第6話 テレビの中の別人


 新学期。

 あれほど、僕の気力を削ぎ落し続けていた酷暑も、もうすっかりとその影を潜め、秋を感じさせるさわやかな風と、抜けるような青空が、僕と――制服姿のザブブを見下ろしていた。



「どおですか? 魔王様? ヘンじゃありません? ふふ……、うふうふふふふふふふふふ……おーっほっほっほっほ! へはははははは!」


「こわいです」



 このやりとりがなんと、今朝、魔王城を出てから十回ほど繰り返し行われている。

 当の本人は僕が何を言おうが、反応は全く同じで、全く意に介していない。

 完全に有頂天だ。

 舞い上がっちゃってるよ、こいつ。

 制服を着て、こうして学生に混じって登校することがよっぽど嬉しいかったのか、頬を上気させ、その足取りは空気のように軽い。いつもライブやらなんやらで、制服みたいな恰好で歌って踊っているのに、そんなに嬉しいものなのだろうか。……僕には理解できなかった。

 僕の学校の制服はブレザーだが、いまは時期的に夏服を着用している。

 男子は白いポロシャツに、灰色地に青のギンガムチェックがはいったズボン。女子は半そでのカッターシャツに青いリボン、そして、男子のズボンと同じ柄のチェックの入ったスカートが制服となっている……はずなのだが、このザブブさんは、カッターシャツの上に紺色のベストを着用したり、そのポケットにカラフルなヘアピンを留めたりしたりして、初日から色々といじくりまわしていた。

 対する僕はとくに崩さず、気取らず、普通の格好で登校していた。

 至って普通の高校生な僕と、ハイテンションなザブブ。

 この組み合わせが目立たないはずがなく――



「――おいおい、あれ、フミカじゃね? アイドルのフミカじゃね?」



 このように、頻繁に指をさされるようになっていた。



「『SEKAI☆征服』のフミカじゃね?」

「っべーわ、まじべーわ。べべべのべ太郎だわ」

「おいおまえ、話しかけて来いよ」

「ムリムリムリ。絶対無理。手汗やべーし」

「……つか、隣のあれ……だれ?」



 いくら僕をサポートするため派遣されたとはいえ、サポートするほうがこんな状態では、勇者を落とすどころじゃなくなる。

 そもそも、一緒に登校する必要もなかったんじゃないかと、今更ながら後悔していた。

 そんな憂鬱な感じで歩いていると、僕たちはやがてスクランブル交差点に差し掛かった。

 信号待ちで、何気なく、空をぼーっと仰いでいると、突然、どこからともなく、『フミカ』という単語が聞こえてきた。

 その声の発生源は、交差点を挟んだ向こう側。

 ビルの外壁に備え付けられた、巨大なスクリーンに映されていたニュースだった。

 画面の左上には、『電撃引退』の四文字。

 画面内には、白いシーツがかけられた長机。

 大量の報道関係者と、尋常じゃない光量のフラッシュ。

 そして、備え付けられているマイクを握っているザブブがいた。

 画面内のザブブは、僕の横で、狂喜乱舞しているザブブとは対照的に、目に涙をしこたま溜めていた。

 やがて演技っぽく、バッと顔を上げると、大量のフラッシュを一身に浴びながら、ハルゴンが考えた差し障りのない言葉を、一言一句間違えず、前のめりに話し始めた。


『今日限りで……アイドルのフミカは……普通の女の子に戻ります……!』


 ザブブが言いたかったと言っていた、決まり文句が炸裂する。

 それと同時に、大量のフラッシュがバシャバシャと焚かれていく。

 言うまでもない事だが、画面の中のあいつ・・・と、今現在僕の隣にいるこいつ・・・は、同一人物であり、別人である。

 ……要するに、あのように、衆目に晒されているザブブのアレは演技で、当の本人は毛ほども気にしていないということだ。

 その証拠に、今のザブブの目に、あのニュースの映像は入っていない。

 ザブブはいま、この状況をこの世界の誰よりも楽しんでいるからだ。

 それに、この引退は事実上休止であり、ザブブは復帰する気満々だからだ。

 作戦が上手くいくか、もしくは、本人が高校生活に飽きたらアイドルに戻るだろう。

 ファンにとってはたまったものじゃないだろうが……。

 ――ザブブが引退を発表してから、はや、2週間ほど経とうとしていた。

 同時期にアトモスも退団を表明したのだが、こちらも一応は取り上げられたものの、ザブブの影に隠れてしまい、それほど大々的には取り上げられなかった。

 ……と、いうよりもこの場合、ザブブの取り上げられ方が異常である、と言わざるを得ない。

 いつまでテレビは、ザブブの話題を引っ張っていくのだろうか。

 まあ、しかし、それほどまでに、ザブブの人気は絶大だった……という事なのだろう。



「なあ、あれ、見てみ」



 そんなことを考えていると、前方に、僕たちと同じように、信号待ちをしていた生徒が、ザブブについて話し始めた。どうやら、僕たちに……というよりも、ザブブの存在には気付いていないようだ。



「どれ?」

「ほら、前の画面の」

「あー……、あれか。やべーよな」

「だよなー。いつからアイドル続けてたんだっての」

「おれらが生まれる前からアイドルやってるよな、あいつ」

「まじでそれ、やっと引退かよってかんじ」

「ほら、最近テレビとか映り綺麗になってきたし、そろそろヤバいと思ったんじゃねえの? 肌とかさ」

「まあ、あれだけ続けてまだあんな外見だしな」

「化け物かっつーの。ぜったい成形とかやってるって」

「ははは、言えてる。まさに化けの皮が剝がれるってやつだよな」



 僕は恐る恐る横を見てみると、さきほどまでの態度はどこへやら、ザブブさんが恐ろしい形相で二人を睨みつけていた。

 あ、死んだな――と思った瞬間、一陣の風が吹き、前方のふたりが空中に舞い上がり、一回転したのち、地面に叩きつけられた。


「ゲフォ!?」

「ゴハァッ!?」


 あれは痛い。

 地面に叩きつけられたふたりは、白目をむき、口から泡を吹いて、そのまま気絶した。

 アーメン。

 この二人が悪いというよりも何よりも、間が悪かった。



「た、たいへ~ん。どこからともなく、突風が吹き荒れて、ふたりを吹き飛ばしちゃったわ!? 早く救急車を呼ばないと~。そこの人、お願いできますか~?」


「あ、は、はい!」



 ザブブは近くにいたサラリーマンをつかまえ、流れるように、救急車を要請するように促した。

 なんというか、対応が早い。たぶんこれ、初犯じゃないな……。

 僕ができる事と言えば、こんな事が二度と起きないよう、祈るしかない。



「……どうしたんですか、魔王様?」


「ひぇっ!? い、いえ、なんでもありません」


「そうですか? ……というか、さっきからあのニュースとフミカのこと、見比べてますよね……?」


「そ、そんなことは……!」


「もしかして――」


 や、やばい。

 僕の不遜な思考に感づいてしまったか!?

 僕は咄嗟に受け身の態勢をとるが――


「フミカに惚れちゃいました?」


「……え!?」


「やだな~。本物のフミカはいま、ここに……い・る・ぞ?」


「そ、そうそう。そういうこと。カワイイデス! フミカチャン! カワイイ!」


「えへへ、困るな~、罪作りだな~。傾国の魔性だな~」


 ザブブはそう言って楽しそうに笑っている。

 やれやれ、なんとか誤魔化せたみたいだ。


「……あと、外で魔王様はやめろ。聞く人が聞けば大変なことになるし、なにより頭のヤバい人に思われる」


「え~? じゃあ、まーくんって、呼んだほうがいいですかぁ?」


「なんでそこでまーくん!? くだけすぎだろ! 僕一様、魔王だから! おまえの上司だから! まーくんは馴れ馴れしすぎるだろ! ……それに、おまえのファンから殺されかねないから!」



 現に、僕に向けられていた殺気の色も、いまのザブブの一言で、より一層濃くなってきているように感じる。

 気をつけなければ、最悪、刺されかねない。



「まーくんはやめろ。普通に志藤って呼べ」



 志藤麻央。

 偽名ではあるが、いま、僕はこの社会において、便宜的にそう名乗っている。

 本来、魔王は魔王。

 唯一にして無二の存在。

 それゆえ、僕は名を持たない……のだけど、やっぱりいろいろと不便だったため、結局、名前を持つことにした。初代様とかいるし。

 名前最高。



「それだとなんか、味気なくなくないですか?」


「名前なんて無味乾燥で良いんだよ。あればいいんだ。偽名だしな」


「……なんか、機嫌悪くありません? なにかありました?」


「ねーよ」



 交差点の信号が青に変わる。

 僕は、僕の顔を覗き込むようにしていたザブブを無視し、早足で歩きだした。



「ああ、もう、待ってくださいよ~」


「……あの三人はどうしたんだ? 今朝は見えなかったけど……」


「もう学校のほうに行ってますよ」


「早いな。てことは……」


「はい。ばっちり、魅了かけてきましたよっ」



 そう言って、ザブブはパチリとウィンクしてきた。

 さすがは元アイドル。

 魅了の魔法が漏れてますよ。……僕には効かないけど。

 あの三人は現在、教師役として学校に潜入している。

 さすがにあの見てくれで、高校生だと通すわけにはいかないからだ。

 なぜかベリアンヌは最後まで食い下がっていたけど、どう頑張っても、制服を着ているあいつは、コスプレにしか見えなかった。浅黒いし。

 ちなみに、それぞれの担当教科も決められており、アトモスは体育、ハルゴンは数学、そしてベリアンヌは英語担当となっている。

 アトモスはわかる。ハルゴンも……まあ、わかる。……けど、ベリアンヌが英語……?

 あいつ、英語できたっけ? ……まあいいや。



「……て、あれ? それだと、今朝、魅了をかけてきたんだよな?」


「はい。本当はもっと前にやりたかったんですけど、フミカと筋肉バカの都合がつかなくて……。それで、こんなかんじで、直前になっちゃったんですよね。いや~、引退してからのほうが大変なんて、夢にも思わなくて……。たぶんあの三人、今日転校してくる勇者のクラス替えやらなにやらで、てんてこ舞いだと思いますよ」


「なんというか……、もう始まる前からグダグダじゃないか。てか、おまえもそのまま学校に居たらよかっただろ。なんでわざわざ帰ってきて、俺と登校してるんだよ」


「え~? 志藤くん、フミカと一緒に登校したくなかったんですか~?」



 突然の志藤くん・・・・呼びに、ピクリと反応してしまう。

 いや、別にヘンな意味ではなく。

 自分から言っておいてなんだが、まさか、配下であるこいつから『くん』付けで呼ばれる日がこようとは……と、思うよりもまず、こいつの順応の速さに驚いてしまった。

 僕もはやいとこ、この状況に慣れなければ……。



「あるぇるぇ~? 志藤くん、どうかしましたか~?」


「おまえ、ワザとやってるな? ……ああ、そうだよ! 一緒に登校なんて、したくなかったよ! もう命狙われてるんだもの!」


「まあまあ、そういうのも含めて、これから慣れていきましょうよ」


「命を狙われる状況になんて、慣れたくはないんですけど……」


「んもう、照れちゃって~、きゃ~わ~い~い~」


「話が通じてねえ」



 二人でそんなバカなことをやっていると、遠くのほうに学校の校舎が見えてきた。

 都立秀典高校。

『校舎がすげえ白い。漂白されたみたいに白い。まじで白い』という事以外、特筆すべきところのない、至って平凡で普通。なんの面白みもない学校だ。

 僕はずっと、この学校に通っている。

 ……あれ? ずっと通ってたっけ?

 何度も何度も繰り返し過ぎて、よくわからなくなっているな。



「あ、ほら、学校の校門、見えてきましたよ。志藤くん」


「……うん、わかってるよ」


「あれ? どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」



 これから、僕の――僕と四戦士と、勇者の奇妙な学校生活が始まる。

 果たして、今回こそは、悲願である勇者を打倒することが出来るのだろうか……。

 期待3、不安7の割合で、僕は校門をくぐった。

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