第2話 王と王


「おお、まおうよ。しんでしまうとはなさけない」



 眼前にしょぼくれた、ぱっとしない老人の顔。

 僕は、上体を起こし、いまにもくたばり散らしそうな、その老人に向かい合った。



「……貴様、いま、無礼な事を思ったな?」


「いいえ? ……いいえ?」


「……その言い方、なんかイラっとするな」



 このように、僕の心を無遠慮に読んでくる、はた迷惑な老人こそが、初代魔王様にして、僕のご先祖様だ。

 およそ、死んでしまった魔王にはかけないであろう、最上級の侮蔑を、僕に送ってくれている。

 ほんと、有難いかぎりだ。

 そして、さきほどの能力『時間逆行タイムリープ』の力を僕に授けた・・・・・張本人である。


 ――時間逆行。

 読んで字のごとく、現在から過去へと、時間という1本の線のようなものを逆行する能力。

 ただし、『リープ』とは名ばかりで、跳躍できるのは過去のみ。

 未来へは跳躍すること自体できないのだ。

 初代様が言うには、未来というものは、なにやら、不確定要素の塊らしい。

 不具合などが生じて、自身の存在が消滅したり、帰れなくなったりしても、おかしくないのだという。

 そして、僕は実際に初代様の言いつけをガン無視して試したことがある。

 ……結果はやっぱり、無理だった。

 なんというか、未来へは行こうとすることすら、出来なかったのだ。原因はわからない。

 だから、要するに、便利な能力にも、制限はある……という事で納得しようとしている。

 なんと後ろ向きな能力か……、と思うかもしれないが、それはそれで、よく考えてみれば……いや、よく考えなくても、すごい能力なのだ。

 なんてったって、僕の黒歴史を抹消できる。

 すばらしい!

 


「その調子を見る限りじゃと……、貴様、魔王ともあろう者が……、また、勇者如きに負けてしまったようじゃの……」


「いやいや……、そうは言ってもですねぇ……」



 ――魔王と勇者。

 その争いは、何年……いや、たぶん、何万年もの昔から続いている。

 無論、僕が魔王城代表取締役魔王になっても、それは変わらなかった。

 これはもう、因縁と言ってしまうのも烏滸おこがましいほど、気が遠くなるくらい、昔から行われているもので、初代様曰く、聖戦(笑)であるとのこと(この場合ツッコむのは無粋である)。

 しかし魔王、勇者両者間による戦争は、実に魔王軍側の全戦全敗を喫している。

 目の前にいるしょぼくれた老人も、その後に続いた魔王様達も、余すところなく敗北しているのだ。

 全戦全敗……まさに、悪が栄えたためし無し。正義必勝、悪鬼必衰を地で往くこの世界に、初代様はとうとう辟易し、思い切って、虎の子である、ある能力を解禁した。

 それが『時間逆行』

 なぜこれが虎の子の能力なのか、と問われれば、元来、こういった能力は唯一無二。習得しようとして、習得できるものではないのだ。

 手から火の玉を出したり、氷柱を出したり……といった、汎用系魔法とは一線を画す、特別なもの。

 つまり、簡単に言うと、これ時間逆行は初代様の固有能力だということだ。

 ならなぜ僕が、その固有能力を惜しげもなく使っているのかというと、有難くも、その能力を譲渡してもらったからである。

 譲渡の可否については僕の与り知るところではないが……、現に、僕はこうして時間逆行を使えている。

 そして、これこそがまさに、憎むべき勇者に鉄槌を下す逆転の一手。僕が言うのもなんだけど、魔王史上最強の能力だ。

 なんてったって、起きてしまった事実を、過去に遡ればやり直すことが出来るのだから。主に黒歴史とか。

 勇者を倒すという現在の目標において、これほどまでに頼もしい能力はない。

 やられたら、対策と傾向を練って、再び挑戦する。

 なんだか、魔王と勇者の立場が逆転しているようだが、そんなことは気にしないし、気にさせない。

 ……ちなみに、そんな史上最強の能力を有した初代様が、なぜ初代勇者に敗北を喫したのか、それは自分の能力がなんなのか、それを知る前に勇者に殺されたかららしい。

 なんというドジっ子。

 最早、ドジっ子ジジイ。

 新しいジャンルである。

 需要があるかどうか知らないし、知りたくもない。

 ……だが、よくよく考えてみれば、こんな能力、何かきっかけがないと気づくに気づけないだろう。

 だから僕は初代様に「よくぞ気づいた!」と、最上の賛辞を贈りたい。

 ……と、バカ話もここまでにしておいて、この場所について話そう。

 ここは、初代様が作った固有空間らしい。

 死してなお、勇者に対する、恨みつらみその他諸々がすさまじかった初代様。

 遂には、こんな出鱈目空間をどこからかひり出してしまったのである。

 まさに、嫉妬と怨念の化物。

 これにはさすがの僕も頭が上がらない。


 ……よし、初代様に対する、僕の罵詈雑言もここまでしておこう。

 そろそろ初代様の視線が痛くなってきた。


 そして、この固有空間は、僕が時間逆行を使用するときに、必ずここに来るように設定されているのだ。

 つまり「勇者にやられる、時間逆行する、ここへ来る、また勇者と戦う」といったサイクルだ。

 しかし、初代様とはいっても、初代様はもう何万年も前に恐竜と共に絶滅しているので、目の前で渋い顔している老人は――



「貴様……、いい加減にせんか……いつまで物思いに耽っているつもりだ」


「いやあ、たぶんもうちょっとかかるんで、茶でも啜っててください」


「ここに、そんな気の利いたものがあると思ったか」


「じゃあ、つぎここに来るとき、お土産として持ってきます」


「いや、貴様それ、また失敗するという事じゃろ」


「いやあ、そうなりますかね~」


「ヘラヘラすな! ム……? それとも貴様、もしや何かされたか……? たとえば、このような白い空間で殺され――」


「白い空間……? 殺され……? 何の話です、一体」


「……いや、こちらの話だ。忘れろ。オロカモノ」


「さ、さいですか……」



 ――初代様は、肉体という呪縛から解き放たれた、精神体なのだ。

 初代様の肉体は現実ではすでに滅んでいるが、精神体はこのように、固有空間を作れるほどに、ピンピンしている。それがいま、僕と初代様が話せる理由だ。

 さて、つぎは戦況の確認……つまり、僕と勇者の、現段階における力関係の確認に移ろうと思うけど……、結論から言おう。

 これは最悪だ。

 それもかなり。

 僕はあの、食いしん坊ジト目勇者の前に、幾度となく敗れ去っている。

 時間逆行するたびに、あの手この手、手を変え品を変え、いろいろと試行錯誤を繰り返しているのだが、これが悉く失策に終わっている。

 まさに、『運命の悪戯』とはよく言ったもので、当代の勇者はなんと、史上最強の勇者と呼ばれるほどに、魔術、剣術、体術において他の追随を許さない、勇者の中の勇者なのだ。

 僕と部下たちが夜も寝ずに、練りに練った勇者討伐計画を、蟻を踏み潰していくが如く、ひとつひとつ丁寧に、正確に、無慈悲に潰してくるのだ。

 結果、僕がとる行動、そのすべてが空回りや、徒労に終わってしまうのだ。

 もうね……ほんと……、やんなっちゃうよね。

 そして、片や僕。

 現役バリバリでイケイケ(死語)な魔王様は、言ってしまえば史上最弱とまで名高いクソ雑魚なめくじ魔王。

 正面切って勇者と戦ってしまえば、それこそ5秒で肉塊と化し、そのまま出荷され、小売りに卸された挙句、五時の半額セール時に半額シールを貼られてしまいかねないほど、その力の差は歴然である。

 まあでも、史上最弱とはいえ、『魔王』にはちがいないため、それこそスライムのような、低級な魔物にやられてしまったりはないが……、とにかく、いまの勇者と僕とでは、かなりの力の差があるのだ。

 僕があの勇者に挑むという事は、例えるなら、工事現場などでよく見る猫車が時速300㎞で走る新幹線に正面から突っ込んでいく感じ。

 これはもう無謀だとかそんなんじゃなく、ただの変態か、もしくは、ものすごい変態である。

 とにもかくにも、フツーにやっても僕なんかに勝ち目はないのだ。

 ていうか、なにも初代様も、僕みたいなの代じゃなくて、もっとマシな……例えば、勇者をあと一歩のところまで追いつめた、三代目の魔王様ブラザーズのときに、固有能力を使えばよかったのに……。

 たぶん初代様ってば、歴代魔王様たちの、あまりの不甲斐なさに腹に据えかねたので、僕の代で使ってしまったのだろう。

 僕は僕でもう、半ばヤケクソ気味に、何度も何度も、こうやって死んでは戻り死んでは戻り、を繰り返しているわけなんだけど――



「いや、初代様、あのね。あの勇者、ワケわかんないくらい強いんすもん。勝てないっすわ。ウサギを好んで食うやつと、戦えねっす。怖いっす」


「オロカモノ。貴様がそんな性根だからだろう。心頭滅却すれば火もまた涼し。心頭滅却すれば勇者もまたウサギ。勝てないと思い込んでいると、勝てる戦にも勝てなくなってしまうぞよ」


「なんすかその時代遅れな根性論。そもそもそれ、辞世の句ですし。勇者もまたウサギとか、まったく面白くないうえに、面白くないですし。恥の上塗りですよ。……いやね、そもそも性根とかの問題じゃなくてですね、こういうのは、生まれ持った実力の差の問題で――」


「だまらっしゃい! 人間、死ぬ気でやれば何でもできるのだ。あの赤マフラーの格闘家も言っていただろう! 元気じゃないんですかー!?」


「いやいや、そもそも僕たち人間じゃなくて魔族ですし。……それに、いままで一度も戦って勝ってないんすよね?」


「いや、惜しかったよ。マジで。ワシの代はな……」


「またそんなこと言って……、唯一惜しかったって言えるのは、さっきも言いましたけど三代目様のときだけでしょ」


「喝! まったく。最近の若者は何かあるたびに、すぐにブーブー言いおる。大陸出身のドライバーか、貴様らは!」


「その例えもどうかと……」


「ぶつぶつ……、これだからゆとり世代は……」


「……はあ」


「貴様のその態度を言っているのだぞ! ため息をつきたいのはコッチじゃ!」


「それよりも、初代様。次はどんな作戦でいくんですか? いい加減、僕には、あの化物勇者を倒せる気がしなくなってきたんですが……」


「なにを諦めておる! もっと、向上心を見せんか! 向上心を!」


「向上心って言われましても……これ以上、上見てたら背骨折れますよ」


「むお!? 閃いた! 赤ん坊の時に殺しに行くのじゃ! それだと、さすがに抵抗できまい!」


「やりました。やりましたが……、聖光衣……つまり、魔族の攻撃をシャットアウトする衣に阻まれ、モタモタしてるうちに、騒ぎを聞きつけた勇者の一族に殺されました」


「では、周りから根絶やしにすればよかろう! 一切、助けが来ない状況を作り出し、孤立させ、そこをたたく!」


「やりました。……しかし、結局勇者を殺したと思ったら、変身したモブで、その後、復讐者と化した勇者に全滅させられました」


「……毒を盛る」


「勇者には毒をはじめ、そういった小細工や搦め手は効きません」


「天変地異を起こす」


「起こせません」


「パーティの仲間からさきに――」


「そもそも、あいつはパーティを組んでません。ぼっち勇者です」


「そ、そうじゃ! かの悪名高き、ギガントドラゴンを――」


「あの、初代様。さっきの戦い、見てなかったのですか?」


「すまん、小便行っとった。最近妙に、キレが悪くての……小一時間くらい格闘したんじゃが、満足いく結果にはならんかった……。で、どうだったんじゃ」


「……飼ってました。けど、食われました」


「食ったァ!?」



 初代様は目を丸くして、だらんと、口を開けたまま固まってしまった。

 その姿はまさに生きる屍。天日に干され、カラッカラに干からびたスルメイカ。

 傍から見ているぶんには面白いかもしれないが、これは僕の先祖様なわけで……僕の頭痛の種なのだ。



「はい。あの勇者、可憐な少女の外見とは裏腹に、この世の誰よりも貪欲です。……いろんな意味で」


「食った……食った……食った……? え? 食った……食った……食った……あのギガントドラゴンを……?」


「だめだこりゃ」



 こうなってしまうと、立ち直るのにかなり時間がかかってしまう。

 その間に、勇者を倒す算段つけたかったけど、もはや何も思い浮かばない。

 直接対決はダメ。回りくどい手を使ってもダメ。

 ダメダメ尽くしのフルコース。

 もうおなかいっぱいである。

 そんなこんなで、僕はもう、百回以上は勇者に殺されていた。


『振り返ればあの時れたかも?』


 と思うことこそすれ、結局のところ、それは幻想にすぎず、勇者という名の絶対的な力の前に、その幻想さえも脆く、儚く崩れ去ってしまうのでした。

 ちゃんちゃん。



「はぁ……」



 僕はたまらず、ため息をつくと、おもむろに立ち上がり、周り見渡した。

 ここは、何もない空間。

 真っ白な世界が、ただただ広がるのみ。

 詳細はよくわからないが、精神と肉体、時間と空間の狭間にある世界……とのこと。

 どういう原理かはわからないが、今は亡き初代様は、この空間でのみ生きられる。

 正直、僕としてはこの状況、勇者に殺されるという事を除けば、楽しんでいるという節まである。

 なぜなら、やはり死なないから……だろうか。

 生き返るたび、時間が逆行するたび、また違った人生……もとい、生を生きられるのだから。

 兎にも角にも、いま、この状況下で、呆けているスルメ初代様を頼ることはできない。

 だったら、こちらから行動を起こせばいいというもの。

 とりあえず逆行して、それから今後のプランを練ればいい。

 そして、僕はもう、これ以上、この二人しかいない空間の空気に耐えられなかった。

 信頼できる配下の者たちは失いはしたが、時間を逆行すれば、そこにいる。

 目の前のヨボヨボなスルメの何倍も役には立つ。



「……では、初代様? そろそろ、行ってきますね?」


「食った……食った……食った……? ……あ、はい、どぞ」


「だめだこりゃ」



 僕は目を瞑ると、そのまま、自分が跳びたい年代を頭に浮かべた。

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