第7話 魔剣士、テンパる
生徒や教師にとって、ほぼ一か月ぶりの朝礼が終わった、2年3組、僕の教室。
今朝は僕が教室に入る前から、生徒たちが――というよりも、学校全体が色めきだっていた。
男女共に、全校生徒が皆一様に、一言目には「フミカ」、二言目にも「フミカ」、さらに坊主頭の野球部員も「フミカ」と、誰もがアトモスの存在を忘れるほど、「フミカ」の話題で持ちきりだった。
中には、僕とザブブが一緒に登校しているのを目撃した(あれほど目立っていたから仕方はないが……)生徒もおり、それに対し質問攻めしてくるなど、僕も僕で居心地の悪い新学期を過ごしていた。
「――え? じゃあ、志藤くんが、フミカちゃんみたいな人と話してたのは……?」
「人違いだよ。あれはフミカっぽい化粧をした、変質者」
「え? でも、この学校の制服着てたって……」
「ああ、えっと……たぶん、どこかのサイトで制服を買ったんだと思うよ」
「へ、へえ……、そうなんだ。なんか、フミカちゃんとはまた違った意味で、ヤバい話聞けたね」
「うん……。でも、ちょっと残念だね。フミカちゃんの話聞きたかったし」
「じゃあ、ありがとね。ばいばい」
「ああ、うん。ばいばい……」
こうして、普段喋らない女子生徒たちからの質問を華麗に躱していた頃、窓の外がなにやら騒がしくなっていた。
ザブブが来るにはまだ早い。……だったら、何を騒いでいるのだろう。
僕はなんとなく気になり、ふと、窓の外を見てみると、校門の外に何台かワゴン車が止まっているのが見えた。
撮影機材を持った男性や、マイクを持った女性。
それから察するに、テレビのクルーや報道関係者だと思うけど、その数からして、どうやら一社だけではないようだ。
そして、それに対応しているのは、秀典高校指定のジャージを、ぴっちぴちになるまで着こなしているアトモス。
無論、アトモス自身も怒涛の質問攻めにあっていることは、校舎4階の
……それにしてもあいつは、現在進行形で、自分自身で火に油を注いていること自覚していないのだろうか。
そして、もうひとりの……恐らく、あの人たちが本当に取材したいであろうザブブは現在、職員室にて待機している。
ホームルームの時間になればたぶん、クラス担任と、そして勇者とともにやってくるだろう。
本来、勇者は僕とは別のクラスになる予定だったが、今回はハルゴンが裏で調整してくれているので、同じクラスになっているはず。
たぶん、不自然にふたつ空いている、後ろのほうの席へ移動させられるのだろう。
秀典高校では、1クラスあたりに、大体30人前後の生徒が割り振られており、それがひとつの学年に5クラスほどある。
そして、僕のこの教室の座席は、横に6列並んでいる席の右から3列目、前から2番目の席だ。
最前列は意外と、教卓の影に隠れたりして居眠りをしたり、内職ができたりするが、2番目、それも真ん中ともなると、居眠りはできないうえに、よく先生と目が合うので、授業中にあてられることもしばしば。
とても不便……ではなく、勉強のしやすい席だと思う。
そのお陰もあり、僕の成績は学年でもそこそこ上のほうだ。
可もなく不可もなく……、いや、若干可のほうが勝っているけど、変に目立ったりしていない。
とにかく、僕はこのようにして、平凡な学生生活を送っていたのだ。
……ダンプカーにひかれて死ぬまでだけど。
タイムリミットは、再来年の卒業式後の春休み頃。
大学へ進学するまでの準備期間。
桜が咲き誇る時、対照的に僕の命が散ってしまうのだ。
この期間はたとえ外国へ居ても、海で泳いでいても、飛行機に乗っていてもダンプカーにひき殺される。
因果って怖い。
若干、何者かの作為を感じることもあるが、それは考えすぎだろう。
……考えすぎなのか?
まあ、ともかく、そうならない為にも、僕はこれからこの学校の野球部に入部し、甲子園に出場しなければならない。
この呪いの因果を書き換えるために! ……などと意気込んでみたものの、なんというか、こんな作戦で本当に大丈夫なのだろうか。
そもそも、今回は適当に、楽にいこうと思ってたんだけど、なんだかいつもより苦労しちゃいそうな気が……。
「はぁ……」
改めて考えてみても、不安にしかならない。
なんだよ、甲子園って。
それになんで、例の漫画の展開に合わせて、告白しないとダメなんだよ。
あの時はノリとか、その場の空気とかで、強引に推し進められたけど、よくよく……いや、よくよく考えなくても、おかしい。
しかもあの漫画のふたり、幼馴染だし。
僕と勇者、幼馴染じゃないし。
「うおらああああああ! 野郎共ォォォ! フミカが来るぞォォォ!!」
教室内に、興奮した男子の声が響き渡る。
僕は黒板の上、スピーカーの少し下にある、無機質なプラスチック製の、丸い壁掛け時計を見た。
時刻はすでに、8時40分を回っていた。
僕がひとりで、フラストレーションを溜めていた間に、いつの間にか、ホームルームの時間になっていたらしい。
男子は廊下側の扉や窓から身を乗り出し、興奮した眼差しで、廊下の先からやってくるであろう、ザブブを見つめている。
女子は席につき、前後でひそひそと、すこし紅潮した顔で話し合っていた。
しかし――
「え?」
「だれだ、あの人……」
「なあ、知ってるか?」
「いや、でもたぶんあのカッコ……先生じゃ……?」
廊下の出入り口を陣取っていた男子たちが、怪訝そうな声を上げる。
……何があったのだろう。
さきほどまでの歓声が、嘘のように静まり返る。
僕もなんとなく興味をそそられてしまったのか、席を立とうとするが――
「ええい、うっとうしい! 席につけい! クソガキども!」
廊下から、聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
野次馬と化していた男子はそれを聞くと、まるで蜘蛛の子を散らすようにして、各々の席へ着席した。
ややあって、開けっ放しだった教室前方の扉から、ひとりの教師がカツカツと、黒いヒールを鳴らしながら教室内へと入ってきた。
教室に入ってきたのは、スーツを着た女教師。
長く、黒い髪を夜会巻きのように後ろで留め、ヒップラインが出てしまうほどのタイトなスカートスーツからは、健康的に日焼けした脚が覗いている。
顔には、これまた、牛乳瓶の底をそのままくり抜いたような分厚い眼鏡。
……というか、ベリアンヌだった。
まんまベリアンヌだった。
ダークエルフの特徴である尖った耳は、隠す気などさらさらないのか、なぜかそのまま。
ベリアンヌは、威風堂々といった様子で、教卓のところまで歩いていくと、持っていたクラス名簿をバン! と力強く、そこへ置いた。
「おはよう、諸君。今日も清々しい新学期であるな!」
突然、ベリアンヌはよくわからない挨拶を述べた。
なにかしらの手ごたえを感じているのか、なぜかときおり、うんうんと頷いている。
生徒たちの反応はというと、ベリアンヌとは対照的に、とても冷ややかだった。
……というよりも、面食らっているようだった。
それもそのはず。
この状況を客観的にみれば、イキナリ現れた初見の、それも外国人の教師
事情を知らなかったら、僕でもポカンとしてしまう。
こうして朝の清々しい空気と、捉えどころのない、奇妙な空気が混ざり合い、2年3組の教室はもはや、常人が気を失ってしまうほどの混沌によって、支配されてしまった。
その空気を察したのか、さきほどまで、きびきびと動いていたベリアンヌの挙動が、錆びついたブリキ人形のようになり果ててしまった。
「ア、アノ……、エット、ソノ……ダナ……アー……、唐突デハアルガ、新学期ガ始マルトイウ事デ、諸君ラニ新タナ仲間ヲ紹介――」
何か必死に取り繕おうとしているが、その関節部から「ギィギィ」という音が聞こえる気がする。
ぎこちない。ただただ、ぎこちない。
そして、心なしか、片言になっているような気もする。
――しょうがない。
ここは事情を知り、かつ、上司である僕が助け舟を出すしかない。
「あ、あの、その前にあなたは誰ですか?」
「ま、魔王様!? 私です! ベリアンヌですよ! お忘れですか!?」
「な……っ!?」
バカか、こいつは!
せっかく、自己紹介ができて、この状況を説明できるチャンスを棒に振りやがった!
ベリアンヌもベリアンヌで、今頃気づいたのか、大口を開けて「しまった」と口に出してしまっている。
もはや救いようがない。
「『ベリアンヌ』さん、だって」
「やっぱり、がいじんさん……かな?」
「なんか志藤と知り合いぽくね?」
「志藤のこと、魔王様……とかなんとか……て言ってなかった?」
「RPGかよ」
やばい。
クラス中の視線を、僕とベリアンヌが欲しい侭にしている。
このままでは、あらぬ疑いをかけられてしまう。
初見の外国人教師に『魔王様』と呼ばせている……なんて広まったら、甲子園どころじゃない。
どうすれば……そうだ!
「べ、ベリアンヌ先生……! お久しぶりです。中学に実習であったとき以来ですね。僕です。志藤です。教員試験、突破出来たんですね、おめでとうございます」
咄嗟の誤魔化しにしては、まあまあいいんじゃないか?
さすがにこの局面で、『なんで中学で教育実習を済ませたやつが、わざわざ高校に来るんだよ』というツッコミはさすがに来ないだろう。
さあ、乗って来い!
ベリアンヌ!
さあ!
「あ、ああ、うん。そうなんだ。
あ……アホだ、こいつ。
テンパりすぎて、ここでは絶対に話題にしないことを語りだしたぞ。
そもそも、なんだよ牽引試験って……なんで教師のお前が牽引免許を取得する必要あるんだよ。……って、ツッコんでいる場合じゃない。
もうここは、こいつに期待するのはやめよう。
そう。無理やり話題を変えるんだ。今までのやりとりを、有耶無耶にさせてしまおう。
「あ、あの……ちょっと……!」
「な、なんでしょうか、志藤様!?」
「……僕たちの担任だった遠藤先生はどこへ……?」
「ああ、えっと、そのことなのだが、遠藤先生は私たちに歯向か……ウォホン! 突然『漁師になりたいッ!』と言い出してな、今は北の海でマグロかなにかを漁獲していることだろう」
「そ、それって……」
「遠藤先生、借金とかしてたっけ?」
「やべえよやべえよ……」
「あの真面目な遠藤先生が……」
なんか、こいつと言葉を交わすたびに、クラスが変な空気に包まれていく。
それにしても、もう少しマシな言いわけとかなかったのかよ。
とはいえ、話題がベリアンヌから現漁師の遠藤先生へ逸れた。
今のうちに、なんとか誤魔化さなければ……しかし、この場をどう繋げば……やばい、なんか吐きそう。
「――と、いうわけで急遽代打を任されたのが、この、ベリアンヌ先生なのでしたー!」
ベリアンヌの醜態を見るに見かねたのか、廊下に立っていたであろうザブブが、ベリアンヌを押しのけ、教卓の前に立った。
一瞬だけクラスが静まり返ると、次の瞬間、生徒たちから大きな歓声が上がった。
「みんな、おっはよー! 今日から秀典高校に転校してきた、最強アイドル、フミカちゃんで~す! みんな~、フミカの事、知ってるよね~?」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
ザブブの一言で、生徒たちの疑心は吹き飛び、ボルテージが一気に上がる。
教室はさながら、ライブ会場と化してしまった。
生徒たちはみな、席から立ちあがり、興奮した様子で『フ・ミ・カ』の大合唱。
廊下からは、他クラスの生徒たちが、身を乗り出し、教室の中を覗き込んでくる始末。中には参加してくる者も。
もはやこれ以上、ホームルームの進行は不可能。
結局、この騒ぎは昼まで収まることはなかった。
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