだろうから、予め席順は決めておいた』って……」


「お、おう……、意外と自然な理由なんだな……」


「まあ、これもハルゴンの指示ですので」


「うん。……まあ、それに問題がなかったのはわかったけどさ……、じゃあ、なんでさっきからあいつ月城は僕を見つめてきているんだ?」



 僕は眼球だけを動かし、それとなくベリアンヌにサインを送った。

 僕の気持ちを知ってか知らずか、ベリアンヌは僕の後方にいるであろう、月城を、じろじろとガン見しはじめた。

 僕の気持ちを知らなかったようだ。



「……たしかにあれは、魔お……志藤様を見ていますね。それもなにやら、じっと……。なんだか私、ムカついてきました」


「バカ! そういうのはやめろ!」


「いえ、やはりここは、一度ガツンと――」


「僕がおまえにガツンと言ってやろうか!」


「うう……自重しておきます……」


「で、なんかじっと見てきてるだろ? 僕、なにかボロでも出したっけ?」


「いえ、志藤様は万事、完璧に物事をこなされていました。非があるとすれば、無様にもテンパってしまった、私のほうにあるかと……」


「……なあ、どうしよう。もうここで作戦は中断したほうがいいかな……? バレたら作戦もなにもないだろ」


「……いえ、続行しましょう」


「マジで?」


「マジです」


「ということは……なんか勝算でもあるのか?」


「いえ、どのみち魔王様は、殺されても時間逆行できるんでしょう? なら、最後までガンバりましょうよ! ね?」


「確かにその通りだけど、他人に言われると腑に落ちんな」



「――ねえ」



「ぬわーーーっ!?」



 急に背後から声をかけられ、思わず変な声を出してしまう。

 僕は恐る恐る振り返ってみると、そこには月城が、僕を見上げるように立っていた。

 自然に、自然に振舞うんだ、僕。



「な、なんだ、転校生か……おどかさないでよ……」


「……ねえ、いま、魔王とかなんとか……て、言ってなかった?」


「な、なにが?」


「聞こえたから」


「い、いやあ? 聞き間違いじゃあないのかね?」


「そうなの?」


「あ、ああ。そうだとも、な? ベリアンヌ? な?」


「い、いえす! ゆあ、まじぇすてぃ!」


「ば、ばか! おまえ!」


「まじぇすてぃ……?」


「よ、よおし! みんな! そろそろ引き終えたな? 今から先生が番号を書いていくから、その通りに席についてくれ!」



 ベリアンヌは月城の出しかけた言葉をぶった切ると、そのままそそくさと、黒板のほうへと歩いていった。

 残された月城は僕のことをじっと見つめると、やがて、ぽつぽつと何かを呟いた。


「え? なに?」


 僕はそれが聞き取れず、訊き返してみるが、月城は目も合わさずに、教室前方……転校生が待機している場所へ戻っていった。

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